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【書籍化】第二王子の側室になりたくないと思っていたら、側室ではなく正室になってしまいました  作者: 倉本縞
番外編 レオンと黄金の薔薇

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5.黄金の薔薇


「さあ、すべて説明してもらおうかレオン。あの後、私がどれだけ面倒を押し付けられたと」

 後日アドリアンは、王太子の前でレオンに詰め寄っていた。


「アドリアン、落ち着いて」

 王太子殿下はにこにこしながらアドリアンの肩を叩いた。

「ほら、君をねぎらうために、ローザが薔薇のお茶を用意してくれたんだよ。一緒に楽しもう。薔薇はもう散ってしまったけど、その名残を茶で味わうのもまた良いものだよ」

「……もったいないお申し出にございます」

 アドリアンは仏頂面ながら、王太子にうながされるまま、大人しく王宮の中庭にある四阿の椅子に腰を下ろした。素早く隣にレオンが座る。


「……レオ、その後、婚約者殿とは順調かな?」

「はい、殿下!」

 レオンは元気よく答えた。

「殿下にもご心配をおかけいたしました!」

「まったくだよ」

 ふふ、と王太子は笑って言った。

「結局、ゲルトルード嬢の誤解は解けたのかい?」

「よくわかりません!」

 即答するレオンに、アドリアンがくわっと目をむいた。


「きさま! わからんだと!」

「落ち着いてアドリアン。……でも、交際は順調なんだろう? つまり、ゲルトルード嬢はレオと結婚したいと思ってくれているんだよね? そうだよね?」

 若干不安をにじませた王太子に、レオンは頷いて言った。

「はい、その認識で間違っておりません!」

 それを聞いて、王太子とアドリアンはほっと息をついた。


「まあ、そういうことなら……。いや、これからまたこんな騒動が起こっては困る。あの後、どうなったのだ? 詳しく話せ」

「うむ」

 アドリアンの言葉に、レオンは頷き、話しだした。


 賊を倒した後、泣きじゃくるゲルトルードにレオンは困り果てていた。

 自分もアドリアンと一緒に賊を捕縛しようとしたが、アドリアンに止められてしまった。

 つまり、この状況をなんとかしろということなのだろう。しかし、どうしたら良いものか、さっぱりわからない。

 ただ、泣いている女性は見ているだけで悲しくなる。レオンはゲルトルードの背を撫で、やさしく言った。

「泣かないでくれ、ルウ殿。俺のした事で何か気に障ったのなら謝罪する。申し訳なかった」

「レオンさま……」

 ゲルトルードは涙に濡れた瞳でレオンを見つめた。それはひどく悲しげで、レオンの胸を引き絞った。

「頼むから泣かないでくれ。ルウ殿が泣くと、胸が痛くなるのだ」

「……ルウ……」

 不思議そうにくりかえすゲルトルードに、そうだった、とレオンは思い当たった。


「すまない、まだあなたの許しを得ていなかった。あなたを、ルウと呼ばせていただきたいのだ。婚約者として、ルウと、親しく呼びたい。……ダメだろうか?」

 言いながら、ダメだろうなとレオンは思っていた。

 ローザ王女の計画では、彼女は喜んで微笑みながらレオンの言葉に頷くはずだったが、現実には彼女を怖がらせ、泣かせてしまった上、許しも得ないうちに愛称で呼ぶという無礼を働いてしまった。


