1.最後の縁談
書籍化記念の番外編です。五話完結予定です。
設定は書籍に準拠しているので、Web版とはちょっと違う箇所があります。
「縁談?」
レオン・バルタは食事の手を止め、父親を見た。
一月ほど前、見合いをしたタルゴン男爵令嬢からこっぴどく振られてからというもの、レオンに持ち込まれる縁談はぴたりと途絶えていた。
見合いがうまくゆかぬたびに落ち込む両親を、日々、目の当たりにしているレオンは、大変申し訳なく思ったが、どうすればよいのかわからなかった。
いや、解決策はわかっている。学生時代からの友人、アドリアン・ルカーチは「お相手の名前を覚えろ! それですべては解決する!」とアドバイスしてくれた。その通りだとレオンも思う。が、人にはできることとできないことがある。
自分は、人の名前が覚えられない。
そのせいで縁談を断られるのなら、もう仕方ないとレオンは潔く諦めていたが、両親はレオンほど潔くはなれなかった。
「そうだ、是非おまえをと、そうおっしゃっていただいたのだ!」
レオンの父親、ウォルター・バルタ男爵は、興奮気味にそう言うと、お茶を注ぎ足そうとした執事を片手をあげて止めた。小食な彼は、朝から肉をもりもり食べるレオンを見て、自分が胃もたれしたような顔をしている。
「お相手はチェイス伯爵家の長女、ゲルトルード嬢だ。チェイス家の当主様から直々にいただいたお話でな」
「伯爵家から」
レオンは首を傾げた。
バルタ家の爵位は男爵だ。貴族に疎いレオンであっても、さすがに伯爵家が男爵家より序列が上であることはわかる。
「なぜ俺に伯爵家から縁談が?」
貴族間では、たまに家格のつり合いのとれぬ結婚もあるが、それは相手に何らかの長所、飛びぬけた美点がある場合に限られる。評判の美姫とか、王家の血を引いているとか。
しかし自慢ではないが、自分には格上の相手から是非にと望まれるような美点は何もない。相手から申し込まれた見合いであっても、何度か会えば必ず断られてしまう。現在もその記録は更新中だ。その自分に、なぜ格上の伯爵家から縁談などきたのだろう。
不思議そうなレオンに、父親はいくぶん歯切れの悪い口調で答えた。
「それがな……、チェイス伯爵家は、そのう、先の飢饉でだいぶ借金がかさんでな……。で、まあその、おまえとゲルトルード嬢の婚姻の際、支度金としてバルタ家から相応の援助をしてもらえないかという、まあ、そういう話だ」
「そうなのですか」
疑問が解消され、レオンは頷いた。ふたたび食事を再開したが、
「しかし、俺は良いがルーシー嬢はそれで良いのでしょうか?」
ふとレオンは気づいて父親に言った。
「女性とは、好いた相手と結婚したいものなのでは?」
「……それは、女性に限った話ではなかろう。それからルーシーではない、ゲルトルード嬢だ」
父親は額を押さえて言った。
「私はその……、うむ、なんだ、おまえとはこうした話をきちんとしたことがなかったな。それが悪かったのかもしれんが……。おまえはその、どうなのだ、今まで女性と付き合ったことも、それなりにあるだろう? その中で、これはという相手はいなかったのか?」
父親は決死の表情でレオンに問いかけた。
レオンは、肉を切り分ける手を止めた。
これまで、何度か女性に言い寄られて付き合ったことはある。
彼女たちはみな、優しく美しかった。最終的には、だいたい罵られたり頬を叩かれたりして振られてしまったのだが、それでも思い出の中の彼女たちは、ふわふわと柔らかい夢のような存在だ。
「女性は、みな好きです」
レオンは真面目に言った。本当にそう思っていたのだが、父親はさらに難しい顔つきになった。
「……十把一からげに語れるような相手は、特別とは言えん。レオン、私はおまえに幸せになってほしいのだ。……たしかに普通なら、最初は愛情を感じなくとも、次第に相手に馴染み、それなりに幸せになれるかもしれん。だが、おまえはそうではない」
