93
急に陰った満月。
宵闇が深くなったコロッセウムに、誰もが気付き天を仰ぐ。
しかしそれは二度目だ。
天井の閉鎖、満月の出現、そして雨雲。
もはやイベントどころではなくなった会場は、
どうしていいのか分からない輩。
さっさと帰り始める輩。
アシュバフの討伐招集に応じるために席を外す輩。
そんな感じで、空席が目立ち始め。
正当なイベント中のようなポジティブな歓声は皆無と化している。
そうして、実況と解説も、アシュバフとの話し合いの途中であり。
盛り上がる要素はあんまりなく。
会場は異常な雰囲気に見舞われていた。
そんな戦闘領域で。
水を得た魚のような大精霊と。
水を離れた魚のような吸血鬼が、戦っている。
――ステータスが300%から100%に激減した、というか元の値に戻ったジルシスの動きは、先ほどまでと段違いに鈍い。
「……さすがに、満月じゃなきゃさっきの勢いは出ないみたいね!」
不敵な笑みで、攻撃を仕掛けてくるメルクリエに。
ジルシスも笑みを浮かべ。
「なぁに。お月様が隠れたくらいで! まだ夜は終わってへん! ……それに――やっぱ、良ぇ勝負くらいが楽しかろ? あんたも楽しそうな顔しよるしなぁ?」
「――うるさい!」
調子を狂わされそうなメルクリエが、罵声と共に、水属性魔法を行使する。
たとえ、満月が無くても、まだまだジルシスは吸血鬼として戦える。
夜があれば、吸血鬼専用のスキルは使用できる。
けど。
メルクリエが使った【水針の豪雨】。
これは攻撃力を持った、強烈な雨で、超広範囲をカバーし、雨雲がある時にさらに威力を増す。
ランク的には下級魔法であり、範囲が広い分ダメージは少ないのだが――。
ジルシスは雨にも弱い。天候の、ただの雨に。
強酸の雨を浴びているような状態になるのだ。
しかし今降り注ぐのは、攻撃力を持った豪雨。
「くっ……!?」
最大HPは満月時の1/3、再生力も激減している。
今のジルシスに、その雨は強烈だ。
通常よりも、効果を発揮する雨に、メルクリエはしたり顔で。
「なるほど、あんたのこと少しわかってきたよ」
「ほおん? なら、こんどあたしとデートでもしようか? もっと解るようになるかもしれへんで」
「調子に乗って!」
余裕を見せるジルシスだが。
しかし、そろそろ中の人の身体が限界近くなってきていた……。
そんな状態でも。
ジルシスはほぼ互角の戦いで、懸命にメルクリエを抑え込む。
もうすぐ偽物の夜が終わる。
その時まで。
けれど――。
再びすぐに、その暗雲が急激に消失し始める。
雨は上がり。
再び満月が顔を出し始める。
「……空が? どうして!?」
メルクリエが、ジルシス以外のパーティメンバーが集まる一画を見やる。
そこには――。
◆ ◆ ◆ ◆
陰った空は当然ローリエも気づいていた。
無論、他のメンバーもだ。
「まずいわ、メルクリエがジル対策を思いついたみたい」
天を仰ぎ、苦戦中のジルシスの方を見ながら、焦るマナ。
けれどローリエは毅然として。
「だ、大丈夫、です。私が、なんとかします!」
だから
【自己治癒力上昇】
【身軽さ上昇】
【生命力上昇】
【物理防御力上昇】
ローリエは所持しているレベル10の全体基本強化を、真っ先に施し終わると。
その両の掌を、天に掲げ。
【天候操作】という風属性魔法スキルを行使する。
どんな雲であろうと、風に流されるのが定めであるように。
天気に関しては、風属性の方が一枚も二枚も上を行く。
それで、暗雲を散らしながら。
「MP消費がすごく激しいので長く持ちません、今のうちにユナさんに強化を――!」
ローリエのセリフに頷くウィスタリアと、フェルマータ。
そうして。
ウィスタリアによる、レベル5の単体基本強化。
【筋力/物理攻撃力上昇】
【スタミナ自動回復付与】
【器用度/動作精度上昇】
【|精神力/魔法防御力上昇】
【|会心率上昇/乱数上位選出】
【反応速度/回避力上昇】
フェルマータによる、レベル10の全体基本強化。
【視覚強化/千里眼付与】
【回復量/強化量上昇】
【防御的逆境付与】
