5.黄金の薔薇
「さあ、すべて説明してもらおうかレオン。あの後、私がどれだけ面倒を押し付けられたと」
後日アドリアンは、王太子の前でレオンに詰め寄っていた。
「アドリアン、落ち着いて」
王太子殿下はにこにこしながらアドリアンの肩を叩いた。
「ほら、君をねぎらうために、ローザが薔薇のお茶を用意してくれたんだよ。一緒に楽しもう。薔薇はもう散ってしまったけど、その名残を茶で味わうのもまた良いものだよ」
「……もったいないお申し出にございます」
アドリアンは仏頂面ながら、王太子にうながされるまま、大人しく王宮の中庭にある四阿の椅子に腰を下ろした。素早く隣にレオンが座る。
「……レオ、その後、婚約者殿とは順調かな?」
「はい、殿下!」
レオンは元気よく答えた。
「殿下にもご心配をおかけいたしました!」
「まったくだよ」
ふふ、と王太子は笑って言った。
「結局、ゲルトルード嬢の誤解は解けたのかい?」
「よくわかりません!」
即答するレオンに、アドリアンがくわっと目をむいた。
「きさま! わからんだと!」
「落ち着いてアドリアン。……でも、交際は順調なんだろう? つまり、ゲルトルード嬢はレオと結婚したいと思ってくれているんだよね? そうだよね?」
若干不安をにじませた王太子に、レオンは頷いて言った。
「はい、その認識で間違っておりません!」
それを聞いて、王太子とアドリアンはほっと息をついた。
「まあ、そういうことなら……。いや、これからまたこんな騒動が起こっては困る。あの後、どうなったのだ? 詳しく話せ」
「うむ」
アドリアンの言葉に、レオンは頷き、話しだした。
賊を倒した後、泣きじゃくるゲルトルードにレオンは困り果てていた。
自分もアドリアンと一緒に賊を捕縛しようとしたが、アドリアンに止められてしまった。
つまり、この状況をなんとかしろということなのだろう。しかし、どうしたら良いものか、さっぱりわからない。
ただ、泣いている女性は見ているだけで悲しくなる。レオンはゲルトルードの背を撫で、やさしく言った。
「泣かないでくれ、ルウ殿。俺のした事で何か気に障ったのなら謝罪する。申し訳なかった」
「レオンさま……」
ゲルトルードは涙に濡れた瞳でレオンを見つめた。それはひどく悲しげで、レオンの胸を引き絞った。
「頼むから泣かないでくれ。ルウ殿が泣くと、胸が痛くなるのだ」
「……ルウ……」
不思議そうにくりかえすゲルトルードに、そうだった、とレオンは思い当たった。
「すまない、まだあなたの許しを得ていなかった。あなたを、ルウと呼ばせていただきたいのだ。婚約者として、ルウと、親しく呼びたい。……ダメだろうか?」
言いながら、ダメだろうなとレオンは思っていた。
ローザ王女の計画では、彼女は喜んで微笑みながらレオンの言葉に頷くはずだったが、現実には彼女を怖がらせ、泣かせてしまった上、許しも得ないうちに愛称で呼ぶという無礼を働いてしまった。
この美しい瞳を見るのも最後なのか、と思いながら、レオンはゲルトルードの頬に流れる涙をそっと拭った。
「レオンさま……」
だからレオンは、自分の手にゲルトルードが手を重ね、そっと頬をすり寄せた時、大変驚いたのだった。
「喜んで、レオン様。……わたくしのような者でよろしければ、今でも愛想を尽かされていないのでしたら、喜んで……」
レオンはじっとゲルトルードを見た。いま、ゲルトルードは自分を許してくれたのか、婚約者としての自分を受け入れてくれたのか、まだ確信が持てなかったのだ。
「ルウ殿」
「……はい」
「俺の妻になってほしい」
レオンは簡潔に告げた。
きゃあ、とローザ王女の悲鳴が聞こえた気がしたが、レオンもゲルトルードも互いだけを見つめていた。
「……わたくしでよろしいのですか?」
どこか悲しそうなゲルトルードに、レオンは急いで頷いた。
「もちろんだ。あなたがいい。あなたでなければ駄目だ。……俺は無骨で、あなたを楽しませるような事は言えぬ。なんの取柄もない、平凡な男だ。だが一生、あなたを守り、愛すると誓う」
その言葉に、ゲルトルードの瞳から涙がこぼれた。
