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【書籍化】第二王子の側室になりたくないと思っていたら、側室ではなく正室になってしまいました  作者: 倉本縞
番外編 王太子の大切な人

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3.王太子の大切な人

 王太子の言葉に、アドリアンは石のように固まった。


 王……。王になるって言われても……。

 現王は今のところ、譲位されるおつもりはないようだから、それは……、それはつまり……。


 固まったアドリアンとは違い、ナーシルは王太子の言葉を聞くやいなや、すささっと王太子の前から飛びすさった。そしてエリカを背に庇うようにして立ち、言った。

「殿下、それでは我らは御前を失礼いたします。サクシデラの長とルドルフ・ルカーチ様へ、殿下からのご伝言をあやまたずお伝えすること、お約束いたします」

 何も聞かなかったような麗しい笑みを浮かべ、ナーシルが一礼した。


「そうか。よろしく頼む」

 王太子がにこやかにそれに応じると、エリカとナーシルは謝意を述べ、素早くその場から立ち去ってしまった。

 部屋から去る際、エリカは一瞬、アドリアンを振り返った。そして、口の動きだけで「後はよろしく」と言ったのを見て、アドリアンはその場に崩れ落ちそうになった。


 こいつら、ひどい。

 言いたい放題言っておいて、王太子が爆弾を投げ返したら、即逃げるとか。

 私も聞かなかったフリをすべきなのか。

 いや、どちらにせよ巻き込まれるのは確定だ。ならばもう、腹をくくって……。

「アドリアン」


 煩悶するアドリアンに、王太子が声をかけた。

「話は終わった。……せっかくだから、王宮に帰る前にここの庭園を楽しんでいこう。日差しも陰ってきている。歩いても暑くはないだろう。……その後、私は寄るところがあるから、レオもしばし、付き合ってくれ」


 離宮に咲き誇るセフィラは、風に揺れ、夢のように儚い美しさだった。

 だがアドリアンは、キリキリと胃を締めつける痛みに、花など愛でる余裕はなかった。

 レオンも、庭園を彩る花々にとくに注意を払っている様子はない。

 おそらくレオンは、筋肉を鍛えたいとか剣の訓練をしたいとか、そういうことしか考えてないんだろうなあとアドリアンは思った。レオンのそのブレなさが、今は少しだけ羨ましい。


「殿下。その……、このたびは父が、その、あの、無理を申しまして……」

 冷や汗をだくだくかきながら、アドリアンは言った。

 無理とかそういうレベルの話ではないのだが、他に何と言えばいいのかわからない。

 ほんとにあの極悪非道な父上には、天罰下れと祈るばかりだ。ナーシル殿の相談内容が、さらにえげつないものへグレードアップしていればいい。


 王太子は苦笑した。

「ルドルフ殿は今の王家を嫌っているからね。私に忠誠を誓ったばかりに、苦労をかけるね、アドリアン」

「そのようなことは決して」

「……ルドルフ殿は、先代の王を慕っていた。私の父の愚かななさりようを見て、失望されても無理はない」

「殿下!」

 アドリアンは声を上げたが、王太子は表情を変えずに続けた。


「ルドルフ殿は悪くない。……悪いのは、父もそうだが、その父を止めようとしない私のほうだからね。彼は怒っているんだろう。父の行いを止められるのは私だけなのに、何故そうしないのかと。何故……、父を退位させないのかと」

「殿下、それは」

 王太子はため息をついた。


「もっと早く、私は父を退位させるべきだった。強引にでも、その手から権力を取り上げるべきだったんだ。そうすればここ何年かの戦争はなかった。死なずにすんだはずの兵を殺し、レオや君を……、その存在さえ知らなかった弟を、長く戦場に置いて苦しめたのは、私の責任だ」

