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エスペクンダに借りた宿の一室。
そこの開いた窓から、身を乗り出して見る風景はどこかの映画のようで。
快晴の空は雲一つない青空で。
遠くからは水鳥の声が。
時計塔の鐘の音が。
宿の真下に添えられた広大な噴水から上がる水柱の音が。
黒いジェスター帽子と漆黒の魔導士服に身を包んだ、魔法使いの少女の。
その耳を、騒がせる。
そして街並みは、白を基調とした古典的な建物で彩られ。
建物の合間、その奥には、この地方の特徴ともいえる、海のように広い湖が見て取れる。
遠く水平線が、湖の青と空の青で交じり合う景観は、『水の都』や『湖の都』と言われるだけあって。
とても美しい。
視線を、ずらせば、真っ白な主城のシルエットも見え。
それらの幻想的な風景に『ああ、今私ファンタジーの世界に居るわ』と誰もが思う事だろう。
今は、フェルマータとハンスは別々に行動していて。
マナも、単独行動タイムを終えて、この宿にチェックインしたばかりだった。
半端ない透明度の水が、運河となって貼り巡るこの都市は。
色彩的に、白、青、ときどき緑。という感じで。
マナにとってはいささか眩いくらいの清らかさを醸し出している。
だから。
ひと時、景色を楽しんだマナは、その窓をパタリと閉じた。
この美しさだから、ここに拠点や住居を構えるプレイヤーも多いのだが。
マナは、溜息混じりだ。
「……やっぱり、この街は私には不似合いだわ」
それに。
溜息の理由はそれだけではない。
そして、闘技イベントの事でもない。
実は、このエスペクンダの街に滞在するのは二度目の事だった。
その時のことを思い出し、マナは少し憂鬱になる。
そうして。
備え付けのベッドに腰かけると。
マナは、インベントリから手を使わずに物を取り出す【アポート】の魔法を使って、正八面体の透明な入れ物を出現させる。
手を離すと、ふわりと浮遊するその物体は、『空の封界』と名付けている、マナが作り出した魔道具の一つだ。
こぶし大の大きさで。
特殊な精霊石と魔石を混合した合石で作られている。
それは。
【精霊研究】と【魔石研究】、そして【魔法学】などの賜物だ。
マナは無属性マスタリの他に、魔法というものの根本を深く追求したビルドを行っている。
これらの研究カテゴリは、ステータスには直接寄与しない部分も多いが。
例えば、魔素や現象核の流れをもっと視覚的に感知出来たり。
霊的な存在への会話の成立や、属性による弱点を突いた時のダメージ量を上げるパッシブなど。
RPGのクラス感でいうなら、魔法使いというよりは、賢者的な要素が多いところになる。
大精霊を倒したい、という目的も、ここの研究課程の一つであり。
自由過ぎて何していいか解らない。
そういう病を発症しやすいこのゲームの中で。
大精霊討伐はマナが見つけた『やりたいこと』の一つという事になる。
そういうふうに。
何か目的を持つというのは、意外と大事なことだ。
現にフェルマータにも、『自由過ぎて何していいか解らない病』にかかった時期があり。
ちょっとやる気を失くしていたフェルマータに。
いっそ手伝ってほしいと申し出たのが、はじまりで。
今はこのパーティの目的となっている。
そんなマナの現在の総獲得SPは69,482ポイント。
そのうち、30,000ポイントほどを未使用のままおいてある。
それも全部、研究のためだ。
その研究が実を結ぶのかどうか。
全ては、パーティの行く末にかかっている。
マナの計算では。
ユナとヒューベリオンが、もう少し強くなれれば。
一つくらいは倒せるのではないか、と思っている。
でも、ユナは初心者だ。
家庭の事情などもあるし。
急いで強くなるだけがこのゲームの楽しみ方ではない。
だから、マナは待つ。
大精霊は逃げない。
いつでも挑戦することができる。
結果を、焦るつもりも急ぐつもりもないマナだが。