レオンはゲルトルードの頬に手をあて、必死になって言った。
「すまない、本当に申し訳ない。……俺には至らぬところが山ほどある。言ってくれ、ルウ殿。できる限り直す。あなたの気に障らぬよう、努力することを約束する」
だが、名前を覚えろと言われたら、土下座して謝るしかない。
レオンが困り果てていると、ゲルトルードはレオンを見上げ、微笑んだ。
「……喜んで、レオン様。わたくしも……、わたくしも、あなたでなければ嫌です」
ゲルトルードはそっと腕を回し、レオンを抱きしめた。レオンはしばらく固まっていたが、ローザ王女の咳払いで、ようやく我に返った。
レオンはゲルトルードを見下ろすと、その涙の流れる頬と唇に、優しく口づけたのだった。
「……ええっ!? 口づけ! 口づけしたのかおまえ! ちょっと早すぎじゃないか!? そういうことはもう少し時間をかけて」
「アドリアン、そこはいいから。……そうか、しかし良かった。やはりゲルトルード嬢は、おまえを好いていたのだな」
王太子の満足気な表情に、レオンは首を傾げた。
「恐れながらお伺いいたします! 王太子殿下におかれましては、なぜルウ殿の気持ちがお分かりになるのですか?」
「うん、まあ……、だってゲルトルード嬢は、レオがアドリアンの妹を好きかもしれないと思って、身を引こうとしたんだろう? 金目当ての縁談を持ち掛けた自分のほうが悪い、と言って。レオを好きでなければ、そんなことはしないだろう。彼女は、お金より何より、レオの幸せを望んだんだよ。愛されてるねえ、レオ」
ハハハ、と笑う王太子に、レオンも笑顔になった。
「はっ! 自分もそのように思います!」
「きさま、ぬけぬけと……」
アドリアンはレオンを睨んだが、気持ちを落ち着かせるようにお茶を飲み、言った。
「……まあ、何にせよ、これで問題は解決いたしました。あとは……」
「あとは、あの細剣について、かな」
王太子は思案げに顎に手を当てて言った。
「細剣は……」
「おお、そうだ! あの細剣、あれは本当に俺が貰ってもよいのか?」
レオンが目を輝かせてアドリアンを見た。アドリアンは苦虫を噛み潰したような表情で頷いた。
「……父に話したところ、そういうことならばレオンが持っているのがよかろう、と」
「ほう、ルカーチ伯がそのように」
王太子は驚いたようにアドリアンを見た。
「レオはずいぶんルカーチ伯に気に入られているのだな」
「……どうでしょう、父の腹は読めません」
苦々しい表情のアドリアンに、王太子は小さく笑った。
「ではもう一つ、あの謎の光については?」
「再度、神殿にて鑑定をいたしましたが、やはり何の術もかけられてはいないと。……ただ、父の話なのですが」
アドリアンは慎重な口ぶりで続けた。
「その……、あの剣は、建国神話の勇者が所有していた、という謂れがあるらしいのです」
王太子は首を傾げた。
「勇者が? しかし勇者は長剣を好んで使っていたと聞くが」
「ええ、あの剣を購入した先祖も、勇者うんぬんは話半分に受け取っていたそうです。由来はともかく、あの剣の美しさ故に購入するに至ったと」
「……勇者ねえ……」
王太子はレオンをちらりと見たが、軽く頭を振り、言った。
「まあいい、何にせよ今回、誰も怪我することなく賊を捕えることができた。それはあの細剣に負うところが大きい。また、それを使いこなしたレオンの技量だな。それを考えれば、あの剣をレオンが所有することは理にかなっている。ルカーチ伯の厚意だ、ありがたく受け取るがいい、レオ」
「はっ!」
王太子は顎に指をあて、考え込むようにして続けた。
「あの場にいた者すべてに、余計な事は言わぬよう、緘口令を敷いた。……まあ、そうは言っても、今頃あの茶会であったことなど、すべて知られていようがな。賊はレオンの言う通り、セファリアの手の者だった。内乱鎮圧後の苛烈な統治が原因で、王家は恨みを買っている。城内に手引きをした者がいるはずだが、父上も己の失政が原因であることをご承知だからな、何も知らぬふりをしておられる。誰も余計な火の粉はかぶりたくないだろうし、この件に関して、深く調べようとはする者はおるまい。……表面上はな」