 アドリアンは黙り込んだ。

 実際のところ、王太子は新しい弟であるナーシルをどのように見ているのか、アドリアンはふと不安になった。


「昔、まだ子どもの頃、ここで父と、恐らく弟……ナーシルの母親と思われる女性が、一緒にいるところを、見たことがある」

 王太子はつぶやくように言った。

「ちらりとしか見えなかったが、とても美しい女性だった。流れるような銀髪の……。父とその女性は、薔薇に囲まれてそれは美しく、おとぎ話の姫君と王子様のように見えたよ」

 だが実際は、不実な男とその身を危険にさらされた哀れな女性の密会の現場だったのだろう。アドリアンは唇を噛みしめ、そのような現場を目撃してしまった王太子の心を慮った。


「父は私に気づいて……、私の頭を撫でて、こうおっしゃった。『このことは母上に言ってはいけないよ。誰にも言ってはいけない。二人だけの秘密だ。いいね?』と。とても優しく笑って、そうおっしゃったんだ」

 何から何までひどすぎる、とアドリアンは拳を握りしめた。

 大変不敬ながら、陛下は子どもに何ということをおっしゃるのか。まったくもって容認できない。正直言えば、殴ってやりたい。


 だが王太子は、苦笑して続けた。

「私はその時……、嬉しかったんだ。父が私に優しくしてくれたのが嬉しくて、有頂天になって頷いた。父と秘密を共有できたのが、ただ嬉しくて……」

 王太子の声が、かすかに震えた。


「私は……、父が好きだったんだ。しかし父は、私にも弟妹にも、あまり注意を払わず、ふだんは私たちなど目にも入らぬようだった。きっと父にとって、私たちはどうでもよい存在だったのだろう。……それでも私は、美しく無邪気な父を好きだった。誰よりも愛していた。今でもそうだ。守ってあげたいと、そう思ってしまう。父にそんな価値などないと、もうわかっているのに」

「殿下」

 たまらず、アドリアンがさえぎって言った。


「殿下、殿下は……、素晴らしいお方です。私は殿下に忠誠を誓い、お仕えできることを、心から誇りに思っております」

「君は優しいね、アドリアン。ルドルフ殿が心配する訳だ」

 まさか。と言いかけて、アドリアンは慌てて口をつぐんだ。

 本当に父が自分を心配してくれているなら、こんな鬼のような仕打ちはしないのでは。


「……いつか私の父も、君の父上のように、私を心配してくれるのではないか、愛してくれるのではないか、とずっと期待し、待っていた。しかしそのせいで、あまりにも多くの者が犠牲になってしまった。……もう、やくたいもない感傷は、捨てるべきだ。今だって遅すぎるくらいなのだから」

 王太子は何かを振り払うように首を横に振り、言った。


「私は後世、簒奪者と罵られるだろう。現王から譲り受けるのではなく、力づくで王座を奪うのだから。アドリアン、君は簒奪者に仕えた者として、汚名を残すかもしれない」

「汚名ではなく、誉れにございます、殿下」

 アドリアンはその場にひざまずき、言った。


「どうぞ私にお申しつけ下さい、殿下。たとえ現王を弑せとのお言葉であっても、私は殿下のご命令に従います」

「……いや、そういう事なら俺のほうが向いている」

 ふいにレオンが口を挟み、アドリアンの隣に同じようにひざまずいた。


「誰かを殺さねばならぬなら、自分が剣を振るいます。殿下、どうぞご命令を」

「いや、まあ……、二人の気持ちはありがたいが、できるだけ平和的な方向でいきたいと思っているんだ」

 王太子は困ったように笑って言った。


「実際、父はあれでなかなか、人気があるしね。……不思議だよねえ、何一つまともな事をしていないのに、妙に人に好かれるんだ、父上は。何故なんだろうね、ああいうのを魔性と呼ぶのだろうか」

