6 妖精達の反応
ユースに促され、花畑の中をふわふわとした足取りですすむ。裾野の方に妖精の姿が見えた。こちらに気づいた彼は近づいてきて、ユースに向かってペコリと頭を下げた。
「どうも殿下、ご機嫌うるわしゅう。今日も殿下の花畑は僕がしっかり手入れしてますんでご安心を」
「ああ、いつもありがとうジェレミー」
ジェレミーは灰色の髪に橙色の瞳をした妖精だった。
彼は手に持っていたハサミをウエストポーチにしまいこんだ。手袋をした指先は土で汚れていて、どうやら花畑の整備をしていたらしい。
(お花の手入れをしていたってことは、土妖精? でも土妖精は茶色だったり金色だったり、赤土色の髪や瞳の子が多いから、花妖精かな? 羽根が出ていればすぐになんの妖精かわかるんだけどな)
妖精の国では普段はみんな地に足をつけて生活しているらしく、彼も羽根を背中にしまいこんでいるので見えない。
花妖精なら花弁、水妖精なら水の膜、光の妖精なら光り輝く鱗粉が鳥の羽根と共に舞って見える。
アレッタは花妖精の花弁の羽が優雅に羽ばたく様子を見るのが、一等好きだった。
「お連れ様がいるんだ、珍しい。あれ、もしかして人間?」
ジェレミーはアレッタを目にとめ、興味深そうに視線を走らせる。ユースはアレッタの背に手を置いて彼女を紹介した。
「彼女はアレッタ、俺の大切な客人だ。あまり詮索はしてくれるなよ?」
ジェレミーはニヤリと笑うと、腰に手を当ててアレッタの顔を覗きこんだ。
「へえー? 大切なお客様ね、ますます気になるなあ。もしかして殿下のいい人だったりして? わお、そうだとしたら大ニュースだ」
矢継ぎ早に告げるジェレミーにアレッタはたじろぐ。ユースは苦笑してアレッタの耳元に小声で話しかけた。
「……悪いヤツではない。庭師としての腕は一流だ。少し好奇心が強すぎるきらいはあるが」
「そ、そうなんだ」
それよりも、距離が近くてそわそわするので少し離れてほしいとアレッタが思っていると、他にも近づいてくる人影があった。
「あ、殿下だ~! わーいこんなところでお会いできるなんて、今日はいいことありそう!」
「げ、うるさいのが来たよ。殿下、僕はこれにて仕事に戻りますんで、あいつの相手は殿下とお客様にお願いしますね~、さあ仕事仕事」
ジェレミーは高速で駆けてくる人影を一目見て顔を顰めると、そそくさと去っていった。
跳ねるようにしてこちらに飛んできたのは、金の髪に飴色の瞳をした妖精だった。髪を二つくくりにした快活そうな女の子で、服装もパンツスタイルだ。
人間界の基準からすれば非常識なくらいに、足を太もも近くまで露出している。けれどそれが不思議といやらしくない。
健康美という言葉がアレッタの頭の中に浮かんだ。
彼女はユースの前で立ち止まると、にかりと笑った。まるで太陽のように輝かしく飾り気のない笑顔に、アレッタは好感を持つ。
「殿下お久しぶりです! お元気でしたか?」
「ルーチェか。俺は変わりない。君も元気そうだな」
「私はいつでも元気いっぱいですよー! あれ、お客様ですか?」
「アレッタという。俺の大切な客人だ」
ユースがジェレミーにしたのと同じ説明をすると、ルーチェはユースとアレッタを交互に見比べて瞳を輝かせ、胸の前で手を組んだ。
「えっ! ええっ!? もしかしてもしかすると、殿下にもついに春が来ちゃうんですかー!?」
「さあ、どうかな。そうなるといいが」
「やっぱりそういうことなんですね! 不肖ルーチェ、精一杯応援させていただきます!! きゃー! 推しが幸せになると私も幸せ! なんてウィンウィンな関係、正に理想的!」
(え? あれ? 後半なんて言ったのか聞き取れなかったわ。おし? うぃんうぃんって?)
