(6)
通学路になっている市街地の道ではなく、川沿いの国道に向かっていた。そこは、住宅街から外れているため、同じ高校の生徒にはほとんど会うこともないし、車通りはあるが人通りはほとんどないので、全力で走ることができる。途中のコンビニの軒先で、雨天時のためにリュックに入れていた大きなビニール袋を取り出して、リュックの中身が濡れないように包み込むと、再び激しい雨の中で自転車のペダルをこぎ始めた。
顔が雨に洗われていく。目を開けているのも難しいほどの夕立だ。ただ、必死に前を向いて自転車のペダルをこいでいく。
(彼女は、待ってるはず——)
そう思いながら、ようやく、増沢大橋まで着いた時には、やや雨が収まってきた。いや、それも僕が雨に慣れただけなのかもしれない。その交差点から車の入れない土手に進み、そこから周りを見回した。
昨日、寧々と会っていたのはこの辺りだ。そこには誰の姿も無い。
(さすがに、帰っちゃったか……)
激しく呼吸をしながら、僕は何をしていたのだろうと思った。そもそも彼女は本当にここで待っていたのだろうか。しかし、彼女がイタズラでそのような事をしたとは思えなかった。
「佐野……くん?」
雨の音の中でそう聞こえた気がした。慌てて周りを見回すと、橋の下の辺りに誰かが立っているのが見えた。ハッとして自転車をそこに置いたまま、リュックだけを持ってそこに近づいていく。
「ごめん……遅くなって」
息を上げたまま、それだけ言った。
「来ないかと思った」
御影珠洲は僕から視線を外してすねたように言うと、自分のリュックを開けて、その中からハンドタオルを取り出した。
「はい。使っていいよ」
「あっ……ありがとう」
薄いピンク色のタオルを冷たくなった手で受け取って顔を拭いた。タオルから、僕の家のものとは違う香りが広がりドキッとする。髪と顔を拭いてから、ずぶぬれになった制服のシャツの袖も拭いた。
「洗って返してよね。ちゃんと洗剤入れてよ」
えっ、と彼女の方を見る。
「たぶん昨日、あなたは洗濯機に柔軟剤しか入れてないよ。あの白と青の容器に入った液体は、洗剤じゃなくて柔軟剤だから。それに歯磨きも、もっと時間をかけた方がいい」
一瞬、彼女が何を言っているのかと唖然としてしまう。
「な……何を、言ってるの?」
「私、見てたから。昨日の夜のあなたの行動を、全部」
「全部……?」
ぶるっと体が震えたのは、雨に濡れて冷え切ったせいだけではない。目の前の彼女は真っすぐにこちらを見つめている。
「そうよ。私、あなたの影に昨日の夕方から今日の朝まで隠れてたの。あなたの事を調べようと思ったから。お母さんは大丈夫だって言ったけど、私は疑っていた。だって、『影踏み』を見てしまったあなたが、何か企んでいるような人間だったら困るから。それで、お姉ちゃんに協力してもらって、あなたの影に入った」
「……本当に?」
頷く彼女は、はっきりと言った。
「昨日の夕飯は、鯖の煮つけに味噌汁。お父さんはテレビを見て結構大声で笑っていた。それから、あなたはお母さんの話を尋ねた。あなたはお母さんが『影踏み』の一族だと疑っていたようだったけど」
彼女の言葉を聞いていると、昨日のことがありありと思い出される。夕飯を食べながら、テレビを見て笑っている父を呑気だと思っていた。そして、風呂を上がってから父に母の話を尋ねたが、何もそれらしい答えは無かった。
(うん……?)
そこでふと、一つ気になったことがあった。
「あの……ご飯の後、風呂に入ったんだけど……」
そう尋ねると、こちらを真っすぐに見ていた彼女は、急に僕から視線を外して横を向いた。
「そ、そうだっけ? ……ああ、そうだ。その時、私、何かの棚の影の方に移っていたかも……」
彼女は明らかに動揺した様子で言った。そういえば、さっき彼女は洗剤の話をしたが、洗濯機を回し始めたのは、僕が風呂から上がった時だ。すると、少なくとも彼女は脱衣所で僕が着替えていたのを見ていたことになる。そう思うと、恥ずかしさに言葉を失ってしまった。すると、彼女が真面目な顔になってこちらを向いた。
「そ、そんな事より! とにかく、あなたも、あなたの家族も、何か企んでいる怪しい人間ではないことはよく分かった。だから、あなたは本当に『影踏み』の一族なのよ。きっと」
「本当に……僕が?」
「そうじゃないと、説明がつかない。神楽殿の周りに張ったお婆ちゃんの強い結界を越えられるのは、本物の影踏みの一族だけよ」
御影はそう言って腰に手を当てた。
「それで、あなたを本物の一族と見込んで、お願いがあるの」
「お願い?」
「私達のことを手伝ってほしい」




