(4)
僕は自分の部屋に戻ってベッドに仰向けになった。
(絶対、怪しいな)
父の様子を見て、何かを隠していると思った。それに、御影姉妹の母である美姫は父のことを「よく知っている信頼できる人」と言っていたという。確かに、美姫と僕の母とが似ているとは全く思わない。母はどちらかというと身長は大きくなく、丸顔に円い眼鏡を掛けて、いつもニコニコと笑っているような穏やかな人だった。さらに言えば、自分の母親であることを差し引いても、飛び抜けて綺麗だとは思えない。
(寧々さんの話は、本当なのかな)
先ほど、土手の上で彼女から聞いた話を思い出していた。
御影家は、代々「影踏み」という特殊能力を持つ一族だという。それは、簡単に言うと、何かの影の中に、自分の体を一体化することができるというものらしい。しかも、人間の影であれば、その人間の影として一緒について行くことができる。自動車などの動くものの影はもちろん、木などの植物や、ビルや家屋などの影でも可能だ。ただし、犬や猫など自分の体よりも余りに小さいものの影に入ることは無理だという。
表向きは御影神社の神主の家柄ではあるが、その能力を使って、代々、様々な情報収集活動を主な仕事としてきた。古くは、忍者のような存在であり、今であればスパイだろう。人間の影に隠れ、その人間から秘密や重要なものを入手し、それを依頼主に報告するのが仕事だ。
この能力は、日本でもごく限られた一族しか持っておらず、御影家はその中でも特に古い一族だと言う。全国各地には、そうした古い一族からいくつかの分家が作られている。ただ、分家の中にはいつの間にかその力を失ってしまったり、自分のその力に気づいていなかったりする場合もあるらしい。だから、僕もその分家の一つではないかと彼女は言った。
(母さんも、普段から特に変わったことは無かったはずだけどなあ)
母の生い立ちは、僕が聞いている限りは父が言った通りだった。母の育ての両親は、川越市の近くにあるふじみヶ丘市という街の郊外に住んでいて、母は小学生の頃からそこで育てられた。しかし、その神来の叔父さんが釣り好きで、海に近い場所に住みたいと言い出し、2年ほど前にこちらの家を処分して九州の方に引っ越してしまった。それ以来、彼らにも会った事がない。母と同じくその育ての両親も穏やかな老人達で、特に何か隠された力を持っているような人達には見えなかった。
一方、父の方の家系の方がもっとそういう秘密は無さそうだった。祖父は地元の市山町役場に勤めていたが、僕が中学2年の時に亡くなった。ようやく年金を貰い始めて色々と旅行に行こうと言っていた矢先に、悪性のガンが見つかり、あっという間だった。祖母は昔、この町の花火工場に勤めていたが、退職してからは僅かな畑を耕すのが仕事だ。父もあのとおり、基本的にあっけらかんとしている人間で、そのような力を持っているとは到底思えない。
色々と考えてみるが、全く現実味がない。きっと、単に寧々の思い違いなのだ。そう思うと、僕が彼女らの神楽を見たことさえ、夢であったように感じてくる。
「ああ……もう!」
思わず口に出す。色々と考えすぎて頭が痛くなってきた気がして、ベッドに起き上がり頭を振った。そして、一度トイレに行ってから部屋に戻ると、すぐに明かりを消して目を閉じた。
******
ふと目を開けた。部屋の中はまだ真っ暗だ。カーテンの向こうにも何も光は見えない。
(あれ……おかしいな)
夜中に目が覚めることは珍しい。僕はどちらかというと眠りが深い方で、一度眠ってしまえば外が明るくなるまでほとんど起きることはない。手元に置いたスマホの画面に触れると、まだ午前2時頃だった。
再び目を閉じて眠ろうとする。何度か寝がえりしてみるが、なかなか眠れない。仕方なく、一度明かりをつけてベッドから起き上がった。
瞼は重いが、何となく頭が冴えているような気がする。僕は一度トイレに行ってから、もう一度ベッドに入ろうとした。
その時、ふと部屋の明かりに照らされて、窓のカーテンに自分の影が薄っすらと映っているのに気付いた。
(まさか……な)
その影に向かって手を伸ばす。カーテンに近づくにつれて、自分の腕の影が濃くなっていく。そして、指先がその影に触れた。
いや、そう思った。
(えっ——)
指先がカーテンに触れた瞬間、そこから影の中に体が一気に吸い込まれるような気がした。あっという間に体が宙に浮き、まるでジェットコースターで落ちていくような感じだった。
「うわああ!」
大声で叫んだ。頭から落ちていく。どこか高い所から落ちる。そう思って、目を閉じて次に起こる事実から逃げようとした。頭から落ちたら死ぬ。それしかない。
しかし、しばらく時間が経っても何も起こらない。何の痛みもない。ゆっくりと目を開けてみる。すると、ぼんやりとした明かりの中で、何かが見えた気がした。
(これは……)
ゆっくりと世界が回っているような気がする。地面がどこなのか分からず、足元をバタバタとさせるが、そこに重力を感じない。ただ、目の前で誰かが倒れているようだ。いや、よく見るとそうではない。目は閉じているが、横向きになっている胸の辺りがゆっくりと上下に動いている。息をしている。生きている人間だ。
どこからか光が差し込んでくる薄暗い世界の中で、立っているのに体がふらつく感じがあった。まるで車酔いでもしたかのように気持ちが悪い。そこで一度目を閉じて首を振り、再び目の前の人間の姿を見た。まだ世界が回っているような気がするが、今度はさっきまでよりも視界がはっきりとした。そこに横になっているのは、市山高校の制服を着たまま寝ている女子だった。彼女は、まるでその世界に浮いているように、長い髪をサラサラと揺らしている。それは——。
「御影、珠洲——?」