ため息をついた後、王太子はレオンを見て言った。
「……そしてあと一つ、これで問題は最後だ。……レオ、おまえは何故、あの賊がセファリアの者だと気づいたんだい?」
それは自分も気になる、とアドリアンはレオンを見た。
レオンは時たま、ぎょっとするほどのカンの良さを発揮することがあるが、あの賊には南方の訛りはまったくなかった。長剣を装備するという失敗さえおかさなければ、正直、ローザ王女を守りきれたかどうかわからない。
レオンは淡々と答えた。
「あの者の構えは、左肩が少し、下がっていました。手を後ろに回す癖があるのでしょう。セファリアには、右手に長剣、左手には後ろに隠したダガーを持って戦う部族がいます。何より……、うまく言えないのですが、あの者のまとう殺気……、でしょうか」
「殺気」
王太子がおうむ返しにつぶやいた。
それに頷き、レオンが続けた。
「ええ、かつてセファリアで戦った時、感じた気配と一緒でした。あれは中々、手ごわい敵で……、今でも懐かしく思い出します」
「懐かしい、ね」
王太子は小さく笑ったが、アドリアンは表情を曇らせた。
「懐かしいとか、よせよ……」
アドリアンは力なくつぶやいた。
「セファリアの戦いは、私にとっては悪夢だった。ケナもそうだが、二度とあんな戦いはしたくない」
「……そうだな、すまない」
素直に謝るレオンに、アドリアンはため息をついて言った。
「いいさ、生きて戻れたのだから。……おまえはこれから、ゲルトルード嬢という、守るべき存在ができたのだ。今までのように命を粗末にするような戦い方は、もうするなよ。……ていうか、今回のあれはなんだ! 私たちが防御魔法を打とうとしているのに、無視して賊に突っ込んでいくなど! おまえは魔力がないんだぞ、もう少し慎重になれ!」
「すまない」
レオンは再度、謝ったが、少し首を傾げた。
「……どうしたんだい、レオ」
「いえ……、ただ、思い出したのです」
レオンは、もう花の散ってしまった生垣を見つめながら、ぼんやりと言った。
「あの時、何故かあの敵の魔法を退けられると思ったのです。確信していました。自分があの炎に傷つけられることはない、と。……何故かはわからぬのですが……」
「おまえは無鉄砲なんだ!」
アドリアンは怒ったように言った。
まったくおまえはいつもいつも、とブツブツ言うアドリアンに王太子が笑い、レオンもにこにこしながら再度、アドリアンに謝った。
その場は和やかに終わったが、アドリアンは重い足取りで屋敷に戻った。
気づかなければよかったことに、気づいてしまったからだ。
「父上、少しよろしいでしょうか」
憂鬱そうな表情で居室を訪れたアドリアンを、ルドルフ・ルカーチはニヤニヤしながら迎え入れた。
「どうした。レオン殿は細剣を喜ばなかったのか?」
「……いえ。たいそう喜び、礼をしたいと申しておりました」
アドリアンの渋い表情に、ルドルフはさらに笑みを深くした。
「レオン・バルタ殿は礼儀正しいお方だな」
「……ええ」
「どうした、アドリアン。何が気に食わない?」
アドリアンは唇を噛みしめ、父親を見上げた。
ルドルフは表情を変えず、にこやかだが瞳の奥に冷えた光をたたえ、アドリアンを見つめ返した。
「……父上は、レオンをエリカの夫にと考えておられたのですか?」
吐き出すように言われた言葉に、ルドルフは片眉を上げた。
「藪から棒になんだ。誰かに何か言われたのか?」
「誰も。誰も何も言いません。しかし、何故かゲルトルード嬢も……、ローザ殿下でさえ、レオンはエリカを想っていると、そう誤解していました。考えてみれば当たり前です。この屋敷を何度も訪れ、エリカと親しく言葉を交わした貴族の男など、レオンしかいないのですから」
「おまえの親友だからな、そういう機会もあろう」
「いいえ、父上がそう仕向けたからです!」
アドリアンは激しく言った。
「宮廷の知り合いや、騎士団の他の友人も、何回かこの屋敷を訪れました。が、その場合、何故かいつもエリカは屋敷にはいない。いても、注意深く来客からは遠ざけられ、誰もエリカには会えなかった。……学園には、エリカを側室にと公言するジグモンド殿下がいました。そして学園を離れても、父上の命令で、誰もエリカに近づけなかった……、レオン以外は」