ルーチェのテンションの高さに困惑するアレッタ。ユースは肩をすくめて教えてくれた。
「独特な話し方をする人なんだ。意味を問うと長くなるから、あまり細かいことは気にしない方がいい」
ひとしきりキャーキャー騒いだルーチェは、ハッとなにかに気づいたようだった。
「こうしちゃいられないわ、ソルに会ってくる!」
「待てルーチェ、少し落ち着け……無理そうだな」
ルーチェからピカッと光が放たれ、アレッタはあまりの眩しさに目をつむる。すぐにユースが庇ってくれたおかげで目を焼く光から遮られた。
しばらくして目を開けると、ルーチェは広い花畑のどこにも見当たらなくなっていた。
「はあ、眩しかった」
「彼女は光の妖精だからな、本気で走ると勢い余って発光するんだ。目は平気か?」
ハタと気づくと、アレッタはユースの腕の中に抱きとめられていた。脳の芯がとろけそうな甘い花の匂いがユースから漂ってきて、頭がクラクラする。
「わわっ……だ、大丈夫、目はなんともないの、ないからちょっと離れて」
「ああ」
ユースは名残惜しそうにしながらもアレッタを解放した。
(ああっ、頬が熱い! 今日はずっと新しいこと続きで心臓もドキドキしっぱなしだし、もうどうにかなっちゃいそう)
「もう少し宮殿の周りを見て歩くか?」
「……ごめんなさい、少し疲れてきたわ」
「だったら宮殿に戻ろう。こっちだ」
アレッタはユースに再びエスコートされて来た道を戻る。
空を見上げると宮殿にはバルコニーがいくつも設置されていて、その間を妖精が飛び交っているのがわかった。
行きしなにはすれ違わなかった妖精が、ユースとアレッタを見つけてお辞儀をしてきた。
ユースが手を振りかえすと、笑顔で見送ってくれる。そういうことが帰り道に数回あった。
(ユース、宮殿のみんなに慕われているんだね)
テオドール殿下も若いご令嬢方には人気だったし、一部のとりまき達も殿下のことを褒め称えていたけど、それとは違う感じがする。
テオドールは裏表があって、気に入らない相手や平民に対してはとことん冷淡に蔑んでいた。人として人気というよりは、みんな地位に対して頭を下げて媚びへつらっているようなところがあった。
ユースは地位なんて関係なく、相手の欠点や気安い態度を丸ごと受け入れて、ちゃんとその相手を認めてつきあっている感じがする。
地位におもねることが悪いとは言わないけれど、アレッタにはテオドールよりユスティニアンの方が何倍も人として魅力的に思えた。
(いや、ユースは人じゃないけどね?)
「部屋に戻ったらお茶を飲んで休むといい。マイムは水の妖精の中でも特にお茶を淹れるのが上手いんだ、彼女にお願いして淹れてもらおう」
「そうなんだね。さっきもマイムからハーブティーをいただいたのだけど、喉がカラカラだったから味わいもせずに飲み干してしまったの。もったいないことをしたから、次はよく味わって飲みたいわ」
「ああ、ぜひそうしてくれ」
アレッタはマイムの遠慮がちな笑みを思いだし、くすぐったい気持ちになった。
(マイムは人間が怖いって言っていたけれど、それでも私に優しく接してくれる)
ここにいると、複雑怪奇な貴族の作法もいらないし、上っ面だけ笑って心の中では馬鹿にするような人ともがんばってつきあう必要がない。
アレッタは清々しい気分になり、胸いっぱいに空気を吸いこみ深呼吸をした。
「どうした?」
「ううん、なんでもないの。空気が美味しいなと思って」
「アレッタも空気中に漂う濃密な魔力を感じているのか? 人間にはごく稀に魔力を見れる個体はいても、魔力を感じられる器官はないと聞いたが」
ユースが真面目に勘違いして受けとったので、アレッタはフッと吹きだした。
「ふふっ、違うよ。ここは自然豊かだし、冷たい人もいないし、息がしやすくていいなあって意味で言ったんだよ」
「なるほど。アレッタが気に入ったのなら、いくらでも滞在していってくれていい」
「そうしたいところだけど、そうもいかないよねえ……」
アレッタはテオドールの言葉を思い返す。父に書状を出したと言っていたから、それが届けば父はおそらくアレッタに会うために領地から出てくるだろう。