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影踏み一族は舞う!  作者: 市川甲斐
6 御影家の影
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(2)

 次の日から、寧々は母と一緒に、一人暮らしに向けた買い物を進めていた。住居は、『一族』がよく利用している不動産屋から、既にいくつかの候補物件がメールで送られてきていた。大学は、中央線の駅からも近い場所にあったが、やや中心部から離れたアパート街の辺りの物件に目をつけていた。8畳程の1LDKで8万円程度するが、母が10万円までは出すというので、早々とその部屋に決め、冷蔵庫や洗濯機など新生活の準備を進めていた。


 そうこうしているうちに、レストランを予約した3日後があっという間にやってきた。その日は平日だったので、珠洲は朝から母の車に乗っていつも通り登校し、母は一度家に戻って来たが、友人とショッピングに行くといってすぐに出かけた。10時頃になり、祖父母も家の中に姿が見えなかったので、寧々は原付バイクに乗って家を出た。


 平日の午前中は車通りも多くない。増沢大橋の近くにあるコンビニに一度停まって、スマホでレストランの場所を確認する。そこは、甲府盆地の南部を横断している広域農道を進んでいく町内の外れの方にあるようだ。その辺りに行ったことはないが、地図で大体のイメージをつけて再びバイクを走らせ始めた。山沿いの坂道を上ったり下ったりしながら農道を進んでいくと、甲府盆地が見渡せるような場所までやってきた。その辺りでバイクを停めて、もう一度場所を確認する。そして、少し先で細い道に曲がった先に、一軒の木造の住宅が建っていた。


 建物の隣は砂利の駐車場があり、端の方に1台だけ白い小型車が停まっている。本当にここなのかと思いながら、バイクを停めて建物に近づいていくと、『NEO PORTA』と書かれた木製の小さな看板が立てられていた。やはりここらしい。


 建物の前にはガーデンパラソルを付けたテラス席もあるが、まだ肌寒いためか折りたたんであり、そこには誰の姿もない。その向こうには、窓ガラス越しに何席かのテーブル席があるのが見えた。入口は木製のドアになっていて、その銀色のノブを掴んで引く。


 チリンチリン、と鈴の音が鳴る。建物の中には、窓から外の光が入っていてかなり明るい。2階建ての建物だと思ったが、内部は高い吹き抜けの天井になっていて、意外に広く感じた。


「いらっしゃいませ」


 奥の方から女性が出てきた。髪をショートに揃えたその女性は、身長も寧々と同じくらい高く、茶色のエプロン姿で寧々にお辞儀する。


「あの……予約していた御影です」


「お待ちしておりました。どうぞこちらへ」


 女性が案内したのは、窓に近いテーブルだった。その椅子に座って店内を見回す。テーブル席は3席ほどしか見当たらず、そこには誰の姿も見えない。曲名は分からないが、静かにクラシック音楽が流れている。ほどなく、女性がガラスのコップに入れたレモン入りの水を持って来た。そして、テーブルの上に小さな紙を置く。そこには、「本日のメニュー」と書かれていて、前菜からデザートまでのコース内容が書かれていた。


「今日のランチは、お客さまだけなんです。主人……いえ、シェフがあまりたくさんの人が来ることを好まないものですから。しかし、料理には自信がございます。どうぞ、ごゆっくりしてくださいね」


 女性が笑顔になって言う。


「あの……武田校長とは、昔からお知り合いなんですか?」


「ええ。実は私は、以前、高校で現代文の教師をしていたんです。武田先生とは3年間ご一緒しただけですが、当時の高校ではやんちゃな生徒が多かったので、先生にはよく手助けしてもらいました」


 その時、奥の方からチリンチリンと鈴の音が聞こえた。女性は音の方を振り向くと、「それでは少しお待ちください」と一礼して奥の方に戻っていく。どうやらシェフが呼んでいたらしい。


 広く開いた窓からは、周りの森の風景が見える。ここは盆地を囲む山の方に位置するが、ここからでは森に遮られて盆地の風景は見えない。森の上に見える空にはやや雲が出てきているものの、ようやく春らしい陽気になってきている。テーブルに日差しは当たっていないが、昼近くになっているため足元の辺りまでその光が届いてきた。


 その時、再びチリンチリンと音が鳴った。先ほど女性の姿が消えた店の奥の方を振り向いたが、そこには誰もいない。すると突然、後ろの方から声を掛けられた。


「久しぶりだな。寧々」


 振り返った寧々は、言葉を失ってしまった。そこには、髪を短く刈り上げ、茶色のジャケットに黒いズボンを履いた父、御影光が立っていた。彼は一歩ずつこちらに近づいてくる。その時、奥の方から女性が近づいて来た。


「お客さま。申し訳ございませんが、本日は、ご予約で一杯なのですが」


「いえ、予約していますよ。シェフはご存知の筈です」


 父は女性を手で遮ると、再び奥の方から鈴の音が聞こえた。女性はしかし、心配そうにこちらを見ている。その様子を見て、父は女性に笑顔を向けて言った。


「ご心配には及びません。私はこの子の父親なんです。しばらくぶりに会ったのですがね。そうだろ、寧々」


 こちらに顔を向けて尋ねる父に、そっと黙って頷く。すると女性は一度寧々の方を見てから、奥の方に戻っていった。父は寧々のいるテーブルの向かいの椅子に座る。


「ちょうどお前が高校に入学した頃だったから、3年ぶりくらいか。大人っぽくなったな。昔の美姫を思い出すよ」


 目の前の父が言う姿を黙って見つめてから、それに応える。


「お父さんは、変わらないね。……突然、姿を現すところも」


「そうか? まあ、ずっと東京での仕事が忙しかったから、あんまり家に帰らなかったよな。帰る時はいつも急で、日帰りが多かった」


 父はため息をついた。寧々は黙ってグラスの水を口にすると、奥から女性が現れて、父の前に同じようなグラスを置いた。


「先ほどは失礼いたしました。シェフは伺っておりました。お料理もすぐに準備いたしますので」


「いえ、大丈夫ですよ。私は構いませんから、娘に美味しい料理を出してあげてください」


 父が穏やかに言うと、女性は頭を下げて再び奥に戻って行った。父はグラスを持って口を付け、窓の方に顔を向ける。そのやや面長な顔の細い目で、空の方を見ているようだ。やせ型であるが、身長が185センチくらいあった筈なので、座っていても相当に体が大きい。


「今まで、どうしてたのよ」


 そう尋ねると、父はこちらに顔を向けた。


「死んだと思っていたか?」


「死んだ? ……ええ、そうよ! 全然連絡も取れないし、住んでいたマンションもそのままだし、そうとした思えなかった! 家族みんなでいろいろ探したんだよ」


 父が行方不明になった頃のことを思い出すにつれて、気持ちが昂って大声を出してしまった。行方不明については警察にももちろん届けていたし、家族はそれぞれ空いている時間は色々な場所を探しまわった。何より、母は毎日のようにどこかを探し回り、心身とも疲れ切って、しばらく寝込んだりした時期もあった。


「すまなかった」


 父はそれだけ言って頭を下げた。寧々は立ち上がってまだ何か言おうとしたが、その時、奥から女性が近づいてくるのが見えた。それでやむなく椅子に座る。


「前菜のサーモンのマリネと、ジャガイモのポタージュスープでございます」


 女性は寧々と父の前に皿を置いていく。置き終わると、女性が尋ねた。


「庭のバジルで作ったハーブティーがあるのですが、よろしければお持ちいたしましょうか」


「ああ、そうだね。お願いしようか」


 父が女性の方を見て答えると、彼女は頭を下げて戻って行く。

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