「今さらだ。ナーシル殿下が現れる前の話だ」
「ではやはり」
目を吊り上げるアドリアンを、ルドルフは平然と見返した。
「何を怒っている。おまえは、レオン殿が妹に釣り合わぬ男だと思っているのか?」
「そうではありません、お分かりでしょう!」
アドリアンはほとんど怒鳴るように言った。
「父上がベレーニ家と何事か謀っているのは存じております。ベレーニ家は王国の金を握っている。そしてレオン、彼は兵士に慕われています。彼は王国の英雄だ。彼が身内となれば、自動的に兵の大半を手に入れたも同じ。金と兵を手にして、何をなさろうと言うのです」
「声を抑えろ。まったくおまえは……」
ルドルフは顔をしかめ、ため息をついた。
「……わたしが何を考えていたにせよ、エリカにそのつもりはないようだ。あれは学園を卒業後、ナーシル殿下とともに冒険者になると言いおったからな」
ふん、と鼻を鳴らすルドルフを、アドリアンはうさん臭そうに見やった。
「たしかにエリカは、以前からそう言っていましたが。……それで父上は納得されたのですか」
「納得も何もない。ナーシル殿下に望まぬ役割を強要すれば、エリカはわたしの敵となると、はっきりそう言いおった」
「……まさか」
「だからおまえは甘いと言うのだ」
ルドルフは小さく息をついた。
「エリカの優先順位ははっきりしているぞ。あれには迷いがない。その気になれば、本気でわたしを殺しにかかるだろう」
アドリアンはぞっとして体を震わせた。
「そんな」
「安心しろ、エリカはおまえの敵にはならん。おまえがおまえである限りはな」
ふふ、とどこか楽しげに笑うルドルフを、アドリアンは顔をしかめて見つめた。
「どうした?」
「いえ。なぜ父上は楽しそうなのかと思いまして」
「……そうだな。ここのところ、退屈していたのかもしれん。予想外の出来事が続き、楽しめたようだ」
まるで他人事のように言い、ルドルフはアドリアンを見た。
「わたしは悪くない人生を生きた。野望は叶わなかったが、ルカーチ家を問題なくおまえに継がせることができる。……何よりわたしは、アナベルを得ることができた。それだけで、すべてが報われたと思っている」
本当にこの人、母上大好きだなあと思いながら、アドリアンは父親を見返した。
「おまえもエリカも、ただ一人と思い定めた伴侶を得ることができたようだしな。……レオン殿もそうだ。わたしは、他の問題はともかく、人の恋路に首を突っ込むつもりはない。安心しろ」
「はあ……」
まったく安心できないが、とりあえず、血を吐く思いでまとめたレオンの婚約を、ブチ壊される心配だけはしなくて済むようだ。
アドリアンはほっと息を吐き、父の居室を後にしたのだった。
レオンは幸せだった。
美しい婚約者を愛し愛され、手元には面白い細剣がある。
明日はこの剣で思い切り鍛錬をしよう。そう思ったレオンは、楽しみすぎて細剣を抱きしめたまま、眠りについた。
そのせいだろうか。普段は夢も見ず深い眠りにおちるのだが、その夜、レオンは不思議な夢を見た。
夢にはアドがいた。アドの妹や、銀色の神官、それにルウ殿も。
しかし、四人ともどこかそれぞれに違っている。だが、アドはアドであり、ルウ殿もルウ殿だ。細かいことは気にしないレオンは、夢の中でのんびりとくつろぎ、王宮の芝生の上でまどろんでいた。
「レオナルド、いくら何でも王宮の中庭で寝転ぶのはまずい。起きろ、早く」
アドに頭をかるく叩かれ、レオンは上体を起こした。アドの妹がくすくす笑いながらレオンに手を差し出した。
「レオ、起きて! ルシアナがお茶をいれてくれたの、一緒に飲もう!」
「ああ、わかった」
レオンはしげしげと自分に手を差し出す女性を見た。アドの妹だ。変わらず美しいが、少し日焼けしてそばかすが頬に散っている。
「リリ……」
無意識に彼女の名前を呼んでいた。
「なに、レオ?」
笑いかける彼女を見て、レオンは確信した。そう、彼女はリリだ。ともに戦った仲間であり、今は自分の婚約者でもある。……婚約者?
