9.シシの森で
ナーシルの所属する王都第一神殿は、広場にほど近い一等地にあった。
「……神殿って、お金持ちなんですね」
わたしはあまり信心深くなく、神殿にお参りしたことも数えるほどしかなかったため(しかもそのすべてが縁結び関係)、第一神殿の規模の大きさに目をみはった。
神殿の入口には、メイスを持った護衛の神官が立っているし、神官のローブさえなければ、神殿というより大貴族の城のようだ。
「……第一神殿は、元々所領も他の神殿に比べて桁違いの広さを誇っている。しかも近年は、積極的に若手の神官を戦地へ送り込んだり、商人の護衛に派遣したりしているようだ。その稼ぎ頭が、まさにナーシルらしいな」
えー、それって、体のいい奴隷では。
わたしの言いたいことに気づいたのか、兄は声を低めて言った。
「最近、使いつぶされる若手の神官が激増し、問題視されている。……ナーシルも数年前、戦地で大怪我を負ったらしい。それ以降、何度も嘆願書を提出しているが、すべて却下され、相変わらず戦争漬けの生活を送っていたようだ。……嫌気がさすのも無理はないな」
兄の言葉に、わたしも顔をしかめた。
何それひどい。ナーシル神官、まさに使い捨ての奴隷状態だったわけか。
入口付近にいた若い神官に、ナーシルへ取次を頼むと、
「ああ、本日はナーシル様はお休みを取られていますね。朝早く、レオン・バルタ様が迎えに来られまして、ご一緒にシシの森へ行かれたようです」
なんでレオンが!?
わたしと兄が顔を見合わせると、神官が笑って言った。
「ナーシル様は休日、冒険者として森を探索されているのですが、どうもレオン様が、それについて行きたがったようで。ナーシル様も困っておいででしたが、最終的にはご一緒されたようですね」
「そうですか……」
おのれレオン。婚約者より先に休日の予定を押さえるとか、ある意味、第二王子より面倒なヤツ。
「どうする、エリカ」
「どうするもこうするもありません! 我々もシシの森へ向かいましょう!」
私の休日が……とうなだれる兄の腕を引き、わたしは馬車に飛び乗った。
シシの森は、広場を抜けた先にある、森というよりは林と草原が一体となったような国の所領だ。
それほど広くなく、また街道沿いにあるため、危険な魔獣などは出没しないし、希少な薬草などもない。冒険者になりたての、初心者用の森である。
ただ、シシの森は国の所領だが、冒険者や地域住民に開放されており、ここで狩りをしたり採集を行ったりしても、お金を納める必要はない。無料取り放題の場所なのだ(乱獲禁止のためのガイドラインはあるようだが)。
「……ひょっとしてナーシル様は、還俗後、騎士などの職には就かれず、冒険者となるおつもりなのでしょうか」
わたしは馬車を降りた後、シシの森を歩きながら兄に言った。
こんなことなら、もっと歩きやすい靴をはいてくるんだった。踵の高い靴で森歩きする羽目になろうとは。
「あれだけの腕前だ、少しもったいない気もするが、どうだろうな。……第二王子のことを考えるなら、良い選択と言えるかもしれんが」
兄も歩きにくそうにしながら答えた。すまん、その高そうなブラウスにかぎ裂きが出来たら、わたしが義姉上に謝ります。
しばらく歩くと、見晴らしのよい草原に出た。
目を凝らすと、少し先にキラキラ輝く銀色が見えた。
「兄上、あれ、ナーシル様ではないでしょうか」
「あそこまで歩くのか……」
兄ががっくりとうなだれた。国の要請に応じ戦場に出ることもあるが、兄は基本、文官である。体力はあまりない。
「兄上はそこで休んでてください、わたし、先に行ってますね!」
対するわたしは、領地で過ごした子ども時代、同年代の地元の仲間達に山ザル呼ばわりされた実績をもつ。正直、兄よりよほど体力があるんじゃなかろうか。
わたしは靴を脱いで片手に持ち、スカートの裾をつまんで走り出した。
「おい、ちょっ、待てエリカ!」
兄が叫んでいるが、無視。
ていうか、あー、気持ちいい!
