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7.怪物(ナーシル視点)

私は嘘をついている。


母を亡くし、神殿入りが決まった時から、ずっと。

それは仕方のないことだ。

誰も傷つけず、己を守り、平穏な生活を送るためには、そうするしかない。

ずっとそう思ってきた。いや、そう思おうと、自分に言い聞かせてきた。

実際、そうして自分を偽らなければ、いかに神殿という後ろ盾があったとしても、面倒事に巻き込まれていただろう。


新しい神官長が任命されるまでの数年間は、平和だった。

醜い白豚神官と後ろ指をさされることはあったが、まったく気にならなかった。むしろ、誰にも好かれたくなどなかった。たとえ見下され、侮蔑の言葉を吐かれても、下手に近づかれるより放っておいてもらえるほうが、よほどありがたかったのだ。


唯一、私の事情を承知していた前任の神官長は、ずっと私のことを心配して下さっていた。

「人間すべてが、恐ろしい怪物ではないのだ、ナーシル。己を隠し、すべての人を遠ざければ、たしかに傷つけられることはないかもしれぬ。しかし、それでは本当の幸せは得られない。誰かを心から愛し、愛される機会を捨ててしまうことになるのだから」と。


しかし、私は神官長の言葉に耳を傾けようとはしなかった。

私は意固地な臆病者だった。自分の世界に閉じこもり、このまま神殿で一生を過ごすことに、何の疑問も持たなかった。白豚と揶揄されはしても、神殿はある程度、能力主義でもあったので、私の魔力や剣技は重宝されたからだ。


だが、神官長が亡くなられた数年後、私は神殿から離れざるを得なくなった。

神殿にいたままでは、目的を遂げることは難しい。名目だけでも神殿から離れる必要があったのだ。


だが、還俗のためには婚約しなくてはならないとわかり、私は頭を抱えた。

この容姿では、誰も婚約など承諾してはくれぬだろう。かと言って、本当の姿をさらすわけにもいかない。

困り果てていた時、騎士のレオン・バルタ様から声をかけられた。

知り合いの女性が婚約者を探しているというのだが、どこまで信用していいのか、正直迷った。

それというのも、どうやらレオン様の知り合いというのが、ルカーチ家の妹姫らしいとわかったからだ。


ルカーチ家は、前王朝から連綿と続く名家のうえ、貴族の中でも指折りの資産家である。その兄妹の美貌もつとに有名だ。

そのような方が、なぜわざわざ私などとの見合いを望まれるのか、どうにも納得がいかなかった。

レオン様は謀略とは無縁の人物だが、少々癖のある方だったため、レオン様の思い込みや勘違いという可能性もあると思ったのだ。

だが、レオン様の話は本当だった。


早咲きの秋バラが咲き初める庭園で、私はエリカ・ルカーチ様と初めてお会いした。

兄アドリアン様とは戦地でお会いしたこともあり、お美しい方だということは承知していたが、エリカ様は、アドリアン様とはまったく違っていた。


いや、たしかに顔立ちはそっくりだった。色違いの宝石と称されるだけはある。

だが何と言えばいいのか、アドリアン様は貴族らしい落ち着きと自信に満ちあふれた、気品ある美貌の持ち主であったが、エリカ様は――他の誰にも見たことのない、燃え盛る炎のような、あるいは庭園に咲き誇るバラのような、生き生きとした目もくらむような輝きに満ちていた。


私はうろたえ、その場を逃げ出したくなった。

こんな美しい人に、何もかも偽りでしかない、薄汚い己を見られたくなかった。


何ということか。

幼い頃から、容姿で判断されることを、心の底から嫌悪してきたというのに。姿形に惑わされる人々を、軽蔑すらしていたのに。


それなのに、エリカ様をただ一目見ただけで、自分でも信じられないくらい心を動かされてしまった。


私は、私自身が嫌悪してきた人間と同じだ。

いや、それ以下だ。私には偽りと憎しみしかない。醜悪な怪物だ。


その時、私は亡くなられた神官長の言葉を思い出した。

「人はすべて、恐ろしい怪物ではないのだ」と神官長は言っていた。だから己を隠し、人を遠ざけるのはやめよ、と。


だが私は愚か者だった。

神官長の言葉の意味を、理解できなかった。

そして理解できた時は、何もかも遅すぎた。


初めて心惹かれた人と出会えた時、私は、自分自身がかつて嫌悪した、怪物と成り果てていた。


嘘と秘密にまみれ、憎しみを糧に生きる、恐ろしい化け物となっていたのだ。



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