48話 尼子氏との交易
ハイペリアン乗組員
橘 幸太郎 日系アジア人 30歳 男性 大佐 艦長 総司令
坂本リョウマ 日系アジア人 28歳 男性 中佐 戦略参謀
西郷たかお 日系アジア人 28歳 男性 中佐 内政参謀 新政府へ出向、議定
大久保トシオ 日系アジア人 28歳 男性 中佐 外務参謀 外交担当
勝りん太郎 日系アジア人 25歳 男性 少佐 海軍参謀
乾タイスケ 日系アジア人 25歳 男性 少佐 陸軍参謀
福沢ゆー吉 日系アジア人 25歳 男性 少佐 財務参謀 財政全般
ヘレン ダルク フランス人 25歳 女性 少佐 医療参謀 医療技術
服部ハンゾウ 日系アジア人 25歳 男性 少佐 警察参謀 情報捜査
杉原 ねね 日系アジア人 20歳 女性 少佐 教育参謀
陸軍副参謀サユリ:戦略戦術立案用アンドロイド、日系アジア人20歳女性
平賀源内 鉄道省長官に 電化開発、家電開発
田中久重 科学技術省長官に 石油精製技術
鈴木茂雄 軍部技術開発部長 蒸気機関、デーゼルエンジン開発
志筑忠雄 軍部陸軍技師
川本幸民 軍部海軍技師
二宮忠八 軍部航空技師(次世代航空機の構想を持つ少年技師)航空機設計
橘商会 敦賀支店 支店長 道川兵三郎 元敦賀港の川舟座の頭
奥州地区 支店長 蠣崎義広 元安東家家臣
横須賀港 店長 蠣崎光広 元安東家家臣
長崎支店 支店長 長崎 一朗太 元長崎豪族
新政府
天皇 後柏原天皇
総裁 持明院基規 正三位、権中納言
議定 西郷タカオ、蝦夷國からの出向
参与
持明院 基規 正三位、権中納言
勧修寺 政顕 従二位、権中納言
長尾 能景 越後国の大名
安東 忠季 出羽の大名
朝倉 貞景越前国の大名
有馬 晴純 肥前国の大名
足利 義稙 第10代足利家当主
1497年 6月
日本海出雲沖
幸太郎は勝少佐と1番護衛艦のCIC(戦闘指揮所)の中にいた。
幸太郎
「さてと、尼子経久との会談だな。」
勝少佐
「あのー総司令、私は歴史にあまり詳しくないのですが、
その尼子経久ってどんな人物ですか?」
幸太郎
「そうだね、国衆の連合政権(国人一揆)を組織し
鉄資源(出雲たたら)を掌握し政治力と調略で山陰支配した
人物だね。まあ、豊臣秀吉の様に調略が得意だな。
今回は、石見銀山の採掘権、鉄の輸入が目的だよ。
あとは、嫡男の尼子政久の留学させて
新政府使えさせる事が目標だな。」
月山富田城大広間
中央に尼子親子
左右に重臣が並んでいる。
幸太郎は尼子経久との会談に望む。
「はじめまして、尼子経久様、政久様
橘商会、会長の橘幸太郎と申します。
お会いできて祝着至極でございます。」
勝少佐
「私は蝦夷国護衛艦、艦長、海軍参謀の勝りん太郎と申します。
以後お頼み申す。」
経久
「うむ、遠路はるばるご苦労である。」
左隣に座っていた嫡男の政久ー11歳
「私は尼子経久嫡男、政久です。以後よろしくお願い致します。」
経久
「それにしても蝦夷国の船は、でかいのう。
まさか南蛮船よりでかい船を持ってるとは驚いたぞ。
しかも帆も無く走るとはどんなカラクリなんじゃ!」と
興味津々で話した。
幸太郎
「ご希望なら、ご案内いたしますよ。」
すると経久の隣にいた嫡男の政久が
「橘殿、是非見学したく存じます。」と目を輝かせながら言った。
一呼吸おいて、
幸太郎
「早速ですが経久様、橘商会と交易をお願いに参りました。
当方からは蝦夷の海産物、越後の上布、蒸気自動車、
石炭ストーブなど必要なものはどんなものでもお持ち致します。」
経久
「ほう、みな欲しいものだな。
問題はこちらから何を輸出すれば良いのじゃ?」
幸太郎
