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影踏み一族は舞う!  作者: 市川甲斐
2 僕の影
19/60

(9)

 目の前に天井の木目が見えた。


(あれ……?)


 背中にはっきりと固い感触がある。体を起こすと、ピンク色の絨毯が敷かれている部屋だった。目の前にある本棚には沢山の本が収められていて、その隣の窓から外の日差しが入ってきている。


 そして、ふと後ろの方を振り返った。


「あっ——」


 思わず声が出た。そこには一人の人間が後ろ向きに立っていた。長いストレートの黒髪の向こうに肌の白い背中が広がっていて、その下のピンク色が目に入った。そして、その人間が僕の方を振り向く。


「えっ……」


 その人間と視線が真っすぐに合った。一瞬、時間が止まってしまったように二人とも見つめ合ったまま声も出ない。そう思った次の瞬間だった。


「きゃああっ!」


 目の前にいた珠洲は大声で叫んで両腕で自分の胸を隠してそこに座り込んだ。僕もハッとして「ごめん!」とだけ言って、周りを見回して部屋のドアに向かって転げるように走り、廊下に出た。 


「ご、ご、ごめん!」


 バタンとドアを閉めてから必死に謝る。


「なっ……何やっているのよ。バカ! 変態!」


 中から彼女の怒った声が聞こえて来る。


「い、いや……お爺さんに手を引かれて、影の中から出されたと思ったら、そこにいて……」


 ドア越しに小さい声で必死に応える。


「おじいちゃんのイタズラね。全く、もう! 早くどこか行ってよ」


「どこかって……一体、ここはどこ?」


「もう、仕方ないわね。……ちょっと待ってて」


 彼女はそれだけ言って廊下は静かになった。そこにある窓は開けられていて、網戸が閉められている。そこから風が流れてきているようで、エアコンが無くても、そこまで蒸し暑さは感じられなかった。


 すると、隣のドアが開いて、寧々が姿を現した。彼女はこの前の神楽の時のように、真っ白な着物に朱い袴を履いている。


「あれ? 騒がしいと思ったら、優馬くんじゃない。……てことは、おじいちゃんが連れて来たのね」


 一人で納得する彼女にも、慌てて「すみません」と謝ると、こちらに近づいて来た。


「まあ、こんなところまで入れてもらえたってことは、おじいちゃんに認められたってことね。何か頼りない感じもするけど、仕方ないか」


 彼女はそう言って苦笑する。その時、ふとこの前の事を思い出した。


「あの……そういえば、前に父さんとここに来た時に、古屋先輩と会ったんですけど。もしかして、御影先輩は……」


「私と付き合ってるって言いたいの?」


 フフっと彼女は面白そうに笑った。


「そうじゃないんですか?」


「違うわよ。敬人くんは、少し事情があって、ここに来てるの。まあ、彼も『一族』であることには違いないんだけど」


 その「事情」について尋ねようとした時、先ほど出てきたドアが開いて、珠洲が部屋から出てきた。


「見た?」


 寧々と同じように白の着物に朱い袴を履いた彼女が睨むようにこちらを見る。僕は必死に首を振って、何も見ていないことを示すが、彼女の視線は厳しい。


「優馬くんが着替える時、珠洲も影の中から覗いてたんじゃないの? これでおあいこじゃない」


 寧々が笑いながら言うと、珠洲は顔を真っ赤にして首を振る。そして何か言い返そうとしたが、ハアとため息をついてから、腕組みをして僕の方を見た。


「この借りは、しっかりと返して貰うからね」


 そう言って彼女は背を向けて廊下を向こうに歩いて行く。僕はその後ろをうなだれてついていくことしかできなかった。



 ******



 それから毎週土日は、部活の合間を縫って御影神社に通って影踏みの修業をすることになった。増沢大橋の近くまでは美姫に車で送迎してもらうが、人目を避けるために乗降場所を毎回変えていた。週末にほとんど家にいないので、父には「転校してから楽しそうにしてるな」と冷やかされたが、それ以上追及されることはなかった。


 修業の内容は、青山の言ったとおり、御影姉妹に教えられながら神楽をひたすら舞い、無心になるとともに、影の中に慣れることだった。僕は、神楽を舞うための装束として、白の上着に青色の袴を履かせられた。珠洲は「修業中は師匠様と呼びなさい」と言ったが、姉の寧々の方は「別に普通に名前でいいでしょ」と呆れ顔だった。


 神楽殿に上がると、朱色の袴を履いた彼女らと、鈴が付いた神具を持って動き始める。特に難しい事はなく、鈴を鳴らしながら、円を描くように歩いて行くのだ。彼女らの動きを見ながら、同じように時々ぐるっと右回りや左回りをして何回も回っていくと、次第に自分の足元が浮いているような感覚になっていく。


 そして、突然、珠洲が僕の左手を握る。彼女は僕の方を見ないまま、手を引いて飛び跳ねる。どこにそんな力があったのだろうと思うほど、強い力だ。


 神楽殿の周りの木々の緑色の景色が、一瞬先に暗闇に変わる。影に入る瞬間は高い場所から落ちるような感覚が今でもあるが、それでも初めの頃に比べるとだいぶ慣れてきたように思う。隣で珠洲が息を吐くのが分かった。


「もう慣れた? 入る時の感覚」


「うん、何となく」


「何となくじゃなくて……ちゃんと分かってほしいんだけど」


 彼女が視線を逸らせた。「ごめん」と謝りながら頭をかく。恐怖感は少なくなっても、「落ちる」ような感覚のある影の中に自ら飛び込もうとすることには、やはり勇気が要る。


「一人で入れないと意味ないんだからね」


 そう言う彼女に手を引かれて光の注ぐ方に戻っていく。



 ******



 この神社に来るようになって、彼女達の事も色々と教えてもらっていた。姉妹の父は、東京で単身赴任していたらしいが、何年か程前に突然姿を消してしまった。御影家は元々は母の美姫の家で、父は長野県から婿養子となっていたらしいが、家族でも色々と探したものの、結局見つからずに今も行方不明のままだという。


 それから、「影踏み」については一般人には秘密にされていることもあり、いま仕事を依頼してくるのは国や警察が中心だという。捜査が行き詰ったりしたときに、容疑者の影に隠れるなどして重要な情報や証拠を入手し、一定の報酬を得る。それは、非合法的捜査と言われるかもしれないが、その結果、数々の難事件の解決や重大事件の防止に貢献してきた。しかしそれは一方で危険な仕事でもある。だから、国や警察は、『一族』の安全を密かに守っているのだという。珠洲と寧々も、影踏み自体は小学生の頃から一人でできたが、高校生になってからはそうした『一族』の仕事を手伝うこともあるようだ。


 御影神社に来るようになって分かったが、寧々と珠洲の姉妹は顔も性格も似ていた。二人とも、臆することなく、ハッキリとした物言いでストレートなのだ。しかし学校では、寧々はそのままだが、珠洲は無口を装っているし、地味な眼鏡でその素顔も隠している。それは、ある意味で警戒しているのだという。つまり、珠洲は敢えて沢山の人間と関わらないことで、目立たない存在であるメリットを生かし、いざという時に影踏みの力で寧々を助けるという役割を負っているらしかった。

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