 この美しい瞳を見るのも最後なのか、と思いながら、レオンはゲルトルードの頬に流れる涙をそっと拭った。

「レオンさま……」

 だからレオンは、自分の手にゲルトルードが手を重ね、そっと頬をすり寄せた時、大変驚いたのだった。


「喜んで、レオン様。……わたくしのような者でよろしければ、今でも愛想を尽かされていないのでしたら、喜んで……」

 レオンはじっとゲルトルードを見た。いま、ゲルトルードは自分を許してくれたのか、婚約者としての自分を受け入れてくれたのか、まだ確信が持てなかったのだ。


「ルウ殿」

「……はい」

「俺の妻になってほしい」

 レオンは簡潔に告げた。

 きゃあ、とローザ王女の悲鳴が聞こえた気がしたが、レオンもゲルトルードも互いだけを見つめていた。


「……わたくしでよろしいのですか?」

 どこか悲しそうなゲルトルードに、レオンは急いで頷いた。

「もちろんだ。あなたがいい。あなたでなければ駄目だ。……俺は無骨で、あなたを楽しませるような事は言えぬ。なんの取柄もない、平凡な男だ。だが一生、あなたを守り、愛すると誓う」

 その言葉に、ゲルトルードの瞳から涙がこぼれた。


 レオンはゲルトルードの頬に手をあて、必死になって言った。

「すまない、本当に申し訳ない。……俺には至らぬところが山ほどある。言ってくれ、ルウ殿。できる限り直す。あなたの気に障らぬよう、努力することを約束する」

 だが、名前を覚えろと言われたら、土下座して謝るしかない。

 レオンが困り果てていると、ゲルトルードはレオンを見上げ、微笑んだ。

「……喜んで、レオン様。わたくしも……、わたくしも、あなたでなければ嫌です」

 ゲルトルードはそっと腕を回し、レオンを抱きしめた。レオンはしばらく固まっていたが、ローザ王女の咳払いで、ようやく我に返った。

 レオンはゲルトルードを見下ろすと、その涙の流れる頬と唇に、優しく口づけたのだった。



「……ええっ!? 口づけ! 口づけしたのかおまえ! ちょっと早すぎじゃないか!? そういうことはもう少し時間をかけて」

「アドリアン、そこはいいから。……そうか、しかし良かった。やはりゲルトルード嬢は、おまえを好いていたのだな」

 王太子の満足気な表情に、レオンは首を傾げた。


「恐れながらお伺いいたします! 王太子殿下におかれましては、なぜルウ殿の気持ちがお分かりになるのですか?」

「うん、まあ……、だってゲルトルード嬢は、レオがアドリアンの妹を好きかもしれないと思って、身を引こうとしたんだろう? 金目当ての縁談を持ち掛けた自分のほうが悪い、と言って。レオを好きでなければ、そんなことはしないだろう。彼女は、お金より何より、レオの幸せを望んだんだよ。愛されてるねえ、レオ」

 ハハハ、と笑う王太子に、レオンも笑顔になった。


「はっ! 自分もそのように思います!」

「きさま、ぬけぬけと……」

 アドリアンはレオンを睨んだが、気持ちを落ち着かせるようにお茶を飲み、言った。

「……まあ、何にせよ、これで問題は解決いたしました。あとは……」

「あとは、あの細剣について、かな」

 王太子は思案げに顎に手を当てて言った。


「細剣は……」

「おお、そうだ! あの細剣、あれは本当に俺が貰ってもよいのか?」

 レオンが目を輝かせてアドリアンを見た。アドリアンは苦虫を噛み潰したような表情で頷いた。

「……父に話したところ、そういうことならばレオンが持っているのがよかろう、と」

「ほう、ルカーチ伯がそのように」

 王太子は驚いたようにアドリアンを見た。

「レオはずいぶんルカーチ伯に気に入られているのだな」

「……どうでしょう、父の腹は読めません」

 苦々しい表情のアドリアンに、王太子は小さく笑った。


「ではもう一つ、あの謎の光については?」

「再度、神殿にて鑑定をいたしましたが、やはり何の術もかけられてはいないと。……ただ、父の話なのですが」

 アドリアンは慎重な口ぶりで続けた。


「その……、あの剣は、建国神話の勇者が所有していた、という謂れがあるらしいのです」


 王太子は首を傾げた。

「勇者が? しかし勇者は長剣を好んで使っていたと聞くが」

「ええ、あの剣を購入した先祖も、勇者うんぬんは話半分に受け取っていたそうです。由来はともかく、あの剣の美しさ故に購入するに至ったと」

「……勇者ねえ……」

 王太子はレオンをちらりと見たが、軽く頭を振り、言った。


「まあいい、何にせよ今回、誰も怪我することなく賊を捕えることができた。それはあの細剣に負うところが大きい。また、それを使いこなしたレオンの技量だな。それを考えれば、あの剣をレオンが所有することは理にかなっている。ルカーチ伯の厚意だ、ありがたく受け取るがいい、レオ」