レオンは首をひねった。
「レオナルド、どうした? 何か変だぞ、おまえ」
心配そうな表情でアドが覗き込んでくる。……いや、アドではない。彼はエドだ。優しく聡明な賢者。かけがえのない仲間。
「いや、何でもない」
レオンは首をふり、もう一度周囲を見回した。
見覚えのある場所だ。ここは王宮の中庭。しかし、向こうには大理石の噴水があったはずだが、いつの間にかなくなっているようだ。
レオンは隣に立つリリを見た。
「リリ……」
「なに?」
屈託なく笑いかける彼女を、レオンはじっと見て言った。
「俺は、あなたと婚約したのだろうか?」
レオンの問いに、リリではなくエドが激烈な反応を示した。
「おまえな! あれだけ大騒ぎしてリリーナと婚約しておきながら、もう忘れたのか? ウソだろ、え? 正気かおまえ、正気なのか!」
がくがくと肩を揺さぶられ、レオンは反射的に謝っていた。
「すまない、少し混乱しているようだ」
隣のリリが、ぷっと吹き出した。
「レオらしいわ。婚約を忘れるなんて」
「笑いごとじゃない!」
エドが怒って言ったが、リリは気にしていないようだ。
「まあ、わたし達、余り者同士がくっついたみたいなもんだし。わたしは感謝してるわ。レオが婚約を承知してくれなかったら、隣国のあの猟奇殺人王子と結婚するはめになってたわけだし」
ぶるっと体を震わせるリリを、レオンは気の毒に思った。リリの腕を引き、その体を抱きしめる。
「大丈夫だ、リリは誰にも渡さない。俺が必ず守る」
「ありがと、レオ!」
ちゅっと頬に口づけられ、レオンは笑った。自分も彼女に口づけると、弾けるような笑い声が上がる。
幸せだ、とレオンは思った。
「……おまえら、いい加減にしろよ……。ここ王宮なんだからな……。なんだよ婚約を忘れてたくせに。何なんだよおまえら……」
ぶつぶつ言うエドの後ろで、美しい銀色の神官も、悲しそうな表情をしている。
「そ、そうです、レオナルド様。リリーナ様のような、美しく強く優しい、女神のような方を婚約者にされたのに、それを忘れるなんて……、そんな、そんなひどい……、あんまりです」
遠慮がちだが、恨みのこもった口調で言われ、レオンは頭を下げた。
「本当に申し訳ない、ナンシー殿」
「ナンシーじゃないわよ、ナー・タンだってば」
「……よいのです、リリーナ様」
銀色の神官は、熱っぽい眼差しをリリに向けて言った。
「私のことなど、どうぞ気になさらないでください。私は、あなたが幸せならそれでよいのですから……」
どこか悲しげな神官に、レオンは首をかしげたが、
「どうぞ、皆さま。お茶がはいりましたわ」
控え目に声をかけられ、レオンとリリは振り返った。
「ありがとう、ルシアナ!」
リリが嬉しそうに中庭におかれたテーブルに走ってゆく。レオンもその後に続いた。
「ルシアナのいれるお茶は、いつもおいしいわ!」
「ありがとうございます、リリーナ様。光栄です」
微笑む侍女を、レオンはじっと見つめた。
「……ルウ殿?」
「え? ……あ、わたくしのことでしょうか?」
ルウが戸惑ったような表情でレオンを見た。
「今日はルウなんだ」
リリがくすくす笑いながら侍女を見た。
「本当にごめんね、ルシアナ。レオは、名前を覚えるのが苦手なの」
「いいえ、そんな、とんでもない」
侍女は頬を赤く染め、うつむいた。
「わたくしのような、つまらぬ者をご記憶でなくとも、何の問題もございません。……レオナルド様は、王を助け、その命を救った英雄でいらっしゃるのですもの」
「いや、それは事実ではない」
レオンは言いながら、前にも同じことを言ったような気がする、と思っていた。
「俺は皆に助けられ、何とか生き延びることができた。王を助けたのではない、ともに切り抜けたのだ」
「……レオナルド様は、本当に謙虚でご立派なお方ですわ」
侍女がつぶやくように言った。その瞳はきらきらと輝き、煙水晶のようだった。
そうだね、レオは謙虚だよね、とリリが頷きながらお茶を飲んでいる。レオンもリリの隣に座り、一緒にお茶を飲んだ。エドと銀色の神官もそこに加わった。
すると回廊を渡り、王の妹が現れた。
「これは、ロザムンド様」