父親は困ったように言った。
「おまえはそんなに器用な人間ではない。おまえにとって特別だと、そう思える相手でなければ、おまえもその相手も、結局は不幸になるだろう。……レオン、本当に、これまで誰もいなかったのか? この女性は、他の誰とも違うと思えるような、そんな相手は」
レオンはしばし黙考した。
そう言われると、自分にとって特別な女性というのはいないような気がする。女性はみな優しく美しいが、他とは違うと思えるような存在は……。
「あ」
レオンは、ぱっとひらめいて笑顔になった。
「父上、おりました、特別と言える女性が!」
「お、おお、誠か!」
父親は驚きながらも、嬉しそうに言った。
「誰なのだ、その女性は!?」
「はい、父上もご存じの方です! アドの妹の、エリー嬢です!」
レオンの言葉に、父親はウッと息を呑んだ。
「そ……、まさかそれは、エリカ嬢のことか。ルカーチ家の宝石と呼ばれる、あの……」
「はい、その通りです!」
レオンはにこにこと答えた。
そうだ、彼女は他の女性とたしかに違っている、とレオンは思った。
他の女性は恥ずかしそうに自分を見上げ、頬を染めてもじもじするが、彼女は自分を真っすぐに見つめる。ハキハキと心地よい声でしゃべり、立ち居振る舞いも颯爽としている。考えれば考えるほど、彼女は他の令嬢たちとは何もかもが違う。
もし彼女と結婚したら、とレオンは考えた。
毎日、あの炎のように輝かしい瞳に自分を映してもらえるのか、と思うと、なんだか心が浮き立つような気がした。
「なるほど、父上のおっしゃる通りです! たしかに彼女と結婚できれば、俺は幸せになれる気がします!」
にこにこするレオンとは対照的に、父親は真っ青になった。
「いや、レオン、それは……、エリカ嬢は……。あのルカーチ家のご令嬢だぞ、いくらなんでも我が家とはつり合いがとれん」
「伯爵家だからですか? しかし、今度の縁談も同じ伯爵家では」
「同じなどではない!」
珍しく父親が声を荒げた。
「まあ、どうなさったの、ウォルター」
のんびりと母親が部屋に入ってきたのを見て、レオンは椅子から立ち上がり、元気よく挨拶をした。
「おはようございます、母上!」
「おはよう、レオン。まあ、レオンは相変わらずたくさん食べるのねえ、もっと大きくなるのかしら?」
おっとりと微笑みかけられ、レオンは真面目に答えた。
「いえ、おそらく背はこれ以上伸びないと思います!」
「……おはよう、マリー」
朝から疲れた表情の夫を見て、マリー夫人は首を傾げた。
「あなた、大丈夫? お忙しいのかしら? だいぶお疲れのようだけど」
「ああ、いや……。仕事は大丈夫だ。心配かけてすまないね、マリー。……それでレオン、さっきの話だが」
「はい、父上」
椅子に座り直し、礼儀正しく父親の言葉を待つレオンに、バルタ男爵は深いため息をついた。
「レオン、その……、エリカ嬢は駄目だ。ルカーチ家の若君は、もったいなくもおまえと親しく付き合ってくださるが、それを勘違いしてはならん。あそこは現王家より歴史ある、古王朝の血を引く一族だ。我が家のような、先代まで平民だった男爵家が望んでよい姫君ではない。……いいか? おまえは今ひとつ、こうしたことを理解していないようだから、心配なのだ」
「はい、父上、ご心配をおかけして申し訳ありません!」
レオンは謝ると、食事を再開した。
美味しそうに肉を食べるレオンを、バルタ男爵はつくづくと見た。
「いや、私は……、うん、いや、そうだな、この話は後でまたしよう……」
力のない声で言うと、バルタ男爵は片手でそっと胃のあたりを押さえた。
そうしたやり取りの後、週末、騎士団の休日にあわせ、バルタ家でお見合いが行われることとなった。
応接室へと向かう途中、バルタ男爵は緊張の面持ちで息子に語りかけた。
