(8)
寧々は高校の図書室の奥にある自習室で勉強していた。今日は休日の土曜日であるが、受験生が勉強するために図書室と自習室を開放している。そのために、教師も交替で出勤しているらしい。今日は国語の松本先生が来ているのを登校した時に確認していた。
寧々は、やや離れた場所に座っている藤川の様子を気にしていた。朝、母に聞いたところでは、珠洲が藤川の家に潜入し、睡眠薬のようなものを大量に持っているのを確認するとともに、彼自身もかなりヤバイ様子だったという。警察が動いているということは聞いたが、具体的にいつ、どのように動くのかは分からない。警察が来る前に彼が何か変な動きをすれば、すぐに青柳さんに連絡できるようスマホを手元に置いていた。ただ、彼の様子を見ている限りは、普段と同じように淡々と机に向かっているようだ。
9時を少し過ぎたあたりだった。そっと自習室の引き戸が開く音がして、チラッとそちらを見ると、松本先生が立っていた。先生は自習室を見回して、藤川の方に近づいていく。そして、小声で何か伝えると、彼はガタッと席を立った。荷物はそのままで先生とともにどこかに出て行く。
少したってから寧々も席を立って廊下に出た。そこには彼らの姿は見えなかったが、どこかから誰かが叫ぶような声が聞こえてきた。
「蒼真! 正直に話すんだ!」
怒っているような男の声にビクッとする。どうやら職員室の隣にある応接室から声が聞こえているようだ。そっとその部屋に近づいていく。
「一体何を言ってるの? 父さんが言っていることが全然分からないけど」
「じゃあ、この袋に見覚えはないかい?」
その声は青柳だ。
「何ですか、それは。見覚えありませんが」
「しらばっくれるんじゃねえぞ!」
若い男が叫んだようだ。まあまあ、と青柳がなだめるような声が聞こえる。
「この袋を持っていた男が、君からこれを貰ったと言っているんだ。それで調べてみたら、これを持っていた男の指紋の他に、もう一つの指紋があったんだ。だからそれを調べたいと思ってね」
「その指紋が……僕のものだと?」
「もちろん、そんな男の言葉を信じたくはないがね。それでも念のため調べたいと思ってるんだ。協力してもらえますかね」
「嫌だと言ったら?」
「これは任意のお願いです。しかし、どうしても拒否するなら、お父さんに協力してもらって、自宅の君の部屋を調べないといけなくなるんだが」
青柳が言うと、しばらく部屋の中が静かになった。すると、藤川が「少しトイレに行かせてほしい」と申し出た。寧々は急いで応接室の入口から玄関の方に離れて様子を窺った。藤川は向かいにある職員用トイレに入り、その入口に身長の高い若そうな男が立っている。
しばらく様子を見ていたが、彼はなかなか出てこない。入口に立っていた男がそっとドアを開けると、慌てて応接室に走って叫んだ。
「彼がいません! 窓が開いています。逃げられました!」
その声を聞いて、応接室から青柳と藤川の父と思われる中年の男性が走って出てきた。青柳は玄関で寧々に気づいて少しだけ頭を下げたが、もう一人の男とともに走って外に出て行く。彼らが玄関から出て行った方を見ながら、寧々は静かになった廊下に立ち尽くしていた。
その時だった。いきなり左の手首を掴まれて後ろから壁に体を押し付けられた。
「な……なに」
「やあ。御影さん」
後ろから藤川の声が聞こえた。そして、壁に押し付けられた顔の前に、光るものが突き出される。
「静かにしないと、切るからね」
目の前にあるサバイバルナイフに、思わず声が出なくなる。すると彼は寧々の右腕に何かを縛り付けた。
「馬鹿だよね、警察って。窓が開いてるから外に逃げたって思うなんて」
「一体、何のつもりなの?」
「話があるんだ。上の教室の方に行こうか」
そっと自分の右腕を見ると、彼の左腕と白い結束バンドのようなもので縛られていた。彼はナイフを突きつけながら寧々を歩かせていく。




