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29 揺らぐ心

 夜のアルストロメリアの花畑までユースを引っ張ってきたアレッタは、乱れる息を胸を抑えて整えた。

 アレッタの常にない焦った様子を心配して連れられるまま着いてきたユースは、彼女を近くのベンチに誘導しようと手を伸ばす。


 アレッタはその手をはしっと捕まえると、両手でギュッと握り締めた。


「ユース……」

「どうした? なにを悩んでいるんだ?」


 名前を呼んだきり言葉が続かないアレッタの髪を、ユースは解放されたままの左手で優しく撫でた。


 その手の温かさに勇気をもらったアレッタは、なんとか声に出そうと口を動かした。


「ユース、もし……」


 もしもロイスが、私に毒を盛った犯人だとしたら、どうする?


 アレッタはロイスに軽口を叩くユースの楽しそうな様子を思い出した。ロイスを信頼できると紹介してくれた時の、穏やかで親愛に満ちた口調も。


 アレッタは固く目をつぶった。


 ……やっぱり、言えないよ。


 そもそもなにも証拠はないんだし。私の、私達の考えすぎかもしれないし。

 きっと毒だって護身用とかに買ったに違いないよ。だってほら、王子様の側に常にいるんだから、ロイスだって自衛できなきゃ困るんだし。だからきっと痺れ毒も眠り粉も幻惑の粉も、みんなみんな護身用に買った、もので……


 息を詰めて黙りこんでしまったアレッタの頭を、ユースは優しく撫で続けた。


「言いたくないことなら無理に言わなくていい」

「うぅ……あのね……その」


 状況的にロイスが確実に怪しいとアレッタもわかっていたが、ユースがショックを受けるだろうことを思うと……そして、自分でもロイスが犯人だと思いたくなくて、アレッタは一度は口を閉じた。


 けれどもしこのまま私が黙っていることで、ユースがロイスに危険な目にあわされることがあったら……そしてもし、また私がなにかされてユースが思い悩むことになったら……その方が私、ずっと嫌だな……


 悩んで悩んで、結局アレッタは祈るような気持ちで口を開いた。


「……エストレアがキノコの胞子屋さんで、ロイスによく似た人を見たんだって。でもロイス本人だって確証はないし、そもそも毒粉も護身用とかに買ったのかもしれなくて……だって、ロイスはユースにとって信頼できる人……なんだよね?」


 なんとか顔を上げて、ところどころ声を詰まらせながらも問いかける。


 ユースはアレッタの言葉を聞いてハッと息を飲むと、ギュッと唇を引き結び顔を手で覆った。


「君も、そう思うのか」

「え……?」

「ロイスが君に毒を盛った。君もそう思うんだろう?」


 決定的な言葉がユースから放たれて、アレッタはしばし呆然と口を開いたまま閉じられなくなってしまった。


「そんな……」


 力なく顔から手を下ろしたユースは、悲しそうに目を伏せた。


「俺もソルの証言やメイド長を使ったやり口などを鑑みて、そういう結論に辿りついた。やはりどう考えても、状況的に彼がやったのだろうと……信じがたいことだがな」


 ユースはアレッタに繋がれた手を引き、ギュッと隙間のないように抱きしめた。アレッタの耳元に密やかな息が吹きこまれる。


「君はなにも知らないフリをしていてくれ。決定的な証拠はまだない。今ロイスを追い詰めても、彼は賢い男だからな、巧妙に言い逃れて罪を認めさせることはできないだろう」


 ユースは既に知っていたし、なんならもうすでにロイスを捕らえる覚悟を決めてもいたらしい。

 アレッタは眩暈を覚えながらもなんとか頷きを返した。


「どういう結果になったとしても俺はアレッタの味方だ。それだけは信じてほしい」

「ユースは……それでいいの?」


 だってあなたの親友みたいに仲のよかったロイスを、他でもないあなたの手で裁くことになるんだよ?