「はっ!」

 王太子は顎に指をあて、考え込むようにして続けた。


「あの場にいた者すべてに、余計な事は言わぬよう、緘口令を敷いた。……まあ、そうは言っても、今頃あの茶会であったことなど、すべて知られていようがな。賊はレオンの言う通り、セファリアの手の者だった。内乱鎮圧後の苛烈な統治が原因で、王家は恨みを買っている。城内に手引きをした者がいるはずだが、父上も己の失政が原因であることをご承知だからな、何も知らぬふりをしておられる。誰も余計な火の粉はかぶりたくないだろうし、この件に関して、深く調べようとはする者はおるまい。……表面上はな」

 ため息をついた後、王太子はレオンを見て言った。


「……そしてあと一つ、これで問題は最後だ。……レオ、おまえは何故、あの賊がセファリアの者だと気づいたんだい?」

 それは自分も気になる、とアドリアンはレオンを見た。

 レオンは時たま、ぎょっとするほどのカンの良さを発揮することがあるが、あの賊には南方の訛りはまったくなかった。長剣を装備するという失敗さえおかさなければ、正直、ローザ王女を守りきれたかどうかわからない。


 レオンは淡々と答えた。

「あの者の構えは、左肩が少し、下がっていました。手を後ろに回す癖があるのでしょう。セファリアには、右手に長剣、左手には後ろに隠したダガーを持って戦う部族がいます。何より……、うまく言えないのですが、あの者のまとう殺気……、でしょうか」

「殺気」

 王太子がおうむ返しにつぶやいた。

 それに頷き、レオンが続けた。


「ええ、かつてセファリアで戦った時、感じた気配と一緒でした。あれは中々、手ごわい敵で……、今でも懐かしく思い出します」

「懐かしい、ね」

 王太子は小さく笑ったが、アドリアンは表情を曇らせた。

「懐かしいとか、よせよ……」

 アドリアンは力なくつぶやいた。

「セファリアの戦いは、私にとっては悪夢だった。ケナもそうだが、二度とあんな戦いはしたくない」

「……そうだな、すまない」

 素直に謝るレオンに、アドリアンはため息をついて言った。


「いいさ、生きて戻れたのだから。……おまえはこれから、ゲルトルード嬢という、守るべき存在ができたのだ。今までのように命を粗末にするような戦い方は、もうするなよ。……ていうか、今回のあれはなんだ! 私たちが防御魔法を打とうとしているのに、無視して賊に突っ込んでいくなど! おまえは魔力がないんだぞ、もう少し慎重になれ!」

