(14)
瞼を開けると、光が差し込んでいた。強い光ではないが、かなり眩しく感じる。
(あれ――?)
天井の木目が見える。真ん中に照明器具があるが、その電灯はついていない。しかし、部屋の中には外の光が差し込んでいて、かなり明るい。
「珠洲!」
ガバっと飛び起きる。周りを見回すと、そこは十畳ほどの広めの和室で、そこに敷かれた布団の上に寝ていたようだ。部屋には誰の姿もない。障子窓から差し込む光だけがただ眩しい。
ハッとして腕時計を見た。母から貰ったその時計は、しっかりと腕に付けられていて、何の変哲もない地味な文字板の上で秒針が動いている。時刻は朝7時20分を示していた。
僕は自分の姿を見下ろす。まだ昨日と同じで高校のブレザーの制服を着たままだ。慌てて掛け布団を捲って障子窓を開けた。盆地を取り囲む山の向こうに、白く雪を被った富士山がはっきりと顔を出している。
(珠洲の家だ)
そうだ。ここは間違いなく珠洲の家だ。僕にはまだ記憶がある。そう思うと、急いで部屋の襖を開けた。左右を見ると、記憶にある長い廊下が続いている。すると、遠くの方から声が聞こえてきた。
「どうもありがとうございました」
急いでその声の方に走って行く。すると見覚えのある玄関の先に、エンジンを掛けて発車した大型バスを、手を振って見送る人の姿があった。
「珠洲!」
声に振り向いた彼女は、白い装束に赤い袴を履いた巫女のような姿をしていた。その隣には、彼女の母の美姫が紺色に鮮やかな白い花柄の入った着物姿で立っている。すると、美姫の方も振り返ってニコッと笑った。
「あら、おはよう。もう起きたの?」
玄関にあったサンダルを急いで履いて、そのまま外に出る。標高も高いこともあるのだろうが、朝の空気はかなり冷たく、白い息が出た。
「今、お客さまを送っていたところよ」
「えっ……お客さま?」
「この神社は、夜景と富士山が綺麗に見える神社として、各種祈願だけじゃなくて宿泊もできるようになっているの。さっきのお客さまも昨日夜景を見て、宴会をしてゆっくり寝てもらって、今帰ったところ。珠洲、そうでしょう?」
笑顔で美姫が言うのを聞いて、珠洲の顔を見つめる。
「す、珠洲……僕のこと、覚えてる?」
彼女は表情一つ変えずに、じっと優馬を見ていた。
「珠洲……?」
「髪がボサボサ。よく寝られたみたいね、優馬」
それだけ言うと、彼女は欠伸をして大きく背伸びをした。
「えっ! ど、どうして……覚えてるの?」
「本当に不思議よね。あの影の底にいた校長先生たちは、昨日の事は全部忘れちゃったのにねえ。みんな本当に宴会を楽しんだ気になってるんだから。それに青柳さんたちだって、少しの時間しか影の中に入っていなかったのに、昨日は何も無かったことになってるみたいだし」
美姫がフフっと笑ってこちらに顔を向けた。
「でも、もしあり得るとしたら、その時計の効果なのかもしれないわね」
「えっ、時計?」
「優馬くんの腕時計のこと。それってたぶん、影踏みの一族の強い力が込められているものよ。だから付けている者の気持ちを感じてその者を守ろうとする。そのために、あの影の底でも光り続けたり、あなた達の記憶が失われないようにしてくれたのかもね」
そう言われて、やや古ぼけた文字板が並んだ時計に視線を落とした。明るい場所で改めて見ても、やはり何の変哲もないレトロな腕時計にしか見えず、あの時、光を放っていたものだとは全く思えない。
「そうそう。そういえば、昨日、校長先生たちに囲まれていた時、優馬くんが急に自分の影の中に入っちゃったでしょう? 私、びっくりしちゃって。普通、自分の影に誤って入ってしまうと、命を失うこともあるのよ」
「ええっ! そうなんですか。……でも僕、無意識だったから」
「それって、もしかしたら特殊能力なのかも。影踏みの一族の中には、そういう特別な能力がある人がいるの。ウチの子達にもあってね。寧々は影の中に一時的に人や物を隠せること、珠洲は影の中を猛スピードで移動できることかな」
「私、お姉ちゃんの力が良かったなあ。そうしたら、嫌な奴をすぐに影に落としてやるのに」
珠洲が美姫の方を向いて言う。珠洲の言い方が冗談でなさそうなので怖い。僕はハハと軽く応えながら、美姫に尋ねた。
「それって、お母さんも何か持ってるんですか?」
「私? そうねえ。……私はそもそも影踏み自体が苦手でね。影の中に長くいると酔ったような感じになっちゃうのよ。だからほとんど影の中に入ることがなくって、寧々や珠洲とかに任せているの。でも、その代わりに二つだけちょっと変わった能力があると言えばあるかな。その一つは、少し先の未来が見えるってこと」
「それって……結構すごいと思いますけど」
「そう? まあ、もう一つは大した力に思えないかもしれないけど、影の中に入った人の声が聞こえることかな」
「えっ――?」
「普通は影の中に入った人の声って聞こえないでしょう? だけど、私にはその声が聞こえるから、影の中に入った人の指示を受けて動いたりできる。要するに見た目は一人だけど、実際は二人一組のチームで仕事ができるってわけ。昔、仕事していた頃は意外に重宝がられたけどね」
「影の中の声が……?」
「じゃ、そろそろおじいちゃん達を起こしに行こうかな? 結構、体が弱ってたはずなのに、お父さんと神坂くんと、楽しそうに遅くまで飲んで騒いでいたみたしだし。これで御影家は安泰だってね」
それだけ言うと、美姫はニコッと笑ってスタスタと玄関の中に入っていってしまった。その姿を茫然として見送っていたが、しばらくして横にいた珠洲の方に顔を向けた。
「知ってた?」
静かに尋ねると、彼女は俯いたまま黙って首を振った。
「もう……最悪」
小さな声で答えると、彼女もまた玄関の方に歩き出していく。
「待って!」
思わず彼女の背中に呼びかけると、珠洲は立ち止まった。
「僕は、覚えてるよ。影の底で僕が言ったこと、珠洲が言ったこと。そして……そこであったことも全部」
それだけ伝えると、珠洲はゆっくりと振り返った。そして、腰を手に当てて僕の顔を真っすぐに見つめた。
「バッカじゃないの」
「えっ」
「忘れる訳なんか、ないじゃない!」
彼女は真っ赤な顔で叫ぶように大声で言うと、くるっと後ろを向いて再び歩きだした。




