2.ルドルフの爆弾
「急な申し出にもかかわらず、快く拝謁をお許しいただきましたこと、心よりお礼を申し上げます」
優雅にナーシルが一礼し、それにならってエリカも頭を下げる。
離宮の奥まった一室に、王太子とその護衛騎士のレオン、アドリアン、そしてエリカとナーシルが集まっていた。
離宮の庭園には、夏の終わりを惜しむように、淡い青色のセフィラの花々が咲き乱れていた。先王が愛でた離宮の庭園は、王国屈指の美しさを誇るが、今この場に集まった者たちは、この奥まった王太子の私室にこもり、その美しさを楽しむこともない。
「よい。……ナーシル、そなたは我が弟、そのようにかしこまる必要はない。エリカ夫人も」
王太子はにっこりとエリカに笑いかけた。
エリカは髪を簡単に一つに結い、服装もドレスではなく、騎士服を着用している。しかもそれがよく似合っていて、なんだかアドリアンはエリカを遠くに感じた。
その後ろに立つナーシルは、全身を鎖帷子で覆い、その上に黒っぽいサーコートを着ている。武器こそ持ってはいないが、まるで戦士のような出で立ちだ。
エリカは、臆する様子もなく口を開いた。
「寛大な仰せに感謝いたします、殿下。……それでは早速ですが、ルドルフ・ルカーチおよびケナのサクシデラ氏族の長より預かりました伝言を、殿下にお伝えいたします」
エリカの言葉に、アドリアンはのけぞった。
サクシデラ。それはケナの地で、かつて叛乱を起こした将軍の氏族ではないか。
「エリ……」
「聞こう」
思わず声を上げかけたアドリアンを制するように、王太子がエリカに言った。
「サクシデラ。懐かしい名だ。彼らは今?」
「亡くなられた将軍の弟君を新たな長に据え、ケナより少し北の山間の村、ケナ・イクシに仮寓しております」
エリカがつらっと述べた内容に、アドリアンは思わずむせた。
あのケナの叛乱に対する、王国の……というより王の処罰は苛烈なものだった。急進派であるエンドルヴァ公爵の進言を受け、叛乱の中心にいたサクシデラ氏族の男はすべて処刑、女子供はケナからの追放を命じられた。
だがエリカによれば、よりにもよってあの将軍の弟が生きて、しかも氏族の長におさまっていると言う。これはよくよく考えなくとも、王国への反逆罪にあたるのでは……。
「……将軍の弟君は、当時十一歳。女子供は処刑ではなく、ケナからの追放を命じられたため、未成年であった弟君も、一族の生き残りとともにケナ・イクシに逃れたのです」
なるほど、そういう抜け道を使ったか、とアドリアンは思った。
しかし、たしかに女子供は処刑を免れたが、十一歳は微妙な年齢だ。しかもあの将軍の弟と知れれば、未成年であろうがなかろうが、有無を言わさず処刑されていたに違いない。恐らく王国内で、誰か逃亡の手助けをした人物がいるのだろう。
……そこまで考えたところで、アドリアンはイヤな予感を覚え、エリカを見た。
まさか。
「将軍の弟君をはじめ、サクシデラの生き残りをケナ・イクシへと逃したのは、当時のルカーチ伯爵家当主、ルドルフ・ルカーチにございます」
父上―‼ とアドリアンは心の中で絶叫した。
あの策士が、いくら引退したとはいえ、領地で大人しくしているとは思わなかった。思わなかったが、しかし、こんな爆弾をいきなりブッ込んでくるなんて、あんまりではないか。
「そしてこれは、ルドルフ・ルカーチの一存で行ったことであり、現当主アドリアン・ルカーチには一切関わりなきものであること、あわせて申し上げさせていただきます」
エリカの言葉に、アドリアンは唇を噛みしめた。
つまり、もしこのことで責を問われるとしても、それは引退した前当主ルドルフであり、現当主であるアドリアンではない、と。だから父上は、引退してからこの爆弾を投げてきたのか。
