10 暴走妖精さん
パキパキと土壁が崩れ去る音がして、眩しい光がアレッタの目を焼く。
「うっ、眩しい……ここ、明らかに森じゃないよね?」
森の中特有のひんやりした空気や、木々の影に日が遮られている感覚が全くない。
光に慣れた目で辺りを見渡すと、アルストロメリアの花畑が眼前に広がっていた。
(ユースの花畑だ……こんなに早くにまた訪れることになるなんて)
アレッタが呆然と突っ立っていると、近づいてくる人影があった。灰色の髪にオレンジの瞳の妖精だ。
(ええと、誰だっけ……そうそう、ジェレミーだわ)
今日は手袋をしておらず、ポーチのついたベルトに挟みこまれていた。
ジェレミーもこちらに気づくと意外そうに目を見張り、顎に手を当ててアレッタを凝視した。
「あれ~、なんか見たことある人がいるわ、昨日ぶりじゃん。誰だっけ、アレッタちゃんであってる?」
「あの、こんにちはジェレミー」
ジェレミーは愛想よくヘラリと笑うと、アレッタの服に目をとめた。
「今日はなーんか地味だね、人間界ではこういう感じの服装が主流なわけ? ていうかさ、俺人間にめちゃくちゃ興味あるんだよね。だけどまだ力が足りなくってさ、人間界に渡ったことないんだなーこれが。だからアレッタちゃん悪いけどちょっと触らせて?」
「ひえっ?」
ジェレミーにいきなり遠慮もなにもなく手を掴まれ、アレッタはギョッとして引き抜く。
「あ、お触りダメ? やっぱダメかー、そうだよなー殿下のいい人だもんな。でも触った感じ普通にあったかいしそんなに妖精と変わんないね。アレッタちゃんお肌すべすべじゃん」
「あ、ありがとう?」
ジェレミーは早口で、とにかく口数が多かった。前会った時はユースがいたから、あれでも遠慮がちに振る舞っていたらしい。アレッタが口を挟む暇もないくらいに話し続ける。
「ところで人間って羽持ってないってホント? 羽がないってちょー不便じゃね? どうやって生活してんのさ、ねえねえ羽が無いってどんな感じ? 背中どうなってんのかすげー気になる。ちょっと背中めくって見せてもらうことってムリそう?」
「あー! ジェレミーがアレッタにセクハラしようとしてる! 天誅!!」
「ぎゃっ!」
文字通り飛んできたルーチェが、ジェレミーにドロップキックをかます。ジェレミーはまともに食らって花畑の上に顔から着地した。
(ああっ、ユースのお花が無残な姿に……!)
「ぶへっ」
「ふんっ! やめなさいよね! 迷惑がってるでしょ!? アレッタ、大丈夫だった?」
「う、うん。私は大丈夫。だけどお花がかわいそうなことに……」
「あ……」
しまった、と顔を青くするルーチェ。
「ご、ごめんなさい王子ー! どうしよう、謝りに行かなくっちゃ! アレッタ、もしよかったら一緒についてきてくれない?」
「いいよ。あ、でもジェレミーはどうしよう?」
「こいつはほっときゃいいよ、そのうち起きてくるって。さっ、行こ行こ!」
ルーチェに背を押されるまま、アレッタは花畑を後にした。
*
アレッタもルーチェも特に止められることなく宮殿内に入ることができた。ルーチェはユースの執務室の場所を知っているというので、そちらに向かう。
「ルーチェはユースと仲がいいの?」
「うん! 私は殿下のこと尊敬してるし、殿下も私の仕事ぶりを認めてくれてるよー!」
あっけらかんと口にするルーチェは、満面の笑みをアレッタに向けた。なかなか貴族ではお目にかかれない元気のいい子だ。
領地で仲のよかったメイドか下働きの子を相手にしているようで、アレッタも肩の力を抜いて接することができた。
「ルーチェの仕事はなに?」
「殿下が町に下りる時の護衛だよ。護衛の仕事がない時は宮殿の側をパトロールして、誰か迷惑かけてる人とか困っている人がいたら助けに入るの。見参! 王国の見張り屋ルーチェ! この徽章が目に入らぬかぁ~!!」
胸を逸らしてポーズを決めるルーチェ。相変わらずテンションが高い。よく見ると、その胸元にはバッチがついている。
(ああ、あれが身分とか王国兵とかの証なのかな?)
