(7)
ティータイムを終えてから、香菜に続いて店の奥に入って行く。そこには、ケージに入ったたくさんの犬がいて、尻尾を振ったり、ワンワンと吠えたりしていた。
「結構いるんだね。保護犬って、まだ多いの?」
「全然多いよ。まあ、昔に比べたら、保健所で処分される頭数も減ったって聞くけど。ウチで全部引き取れる訳でもないから、追いかけっこの状態」
香菜はその中から茶色の雑種のような中型犬がいるケージを開けた。犬はケージの奥でうずくまっていたが、香菜の姿を見てこちらに顔を向けた。
「この子は、多頭飼育崩壊の家で見つかった子。キナコって言うの。他の犬にも怯えてずっと隠れてたみたいで、他の犬にも人にも慣れてなくてね。だから敢えて毎日、頑張って散歩に連れ出してるの」
彼女は言いながらケージからその犬を取り出すと、首輪にリードをかけた。立ち上がってはいるが、見ると尻尾が垂れ下がり、やや足も震えているようだ。
「大丈夫よ。……珠洲。ちょっとこっちのリードを持ってて」
香菜はそう言ってリードを珠洲に渡すと、別のケージを開けた。そこには黒い犬が元気にこちらを向いて尻尾を振っている。その犬の首輪にリードを掛けると、そのリードを珠洲のものと交替した。黒い犬は珠洲を見上げて尻尾を振る。
「なにこの子。超かわいい」
「その子はハナコ。すごい元気だから、頑張ってリードを引っ張ってね」
香菜が言うとおり、すぐに散歩に行きたいようで、リードを強く引いて出口の方に向かおうとする。慌ててリードを持つ手に力を込めてから外に出て行くと、後ろから香菜がキナコを連れてゆっくりと出てきた。
店を出ると、冷たい風が顔を撫でていく。薄茶色の厚手のコートの足元からも風が入って来るような感じだ。それでも、ハナコはその寒さに全く動じずに元気で、店の外の花壇の辺りで鼻をクンクンとさせている。キナコもその後ろの方から同じようにしていた。
店を出てしばらく歩いて行くと、小さな川が流れていた。その辺りの川沿い一体は公園として整備されていて、近隣住民の散歩コースになっている。ただ、年末であるのと、気温も相当低いことから、今はそこに見える人数は僅かだ。キナコの方は、初めはビクビクしながら歩いていたが、ハナコが元気いっぱいに走り出そうとする後ろから、それについて行っているような感じだ。香菜はその姿を見ながら珠洲に声をかける。
「犬って不思議でね。1匹だと元気がなくても、2匹になると途端に元気になったりするの。だから、キナコを連れて行く時はハナコも一緒」
「香菜って、一人で2匹連れてくの?」
「3、4匹くらいまではいけるかな。そうしないと、他の犬の散歩が間に合わないから。だけど、キナコはハナコ以外の子がいると怯えるから、今回は2匹だけ」
すごい、と言うと、彼女は笑顔を返してきた。珠洲の家でも犬を飼っていたが、数年前に亡くなってしまい、可愛がっていたお婆さんがショックを受けたようだったので、それ以降は飼っていない。飼っていた頃は、珠洲も散歩には度々連れて行ったが、それは毎日ではなく、寧々、お婆さん、お母さんとの4人の交代制だった。だから、一度に何匹も連れ出し、それを一日何回も続けるということの想像がつかない。
香菜は公園を過ぎてどんどん山の方に歩いて行く。次第に人気の少ない場所の方に行くので、「こっちでいいの?」と思わず尋ねた。彼女は頷いてそのまま歩いて行く。黙って彼女の後ろをついていくと、ようやく彼女の足が止まった。
「毎日ここまで来るの。この子達の元気な姿を律にも見せるために」
香菜はそう言って前を向いた。そこには小さな寺の本堂があり、その隣には共同墓地が広がっている。
「香菜——」
「分かってる。律が死んだのは、誰のせいでもない。たまたま竜弥がサッカーの試合に連れて行って、その帰りにたまたまあの子だけが事故で死んだ。お父さんもお母さんも、それは分かってる。私だってそう。だけど……竜弥だけは違う」
ハナコは今にも走り出しそうにその辺りで忙しなく動いていて、リードを強く引いている。一方、キナコはじっとそこに座って香菜を見上げていた。
「竜弥は自分をずっと責めてるの。だからこそ、もう私には会いたくないって言った。自分のせいで律が死んだのに、姉である私と付き合い続けるのは無理だって。たぶん、彼の気持ちが収まらないと、もう私たちは無理なのよ」
彼女はそこで黙ってしまった。少し俯いたまま、指で目をこすっている。それを見て、堪らずに声を掛けた。
「ねえ、香菜。……あなたはそれでいいの?」
「えっ——」
「このままだと、竜弥の心だけじゃなくて、香菜の心だって辛いままなんじゃないの?」
「私は……そんな事ないよ」
彼女は笑顔を作って答えた。それは明らかに無理した感じだった。するとその足元にいたキナコのもとに、ハナコが寄ってきて、その隣に座った。2匹は体をぴったりと寄せ合っている。
「この子達と同じじゃないかな」
「えっ?」
「キナコは、きっと昔、辛い思いをして、一人の殻に閉じこもった。ずっとそのまま一人ぼっちで過ごすしかないと思っていた。だけど、あなたの所で保護されて命を繋いでもらった。そしてそこで、同じように保護されたハナコという友達が自分に声をかけてくれた。自分は一人じゃない。その子がいるなら、自分は外に出ることができる。そして外に出て、その子が信頼するあなたという存在にも気づいた。自分に酷いことをした人間もいれば、可愛がって大切にしてくれる人間もいるってね」
「珠洲——」
「人間だって同じ。傷ついて自分の殻の中に閉じこもってしまった人には、誰しもそういう支えが必要なんじゃないの? 何があっても無条件でその人に手を差し伸べて、その人を大切に想えるっていう人のね。竜弥だって、あなただって同じよ。だから、その事を正直に伝えたらどうかな」
フフ、と珠洲は笑顔を向ける。香菜はじっとこちらを見つめていた。その瞳が潤んでいる。すると彼女は手の甲でその涙を拭ってから、笑顔で応えた。
「珠洲……何だか、変わったね。見た目だけじゃなくて、中身も」
「えっ? どういうこと?」
「何だか急に大人になっちゃったみたい。昔の珠洲だったら、冷めた目で『早く別の男を探しなよ』とか言いそうだけど」
「いや……それって褒めてる?」
「フフ……さっき珠洲が言った事は、きっとあなたにも当てはまるよ」
「私にも?」
「自分だけの殻に閉じこもっていたあなたに、声を掛けてくれた人。あなたの心を温めてくれた人。きっとその人は、心から珠洲の事を想ってくれてる」
香菜の言葉に思わずハッとする。それを見透かされたように、彼女は優しく笑った。