「すまない」

 レオンは再度、謝ったが、少し首を傾げた。


「……どうしたんだい、レオ」

「いえ……、ただ、思い出したのです」

 レオンは、もう花の散ってしまった生垣を見つめながら、ぼんやりと言った。

「あの時、何故かあの敵の魔法を退けられると思ったのです。確信していました。自分があの炎に傷つけられることはない、と。……何故かはわからぬのですが……」

「おまえは無鉄砲なんだ!」

 アドリアンは怒ったように言った。

 まったくおまえはいつもいつも、とブツブツ言うアドリアンに王太子が笑い、レオンもにこにこしながら再度、アドリアンに謝った。


 その場は和やかに終わったが、アドリアンは重い足取りで屋敷に戻った。

 気づかなければよかったことに、気づいてしまったからだ。


「父上、少しよろしいでしょうか」

 憂鬱そうな表情で居室を訪れたアドリアンを、ルドルフ・ルカーチはニヤニヤしながら迎え入れた。


「どうした。レオン殿は細剣を喜ばなかったのか?」

「……いえ。たいそう喜び、礼をしたいと申しておりました」

 アドリアンの渋い表情に、ルドルフはさらに笑みを深くした。

「レオン・バルタ殿は礼儀正しいお方だな」

「……ええ」

「どうした、アドリアン。何が気に食わない?」

 アドリアンは唇を噛みしめ、父親を見上げた。

 ルドルフは表情を変えず、にこやかだが瞳の奥に冷えた光をたたえ、アドリアンを見つめ返した。


「……父上は、レオンをエリカの夫にと考えておられたのですか?」

 吐き出すように言われた言葉に、ルドルフは片眉を上げた。

「藪から棒になんだ。誰かに何か言われたのか?」

「誰も。誰も何も言いません。しかし、何故かゲルトルード嬢も……、ローザ殿下でさえ、レオンはエリカを想っていると、そう誤解していました。考えてみれば当たり前です。この屋敷を何度も訪れ、エリカと親しく言葉を交わした貴族の男など、レオンしかいないのですから」

「おまえの親友だからな、そういう機会もあろう」

「いいえ、父上がそう仕向けたからです!」


 アドリアンは激しく言った。

「宮廷の知り合いや、騎士団の他の友人も、何回かこの屋敷を訪れました。が、その場合、何故かいつもエリカは屋敷にはいない。いても、注意深く来客からは遠ざけられ、誰もエリカには会えなかった。……学園には、エリカを側室にと公言するジグモンド殿下がいました。そして学園を離れても、父上の命令で、誰もエリカに近づけなかった……、レオン以外は」

「今さらだ。ナーシル殿下が現れる前の話だ」

「ではやはり」

 目を吊り上げるアドリアンを、ルドルフは平然と見返した。


「何を怒っている。おまえは、レオン殿が妹に釣り合わぬ男だと思っているのか?」

「そうではありません、お分かりでしょう!」

 アドリアンはほとんど怒鳴るように言った。

「父上がベレーニ家と何事か謀っているのは存じております。ベレーニ家は王国の金を握っている。そしてレオン、彼は兵士に慕われています。彼は王国の英雄だ。彼が身内となれば、自動的に兵の大半を手に入れたも同じ。金と兵を手にして、何をなさろうと言うのです」

「声を抑えろ。まったくおまえは……」

 ルドルフは顔をしかめ、ため息をついた。


「……わたしが何を考えていたにせよ、エリカにそのつもりはないようだ。あれは学園を卒業後、ナーシル殿下とともに冒険者になると言いおったからな」

 ふん、と鼻を鳴らすルドルフを、アドリアンはうさん臭そうに見やった。

「たしかにエリカは、以前からそう言っていましたが。……それで父上は納得されたのですか」

「納得も何もない。ナーシル殿下に望まぬ役割を強要すれば、エリカはわたしの敵となると、はっきりそう言いおった」

「……まさか」

「だからおまえは甘いと言うのだ」

 ルドルフは小さく息をついた。


「エリカの優先順位ははっきりしているぞ。あれには迷いがない。その気になれば、本気でわたしを殺しにかかるだろう」

 アドリアンはぞっとして体を震わせた。

「そんな」

「安心しろ、エリカはおまえの敵にはならん。おまえがおまえである限りはな」

 ふふ、とどこか楽しげに笑うルドルフを、アドリアンは顔をしかめて見つめた。


「どうした?」

「いえ。なぜ父上は楽しそうなのかと思いまして」

「……そうだな。ここのところ、退屈していたのかもしれん。予想外の出来事が続き、楽しめたようだ」

 まるで他人事のように言い、ルドルフはアドリアンを見た。


「わたしは悪くない人生を生きた。野望は叶わなかったが、ルカーチ家を問題なくおまえに継がせることができる。……何よりわたしは、アナベルを得ることができた。それだけで、すべてが報われたと思っている」