エドが慌てて立ち上がり、王女に頭を下げた。
「わざわざ足をお運びいただくとは。お申し付けいただければ、こちらからお伺いいたしましたのに」
「いいのよ、今日はレオナルドとリリーナに婚約のお祝いを渡しに来ただけだから」
王女は気さくに笑い、後ろに控えていた騎士に頷きかけた。
「レオナルド、これを」
「はっ!」
レオンは王女の前にひざまずき、差し出された細剣を受け取った。
「あの……、ロザムンド様」
エドが遠慮がちに言った。
「レオナルドは長剣を使うのですが……」
「それはわかっています」
王女が落ち着きはらって言った。
「しかし、結婚式で長剣は駄目です。必ず! 細剣を装備するのです、わかりましたわねレオナルド!」
王女の妙な迫力に押され、レオンは素直に頷いた。エドは首を傾げて言った。
「……なぜ長剣では駄目なのですか?」
「まあエドアール、あなたともあろう者が、そんな事もわかりませんの? 物語の騎士様は、いつだって細剣を佩いているじゃありませんか。結婚式で殿方が長剣を佩いているなんて絶対に駄目! 細剣よ、何があっても細剣でなければ!」
「そ、そういうものなのですか……」
二人のやり取りを聞きながら、レオンは手にした細剣をじっと見つめた。
柄頭に緑柱石が嵌め込まれた贅沢な作りのその細剣は、不思議なほどぴたりと手に合った。柄と一体になった優美な曲線を描く鍔が、まるで薔薇のようだ。
「その剣はね、レオナルド、妖精が祝福したものなの!」
王女が高らかに告げた。
「お兄様がどっかの商人に売りつけられ……、いえ、気に入って購入したものなのだけど、その剣は妖精に祝福されている、という御託を商人は言ったらしいわ」
まあそれは置いておいても、たしかに綺麗な剣よね、と王女は言った。
「妖精、ですか?」
レオンは剣を鞘からすらりと抜いた。
「そうよ、その商人曰く『ふさわしい者が手にすれば、その剣は黄金の薔薇を咲かせる』 と……」
言いかけて、王女は口をつぐんだ。
レオンが抜いた細剣が、まばゆい黄金の光を放ったからだ。
「……え……」
「うわ、レオ、ちょっと眩しいんだけど」
「そうか、すまん」
リリの言葉に、レオンは素直に剣を鞘に収めた。それと同時に黄金の光も消え、王宮の中庭は静寂に包まれた。
「……ロザムンド殿下、この剣は……」
「し、知らないわよ! レオの結婚祝いになに贈る? って話になって、あの剣使わないからあげたら? ってお兄様が言いだして……、いちおう神殿でもみてもらったけど、別に何の術もかかってなかったわよ、本当に!」
慌てたように言い訳する王女をよそに、レオンは満足げに細剣を見た。
「うむ、これはよい剣だ。……ありがとうございます殿下! 大切にいたします!」
「え。……いいの? レオナルド」
「いやレオナルド、これ、おかしいぞ。もう一度神殿でよく鑑定してもらったほうが……」
王女とエドが何か言っているが、レオンはもう聞いていなかった。
この細剣は、まるで手に吸いつくような感触で、とても面白い。まるで生きて意思を持っているようだ、とレオンは感心した。
「まあ、レオが気に入ったならいいんじゃない?」
「リリーナ! おまえ適当すぎるぞ!」
「あのリリーナ様、よろしければ私がもう一度鑑定いたしますが……」
大好きな仲間たちが何か騒いでいるが、レオンはあまり気にかけなかった。
彼らはとても良い人間だ。誠実で気高く強く、無条件で命を預けられる。自分を心配し、気にかけてくれる、優しい仲間だ。
俺は幸せ者だな、とレオンは微笑んだ。
何かに引き上げられるように意識が浮上し、レオンは目を開けた。まだ部屋は薄暗い。
レオンはふと、毛布の下を見た。腕に抱いた細剣がほのかに光っている。この光のせいで目が覚めたのだろうか。
何か夢を見ていたような気がするが、よく覚えていない。ただ、夢の中でもこの剣は自分とともにあった。それが嬉しく、レオンは微笑んだ。
「今日はおまえと一緒に鍛錬をしよう。楽しみだ」
レオンの言葉に応えるように、鞘からもれる光がさらに強くなった。
優美な曲線を描く鍔が輝き、まさしく黄金の薔薇のようであった。