 のんびりと王太子が言い、少し苦い笑いを浮かべた。

「私も……、ジグモンドも、父の魔性にやられた口なんだろうな。ローザは違う、ナーシルも違うようだ。……私とジグモンドの、何がいけなかったのかな」


 ジグモンド、という名前に、アドリアンはハッとした。

 かつてエリカを側室にと望んだ、元第二王子。今は、ケナよりさらに北の流刑地へと送られ、厳しい監視の中にあると聞く。

 アドリアンは、あまりジグモンドと交流がなかったので、彼の人となりについて詳しくは知らない。

 知っているのは、噂だけだ。頭は切れるが残虐で、父王に嫌われていると。そのせいで、王位継承権すら与えてもらえなかったのだと。


 たしかにジグモンドのしたことは犯罪だ。そのせいでナーシルも妹のエリカも、さんざん苦しめられた。しかし、ジグモンドや王太子が、父親に向ける想いまで否定したくはないとアドリアンは思った。


「殿下、何もいけないことなどありません。子が親を慕うことの、何がいけないと言うのでしょうか」

「……それで大勢の者が犠牲になったとしても?」

「問題は陛下にあります。犠牲というなら、殿下と……、ジグモンド様では」

 言いながら、これは不敬罪で処刑されても文句の言えない発言だな、とアドリアンは思った。


 自分は今、はっきりと現王を非難した。

 そして、現王を弑せとの命令にも従う、と宣言した。

 これは疑いようのない反逆罪、謀反への加担だ。父上を笑えない。


 王太子はアドリアンをじっと見つめ、言った。

「ではアドリアン、君に頼もう。……穏健派の貴族を集め、ここで会合を開きたい。ルカーチ家から働きかけてくれ。そうだな、ルドルフ殿か……、エリカ夫人の力を借りる必要があるかもしれない。これにはベレーニ家の助力が不可欠だからね。それから、できれば騎士団長も」

「承りましてございます」

 アドリアンは頭の中で素早く計算を始めた。


 事を成すには、金と兵がいる。そう、かつて父ルドルフが謀ったように。

 今度は自分がそれをやるのだ。

 失敗はできない。必ず、成功させてみせる。


「自分は何をすればよろしいでしょうか!」

 やる気満々のレオンに、王太子は少し考えて言った。

「そうだな、レオは……、うん、そうだ、レオには少し、荒っぽい仕事をしてもらおうか」

「荒っぽい……?」

 首をかしげるレオンに、王太子は楽しそうに言った。

「そうだ。いつもレオに文句をつけてくる奴らがいるだろう? 次にあいつらがレオに何か言ってきたら、問答無用で黙らせてやれ。レオはいつも、どんな輩にも礼儀正しいが、これからは違う、とわからせてやるんだ。……王太子派を侮ると、痛い目をみるぞ、と」


