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「くっ……」
あふれ出る毒気は、暗殺者の毒耐性スキルでは緩和しきれず。
どんどんとHPを奪われていく。
たまらずに、範囲の外に距離を取るほかなく。
しかし、すぐ傍の初心者はケロリとしている。
全く意に介す様子もなく、慌てる様子もない。
ナハトはなぜだ、と思う。
どう考えても、実力では圧倒的に上な筈の自分がこれほど危険を感じているのに。
ゲームを始めて間もないユナが、どうして平気な顔をしているのか――。
「お前さん、何も感じねェのカ?、こいつは毒の霧だぜ……?」
「はい? 全然平気ですよ? きっと、先輩がかけてくれた魔法のお陰ですね」
良い感じのサイズのCカップ的なお胸の上に掌を置いて。
得意げにユナは受け応える。
「魔法……? ……自己治癒魔法でもかかってんのか……?」
「はい」
ナハトはユナに同行しているがパーティ状態と言うわけではない。
だからHPの変動を逐一見ることはできない。
看破スキルを使わなければ見えないのだ。
そうして、広がる毒の霧は、一定時間毎に10%のHPを奪う猛毒。
対して、ローリエがかけた自己治癒魔法も、同様のスパンで10%のHPを回復する。
だから拮抗して変動が無いのだ。
そもそも、ユナのHPの10%はせいぜい『2~3』ポイントだ。
ゲーム開始時に配布される初心者ポーションでも、十分対応できる負傷量といえる。
逆に、なまじ実力のあるナハトはHPがそれなりに高い。
その10%を奪われるとなるとなかなかの威力で、そこそこ真剣な回復薬を使い続けなければ死ぬ未来が見える。
しかし回復薬で耐える方法はあまりに非効率だ。
ここまで来て中に入れないのか、他に良い方法はないのか?
考える暗殺者の様子に。
初心者は、これまでの怨恨を込めて反撃する。
「タスケテクダサイ、って涙を流して懇願してくれるのでしたら、毒を止める方法が無いか、扉の中を偵察してきますけど?」
へっ。
ざけんな。
と口元を吊り上げる暗殺者。
「言うじゃねえか、ヒヨッコがよォ? この中につえー魔物が居ないとも限らねぇのに。そんなデカイ口叩きやがって。知らねぇぜ、後悔してもヨォ?」
「じゃあどうするって言うんです?」
ナハトは、隠密状態を解除し。
「どうもこうもねぇ!」
直立不動で背筋を伸ばし。
ユナを真っ直ぐに睨み付ける。
「な? なんですか……?」
シルクハットを外し。
その上体を90度倒す。
「タスケテクダサイ、オネガシャッス!」
「え?」
素直にお願いされると思っていなかったユナは、あわわと慌てた。
プライドとか無いんですか。
「ほ、本気ですか」
姿勢はそのままに、頭を少し上げると、視線だけちらりとユナを見る。
「ああ、本気だぜ、オレはナァ? せっかくここまで来たんだ、簡単には引き下がれレねぇ。オレの頭一つ下げるだけでいいってんなら、安いもんだぜ」
「うっ……」
自分で言った手前、断るなんてことはできないし。
扉の中に既にローリエが居るかもしれない、となれば。
行く以外の選択肢はなく。
「仕方がないですね」
「……ま、魔物に見つかったら一目散に逃げるんだな」
「解ってますよ!」
弱者扱いされるのを癪に思いつつ。
でも本当の事だからさらにむかつきつつ。
背中のフランベルジュを引き抜くと。
ユナは、毒があふれ出るフロアの中に入る。
そしてどうやら。
そこはまだエントランスに近い場所らしく。
さらに奥に別の入り口が見えた。
この時点で、フレンドリストのローリエの表示はまだ、消息不明のままだ。
先輩はもっとこの奥だろうか?