 本当にこの人、母上大好きだなあと思いながら、アドリアンは父親を見返した。

「おまえもエリカも、ただ一人と思い定めた伴侶を得ることができたようだしな。……レオン殿もそうだ。わたしは、他の問題はともかく、人の恋路に首を突っ込むつもりはない。安心しろ」

「はあ……」

 まったく安心できないが、とりあえず、血を吐く思いでまとめたレオンの婚約を、ブチ壊される心配だけはしなくて済むようだ。

 アドリアンはほっと息を吐き、父の居室を後にしたのだった。



 レオンは幸せだった。

 美しい婚約者を愛し愛され、手元には面白い細剣がある。

明日はこの剣で思い切り鍛錬をしよう。そう思ったレオンは、楽しみすぎて細剣を抱きしめたまま、眠りについた。


 そのせいだろうか。普段は夢も見ず深い眠りにおちるのだが、その夜、レオンは不思議な夢を見た。


 夢にはアドがいた。アドの妹や、銀色の神官、それにルウ殿も。

 しかし、四人ともどこかそれぞれに違っている。だが、アドはアドであり、ルウ殿もルウ殿だ。細かいことは気にしないレオンは、夢の中でのんびりとくつろぎ、王宮の芝生の上でまどろんでいた。

「レオナルド、いくら何でも王宮の中庭で寝転ぶのはまずい。起きろ、早く」

 アドに頭をかるく叩かれ、レオンは上体を起こした。アドの妹がくすくす笑いながらレオンに手を差し出した。

「レオ、起きて! ルシアナがお茶をいれてくれたの、一緒に飲もう!」

「ああ、わかった」

 レオンはしげしげと自分に手を差し出す女性を見た。アドの妹だ。変わらず美しいが、少し日焼けしてそばかすが頬に散っている。


「リリ……」

 無意識に彼女の名前を呼んでいた。

「なに、レオ?」

 笑いかける彼女を見て、レオンは確信した。そう、彼女はリリだ。ともに戦った仲間であり、今は自分の婚約者でもある。……婚約者?

 レオンは首をひねった。


「レオナルド、どうした? 何か変だぞ、おまえ」

 心配そうな表情でアドが覗き込んでくる。……いや、アドではない。彼はエドだ。優しく聡明な賢者。かけがえのない仲間。


「いや、何でもない」

 レオンは首をふり、もう一度周囲を見回した。

 見覚えのある場所だ。ここは王宮の中庭。しかし、向こうには大理石の噴水があったはずだが、いつの間にかなくなっているようだ。

 レオンは隣に立つリリを見た。

「リリ……」

「なに?」

 屈託なく笑いかける彼女を、レオンはじっと見て言った。

「俺は、あなたと婚約したのだろうか?」


 レオンの問いに、リリではなくエドが激烈な反応を示した。

「おまえな! あれだけ大騒ぎしてリリーナと婚約しておきながら、もう忘れたのか? ウソだろ、え? 正気かおまえ、正気なのか!」

 がくがくと肩を揺さぶられ、レオンは反射的に謝っていた。

「すまない、少し混乱しているようだ」


 隣のリリが、ぷっと吹き出した。

「レオらしいわ。婚約を忘れるなんて」

「笑いごとじゃない!」

 エドが怒って言ったが、リリは気にしていないようだ。


「まあ、わたし達、余り者同士がくっついたみたいなもんだし。わたしは感謝してるわ。レオが婚約を承知してくれなかったら、隣国のあの猟奇殺人王子と結婚するはめになってたわけだし」

 ぶるっと体を震わせるリリを、レオンは気の毒に思った。リリの腕を引き、その体を抱きしめる。

「大丈夫だ、リリは誰にも渡さない。俺が必ず守る」

「ありがと、レオ!」

 ちゅっと頬に口づけられ、レオンは笑った。自分も彼女に口づけると、弾けるような笑い声が上がる。

 幸せだ、とレオンは思った。


「……おまえら、いい加減にしろよ……。ここ王宮なんだからな……。なんだよ婚約を忘れてたくせに。何なんだよおまえら……」

 ぶつぶつ言うエドの後ろで、美しい銀色の神官も、悲しそうな表情をしている。

「そ、そうです、レオナルド様。リリーナ様のような、美しく強く優しい、女神のような方を婚約者にされたのに、それを忘れるなんて……、そんな、そんなひどい……、あんまりです」