 王太子はニヤリと笑った。

「己が今まで侮り、貶めていたものが、猫ではなく虎であったのだと思い知らせてやれ。命まで奪う必要はないが、それ以外なら何をしてもかまわない」

「ははっ!」

 苛烈な王太子の言葉に、レオンは少しの躊躇もなく応えた。

「わかりました、殺しはしません!」


 二人とも怖すぎる、とアドリアンは身震いしたが、黙っていた。

 王座を奪うのだ。迷いは命取りになる。

 私は王太子についていくだけだ、とアドリアンは己に言い聞かせた。


 その後、王太子は離宮の西翼に軟禁されているジグモンドの母親を見舞うと言ったので、レオンとアドリアンは西翼の塔の前で王太子を待つことにした。

 当初、レオンは王太子について中に入ろうとしたのだが、ジグモンドの母親は精神を病んでおり、見知らぬ人間に怯えると言われたため、ついていくのを断念したのだ。


「……レオン、おまえに腹芸は無理だろうが、一応言っておく。今日のことは、誰にも言うな」

 アドリアンの言葉に、レオンは頷いた。

「わかった。誰にも言わん」

「おまえの父親にも、ルウ殿にも、アンスフェルム様にも……、いや、アンスフェルム様には私から言う。だが、おまえは誰にも何も言うな」

「わかった」

 淡々と答えるレオンに、アドリアンはため息をついた。


 午後の日差しの中、離宮の花々に囲まれて立つレオンには、迷いも悩みも感じられない。

 堂々としているレオンに、アドリアンは何故か妹のエリカを思い出した。


『あれには迷いがない』


 かつて父ルドルフは、エリカをそう称した。

 エリカは貴族令嬢としての未来を捨て、ただ愛する者だけを選びとった。何の未練も迷いも見せずに。

 色々と問題のある妹だが、その潔さは見習うべきかもしれない。


 王太子も、苦しみながら未来を掴もうとしている。

 父親への情を捨て、王への道を昇ろうとしているのだ。

 臣下として王太子を助け、支える役割を果たそうとアドリアンは思った。

 きっと王太子は、素晴らしい王になる。建国王と並び称されるような、偉大な王に。


 だが、

「いつか、殿下にも……、陛下以上に、大切なお方が現れるとよいな」

 アドリアンは小さな声で、つぶやくように言った。


 本来なら王太子妃がそうした精神的な支えとなるのだろうが、あいにく王太子には、いまだ決まった相手がいない。

 何度も他国の姫君や国内の有力貴族の娘が候補にあがり、婚約寸前までいくのだが、呪われているのかと思うほど、そのたびに何か揉め事が起こり、話が流れてしまうのだ。

 しかも、王はそうした事態を収拾しようとするどころか、王太子妃の座をまるで賞品のように寵臣たちの前にぶら下げ、それを奪いあう様を楽しんでいる。

 たしかに王太子妃の座は駆け引きの材料として使われてもしかたないが、王は必要だからそうしているのではなく、己の娯楽に利用しているようにしか見えない。

 王のそうした態度にも、王太子は傷ついていたのだろう。


 アドリアンの言葉に、レオンは珍しく考え込む様子を見せた。

「うむ。……王か。こう言ってはなんだが、殿下がなぜ王を好いておられるのか、俺にはさっぱりわからん」

 俺は王を好きではない、と平然と言い捨てるレオンに、アドリアンはもう、説教する気力もなく笑った。


「子は、親を慕うものだ。……理性でどうにかなるものではない。殿下とて、苦しまれただろう。何度も切り捨てようとされただろう。それでもどうにもできぬのが、情というものだ」

 言いながらアドリアンは、先ほど見た王太子の姿を思い出していた。


 いつも穏やかな態度を崩さぬ王太子が、珍しく声を震わせ、王への想いを吐露した。ずっと側で仕えているが、王太子のあんな顔は初めて見た。


 大切に想っている人から、自分は無価値であると思い知らされるのは、どれほど辛いことだろう。その心の痛みは、いかばかりか。

 王太子や、おそらくはその弟であるジグモンドも、父の愛を得られず、苦しんでいたのだろう。


 その苦しみに、自分は気づいてやれなかった。

 おそらく自分は恵まれすぎていたのだ、とアドリアンは思った。

 自分を気づかい、愛してくれる存在がいる。

 それは、当たり前のことではない。奇跡のようなことなのだろう。


 アドリアンは離宮の西翼に視線を向けた。ここに、幽閉されたジグモンドの母親がいる。


 ジグモンドの母親の心は、壊れてしまった。

 だが王太子や……、ジグモンドは違う。

 いつか二人にも、心から愛しく大切に想える存在が現れるように。その存在が、二人の傷ついた心を、優しく癒してくれるように。

 そう、アドリアンは心から祈った。



 王国歴二百二十四年闇の月、第十三代国王ローランド・コバスはその玉座を追われ、離宮に軟禁される。同年同月、その王太子が第十四代国王として立ち、王としての宣布を国内外に向けて行った。

 後世の歴史家は、彼を賢王とも簒奪者とも呼ぶ。

 コバス王朝中興の祖と称えられる、第十四代国王レギウス・コバスの治政の始まりである。


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