こんな風に窮屈な靴を脱いで、思い切り走るなんて、本当に久しぶりだ。
わたしは、草むらの中に屈むナーシルとレオンを見つけ、声をかけた。
「ナーシル様! レオン様!」
二人は立ち上がり、レオンがわたしに手を振った。
「おお、ネリー殿! どうされましたか!?」
本日のわたしはネリーか。まあいい。
「ナーシル様にお会いしたくて参りましたの! 兄も向こうにおりますわ!」
ナーシルが驚いたようにわたしを見ている。
わたしを見、レオンを見、そしてそっと腕を上げ、わたしに向けて控えめに手を振った。
わたしは思わず声を上げて笑った。
なんだか可愛い人だな。
靴を履いて近づくと、二人とも冒険者そのものの恰好をしているのがわかった。
厚手の生地の長袖シャツ、ズボンに革のロングブーツ、フード付きマント。
武器が両刃斧と長剣という違いだけで、後は双子のように一緒だ。サイズはだいぶ違うが。
「ネリー殿、その恰好でここまで来られたのですか? 歩きづらかったのでは?」
レオンのもっともな指摘にわたしは苦笑した。
「森に来るつもりではなかったんです。神殿でお聞きしたところ、ナーシル様がこちらにいらっしゃると伺ったので」
「あの、申し訳ありません、私に何かご用だったのでしょうか?」
ナーシルがおずおずと言った。
「ナンシー殿に用が? なら、俺は獲物の解体をしてますので、お二人でお話しください」
ナーシルは、ナンシー呼びにも特に抗議することなく、「ありがとうございます」とレオンに頭を下げていた。
レオンの手元をのぞき込むと、丸々と太った小型魔獣、ヒウサギが見えた。
火属性の魔獣で、肉もおいしいし、毛皮も高く売れる。
水魔法で斧についた血を洗い流しているナーシルに、わたしは単刀直入に聞いた。
「ナーシル様、還俗した後のご予定について、伺ってもよろしいでしょうか」
「還俗した後、ですか?」
ナーシルは、慣れた手つきで両刃斧を拭い、くるくると柄を回して状態を確認している。
「ええ、そうです。神官を辞められた後、例えば騎士になられるとか……」
「いいえ」
ナーシルはかぶりを振り、言った。
「還俗した後、私は冒険者になるつもりでおります。騎士にも、役人にもなるつもりはありません」
きっぱり言い切った後、何故か「すみません……」と謝るナーシルに、わたしは安心して言った。
「そうですか、ようございました」
わたしの返事に、ナーシルは目をぱちくりさせた。
「え?」
「もし騎士になられるおつもりでしたら、どうしようかと思っておりました。……実は、わたしの問題なのですが」
わたしはかいつまんで事情を説明した。
「そういう訳ですので、ナーシル様が冒険者を目指されると伺い、安心いたしましたわ」
「そうだったのですか……」
「ひどい話ですね!」
頷くナーシルと、いつの間にか会話に混ざっているレオン。
わたしはナーシルを見つめ、言った。
「ナーシル様が、神殿から離れるためにわたしと婚約してくださったのは、承知しております。ですが、そういった事情ですので、卒業後もしばらくは、婚約を破棄しないでいただきたいのです。ナーシル様が冒険者になられるというなら、そうですね……、少なくとも、王都を出られるまでは」
「わかりました」
ナーシルはあっさり頷いた。
「エリカ様が学園を卒業された後、わたしが王都を去るまで、婚約破棄はいたしません」
良かった。
ナーシルの返事に胸を撫で下ろしていると、レオンが爽やかに言った。
「そういう事なら、ナンシー殿と婚約して良かったですね、ネリー殿!」
レオンの言葉に、ナーシルが、えっと飛び上がった。
「そ、そのような。私のような平民の、しかももうじき冒険者となる身の……」
「冒険者の何がいけないのだ」
「そうですわナーシル様。盗賊などの犯罪者集団に身を投じるとおっしゃるなら、何としてでもお止めいたしますが、冒険者なら何の問題もございません!」
「と、盗賊にはなりません……」
ナーシルはうつむき、小さな声で言った。
「じゃあ、もう何の問題もありませんな! ヒウサギの肉を召し上がらんか、ネリー殿?」
「よろしいのですか?」
もちろんです! とレオンは爽やかに頷き、ふたたびヒウサギの元に戻った。
わたしの返事に、ナーシルが驚いた表情を浮かべているので、わたしは念のため、言っておいた。
「あの、お二人の分まではいただきませんわ。味見をさせていただければ、それで十分です」
「いえ、その、そういう意味では……」
ナーシルが慌てたように言った。
「ただ……、驚いたのです。貴族の女性が、その……」
ああ、とわたしは納得した。
「わたしは学園に上がるまで、領地におりましたの。領民の子どもと同じように、木の実を拾い、狩りもいたしました。仕留めた獣を、火魔法で焼いていただくのが、昼食の代わりでしたわ。館にはめったに帰らず、乳母の家で、領民とともに生活していたんです」
わたしの子ども時代のワイルドライフに、ナーシルが目をみはった。
「そ……、そうだったのですか……」
「ええ、まったく貴族らしからぬ幼少時代でしたわ。ナーシル様は、どのような子ども時代を過ごされましたの?」
わたしの質問に、ナーシルは考え込むように下を向いた。
「……私の子ども時代は……」