「はい、まず、砂鉄です。奥出雲地域(雲南市周辺)は良質な砂鉄購入して
橘商会が十六島港を拡張と周辺を租借し製鉄所を建設し、
鉄を生産し新政府に売ります。」
経久
「たたら製鉄ではだめなのか?」
幸太郎
「だめでは無いのですが、これからは世界に輸出することになるので、
大量の鉄が必要となります。
たたら製鉄では、生産量が少なく、時間がかかること、そして
「**鉄穴流し」による環境への影響です。
また、1回の操業ごとに炉を破壊する必要があるため、
連続操業が可能な蝦夷式高炉と比較すると、
年間生産量が大きく見劣りするのです。
ただし、たたら製鉄で制作する日本刀は海外の需要が高いので
橘商会で高値で買い取ります。」
経久
「なるほど、
また、港周辺を租借し製鉄所を建設とは、また壮大だな。
当家に利があるなら許可しよう。
日本刀を高値で買ってもらえるのも良い話じゃ。」
幸太郎
「あとは、石見の銀山の採掘権を頂きたいのです。
採掘した銀は2割をお渡します。
もちろん、銀も全て買い取らさせて頂きます。
また、人足も必要ですので、領民に賃金を支払って募集の許可も
欲しいのですがどうでしょうか?」
経久
「ほう、石見か、まだ採掘が始まったばかりなのに、
抜け目ないのう。
うむ、良かろう。領民にとっても助かる事じゃな。」
【石見銀山について】
1500年頃はまだ本格的開発前だが、
すでに銀が産出しており価値を認められていた時期。
この後(1520〜1530年代)に爆発的な銀産出が始まり、
世界最大級の銀山となる。
少し考えて経久
「ところで、石見国では大内氏の重臣の陶 興房
との小競り合いが続いており戦力増強のための
鉄砲は融通できるかのう。」
幸太郎
「はい、もちろんです。蝦夷国製防水火縄銃を提供できます。
たぶん、銀の売上で十分賄えますよ。」
経久
「ほう。それは有り難い事だな。」
その後、橘商会と尼子氏との間で、
十六島港周辺の租借地の契約と
石見の銀山の採掘権と採掘工場の建設の許可を契約を
蝦夷国海軍参謀勝少佐の立会のもとで、書面で交わしたのだった。
その夜、幸太郎は勝少佐に、
「明日の案内は頼むよ。俺は商人だからね。
まあ、戦力差、技術力を見せて反抗心を無くさせてくれ。
そして、嫡男が蝦夷国へ留学したくなるように頼むね。」
「了解しました、総司令。」と勝少佐が微笑んだ。
翌日、約束通り
尼子経久、嫡男の尼子政久、
重臣たちを護衛艦に招待した。
護衛艦デッキで勝少佐
「蝦夷国護衛艦ようこそ、歓迎致します。」
経久
「こちらこそ、よろしく頼むます。」
勝少佐
「せっかく乗船頂いたので短い航海をしますか?」
目をキラキラさせながら嫡男の尼子政久
「是非、航海したいです、父上も良いですよね。」
経久
「まあ、短い時間ならよいぞ。なあ。」と
重臣の三刀屋頼扶に言った。
三刀屋頼扶
「はい、半日位なら政務に支障はでないかと。」
勝少佐
「了解しました。それで出航します。」と操舵室に連絡すると、
護衛艦は、ぐんぐん進みだした。
尼子氏一行はそのスピードに驚愕したのであった。
甲板の先頭に一行を案内した勝少佐は、62口径5インチ砲の説明をした。
「この大砲は、あらゆる天候下で昼夜問わず対水上・対地射撃が可能です。
なお、発射速度16~20発/分、最大射程約24kmです。」
すると経久
「おいおい、月山富田城まで届くではないか。」ヒヤリと汗が出てきた。
勝少佐
「試しに試射をしてみますか?」
経久
「うむ、では、あそこにある無人島を撃ってくれ。」と言うと
勝少佐は、CIC(戦闘指揮所)に連絡して無人島に向けて
数弾発射発射した。
どどどどーん!