それでも。
「やっぱりこの街は苦手ね。……ここに来ると、心がざわつくもの」
八面体を仕舞い。
マナはもう一度、ベッドに座ったまま。
遠く、窓越しに、見える湖を見つめる。
水平線の中に、ポツンと見える小さな何か。
それは、湖面に突き出た建物であり。
『水の神殿』なる聖域であり、その地下にはダンジョンが広がっている。
かつて、マナが挑戦したダンジョン――『メルクリエの湖底神殿』が広がっているのだ。
マナは、瞼を閉じる。
その景観が目に入らぬように。
そんなタイミングで。
部屋の扉が開き、
「なに黄昏てんの?」
フェルマータが戻ってきた。
「別に」
そう答えるマナに。
フェルマータは苦笑しつつ。
「気になるんでしょ? ……イベントが終わったら、ついでにもう1回チャレンジして行く? 今だったら、前よりマシに戦えるかもよ?」
「そうかしら?」
「そりゃそうでしょ。今なら、ユナちゃんも、ウイスちゃんも居るし、もしかしたらジルシスさんも手伝ってくれるかもしれないわ?」
「ユナとウイスは、耐えれると思えないけど」
「あの二人で無理なら、先生はもっと無理でしょ」
「そうね。違いない」
微笑むマナ。
そこでマナは窓の外を見るのをやめて、振り返ると、フェルマータを見る。
「ところで、ロリの名前が無かったけど……? 戦力外通告?」
フェルマータは、両手を腰に当てる仕草で。
嘆息する。
「そんなわけないでしょ。ロリちゃんは、きっと私よりも生き残るわよ」
「どうしてそう思うの?」
「この前、いつものお店で、先生、『ロリちゃんは私より強いかも』って言ってたでしょ? あれマジだったわ」
「戦ったの?」
「まぁね」
「それで?」
「勝てなかった。むしろHPを1ミリも減らせなかったわ」
リア友である、フェルマータのビルドはマナも良く知っている。
普段は、防御特化ビルドの堅牢さで敵の攻撃を引き付け、パーティを守り。
時には、命属性の回復魔法で治癒も引き受ける。
そんなフェルマータは。
防御力を参照する攻撃スキルや、戦槌と白系魔法による『魔法戦技』なども使用できる。
決して、火力が無いわけではないのだ。
それが1ミリもHPを減らせないなんてことがあろうか?
もしも、それに理由があるとするなら――。
「当てれなかったわけ?」
「さっすが、先生。そう、ロリちゃんは私とは違うタイプの防御型の『前衛』よ。防御で受ける前衛じゃなくて、回避で受け流すタイプのね」
「前衛……。やっぱりそうなのね。ということは……」
「と、いうことは?」
「……ロリの総SPが気になるわ。私は、魔法使いの時点で60Kくらいじゃないかって思っていたのよ。でもそれが仮の姿だとするなら――」
「それは明日解るんじゃない? 明日、闘技場で参加者のSPチェックがあるらしいから」
「SPチェック? 本当に?」
「ほんとよ。さっき、コロッセウムの下見に行ったときに、デカデカと張り出してあったわ。アシュバフギルド所有の宝具に、看破に特化したモノがあって、それで審査するって。不正防止のチェックだと思うけど」
「宝具……。それなら、さすがにロリの看破阻害も貫通するわね」
「そ。楽しみでしょ?」
明日は、イベント開始一日前。
コロッセウムで、スポンサー側の受付を終え、ハンスは首都に戻る。
その代わりに、今店番をしているウィスタリアとローリエが、エスペクンダにやってくる。
そして、参加者全員に、能力査定が行われるのだ。
総獲得SP160までのチームを3組作り、それぞれが用意された魔物と戦い、競い合う。
だから。
不正を防止するため。
計算を明確にするために。
審査が必要というわけだ。
このことは、まだローリエは知らない。
きっと、フェルマータは直前まで黙っているだろう。
マナも、それに倣うつもりで。
「……ええ、そうね。楽しみ」
マナは、うっすらと笑みを浮かべた。
それは、ローリエがどんな反応をするのかも含めた。
少し意地悪な笑みだった。