ユナは、敵を警戒しながら。
大剣を構えながら。
奥の入り口に入る。
すると、幾つもの太い石柱が並ぶ、広大なフロアに行き当たった。
そうして、その中央に、スポットライトのような輝きが当たっている。
その明かりの先を辿り、見上げると理由が解る。
ゲーム内の時間は、リアル時間よりも進みが早く。
今は夜に差し掛かっているようで。
そのスポットライトの正体は。
遥か高い天井から来ている輝き。
すなわち。
地表の亀裂から、地下深くにまで届く、月明かりだった。
さらに、その月あかりの下には。
巨大なシルエットが存在している。
それは、2匹の魔物だ。
片方は、おそらく、巨大なバジリスク。
もう片方は、ドラゴンと呼ぶべき威風。
その2匹が絡み合い、互いの急所にかみつき。
絶命を果たしたままの姿で、竜は石になり。
バジリスクは、骨だけの姿となっている。
そして毒は、巨体が鎮座するそのさらに奥。
フロアの壁際に置かれた、いくつかの宝箱うち。その一つの隙間から漏れ出ている。
宝箱の傍には、白骨化した冒険者の死体まである。
状況からして、宝箱の罠にかかったのだろう。
「たぶん、あれね……。いけるかな、私で……」
その箱を閉じれば、毒は出なくなるはずだ。
見渡してもフロア内には、魔物の姿はまだ見えない。
頼むから出てくるな、と願いながら。
ユナは、そろりそろりと、フロアを歩き。
宝箱の所まで接近する。
「うぐぐ、よい、しょ!」
重く硬い宝箱の蓋を、筋力をめいいっぱいつかって閉じた。
もしかしたら、非力なキャラクターだと閉められなかったかもしれない。
そして、思った通り。
毒の霧は消えてなくなった。
本当なら、暫くは効果が残り続ける物なのだろうけれど。
そこはゲームだから。一瞬できれいさっぱり消え失せたようだ。
これで任務は完了だ。
入り口に戻るため、ユナが来た道を歩いていると。
「いいねェ。助かったぜェ。何から何までヨォ。さすが、オレが見込んだだけのこたァあったなァ!」
近くから、訊きなれた『声』がして。
「あなたが言う通り、毒は止めてきましたよ?」
それに『声』は、「おぉ、おぉ、すげぇぜ。本当に。お前さんは良くやってくれた」
そう言ってさらに続けるのだ。
「そんで、オレも色々考えたんだけどよぉ? やっぱ、このまま仲良しこよしってのも、ちげえなぁ、って思ってなァ?」
「どういうことです?」
にやり、とそんな笑みこそ、姿が見えないから見えはしないが。
しかし。
「こういうことさ! 『跳弾する刃』!!」
突然放たれた、何本もの投擲短剣。
それは、近くの石柱に命中すると、急角度に方向を変え――。
「あぐっ!?」
ユナの腹部を貫いた。
血が迸るダメージエフェクトと共に。
30にも満たないユナのHPは、耐える間もなく。
その場に崩れ落ちる。
死亡だ。
ただし、そのままでも会話できる。ゲームなので。
「……あ、あなた……!」
攻撃を行ったことで姿を現した暗殺者は。
倒れたままのユナの傍に、うんこ座りして。
「悪ぃね。オレは、PKだからよォ? このままめでたしってわけニャいかねえ。そうだろォ?」
「いったい、こんなことして何が楽しいんですか!」
「お前さんにゃ、わからねえだろうけどよォ? 機械仕掛けのモンスターばっかり相手にすんのはつまんねえし、それに、お前さんたちも、イキナリ後ろから、切りつけて殺されたほうが、ドッキリの番組みたいにビックリできて楽しいだろォ?」
ふざけている。
少なくともユナは楽しくない。
きっと大半のプレイヤーは迷惑に思うだろう。
だが、この男はそんなことは気にもしないわけだ。
「……じゃあ、どうして、私に同行したんです? こうやってドッキリを仕掛けるためですか? 初心者は殺せないと言っていたのは嘘ですか?」
「嘘じゃねえよ。初心者を殴ると、ダメージは全部殴ったやつに跳ね返る、そのことは本当だ。だがなぁ? システムには穴ってもんがあってよ。今みてぇに、壁に跳ね返ったモンのダメージは、オレに返ってこねえんだよな。壁がやったことに、なってんじゃねえか? 知らねえけど」
「じゃあ、どうして私と……」
「運がいいからさ。お前さんは、あの穴から落ちても無事だったろォ。普通はくたばるもんだけどよォ。だからオレは考えたのさ。どうせこのダンジョンはオレも道が解らねえ。だから、運がいいお前さんに道案内させよう、ってな――そしたらどうだ? お前さんはちゃんと、お宝の在処にたどり着いた。オレの見込み通りだった、ってわけだ」
「っく……利用したのですね」
「結果的にはな――」
そうして、男は立ち上がり。歩き出す。
「たしか、卵は、この先のフロアにあるって話だったな……」
フロアの奥に向けて。
そして、暗殺者はふと立ち止まり振り返る。
「ああ、そうそう。この先にお前さんの先輩がいるって話……アレも嘘だぜ」
最悪だ。
なんてやつだ。
今日の何もない貴重な時間を。
こんな奴のために使ってしまって。
ユナは、こんなに悔しいと思ったことは無かった。
でも。
もう動けないのだ。
ユナはもう、死んでいるのだから。