数秒後無人島は、跡形もなく海中へ沈んだのだった。
尼子氏一行は、皆声も出ずに、ただ呆然としていた。
この速度で進みながら大砲で島を跡形もなく破壊するとは、
この戦艦があれば大内水軍が全滅するのは納得だな。
しかも、この強さは尋常じゃないぞ。
とても尼子じゃ太刀打ちできんな。
と経久は考え込んでいた。
勝少佐
「では、艦内をご案内いたします。」
そう言ってハッチを開けて、尼子一同を艦内に先導した。
操舵室、CIC(戦闘指揮所)、エンジンルームを案内した後、
再び甲板に出ると、護衛艦は長崎港沖に停泊していた。
勝少佐
「経久殿、あそこに見えるのは肥前国の長崎港です。」
経久
「なんと、肥前国ですと、とんでもない速さじゃ!
しかも、初めて見る景色じゃ。」と感嘆で声が震えていた。
その後、艦内の食堂に戻って、軍艦カレーを尼子家一同に、
振舞った。
もちろん、全員無言で完食したのは言うまでもなかった。
そして、再び月山富田城の沖合に返ってくると尼子経久が
「勝殿、頼みがあるのだが。」
勝少佐
「なんでしょうか?」
経久
「うむ、嫡男の政久の見識を広げるため蝦夷国へ留学を
させたいのじゃが。どうだろう。」
尼子政久
「勝殿、是非、私を留学させて下さい。
新しい技術や文化を知りたいのです。
そして、領民を豊かにしたく存じます。」
勝少佐
「わかりました。御子息を1年間、お預かりしましょう。
蝦夷国の学校に入学して頂き、学問を学びながら、軍事、科学技術など
お好きな事を学んで行けばよろしいかと。」
経久
「うむ、よろしく頼みます。
あと、先程、食した軍艦カレーをまた食べたいのだが?」
勝少佐
「はは、いつでも、十六島港の
橘商会商館に来て頂ければ、お出しできますよ。」
それを聞いた重臣たちも歓声を上げたのであった。
1週間後、尼子政久は勝少佐と共に、小樽港へ向かった。
尼子政久について 【1488年ー1518年】
経久が出雲統一を成し得たのは自身の優秀性のみならず、
政久の才能によるところも大きいと言われており、
文武に優れており、将来を嘱望されていた人物であった。
そんな人物だったので、新政府に欲しい人物だったのである。
7月に入ると橘商会の蒸気船が十六島港に入港し、
拡張工事と商館建設を1週間で完了させると、24時間体制で、
製鉄所を2週間で完成させたのであった。
その後、周辺道路建設を開始するため近隣の村々に、
人足の募集の高札を出した。
募集内容は、賃金は蝦夷銭払いと食事付きであった。
その内容を見たり、聞いたりした領民たちが、
5000人ほど集まってきたのだった。
港の区画整理や、製鉄所までの道路工事の
作業を教えながら、読み書きできる者には重機の運転を教えたりした。
また、3交代制の工事を維持するため、
食堂や仮眠所を設置し、炊事洗濯を老人や女性に手伝ってもらった。
もちろん、賃金を払ったので、皆喜んで手伝うのだった。
そんな感じで、稲刈りの時期の前には石見銀山までの
舗装道路が完成したのだった。
尚、稲刈り終わった秋を過ぎてから、石見銀山の採掘のための
人足を募集し、翌年から採掘工場も本格稼働することになった。
9月のある日
十六島港の橘商館内食堂で軍艦カレーを
食べながら尼子経久は思う。
参ったな。
道路を作る重機、人を運ぶ自動車、建物に至るまで、
国力が違いすぎるな。
早めに家督を譲って新政府の中で生きることが
尼子家のためになるな。
そのためにも重臣の息子たちも蝦夷国へ留学させようと
心に決めたのであった。




