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影踏み一族は舞う!  作者: 市川甲斐
1 姉妹の影
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(9)

 僕は、長い廊下を玄関とは反対に奥の方に向かう。トイレは廊下の突き当りを右に行ったところにあると言われ、静かな廊下を一人で歩いて行った。


(昔、絶対に何かあったな)


 父の様子を見て確信する。あんなに活き活きとしている父の顔を久々に見たような気がする。母には申し訳ないが、息子の自分としては、せめて二人だけで昔の思い出話をする時間くらいは作ってあげてもいいと思った。


 廊下を右に曲がった所に「お手洗い」と書いてあるドアがあった。そこまでトイレに行きたい訳では無かったが、時間稼ぎのために中に入って用を足そうとした。


 そこには便座の向こうに小さな窓が開いていた。網戸は閉められているが、そこから外の様子が見える。その時だった。


 シャン、シャン、シャン——


 小さな音ではあったが、規則的に何かの音が聞こえた気がした。僕は窓に近づいて外を覗いてみる。すると、何かのステージのようなものが見えた。そこからでは木々に隠れてよく見えないが、誰かがそこで動いているように見える。少し気になって、すぐにトイレを出て周りを見回すと、右手の少し先に玄関が見えた。入った時のような大きな玄関ではなく、今の僕の家のような普通の玄関だ。そこに紺色のサンダルが2つ置いてあったので、その一つを履いて外に出た。


 周りは鬱蒼とした山林に囲まれていて、来るときに通った神社の辺りよりも更に暗い。ただ、鈴の音はずっと聞こえているので、その音を頼りに木々の間に作られた細い道を進んでいく。


 しばらく行くと、4本の太い柱で屋根が支えられている木造の舞台が見えてきた。その隣には、何の木か分からないが、大きな木が立っていて、幹の部分には太いしめ縄が締められている。


 その舞台の上には、二人の人間の姿があった。長い髪をした女性だ。白の装束に朱い袴を着て、お互いにすれ違ったり、離れたりしている。鈴の音はそこから聞こえてきているのだ。


(神楽——)


 そうだ。神楽だ。前に住んでいた川越市の古い町並みにある神社で、以前そういう舞を見たことがあった。あの時は、派手な衣装を着て、頭にも金色の冠のようなものを乗せた何人かが、笛や太鼓の音に合わせて舞っていた。


 しかし、目の前の舞台にいるのは2人だけだ。そして衣装も朱色と白だけの地味なもので、長い髪を揺らしながら、僅かに差し込む日差しの中で鈴の音が響いている。ただ、そのシンプルな動きで舞う2人の人間は、余りに美しかった。その姿に目を凝らすと、くっきりとした瞳のすらっとした女性と、もう一人は少し身長は低いが同じように大きな瞳を持った白い肌の女性だ。その姿をじっと見ていて、僕はふと気づいた。


(御影さん……?)


 それは少し時間が経ってからだった。あの目立つ黒縁の眼鏡も掛けておらず、長い髪も縛っていないため、なかなかそうだと分からなかったのだ。ただ、一度それに気づくと、間違いなく彼女は御影珠洲だと思えてきた。動く度にその髪がさらさらと静かに揺れている。そして、すらっとした美しい女性も同じように舞っている。それが彼女の姉の寧々なのだろう。しかし、普段の姿とのギャップのせいもあるのだろうが、僕は珠洲の本当の美しさに見とれてしまった。


 手に持った鈴を鳴らしながら、彼女達は舞っていく。すると突然、妹の珠洲がジャンプしたような感じで姉の後ろの辺りに座り込んだ。


(えっ……)


 確かに、座り込んだと思った。しかし、横から見える舞台の上から、急に彼女の姿が見えなくなってしまった。今は残った姉の方だけが鈴を鳴らして舞っている。舞台から落ちてしまったのだろうか。それにしては、彼女は平然とし過ぎている。


(どこに行った?)


 しばらくキョロキョロと周りを見たが、さっきまでいたはずの妹の姿は見えない。そこで、気になって一歩踏み出した時だった。


「きゃあ!」


 突然悲鳴が聞こえた。思わず周りを見回すと、舞台に残っていた姉の方が、こちらを向いて立ったままじっと見つめている。


「あなた……どうしてここに……?」


「ぼ……僕は」


 怪しい者じゃない、と言おうとした。その時、後ろから突然声が聞こえた。


「ホホホ……これは珍しい子じゃなあ」


 老女のような声だった。ハッとして振り向こうとした瞬間、視界が真っ暗になる。それこそ、まるで落とし穴に落ちたかのように。



 ******



 ゆっくりと目を開ける。


(あれ……?)


 ハッとして体を起こすと、木でできたベンチのようなところに座っていた。ここに来て最初に見た神社の建物がすぐ目の前にある。


(どうして、ここに?)


 キョロキョロと周りを見回すが、さっきまで見えていた神楽の舞台はどこにも見えない。足元には、入口の玄関で脱いだはずのスニーカーを履いている。すると、神社の向こうから歩いてくる人影が見えた。


「何だよ。こんな所にいたのか」


 父が美姫と一緒にこちらに歩いてきていた。頭を押さえながら思い出そうとするが、どうして自分がここにいるのか全く分からない。


「トイレに行ったと思ったら全然戻ってこないから、探してたんだぞ」


 父は少し怒ったように言った。


「ごめん……でも、さっきまで神楽の舞台を見てて」


「ハア? 神楽?」


 父が首を傾げる。その隣で美姫も笑って答えた。


「この神社には、神楽の舞台はありませんよ。神楽自体は今でも残っているんですが、神楽殿は今はもう残っていないんです」


 フフッと彼女が笑う。しかし、その笑顔を見てなぜか背筋がゾッとした。それは美しい顔だったのだが、何かそれ以上、その事を話してはいけないと言われているような気がしたのだ。


(確かに……舞台があったんだけど)


 そう思う僕の手を父は引いて立ち上がらせた。


「夢でも見てたんだろう。ここは日陰で涼しそうだし。いやあ、本当に人騒がせな息子で申し訳ない。ほら、謝れ」


 父に頭の後ろを押されて、意味が分からないと思いつつ、「すみません」と謝る。頭を上げると、美姫はまだニコニコと笑っていた。


 そこで彼女に別れを告げて、父と二人で神社の石段を下りていく。石段を下り切った所で振り返ると、美姫はまだ階段の上で立ったまま、こちらを静かに見下ろしていた。

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