15 好きと覚悟
考えこんでしまったアレッタを見てタチアナはふと宮殿の方を振り向く。
「こんなに人と話をしたのは久しぶりよ。なんだか疲れてしまったからそろそろ帰ろうかしら」
「俺が送りましょうか」
「いいわ、あなたはアレッタをお部屋に案内してあげて。私は一人でも帰れるわ」
タチアナはそう言うともう振り向きもせずに去っていってしまった。
「アレッタ、突然こんな話をされて戸惑っているだろう。一度宮殿に戻って休もう」
「うん……そうさせてもらうね」
そういえばドレスも汚れたままだったわ。着替えて、それから傷の手当てもして……少し休んでからまた考えましょう。
今日はもうすでにいろいろなことがありすぎた。疲れた頭で考えてもろくな考えにならない。
アレッタは首を振って思考を振り払うと、ユースに手を引かれるまま赤いダリアの花畑から抜けだした。
ユースは言葉少なにアレッタを気遣いながら、宮殿内のアレッタに用意された部屋に連れていってくれた。
「マイムはいるか?」
「はい殿下……あ、アレッタ様!? どうされたのですか、こんなに汚れて。それに傷まで!」
マイムは両手で頬を覆いながら驚きをあらわにする。
「ちょっとね。ガラスの破片で切っちゃっただけよ」
「傷の手当てと湯浴みを頼めるか?」
「はい、お任せください!」
マイムは張り切ってアレッタのために温かいお湯を用意してくれた。
新しいドレスに着替えて傷の手当てを終わらせたアレッタは、ホッと一息をつく。
日中はバルコニーから花畑を眺めたりマイムとたわいもない話をしながら、時々ユースのこと、家族のこと、これから先のことを考えてみた。
日がとっぷりと暮れて夜になる。灯りはじめたランプの光をぼんやりと眺めていると、アレッタの部屋に来客があった。
「アレッタ。よかったら一緒に夕食を食べないか」
「ユース、お誘いありがとう。行きましょう」
現れたユースにアレッタの心は浮きたつ。やっぱり私はできることならユースを選びたい、でも……
簡単に答えをだせる問題でもないので、とにかく今は、食事に集中することにした。
用意された食事は人間界のものとそう違いないメニューだった。おそらく人間であるアレッタのために配慮されたメニューなのだろう。
淡く微笑むユースはアレッタに対してなにくれとなく世話を焼いてくれた。
「食事は口にあうだろうか。生活する上で困ったことはないか?」
「美味しいよ、それにとても快適に過ごせるようにマイムが取りはからってくれているわ」
「そうか。よかったらこれも食べるといい、今朝とれたばかりのトマトだ」
「ありがとう、もらうね」
用意された野菜は新鮮でどれも美味しかった。よく煮込まれた料理は少なくサッと火を通しただけのものや、素材をそのまま美味しく食べられる料理が多い。
食事を終えるとユースはアレッタの元に歩み寄った。
「少しバルコニーに出てみないか。今の時間は町灯りが綺麗なんだ」
「いいわね、行きましょう」
ユースに手を引かれてバルコニーへと移動する。握られた手の温もりに、心まで温かくなった。
王宮の周囲に灯りは少なく、夜と光の大通りが道沿いに輝いて見える。森の合間にもポツポツと光が灯っているのが見受けられた。
まるで夢のような光景。けれどここで過ごすことを決めたらこれは夢ではなくなってしまう。
アレッタは物思いに沈む自分を気遣い、静かに佇むユースを見上げた。紫の瞳は柔らかな光を帯びて、優しく町灯りを見守っている。
凛々しい横顔をみつめていると、アレッタはときめきが抑えられなかった。
私……やっぱりユースが好き。たった数日の間にこんなにも心の中が彼のことでいっぱいになってしまった。
ユースの側にいるとアレッタはありのままの自分が認められているように思えて、息がしやすくて自然と笑顔になれた。
それに……こんなにも会いたくなって、会うと嬉しくなる方ははじめてなの。
私、今……ユースに恋をしているんだわ。
「どうした?」
アレッタに見つめられているのに気づいたユースは、優しい声でアレッタに問いかけた。
アレッタは息を吸いこむと、ユースの神秘的な紫の瞳にひたと視線を合わせた。
「ユース、私父から逃げだしてきたと言ったでしょう? 父は私に新しい婚約者をあてがうつもりなの。気になる妖精さんがいるから待ってと伝えたら、怒って閉じこめられてしまったというのが今回の事の顛末なのよ」
「そうだったのか」
「そう、それでその、気になる妖精さんっていうのは、ユースのことなんだけど……」
だんだん火照ってくる頬の熱に耐えながら、アレッタは言葉を続けた。
「気づいたらね、私、ユースのことが好きになっていたみたい」
「アレッタ……!」
ユースはアレッタを抱きしめた。ふわりと花の香りに囲まれたアレッタは、陶然とした心地で意外と肩幅のある背中を抱きしめ返す。
「嬉しいよアレッタ、俺の想いを受け入れてくれるんだな」
アレッタはこくりと頷く。
「私、ユースのことは好き……けれど、まだ妖精になるなんて、人間としての生活を捨てるなんて、そこまでの決意は持てないの」
申し訳ない気持ちで眉根を下げるアレッタに対して、ユースも力強く頷いてくれた。
「それは当たり前だ。生まれ育った環境も家族もなにもかも捨てて妖精に生まれ変わるなんて、そう簡単に決められることではないだろう」
ユースはそっとアレッタの背中を撫でた。
「大丈夫、急ぎはしない。母の女王としての力も今すぐに尽きるわけではない」
「でも、今はもうすでに子どもが産まれない状況なんでしょう?」
ユースは目を閉じて首を横に振った。サラサラのアッシュブロンドがアレッタの頬に当たってくすぐったい。
「伴侶を見つけるのが遅くなったのは俺の落ち度であって、アレッタのせいじゃない。俺は君の覚悟が決まるまでいつまでも待つつもりだ」
ユースは少し体を離して、アレッタの顔に熱視線を浴びせる。
「はじめてなんだ、こんなに誰かに心動かされたのは」
「ユース……」
「アレッタ、愛してる」
指先に振ってくるキス。アレッタは感動で目を潤ませながら、熱を受けた右手を胸の前で抱きしめた。