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俺、高橋

コロナで死にかけた友人が語った臨死体験の実話

作者: 病因

「実はコロナで死にかけてしまって」


 開口一番そう言って俺を驚かせたのは、十年以上の付き合いになるライターのU氏だ。

 いまは京都に住んでいるが、東京にいたころにはよく焼き肉やラーメンを食べに行っていたような仲だった。

 仕事はときたま一緒にやるくらいで、大体はどうでもいい愚痴や悪口をLINE上でやりとりする。そんな友だちだ。

 

 いわれてみれば2021年ごろは、ほとんど連絡が来なかった。

 あの当時は俺のほうも仕事が大変で、あまり意識していなかったが、まさか死にかけていたとは思わなかった。

 聞けば、半年以上入院していた、という。

 LINEを見返してみると、二回目の予防接種を終えたころ、まったく後遺症がなかったです、というマウントメッセージがあった。既読スルーしていたようで返事はしていなかった。大したことない、と高をくくったということだろうか。


「風邪で変だなと思ったのが最初だったんですよ。そこからみるみる悪くなっていって。次の日には入院してエクモつけてました」


 エクモというのは確か酸素濃度が低くなった人に付ける専用の装置だったと思うが、この話の焦点はそこではない。


「ここからが面白いんですけどね。こんな話は高橋さん以外にはできないので、なんとか生き残って、高橋さんにお話ししようと頑張ってました」


 そんなことを言われたが、俺のコミュ力では答える言葉がない。お疲れさまでした、とでもいえばいいのだろうか。


「臨死体験ってあるじゃないですか」

「はい。三途の川とか」

「そうそう。それをしまして」


 U氏はそう言って、目を輝かせた。俺に話したかったというのはどうやら本当だったらしい。

 年の瀬である。特に寒くもない十二月の暮れに、俺たちは京都の喫茶店にいた。

 昔の洋画のポスターが壁中に貼ってあり、カウンターには映画人のサインが並ぶ、こぢんまりと落ち着いた喫茶店だった。

 俺たちが店に入ったときには、初老の映画ファンが数名、往年の女優について激論を交わしていたが、15時を過ぎるころには帰ってしまい、客は俺たちだけとなっていた。


 そのころ合いを見て、この話をしている。


 やはりオカルト話というのは、聞く人によっては激怒するものだから、気を遣うのである。俺もU氏もその辺は心得ていた。


「三途の川、渡ったんですか」

 

 俺はコーヒーをすすりながら聞いた。


「それなんですけどね」とU氏。

「川のような音は聞こえるんですが、川ではなかったんです」

「ほう」


 俺は身を乗り出した。


「ではどこなんです」

「場所はよくわからないんです。真っ白な霧がかかっていて、半径2メートルほどしか見えない感じです」

「映画の『ミスト』みたいな」

「ですです。そういう霧の中にいたら、向こうから人が歩いてきて」

「知っている人ですか」

「知っているはずなんだけど、見覚えがない人なんです」

「ほう」


 なぞかけのようなことを言う。


「高橋さんはご存じだと思いますが、ぼくって記憶力がいいじゃないですか」


 U氏が鼻息を荒くする。

 確かにそのとおりだった。

 俺の知る限り、U氏が打ち合わせでメモを取ったことは一度もない。にもかかわらず内容を一ミリも間違えたことはなかった。後々になって聞いたところでは、一種の病気らしい。忘れたくても忘れられないのだそうだ。


「だからね、覚えているはずなんです。でも、どうしても見覚えがない」

「でも知っている?」

「知っているという意識だけがあるんです」

「不思議ですね。前世の記憶とか、そういうやつでしょうか」

「わからないです」

「その人とどんな話をしたんですか」

「それも覚えていないんですよ。話したということは覚えているんですが、内容は思い出せないんです」


 オカルトに懐疑的な人が聞いたら失笑しそうな会話だが、U氏はいたって真面目である。そしてそういう反応があることも十分わかっているからこそ、俺のようなリベラルな人間にしかこういう話をしないのだ。


「そんなことが三回ありました」

「三回? というと」

「三回、死にかけたんです」

「えっ、そんなに?」

「はい。自分で『ああ、死ぬ』ということがわかりました」

「どんな感じなんですか。よく、眠るように死ぬという言い方がありますが」

「ありますね。眠るように。でも、全然違いました。眠る感覚とは」

「違うんですね」

「違います。明らかに違う。意識は最後までずっとあるんです。意識がありながら、どんどん暗い闇の中に落ちていく。そんな感じです」

「で、気が付くと霧の中にいる」

「はい。それが三回。同じ場所で、同じ人が来ました」

「よほど縁のある人なんでしょうか」

「そうなんでしょうね。そして三回とも戻ってきた」

「戻ってきてよかったです」


 U氏はコロナ前にあった時と比べると二回りほどやせていて、死にかけるほどの病気をしたというのは事実であると思う。足も悪くなっていて、歩くのが辛そうだった。たまに呂律も回っていなかった。頭だけはしっかりしていたが、だからこそ余計に痛々しかった。


「うちの妹夫婦がね」U氏が続ける。「意識のなくなった僕の枕元に来て、悪口言っているのが聞こえるんですよ」

「意識がないのに、ですか」

「向こうからはそうなんですよね。目の前は真っ暗ですし、身体は全く動きません。でも、耳だけははっきり聞こえるんです」

「確かに、死にかけた人には呼びかけたほうがいいと聞きますね」

「あれは本当です。耳だけは最後まで聞こえてます。いい話も悪口も全部聞こえました。看護師も『あの人早く死なないかな』とか言っているんですよ」

「え、それはひどい」

「でも、あの当時は病院の中が本当に大変だったんで。医療従事者というだけで差別もあったし、休みもないし、いつ死ぬかわからないし。愚痴くらい言いたくなりますよ」


 そんなものだろうか。

 死にかけているときに悪口を聞いたら俺だったらもやもやしてしまい、目が覚めた時に文句のひとつでも言ってやりたいと思うが、人徳の差というべきか。


「死ぬというのがどういうことか、少しわかったので高橋さんに是非お話しておきたいと思ったんですよ」

「それは、よかったです。俺の存在が生きる糧になったのならうれしいです」

「まだまだお話しておきたいことがいっぱいあるんで、死ねないですよ」


 U氏が東京に住んでいたころ、借りていたマンションに幽霊が出た話はいずれ書こうと思うが、それ以外にも表には出ていない『京都人だけが知る新選組の真実』とかがあるらしい。まだ聞けていないし、聞いたところで書ける内容かはわからないが、U氏と話していて思うのはオカルトも突き詰めていくと歴史と交錯することがあるということだ。怨霊話や呪いの系譜が、いつの間にか由緒正しい日本の歴史と重なっていくのである。あんまり詳しく書くとU氏の身バレが心配なのでこれくらいにしておくが。


 というわけで臨死体験について俺が聞いた話は以上だ。




 




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