(8)
そこから更に道は狭くなった。数軒だけの小さな集落を抜け、狭いカーブの道をもう少し進むと、その道は砂利の駐車場で行き止まりになった。
父は車のエンジンを止める。僕はドアを開けて外に降りた。さっきは雲間から日差しが出ていた筈だが、そこは木々に囲まれているために薄暗い。父も車を降りて、正面に見える鳥居に向かって歩いていく。僕もその隣に並んだ。
カラスの声が物寂しく響いている。鳥居の先は階段が続いており、人気は全くないが、枯れ葉や枝が端の方に寄せてあるので、人手が入っていることだけは実感できる。その階段を父とともに上っていく。
階段を上がりきると、古びた神社の建物があった。その建物の脇で、白い装束に紫色の袴を履いた人が箒で掃いている。その人がふとこちらに気づいた。
「あれ? あなたは……」
その人は手の動きを止めてこちらを見つめた。細身で身長の高い女性だ。
「こんにちは。佐野です。佐野優司」
父はその女性に手を挙げて近づいていく。
「やっぱり。何年ぶりかしら」
彼女もフフっと笑って近づいてくる。
「久しぶりだね」
父がそう言うのに女性は頷く。そして僕の方に顔を向ける。
「息子さん?」
「そうだよ。おい、挨拶しろよ」
父に言われて、慌てて「優馬です」と挨拶した。それに彼女も頭を下げて笑顔で言った。
「こんにちは。私は御影美姫と申します」
えっ、と思わず息を呑んだ。
「父さん。まさか、この人って……」
「美姫さんは俺の高校の時の同級生。そして、娘さんもお前のクラスにいる」
父はさらっとそう言うと、美姫の方も続けて言った。
「ええ。珠洲から聞いてますよ。佐野くんが、前の席になったって」
それを聞いて、少しだけ睨むように父の方を見た。
「父さん、知ってたの?」
「高校のクラスの名簿が送られてきただろう? 一応、地元の知り合いの子がいないかチェックしてたんだ。と言っても、しばらくこっちの人間とは疎遠になってたから、ほとんど分からなかったんだけどな。ただ、美姫さんの『御影』だけは分かった。珍しい苗字だから。それで、前に電話で挨拶だけはしておいたんだ」
すると美姫も頷いて言った。
「折角ですから、お茶でもいかがですか」
断るのかと思いきや、父は「じゃ、遠慮なく」と嬉しそうに彼女についていった。
神社の奥の方には、大きな平屋の日本家屋が建っていた。どうやらそこが自宅らしい。庭木も綺麗に手入れされているような立派な邸宅だ。
「珠洲も寧々も少し出かけているんですが、どうぞお入りください」
玄関の引き戸を開けて、美姫は中に入るよう案内した。確かに家の中は静まり返っている。かなり広い玄関には大きな壺が置いてあり、まるで高級旅館のような感じだ。
玄関を上がると長い廊下があり、右側に襖のある部屋が何部屋も続いている。美姫の後ろから廊下を歩いて行くと、突然、少し先の襖が開いて、誰かが出てきた。美姫が足を止める。
「あら。ご苦労様、敬人くん。もう今日は終わり?」
「ええ。ちょっと疲れてしまって。でもかなり思い出してきました。また来週参ります」
白いシャツにジーンズを履いた長身の少年だった。彼は黒色のリュックを背負っている。まだ自分と同じくらいの年齢だろうが、かなり精悍な顔立ちだ。
「うん。じゃあ、またね」
美姫は笑顔でその少年を見送ると、彼は僕達に軽く頭を下げてから、廊下を玄関の方に進んでいく。彼が出てきた部屋の襖が開いたままだったので、立ち止まってチラッと中を覗いてみると、小さめの窓のある6畳ほどの和室の部屋があるだけで、テーブルも何もない。
(何をやっていたんだろう?)
不思議に思ったが、父が「どうした。行くぞ」と呼ぶので、慌ててその後について行く。再びしばらく歩いた辺りで、美姫が横を向いて引き戸を開けた。
「こちらへどうぞ」
そこは、10畳程の和室で、中央に背の低い木製のテーブルがあり、その周りに4つの座布団が置かれていた。床の間には鶴が飛んでいるような掛け軸があり、一つだけある窓から日差しが入っている。
僕達を案内すると美姫は「お茶を準備するから」と言って部屋を出て行った。彼女が出て行くと、父は窓から外の景色を眺める。
「すごいな。富士山の山頂の辺りが綺麗に見えるぞ」
明るく言う父を見て、ため息をついてからその背中に声をかける。
「父さんと同級生にしては、綺麗な人だね。父さんも何かすごく楽しそうだけど」
ハッとした様子でこちらを振り返った父は、軽く咳払いしてから少し真面目な顔で答えた。
「そ、そんなことはないぞ。昔の友人に会うと懐かしくなるものなんだ。お前だっていずれ分かる」
父はそう言いながら座布団の一つに座った。
「ほら、ここに座りなさい」
父に促されるまま、その隣の座布団に座る。すると父は静かに言った。
「昔、よくここに来ていたんだ」
急に声のトーンが変わったので、おや、と思う。
「どういうこと?」
うん、と父は言っただけで黙ってしまった。すると「失礼します」という声が聞こえ、襖が開いた。美姫がそこで正座して丁寧に頭を下げる。
「そんなに気を遣わずに。急に来たのはこっちだから」
ハハハと父が笑うと、彼女も笑って頷き、脇に置いていたお盆を持って入ってきた。
「ごめんなさいね。何もないんだけど。それにしても本当に久しぶりね。高校卒業以来、会ったことがあったっけ?」
「どうかな……思い出せないから、たぶん会ってないね」
「意外と佐野くんは変わらないね。髪も残ってるし。卓也くんとかは、この前会った時は、ほぼスキンヘッドになってたよ」
「ハハハ……卓也は坊主だったけど、実は昔から結構キテたからなあ。そういう美姫さんこそ、全然変わらなくてびっくりした」
フフフと彼女は笑いながら急須でお茶を湯飲みに注いでいく。それを僕と父の前に差し出した。
「さっき、もう少し下の集落の辺りで富士山が綺麗に見えたけど、やっぱりここから見るのが一番綺麗だね。昔と全然変わらない」
父が窓の方を見ながら言う。
「そうね。綺麗な富士山の姿を見ていると、昔から心が洗われるような感じがしたものね」
「そうそう。懐かしいなあ」
父は湯飲みに口をつけてから、再び窓の方に顔を向けた。美姫も同じ方を見ている。そこで急に静かになってしまったので、僕は彼女に尋ねた。
「あの、すみません」
はい、と彼女が僕に顔を向ける。
「トイレはどこですか」




