(3)
僕が家に帰ったのは、それから30分ほど経った頃だった。「ただいま」と言いながら家の引き戸を開けると、「おかえり」と父の声が返ってくる。居間の引き戸を開けると、父はお茶を飲みながらテレビを見ていた。
「遅かったな。学校が楽しいようで何よりだ」
チラッとこちらを見て言っただけで、父は再びテレビの方を見た。コタツテーブルの向こう側には祖母も座っていて、同じようにテレビを見ている。僕は居間の隣にある台所の方に行き、ガスコンロの火を付けて鍋を温め始めた。中には茄子の入った味噌汁がある。その間に、テーブルの上にラップをかけて置いてあった鯖の煮つけをレンジに入れて温め始め、炊飯器からご飯を茶碗に盛った。
ご飯の用意ができると、そのテーブルで「いただきます」と一人で言って食べ始めた。そこからは居間に座る父と祖母の姿が見える。テレビでは何かのバラエティー番組をしていて、お笑い芸人が面白おかしく喋っている。父はそれを見て時々「ハハハ」と声を上げて笑っていた。
(呑気だなあ……)
心の中でそう思う。昔から父は良く笑う人間だった。ただ、母が行方不明になった当初は、口数も少なくなり、笑うことも無かった。母を忘れた訳では無いとは思うが、その本来の性格が戻ってきたと思うと、ある意味で安心する。
ご飯を食べ終わり、風呂に入ってから再び居間に戻ると、父はテレビを消して何かの単行本を読んでいた。既に祖母は寝室に行ったのか、そこに姿は見えなかった。僕は、台所に行き、冷蔵庫の中にある麦茶を入れた容器を出して、それをコップに注いで持ってくると、コタツテーブルを挟んで父と向かい側の座布団に座った。ただ黙って、居間の壁の上の方に作られている小さな神棚を見上げていた。
「どうした?」
父が本に視線を落としたまま尋ねてきた。
「別に——」
そう答えると、父は「そうか」とだけ言って黙ってしまった。しばらく僕も黙ったまま、何も映っていない真っ暗なテレビの画面の方に顔を向けた。
「あのさ」
僕が口を開くと、父は顔を上げてこちらを見つめた。
「母さんって、どこの出身だったっけ?」
父の方は見ないまま、それだけ尋ねる。
「どこって……お前、知ってるだろ? 埼玉の奥座敷の、宍父市だ」
「それって……本当だよね?」
テレビの黒い画面を見つめたまま言う。父は呆れたようにため息をつく。
「どうして俺が嘘をつく必要があるんだよ。母さんの実家は、彼女がまだ子供の頃に火事で焼けて、その時に両親を亡くした。それで、ふじみヶ丘市に住んでた神来の叔父さん夫婦が母さんを育ててくれたんだ。埼玉に住んでた時は叔父さんの家も近かったから、お前もよく遊びに行ったじゃないか」
「母さんの元々の苗字も、『神来』だったの?」
そう言って父の方を初めて見た。
「そうだろ。どうしてそんな事を聞くんだ?」
「本当は、『御影』だったんじゃないの?」
そう尋ねると、父はじっと僕を見つめていたが、しばらくして口を開いた。
「どうしてそう思う?」
「いや……何となく」
すると父はハハハと笑い出した。
「何だよ、それ。……あっ、もしかして、この前、俺が御影神社に連れて行ったから、そう思ったのか? それなら大間違いだ。母さんはあの神社とは関係ない。もちろん俺だって関係ない。そもそも、あの美姫さんっていう人は、俺と高校の同級生だが、当時は人気があり過ぎて、俺なんか眼中に無かった筈だ。この前行った時は、覚えてくれていて驚いたけど」
それだけ言うと、父は立ち上がって「じゃあ俺、寝るわ」と言って居間を出て行った。