そして、まだ活きているジルシスの黒系魔法のバフ3種。
【魔気再生付与】
【|信仰力/魔法攻撃力上昇】
【攻撃的逆境付与】
これで、ユナの準備が終わり。
「先輩、皆さん、ありがとうございます」
皆のバフが、能力を引き上げ。
ユナは漲る力を感じていた。
「それと、さっき預かったエリクシルだけど、作戦変更ってことで、皆に2本づつ渡しておくわね。構わないかしら?」
一応、ローリエに許可を取るフェルマータ。
ローリエは、どうぞどうぞ、と快諾する。
そうして全員に、エルクシルがいきわたった。
「出来るだけ使わないようにはしましょう。代替できるなら、闘技用に準備したアイテムを優先ね」
マナの一言にも、全員頷きで応じ。
「それじゃ、そろそろ行きましょうか!」
「はい、たぶんそろそろマスターも限界ですから」
気合を入れるフェルマータと。
各種の魔工杖に新しい弾丸をこめつつ、ジルシスを心配するウィスタリア。
そして全員が、戦闘準備を終えて、ジルシスに合流する。
◆ ◆ ◆ ◆
その頃。
「『破滅の邪神槍』!!」
「『水撃の槍』!!」
「『霊魂大撃泉』!!」
「『氷河落とし』!!」
再び顔を見せた満月によって。
力を取り戻したジルシスと。
再び窮地に立たされ始めたメルクリエが魔法合戦を繰り広げていた。
ジルシスにはもう、肉弾戦に付き合えるだけの体力がのこっていない。
中の人の足腰。正確にはその神経が、疲労困憊だからだ。
だから、接近戦を挑もうとするメルクリエを、爪や、投げ技のカウンターであしらいながら。
魔法攻撃で、応戦する。
現在ジルシスの魔法攻撃力は、4500を超えており。
この値は、魔法使い特化ビルドのマナの4倍もあるわけで。
邪神の槍は水の槍を貫き。
霊魂の泉は、氷河を撃ち砕く。
「く、近づけない。……このバカ魔力め!」
無論それは、満月だからこそ。
そして、ローリエの削った分と、ジルシスが善戦した分で、レイドボスであるメルクリエのHPは、70%にまで落ち込んでいた。
実質たった二人で、30%も減らしたという事だ。
これは、凄まじい事なのだが。
だが逆にまだ70%もHPがあるということであり。
さらに。
「たった二人にこれほど減らされるなんて、癪だけど仕方がない……『清涼なる癒しの雫』」
【清涼なる癒しの雫】は、【癒しの雫』】の上位版で、信仰度による固定値+最大HPの15%ものHPを回復する単体治癒魔法だ。
そんなものを使われたら、ここまでの頑張りは水の泡となる。
ジルシスは必死に、飛び掛かり。
「させ……!」
させるかいな、と殴りかかろうとするが。
そんなタイミングで、夜が切れた。満月も消失し。
「……はっ……!!」
ジルシスの動きは止まったかのように鈍くなる。
疲労により膝をつき、走ることもままならず。
しもうた。
と、悔いるジルシスだが。
「な……」
驚いて固まっていたのは、メルクリエの方で。
「間に合ったわね……」
掌を突き出し、【解呪】でメルクリエの【器用度/動作精度上昇】を打ち消したマナと。
「ええ」
ウォーハンマーを掲げ、【強化量上昇】で効果量の増幅した【|被回復量減少/与回復量減少】のデバフで、メルクリエの受ける回復量を『×0%』に変更することに成功したフェルマータと。
「――おかげで休めました。感謝します、ジルシスさん」
マナと同時に、【器用度/動作精度減少】でメルクリエのDEXを『1』にまで減少させ、詠唱速度を激減させたローリエと。
「……急ぎますので、さっさと倒させてもらいます!」
殺る気満々のヒューベリオンに騎乗し、フルバフモードで、ハルバードを構える、ユナが。
その場に駆け付け。
同時に。
キャラクターもプレイヤーも。
限界を迎えたジルシスは、その場に眠るように倒れ込んだ。
「堪忍な、あたしはここまでみたいや……」
「ありがとう、マスター……もう、休んでいてください。あとはウィスタリアたちに任せて」
そうして。
HPの回復に失敗し、1ポイントも回復できなかったメルクリエは険しい顔で歯がみする。
「この、有象無象たちが、小賢しい真似を……!」