 震える声で問いかけるとユースは泣き笑いのような複雑な表情を浮かべた。


「俺の私情で法を変えることはできない。罪は裁かれるべきだ、そこにどんな事情があろうとな。止められなかったのはもしかしたら……俺の落ち度かもしれないが」


 フッと自嘲するように笑う吐息に、アレッタはひくりとしゃくりあげた。


「そんな、そんな訳ないよ……なんでユースが悪いの? ユースはなにも悪いことしてないじゃない。どうして、そんな悲しいことを言うの……」


 アレッタは堪えきれずに涙を流した。悔しくて、悲しかった。ユースの心が傷ついているのに、なにもしてあげられないことが心底悲しかった。


 もはや自分の存在が二人の仲を引き裂いたようにまで感じてしまって、涙は次から次に溢れて止まらなくなる。


「アレッタ、君は自分のためには泣かないのに、俺のためには涙を流すのか」


 ユースはアレッタの顔を一目見ようと少し離れた。アレッタは一瞬だけユースと視線が交わって、パッと顔を伏せた。

 こんなブサイクになっているであろう泣き顔、ユースにだけは見られたくない。


 だというのに、ユースは心底嬉しそうに笑うのだ。


「アレッタ、かわいい。世界一かわいいよ。俺はアレッタのような心の綺麗な女性と婚約者になれて、本当に幸せだ」

「なんで今そういゔごどいゔの……!!」


 ますます涙が溢れて止まらなくなって、言葉すらもはや綺麗に発音できない。

 アレッタはもうどうにでもなれという気持ちで、ユースの胸元に濡れた顔を思いきり伏せてみた。ユースはますます楽しそうに笑う。


「ははっ、もうこの服は貴重すぎて洗えないな。記念に飾っておこうか」

「絶対にやめて」

「はははっ! 冗談だ」


 ユースは本当に楽しそうに笑うと、アレッタの濡れた目元を優しく拭った。


「アレッタ、君と出会えて本当によかった。愛している」


 だからなんで、今そんなことを言うの……

 アレッタはもう頭の中がごちゃごちゃだった。泣いてしまって恥ずかしいし、ユースがこんなに笑うのも予想外だったし。


 けれど嵐のような感情が去った後には、私もユースが好きというシンプルな答えだけが残った。


 長年一緒にいた腹心の部下よりも、私と生きること選んでくれるの? ユース……


 なんだか今ならユースの求婚を二つ返事で受けてもいいくらいに、彼のことが好きな気持ちが胸の中にこんこんと溢れてきた。


「ユース……」


 そう自覚しても胸がいっぱいすぎてそれ以上の言葉が出てこない。ユースはクスリと笑って、アレッタのためにハンカチを差し出した。


「……そろそろ帰らないと、ロイスに訝しがられるな。部屋まで送ろう」


 ユースの持っていたハンカチで涙を拭ったアレッタは、そっと顔を伏せながら連れられるままに部屋に戻った。


「しっかり戸締まりをして寝てくれ。先ほどのアレッタはかなりロイスに対して挙動不審だったからな、なにか勘づいたと思われているかもしれない」

「うう、ごめんね。気をつけるね」

「ああ。もうこんな薄着で廊下に出るなよ?」


 ユースはアレッタの首筋をサラリと撫でると、今度こそ手を離して去っていった。


 実はついてきていたらしい護衛くんが、また部屋の扉の前に立つ。


「もう用は済んだっすよね? ちゃんと寝てくださいね」

「うん、つきあわせてごめんなさい。もう寝るわ」

「いえいえ。おやすみなさいっす」


 部屋に入ると、なぜか急に眠気が押し寄せる。

 アレッタはフラフラと寝台に入って体を横たえた。もうすぐにでも寝られそうなほどに、体が睡眠を求めている。


 ……私、この事件が解決したらきっと、ユースの求婚を受けよう。そうしよう。

 ああ、戸締まりの確認してって、ユースに言われたのに……眠くて、眠くて……もう、無理……


 なぜかルーチェが、それフラグ立ってるからやめて寝ないで気合いで起きてー! と叫んでいる気がしたが、アレッタの意識はそれを気にする余裕もなく、急速に夢の中へと落ちていった。

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