やってくれる。
アドリアンはため息をついた。
王太子の表情は穏やかなままだが、内心、激怒していてもおかしくはない。父ルドルフの所業は、現王へ泥を投げつけたに等しい行為だ。
「そうか。ルドルフ殿が」
王太子は物憂げに顎に手を当て、言った。
「それで、ルドルフ殿とサクシデラの長は、なんと?」
「はっ! サクシデラの長は、ケナ・イクシからケナへ、一族の帰還および定住を求めております。もしそれが叶えば、王家へ恭順を誓うと」
「ほう」
王太子は首を傾げた。
「ケナの地への帰還と、定住を認めるだけでよいのか? それだけで、王家に服従することを誓うと?」
「いいえ、もう一つ条件が」
感情を抑えた声でエリカが言う。
アドリアンは、必死でケナ関連、特にサクシデラの一族についての情報を思い出していた。
ケナの民、中でもサクシデラの一族は、誇り高く獰猛だった。
王家を蔑み、彼らに屈服するくらいなら死を選ぶ、と捕虜になった兵士のほとんどが自害したくらいだ。それが今さら、何故このような取引を……。
「サクシデラの長は、ケナを治める領主として、レオン・バルタ様を指名しております」
んぐっとアドリアンは声を上げかけ、むせた。
グホガホと咳き込むアドリアンに、レオンは心配そうに声をかけた。
「アド、大丈夫か?」
アドリアンは涙目でうつむいた。
神様ひどくないですか。
私はついこの間もレオンのために、深夜までクレーム対応がんばったのに。
父上もひどい。ナーシル殿の対応を丸投げして悪かったかな、とかちょっと思った自分がバカだった。あんな極悪非道な父上なんて、一日中ナーシル殿からのろけ話を聞かされて、全身に蕁麻疹を発生させてればいいんだ。
……そう三秒ほど心の中でわめき、現実逃避してから、アドリアンは呼吸を整え、顔を上げた。
「殿下、いかがなさいますか」
「その申し出を受けよう」
王太子は少しも迷うことなく言った。
「それでケナの地から紛争の種が消えるなら、こちらから頭を下げて願い出なければならぬ事だ。……ルドルフ殿の尽力に感謝すると伝えてほしい」
「ははっ!」
エリカはかしこまって一礼した。
「殿下のご英断に感謝いたします。……が、サクシデラの長は、一族の者を説得するために、確約を欲しております。王太子殿下のお言葉だけでは、サクシデラの一族は納得いたしませんでしょう」
「エリカ! 不敬だぞ!」
たまらずアドリアンは声を上げたが、
「よい、アドリアン。……その言葉はもっともだ。我が王家は幾度もサクシデラを欺き、約定を踏みにじって彼らを殺戮した。今さら口約束一つで王家を信じろと言っても無理だろう」
王太子はエリカとナーシルをじっと見つめた。
「したが、そもそもなぜ、レオン・バルタを? 彼はかつて、サクシデラの長、叛乱を起こした将軍を殺した張本人だ。なぜ彼を、ケナを治める領主にと指名してきたのだ?」
たしかに、とアドリアンは王太子の後ろに立つレオンを見た。
ケナの地から撤退するため、レオンは単身、敵軍の野営地に忍び込み、将軍を暗殺した。現在のサクシデラの長の、兄君を手にかけたのだ。憎まれこそすれ、領主にと指名される理由がわからない。
するとナーシルがエリカの後ろから進み出て、王太子の前に膝をついた。
「それについては、私からご説明を。……私はかつて、ケナの地でレオン・バルタ様が将軍を暗殺された際、敵軍の野営地までご一緒いたしました。……レオン様は、見事将軍を討ち果たされた後、その首ではなく、指輪を証として持ち帰られました」
それは自分も知っている、とアドリアンは思った。
