6.婚約してください
「エリカ!」
「エリカ様!」
兄とナーシルが、慌てたように叫ぶ。
考える間もなく、わたしは魔法を使っていた。
『風の刃!』
とっさに風の攻撃魔法をぶつけ、飛んできた剣を叩き落とす。
カンカンカン……と、折れた剣が四阿の床の上を転がった。
「エリカ、無事か!?」
兄が青い顔ですっ飛んできた。
「平気です、ちょっと驚きましたけど」
わたしは立ち上がり、両手を広げてみせた。
「リリー殿、素晴らしい反射神経ですね!」
レオンが能天気にわたしを褒めた。
うん、まあ、レオンらしいお言葉ですね。
「……申し訳ございません……」
ナーシルが、巨体を縮めるようにして頭を下げた。
「事もあろうに、エリカ様を危険な目にあわせるなど……」
身の置き所もない、というナーシルの様子に、わたしはちょっと和んだ。
ナーシル神官、いい人っぽいなあ。
「平気ですよ。わたし、反射神経がいいんです」
わたしが言うと、調子にのるな、と兄がわたしの頭を軽く叩いた。
「いやいや、誠に素晴らしい! それに、先ほどの魔法も見事でした!」
レオンはなおも言った。
「とっさにあれだけの魔法を放つのは、熟練の魔術師でも難しいでしょう! 感服いたしました!」
……へへ、そうですか?
わたしは、滅多に褒められることのない攻撃魔法を賞賛され、ちょっといい気になった。
防御魔法や治癒魔法ならともかく、攻撃魔法を貴族令嬢が使うなんて、と差別的な扱いを受けてるから、こんな風に褒められると素直に嬉しい。
「防御魔法ならともかく、さっきのは攻撃魔法だろう。……エリカ、あまり人前で攻撃魔法を使うのは……」
「わかってます、でも、さっきは仕方なかったじゃないですか」
わたし達のやり取りに、ナーシルが不思議そうな表情になった。
「……なぜ、攻撃魔法を人前で使用できないのですか?」
兄は肩をすくめた。
「外聞が悪いでしょう、伯爵令嬢が攻撃魔法を使用するなど」
「そういうものなのですか?」
ますます理解できない、という表情でナーシルは言った。
「レオン様のおっしゃる通り、先ほどの魔法は見事でした。簡潔な詠唱で、素早く効果的な魔法を使いこなしておられた。……戦いの場にあれば、心強く、頼りとされることでしょう。誠に素晴らしい風の魔法でした」
……………………。
ナーシルの言葉に、わたしはちょっと感動していた。
兄でさえ、貴族女性が攻撃魔法を使うなど、という差別意識を何の疑問もなく口にしているというのに、ナーシルは、わたしの魔法を正当に評価してくれた。
学園に入って思い知らされたが、貴族女性はしょせん、貴族男性の所有物のようなものだ。結婚前は父親、結婚してからは夫が支配者となり、家督を譲られるなどの特例を除けば、女性がそこから抜け出すことはほぼ不可能だ。
でも、ナーシルは違う。
彼は、わたしを支配すべき存在とは見ていない。
貴族の事情に通じていないだけかもしれないが、でも、それだけではないような気がする。
弱者を踏みつけにする人間は、どんな階級にも存在するが、ナーシルはそうしたクズとは明らかに違う。
レオンの言う通り、彼は間違いなくいい人だ。
あのサディスト第二王子と比べるべくもない。
ちょっとくらいデブだろうと、それが何だってんだ。
わたしはナーシルに歩み寄り、彼の手をとった。
「ナーシル様、わたしと婚約してください!」
わたしが高々と宣言するように言うと、ナーシルは何を言われたのかわからない様子で、ぱちぱちと瞬きした。
兄は驚愕し、レオンはニコニコしている。
「え? は、はい?」
ナーシルは目を白黒させ、わたしを見た。
「お、おいエリカ、女性からそのような……」
「兄上は黙っててください!」
わたしは兄を睨み、ナーシルに向き直った。
「ナーシル様は、神殿から離れるために、婚約者が必要なんですよね?」
「そうです、そう聞いております!」
横からレオンが口を出したが、わたしは無視してナーシルをじっと見た。
「はい……、その通りです」
ナーシルが、ふるえる声で答えた。
「大変失礼な理由であることは、重々承知しております。しかし、私は……」
「いえ、なんの問題もございません!」
わたしはナーシルの言葉を遮るように言った。
「ナーシル様が婚約者を必要としておられるように、わたしもどうしても婚約者が必要なのです! そして、ナーシル様は素晴らしいお人柄とお見受けいたしました。わたしにはもったいないほど、お優しく、思いやりのあるお方かと!」
「え……」
わたしの言葉に、ナーシルが真っ赤になった。
いける、いけるぞこれは!
「お願いします、ナーシル様! どうかわたしの婚約者になってください!」
勢いよく頭を下げると、
「あ、あの、頭をお上げ下さい」
困ったようなナーシルの声がした。
「私になど、頭を下げる必要はありません」
「ナーシル様」
わたしの手に、ナーシルのもう片方の手がそっと重ねられた。
「……私のように醜い者で宜しければ、喜んでエリカ様と婚約させていただきます」
その言葉に、わたしは思わず飛び上がった。
やった! やったぞ! 婚約成功ーっ!
「ありがとうございます、ナーシル様!」
「いえ、こちらこそ、ありがとうございます。……申し訳ありません」
ナーシルは、少し困ったような表情でわたしを見た。
むくんだ瞼の下からのぞく紫色の瞳が、とても美しく見えた。