 遠慮がちだが、恨みのこもった口調で言われ、レオンは頭を下げた。

「本当に申し訳ない、ナンシー殿」

「ナンシーじゃないわよ、ナー・タンだってば」

「……よいのです、リリーナ様」

 銀色の神官は、熱っぽい眼差しをリリに向けて言った。

「私のことなど、どうぞ気になさらないでください。私は、あなたが幸せならそれでよいのですから……」

 どこか悲しげな神官に、レオンは首をかしげたが、


「どうぞ、皆さま。お茶がはいりましたわ」

 控え目に声をかけられ、レオンとリリは振り返った。

「ありがとう、ルシアナ!」

 リリが嬉しそうに中庭におかれたテーブルに走ってゆく。レオンもその後に続いた。

「ルシアナのいれるお茶は、いつもおいしいわ!」

「ありがとうございます、リリーナ様。光栄です」

 微笑む侍女を、レオンはじっと見つめた。


「……ルウ殿?」

「え? ……あ、わたくしのことでしょうか?」

 ルウが戸惑ったような表情でレオンを見た。

「今日はルウなんだ」

 リリがくすくす笑いながら侍女を見た。

「本当にごめんね、ルシアナ。レオは、名前を覚えるのが苦手なの」

「いいえ、そんな、とんでもない」

 侍女は頬を赤く染め、うつむいた。


「わたくしのような、つまらぬ者をご記憶でなくとも、何の問題もございません。……レオナルド様は、王を助け、その命を救った英雄でいらっしゃるのですもの」

「いや、それは事実ではない」

 レオンは言いながら、前にも同じことを言ったような気がする、と思っていた。


「俺は皆に助けられ、何とか生き延びることができた。王を助けたのではない、ともに切り抜けたのだ」

「……レオナルド様は、本当に謙虚でご立派なお方ですわ」

 侍女がつぶやくように言った。その瞳はきらきらと輝き、煙水晶のようだった。

 そうだね、レオは謙虚だよね、とリリが頷きながらお茶を飲んでいる。レオンもリリの隣に座り、一緒にお茶を飲んだ。エドと銀色の神官もそこに加わった。


 すると回廊を渡り、王の妹が現れた。

「これは、ロザムンド様」

 エドが慌てて立ち上がり、王女に頭を下げた。

「わざわざ足をお運びいただくとは。お申し付けいただければ、こちらからお伺いいたしましたのに」


「いいのよ、今日はレオナルドとリリーナに婚約のお祝いを渡しに来ただけだから」

 王女は気さくに笑い、後ろに控えていた騎士に頷きかけた。

「レオナルド、これを」

「はっ!」

 レオンは王女の前にひざまずき、差し出された細剣を受け取った。

「あの……、ロザムンド様」

 エドが遠慮がちに言った。

「レオナルドは長剣を使うのですが……」

「それはわかっています」

 王女が落ち着きはらって言った。


「しかし、結婚式で長剣は駄目です。必ず! 細剣を装備するのです、わかりましたわねレオナルド!」

 王女の妙な迫力に押され、レオンは素直に頷いた。エドは首を傾げて言った。

「……なぜ長剣では駄目なのですか?」

「まあエドアール、あなたともあろう者が、そんな事もわかりませんの? 物語の騎士様は、いつだって細剣を佩いているじゃありませんか。結婚式で殿方が長剣を佩いているなんて絶対に駄目! 細剣よ、何があっても細剣でなければ!」

