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色々と話し込んで、家に帰ったのはそれから1時間ほど経ってからだった。
高校からは自転車で30分くらいかかる場所に、父の実家であるその家はあった。その辺りは市山町の南部、甲府盆地の外れにあたる地域で、僕達が今年の7月に引っ越すまでは祖母が一人で住んでいた。田舎であるため庭も車が3台くらい停められそうなほど広く、庭の入口には何本か枇杷の木があり、その他に紅葉などの木も周囲に植えてある。家屋自体は父が中学の時に建て直したらしいので、もう30年近く経っている普通の2階建ての家だった。
ワン、ワンッ!
庭の犬小屋から祖母の愛犬「ハナ」が尻尾を振って出てきた。黒と茶の毛並みをした雑種のメスで、これまでも番犬としての役割を果たしていたらしく、最初の頃はかなり吠えられた。ただ、引っ越してから餌やりや散歩を続けたこともあって、ようやく最近では慣れてきていた。ハナの体を撫でてから、玄関に向かう。
「ただいま」
玄関の引き戸をガラガラと開けて声をかけるが、返事はない。祖母は近くの畑にでも行っているのだろう。近くを流れる風吹川の土手沿いの畑で野菜類を作るのが、今の祖母の仕事だ。熱中症が怖いので夏場は長時間畑にいないように言っているが、草取りをはじめやる事は多いらしく、休憩を挟んで頻繁に家と畑を行き来しているようだ。
家の中のムッとした空気が漂う中で、玄関で靴を脱ぎ2階への階段を上がった。一番奥の東側にあたる部屋が僕の部屋だ。通学用のリュックを三段ある棚の上に置いて、部屋の東側と南側にある窓を開け、扇風機を付ける。空気が籠っている部屋に、やや心地よい風が通る中で、勉強机の前に座った。
(母さん——)
机の前に飾られた写真立てを見つめる。そこには、父と母の間に立つ自分の姿が写っている。前の高校の入学式の後に、住んでいたマンションの前で撮ったものだ。3人とも笑顔だ。
母は、今はこの家にいない。離婚したのでも仕事で不在な訳でもない。行方不明になっているのだ。
ちょうど5月の終わり頃のことだった。母は都内にある政府関係の機関に勤めていた。自宅のマンションから電車で通勤していたのだが、いつものように、僕と同じくらいの時間に家を出たきり、そのまま帰って来なかった。夜になっても全く連絡が取れなかったので、すぐに警察にも届け出たのだが、全く手がかりはつかめなかった。それ以来、父と僕も、母が行きそうな場所を色々と回ったが、空振りを続けた。
そんな時に、父が突然、会社を辞めて実家の方に戻りたいと言い出した。父は電気関係の工場に勤めていたが、ちょうど人員整理のために早期退職者を募集していたらしく、既に実家の方で新しい仕事も見つけてきたという。僕は高校に入ったばかりだったが、まだそこまで馴染んだ感じでも無かったし、何より母が行方不明になってから父は明らかに意気消沈していた様子だったので、素直に父に従った。
僕は自分の左腕を見つめる。そこには、黒い革にレトロな文字板のデザインの時計が付けられている。それは高校に入学した時に母から貰った時計だ。元々、母が時計を買い替えたからと言って、不要になった古い時計を貰ったのだが、そのシンプルなデザインは男子が付けても意外にオシャレだ。
「この時計は、幸運を呼ぶ時計なの」
母はそう言ってそれを渡してきた。「じゃあ母さんが付けていればいいのに」と言ったが、「もう一つあるから」と言って僕に渡してきた。まさかそれが母からの最期のプレゼントになるとは思っていなかったが、以来、その時計は肌身離さず身に着けるようにしていた。
しばらくして玄関の引き戸がガラガラと開く音が聞こえた。僕は部屋から出て1階に降りると、帰って来た祖母に「おかえり」と言った。
「ああ、おかえり。いやあ、今日も暑かったなあ」
祖母の菊乃は汗だくの顔で言いながら、自分の部屋に戻って行く。70歳に近いが、まだまだ元気そうだ。祖父は2年前に病気で亡くなっていたので、父が実家に戻ると言ったら相当に喜んだらしい。
僕は浴室に行って浴槽を洗った。風呂の準備は僕の仕事だ。暑い時期でも祖母は必ず浴槽に入っていたらしく、僕と父も今はそれに合わせている。
夕方5時半頃に、「ただいま」と父の優司の声が聞こえた。以前の仕事では、平日は早くても毎日8時を過ぎていたので、帰宅は相当早くなったと思う。僕は居間でテレビを見ていたが、父はそこに顔を出して「どうだった?」と尋ねてきた。
「大丈夫。友達もできたよ」
そうか、と安心した様子で父は居間から出て行った。統合前の昔の市山高校は父の母校でもある。その頃は単独でも全校生徒数は1000人を超えていたらしい。父は都内の私大に進学し、前の会社に就職してから埼玉県に住み始めた。母と知り合ったのは学生時代だと聞いていたが、就職して数年後に結婚し、その後もずっと埼玉県に住んでいたので、父はおおよそ20年振りに実家に戻ったことになる。
夕飯は昨日父が作っておいた牛丼だった。父はこの家に来てから、料理を作るようになっていた。上手という訳では必ずしもないが、祖母だけに頼る訳にもいかないので、僕もできる時は父の料理を手伝うようにしていた。




