(9)
珠洲の父が声を掛けた方を見ると、長身の男が立っていた。彼の後ろには数人の黒装束の人間がいて、神坂をロープで木に縛り付けている。その男はゆっくりとこちらに近づいてきた。
「こ、校長先生……?」
「フフフ……これでようやく一族勢ぞろいか」
「これは一体、何のつもり?」
隣で珠洲が武田の方を睨んで言う。すると、武田はハハハ、と笑った。
「何のつもりだと? 見てのとおり、影踏みの一族の力を奪っているところだよ。由緒ある御影家の一族の力もこれまでということだな」
「なっ……」
珠洲が何か言い返そうとすると、武田は今度は僕の方に顔を向ける。
「それに佐野。お前まで来ているとは、ちょうど良いじゃないか。お前の母親の家には借りがあるからな」
武田がククク、と不気味に笑うのを見て、思わずゾクッとする。
「母さんを……知っているのか?」
「もう30年以上前だ。宍父市にあったある家がガス爆発で焼失した。私は、妻と何人かの人間とともに、その場にいてね。その時、私の妻はそのお腹にいた子供もろとも命を失った」
「それはまさか、母さんの実家のことじゃ……」
武田は僕に答えることなく、こちらに近づいてきた。
「私はそれから長い間、その時の記憶を失っていた。しかし、それを思い出させてくれた人がいてね。実は、私たち夫婦はたまたまそにいたのではなく、ある目的を持ってそこに行った。しかし、その家の者が自分で家を爆発させ、妻はもちろん、多くの仲間を巻き添えにした。……ただ、唯一その家の娘だけは逃げ出したと聞いた。私はそれを知ってから、その娘に何とかして復讐してやろうと思ってきた」
武田は一層冷たい目でこちらを見つめる。
「お前の母親の神来満美……いや、佐野満美は、今どこにいるのだろうな」
武田が不敵に笑った瞬間だった。僕は何か叫びながら夢中で武田の方に突進していた。しかし、体が浮いたように感じたと思うと、次に気づいた時には、背中が地面に叩きつけられて、一瞬息ができなくなった。どうやら軽々と投げられてしまったようだ。
「うう……か、母さんを……」
「どうした? もう終わりか。かかって来い」
武田が近づいてきて、まだ立ち上がれない僕の背中を足でガツンと蹴りつける。
「やめて!」
珠洲の声が聞こえた。すると武田はハハハと笑って僕から離れていき、代わりに何人かの人間が僕の体を押さえつける。
「まあ、お前達など、どうでもいいんだ。ここにいる御影家の大人達の力さえ奪ってしまえばな」
「どうしてこんなことを……あなた達は、一体何者なの?」
珠洲が叫んだ。すると、武田が低い声で答える。
「我らは、影切りの一族だよ」
「まさか……本当なの?」
強い風が吹いて木の枝がキシキシと音をたてて揺れた。
「その昔、影踏みの能力が花開いたのは戦国時代だ。忍者として影に隠れ、情報を収集し、時には重要人物を暗殺する。そして、江戸時代になり、表向きの争いは無くなったが、幕府も有力藩主も、それぞれが影踏みの能力を持つ一族を大切にして、水面下で活動を続けた。だから、影踏みの一族同士も争わざるを得なくなり、その力の研究も進んだ。それが影踏みの一族の力を封じる技、つまり『影切り』の始まりだ」
武田は静かに語りながら歩きだした。
「明治から二度の大戦まで、影踏みの力は外敵と戦うために国が全て秘密裡に活用することになった。戦後もその体制が続いたのだが、次第にその力は時の政府に都合の悪い者を排除するために使われ始めた。およそ正義とはかけ離れたものが増え始めたのだ。だから、そうして奪われた側の人間は、影踏みの一族に強い恨みを抱くようになる。そして、そういう人々の支援で、かつての影切りの研究が復活した」