「そ、そういうものなのですか……」


 二人のやり取りを聞きながら、レオンは手にした細剣をじっと見つめた。

 柄頭に緑柱石が嵌め込まれた贅沢な作りのその細剣は、不思議なほどぴたりと手に合った。柄と一体になった優美な曲線を描く鍔が、まるで薔薇のようだ。


「その剣はね、レオナルド、妖精が祝福したものなの!」

 王女が高らかに告げた。

「お兄様がどっかの商人に売りつけられ……、いえ、気に入って購入したものなのだけど、その剣は妖精に祝福されている、という御託を商人は言ったらしいわ」

 まあそれは置いておいても、たしかに綺麗な剣よね、と王女は言った。


「妖精、ですか?」

 レオンは剣を鞘からすらりと抜いた。

「そうよ、その商人曰く『ふさわしい者が手にすれば、その剣は黄金の薔薇を咲かせる』 と……」

 言いかけて、王女は口をつぐんだ。

 レオンが抜いた細剣が、まばゆい黄金の光を放ったからだ。


「……え……」

「うわ、レオ、ちょっと眩しいんだけど」

「そうか、すまん」

 リリの言葉に、レオンは素直に剣を鞘に収めた。それと同時に黄金の光も消え、王宮の中庭は静寂に包まれた。


「……ロザムンド殿下、この剣は……」

「し、知らないわよ! レオの結婚祝いになに贈る? って話になって、あの剣使わないからあげたら? ってお兄様が言いだして……、いちおう神殿でもみてもらったけど、別に何の術もかかってなかったわよ、本当に!」

 慌てたように言い訳する王女をよそに、レオンは満足げに細剣を見た。


「うむ、これはよい剣だ。……ありがとうございます殿下! 大切にいたします!」

「え。……いいの? レオナルド」

「いやレオナルド、これ、おかしいぞ。もう一度神殿でよく鑑定してもらったほうが……」

 王女とエドが何か言っているが、レオンはもう聞いていなかった。


 この細剣は、まるで手に吸いつくような感触で、とても面白い。まるで生きて意思を持っているようだ、とレオンは感心した。


「まあ、レオが気に入ったならいいんじゃない?」

「リリーナ! おまえ適当すぎるぞ!」

「あのリリーナ様、よろしければ私がもう一度鑑定いたしますが……」

 大好きな仲間たちが何か騒いでいるが、レオンはあまり気にかけなかった。


 彼らはとても良い人間だ。誠実で気高く強く、無条件で命を預けられる。自分を心配し、気にかけてくれる、優しい仲間だ。

 俺は幸せ者だな、とレオンは微笑んだ。



 何かに引き上げられるように意識が浮上し、レオンは目を開けた。まだ部屋は薄暗い。

 レオンはふと、毛布の下を見た。腕に抱いた細剣がほのかに光っている。この光のせいで目が覚めたのだろうか。


 何か夢を見ていたような気がするが、よく覚えていない。ただ、夢の中でもこの剣は自分とともにあった。それが嬉しく、レオンは微笑んだ。


「今日はおまえと一緒に鍛錬をしよう。楽しみだ」

 レオンの言葉に応えるように、鞘からもれる光がさらに強くなった。

 優美な曲線を描く鍔が輝き、まさしく黄金の薔薇のようであった。


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― 新着の感想 ―
[良い点] 番外編ありがとうございます!レオンとアド+王太子の組合せ大好きです。レオンのお馬鹿ワンコな一面ありつつ真実を見抜く眼と不思議な強さ。平和だからこそお馬鹿ないレオンに振り回されるアドたち。な…
[良い点] 面白すぎて寝食もそこそこに一気読みしてしまいました! キャラがみんな魅力的ですね! 戦闘の描写もわかりやすくて読みやすかったです。 ナーシルの、泣きながら愛を伝えるところが特によかったで…
[良い点] 先生の婚活話は最高です!大好き! まさか過去のレオンがエリカと、という展開にびっくりしました。 本当にリア充ですね。 父ルドルフの思惑もすごく面白かったです! 確かに、策略家ならそうする…
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