よくわからないところは流して、アレッタのわかる部分だけ肯定した。
「なるほど、だからさっきも助けに入ってくれたんだね」
「そういうこと。ジェレミーは好奇心旺盛で暴走しがちだからさー、要注意人物なの。人間にめちゃくちゃ興味あるっぽいから、あまり近づかない方がいいよ!」
「うん、そうする。助けてくれてありがとう」
「どういたしまして!」
ユースの執務室に着くと、ルーチェはコンコンとノックはしたものの、返事が返される前に部屋の扉を開けてしまった。
「殿下~、お邪魔します。さっきジェレミーを蹴ったせいで花畑を荒らしてしまったの、ごめんなさい! あと殿下の愛しのアレッタちゃん連れてきたよ」
「アレッタ……!? 入ってくれ」
ユースは机からガタリと音を立てて立ち上がった。アメジストの切長の目が驚愕に見開かれている。
「失礼しまーす」
「あはは、ユース昨日ぶりだね。こんなに早く来ちゃって、ご迷惑じゃないといいんだけれど。親切? な妖精さんが、妖精界に送ってくれたの」
アレッタが苦笑していると、ユースは彼女の手をとった。
「迷惑なことなどなにもない。会えて嬉しいよ、アレッタ」
本当に嬉しそうにユースが笑うので、アレッタもホッとして笑い返した。
「それならよかった」
「ルーチェ、花畑を荒らしたとはどういうことだ? 経緯を説明してくれ」
ユースが問いかけると、ルーチェは気まずそうに飴色の瞳を逸らした。
「ジェレミーがルーチェを困らせてセクハラしようとしているのを見かけたから、キックして撃退したんです。そしたらあいつ、花畑の上に倒れちゃって、花が何本か折れてしまいました……」
「ああ、そういうことか。花のことなら別に構わない。ジェレミーなら数日もあれば花畑を元のように戻してくれるだろう。後で俺からも話をしておく。アレッタを助けてくれて礼を言うよ」
(後で俺からも話をしておく、と言う声が若干低かったように聞こえたけれど、私の気のせいかな?
ジェレミーとしてはきっと性的なお誘いのつもりじゃなくて、知的好奇心が暴走しちゃっただけだと思ったけど、口添えしておく? うーん、でも背中めくって見せては、さすがにダメだよね……)
アレッタはひっそりとジェレミーを庇うのを諦めた。
ルーチェは気づかなかったのか気にしていないのか、照れ照れと頭を掻いている。
「いえいえそんな、どういたしまして!」
「次からはもう少し穏便な手段で止めてもらえるともっといいな」
「はーい、がんばります! いやー殿下のそういうとこ包容力レベチ、やはり殿下しか勝たん!」
ルーチェは嬉しそうに頬を染めてガッツポーズをした。
(お咎めがなくてよかったね、ルーチェ。私も助けてくれたあなたに咎が及ばなくてホッとしたよ)
凛々しい顔を綻ばせたユースが、アレッタの方を再び振り向く。
「アレッタ、君の方はなにか予定があるのか?」
「ううん、また御者とメイドを置いてきたから早く帰らなきゃいけないけど、それくらいかな」
「それなら従者達を家に帰せるよう手配をしておくから、もし興味があるなら城下町に行かないか?」
(城下町? わあ、楽しそう!)
今までの災難が報われるような楽しげな提案に、アレッタは飛びついた。
「行く、行きたい!」
「殿下、それなら私も護衛としてつきそいますよー! あ、でもデートですよね、推しの初デート……なにそれ尊い!! 後ろからこっそり見守りますんで!」
こっそり見守ると宣言している時点で、こっそりではなくなっている。ユースも同じことを思ったらしく、アレッタと顔を見合わせて肩をすくめた。
「ルーチェ、遠慮しなくていいからみんなで行きましょう? よかったらルーチェのオススメの場所も教えて?」
「そう? じゃあそうしよっか! 私もアレッタと仲良くなりたいし! 私のイチオシはね、光と夜の大通りだよ。これからの時間が一番綺麗でオススメ」
「では仕事をキリのいいところまで終わらせるから、アレッタもその間に着替えないか?」
「いいですね! アレッタ、かわいい服に着替えよう、マイムと一緒に私も見繕ってあげる!」
やる気満々のルーチェに引っ張られるようにして、アレッタはユースの執務室から退出した。