王国では首級を証とすることが多いが、指輪や剣などを持ち帰るケースもある。だからレオンが指輪を持ち帰ったことに、何の疑問も持たなかったのだが。
「後にレオン様は、その理由をこう語られました。『ケナの地では、死者の体が欠けていると、常世に行けぬと信じられている。だから指輪を持ち帰った』と」
ナーシルの言葉に、王太子がレオンを振り返った。
「そうなのかい? ケナには、そのような信仰があるのか?」
「はっ! 自分も土地の者から聞いた話で、詳細はわかりませぬ! ただ、たしかに彼らは、死者の体が欠けたままでは、葬儀をせぬ様子でした!」
「……生き残ったケナの民が、レオン様のそのお言葉を伝え聞き、胸を打たれたと申しておりました。王国にも、心ある者がいたのだと。ケナの民の風習を尊重し、それを守ろうとしてくれる者になら、喜んで恭順の意を示すと。また、サクシデラの一族は、何よりも武勇を尊びますゆえ」
ああ、そういうこと、とアドリアンは納得した。
自分にも覚えがある。
紛争の後始末をしに地方へ赴く際、レオンを連れてゆくと、それだけで交渉がラクになるのだ。
いやあこっちも悪かったけど、ほらほら三年間税率を下げるし、この辺りで手打ちにしましょうよ、と一生懸命言葉を尽くして説明した後、満を持してレオンが登場、「すまんがよろしく頼む」と頭を下げる。
すると相手は「えっ、あの英雄がわざわざ……、えっ、あの英雄が俺らに頭を下げてる……」と態度を軟化させ、事が丸く収まるのだ。
しかし、レオンは困った表情で言った。
「それは、俺に領主になれということか? 申し訳ないが、俺に領主は無理だと思うのだが……」
「待てレオン! そういう事なら、いくらでも手はある、早まるな!」
アドリアンが慌てて口を挟んだ。
「殿下、こうしてはいかがでしょう。名目上、ケナの領主としてレオンを指名し、実際の統治はその地に詳しい別の者に行わせるのです。ケナの内情に詳しく、サクシデラと繋がりがあり、中央から一定の距離を保っている者……、例えば、その……」
「そうだな。ルドルフ・ルカーチ殿とか」
口ごもるアドリアンに、王太子が助け舟を出した。
アドリアンはうつむいた。言いながら、まさに父親の術中にはまっているのを感じ、業腹だったのだ。しかし、王太子はそれらすべてを飲み込み、受け入れてくれた。ありがたいが情けない。
王太子は続けて言った。
「サクシデラの長には、こう伝えてくれ。レオン・バルタをケナの領主に任ずる件は了承した、と。後でレオンとの対面の場も設けよう。……ただし実際の業務は、ルドルフ・ルカーチ殿に任せる、と。もちろんこれについて、サクシデラ側から異論があれば受け付けよう。また、サクシデラの一族から王家へ恭順を誓ってもらうのは、レオンの領主指名とルドルフ殿による代官統治が始まってからでかまわぬ、とも」
「殿下の寛大なるお申し出に感謝いたします」
ナーシルがその美しい銀髪をさらりと揺らし、頭を下げた。
「……しかし、いくら名目上とはいえ、レオンをケナの領主に任ずるとなれば、またひと悶着おきそうですが」
アドリアンはゲッソリした表情で言った。
王太子の護衛騎士になっただけで、あの騒ぎだったのだ。
それが今度は、因縁のケナの地を与えられたとなれば、エンドルヴァ公爵あたりからまた、どんな文句を言われることか。いや、文句だけならまだいい。
このところ、急進派は不満をつのらせている。何か一つきっかけがあれば、彼らは爆発し、穏健派である自分たちに襲いかかってくるだろう。
「そうだね。……もう、猶予はないということか」
王太子はため息をつき、言った。
「これ以上は、もう待てぬ。アドリアン、私は王になろうと思う」