地面の上に倒れたまま、僕は神楽殿の舞台の方を見上げた。そこには、御影家の人々が並んで座らされていて、その前にはまだ光を放っている照明装置が見える。青山も花代も美姫もぐったりと項垂れている。寧々だけはまだキッと武田の方を睨んでいた。
「我ら影切りの一族も、元は影踏みの一族。かつて一族同士の戦いで敗れた者や、自ら力を封印していた者たちなのだよ。我らの目的はただ一つ、この世界から影踏みの力を無くすことだ!」
武田は大声でハハハと笑った。そして、ぐったりとした様子の青山と花代の方に顔を向けた。
「見ろ! あれほど強い力を持っていた青山や花代もこれだけ弱っているのだ。これでもはや、有力な影踏みの一族であった御影家もおしまいだ。皆、こちらに集まってよく見ておくがいい。今度は美姫と娘二人の力も奪ってやる。まずは、姉の方からだ」
武田が言うと、辺りの暗闇から何人もの黒装束の人間が現れ、ぞろぞろと神楽殿に近寄ってきた。やはり、相当の人数が辺りに隠れていたようだ。彼らに囲まれた神楽殿の舞台の上では、御影家の人々の前に立っていた一人が、ガラスのようなケースに入った怪しい照明装置を寧々に近づけていく。彼女はそこから顔を背けてきつく目を閉じる。
「そうだ。目は閉じていた方がいい。失明するからな。黙ってこの光を浴びていれば、影踏みの力も、今日の記憶も、すぐに無くなるだろう」
「やめろ!」
僕は必死に叫んだ。何とかしないといけない。しかし、背中を押さえつける人間の力が強く、どうしようもできない。その悔しさで、強く地面を叩いた時だった。
パシュッ!
どこからか音が聞こえた。その方を見ると、そらに光の筋が上がっていた。まだ残っていた照明弾だ。それは途中でポンというような軽い音を立てて爆発する。辺りに眩い光が広がっていく。
「うわっ!」
僕は思わず目を閉じたが、その光で僕の目の前の地面にはっきりとした影ができた。
(そうだ! この影に入れば……)
影の中を通って、あの舞台まで行くことができるのではないか。そう思った時、体が急に地面に沈んでいくような感覚があった。押さえつけられて沈んでいるのだと思ったが、背中を押さえつける力を感じないのに、体が勝手に埋もれていく。すると世界があっという間に暗闇になった。
(これは……影の中?)
真っ暗な世界で、光の穴が遠くに一つだけ見える。咄嗟に、ただその場所を目指して跳ねた。すると一瞬で光の穴の前に移動し、反射的にそこから思い切り外に出た。
「なっ、何だ!」
誰かが叫んだ。見るとそこは神楽殿の舞台の上だった。すぐ目の前には、ガラスのようなケースに入れられた怪しげな照明装置を持った黒装束の人間がいる。
「その光を叩き壊せ!」
誰かが叫んだ。僕はハッとして、手にしていたスタンガンを目の前にあったその装置に向かって叩きつけた。
ガシャン!
大きな音を立ててガラスが割れるような音がした。すると辺りが急激に暗闇に変わっていく。取り囲んでいた黒装束だけでなく、目の前にいたはずの御影家の人たちの姿すら見えなくなる。
「なっ……お前、どうして……」
武田の声が聞こえた。すると、暗闇の中で、「ヒイイ」とたくさんの悲鳴が聞こえてきた。
「落ち着け! 一旦、引き上げだ!」
武田が叫ぶと、たくさんの足音がバタバタと動き回っていく。
「待て!」
僕は必死に叫ぶが、誰がどこにいるのかも分からない。ただ、足音は次第に僕の周りから離れていく。
「ハッハッハ。まあ、これだけ力を奪っておけば上出来だ。こんな暗闇では、我らを追うことすらできまい。命が助かっただけでも有難く思え。さらばだ」
そう言う武田の声が、僕たちから少しずつ遠ざかっていく。