「いいかレオン、もちろんおまえには結婚してほしい。結婚してほしいが、しかし、無理やりに、何がなんでも結婚しろなどという言うつもりはない。おまえを不幸にしてまで守らなければならんほど、価値ある家名でもないからな。そこは良く、覚えておいてくれ」
「わかりました父上!」
「うん、だが、女性には優しくな。貴族のご令嬢は繊細だ。お気持ちを傷つけんように、気をつけて振る舞うのだぞ」
「はい、気をつけます!」
レオンは元気よく答えた。
「……大丈夫だろうか、マリー……」
「きっと大丈夫ですわ、あなた」
「しかし、これに失敗したら、もう……」
「何とかなりますわ。あなたもおっしゃってたじゃありませんか。失くして惜しい家名でもありませんし」
レオンの後ろを歩きながら、二人はすでに見合いが失敗する前提で話を進めていた。
この話を断られてしまったら、もう後はない。
が、一人息子を不幸にしてまで家名を守りたいとも思わない。だがしかし、それでもやはり……、とバルタ男爵は懊悩しながら応接室に足を踏み入れた。
応接室には、すでにチェイス伯爵家からゲルトルード嬢とその父親がそろって着座していた。
「お待たせしてしまいましたかな、申し訳ない」
「いやいや、そちらで最近、取り扱いをはじめたというお茶をいただいておりました。これはまこと、すばらしい香りですな」
「おお、お気に召されましたか。それでは後ほど、伯爵家へお届けいたしましょう」
父親同士がにこやかに挨拶を交わした後、レオンとゲルトルード、当事者の二人が引き合わされた。
「ゲルトルード・ルシアン・チェイスと申します。本日はお会いいただき、ありがとうございます」
「初めまして、レオン・バルタと申します」
挨拶を受けて、レオンは正面からゲルトルードを見た。
ゲルトルードは豊かな黒い巻き毛を一つにまとめ、上品だが地味な黒っぽい緑色のドレスを着ていた。レオンの視線を受けても、恥じらったりそわそわしたりする様子はない。落ち着いて見えるが、その煙水晶のような瞳は、レオンと視線があうのを恐れるように下を向いていた。
それを見てレオンは不思議そうな表情になったが、何も言わなかった。
実はこの見合いの直前、ルカーチ家の令嬢、エリカから見合いについて何点か注意を受けていたからだ。
「よいですか、レオン様」
エリカは重々しくレオンに言った。
「お相手の話も聞かず、俺が俺がと自慢話ばかりしている殿方は、女性に嫌われます。お見合いを成功させたいなら、まず、お相手の話を聞くことが肝要ですわ。お相手の話に真摯に耳を傾け、共感することが大切なのです」
「共感……」
それを示すにはどうすればよいのかと尋ねると、
「お相手の話を否定しないことですわ」
エリカは断言した。
「お相手の話に相づちを打ち、頷くのです。相づちは、『そうですか』と『それは大変ですね』、この二言だけを言えばよいと思いますわ」
エリカは、由緒あるルカーチ伯爵家の令嬢である。
貴族令嬢について、彼女がそう言うのなら間違いあるまい、とレオンは考えた。
「で、では、レオン、ゲルトルード嬢に庭を案内して差し上げなさい。薔薇にはまだ早いが、セフィラがちょうど見頃だろう」
「はい、父上」
レオンは頷き、ゲルトルードに腕を差し出した。
「ありがとうございます」
レオンにエスコートされ、楚々と庭へ向かうゲルトルード嬢の後ろ姿に、バルタ男爵とその夫人は大きく息を吐いた。
まずは第一関門クリア。そんな気持ちだった。
庭に出ると、残暑の日差しがまぶしかった。
日陰を選んで歩きながら、レオンは庭の一角に植えられたセフィラの花群へゲルトルードを案内した。
「満開ですわね」
ゲルトルードはしゃがみ込み、水色の可憐なセフィラの花々に目を細めた。
「この花はお好きですか」
「花は何でも好きですわ。みな綺麗ですもの」
「そうですか」
レオンは頷いた。
「我が家の庭にも、セフィラを植えておりますの」
「そうですか」
「こちらのお庭ほど、立派なものではありませんけれど」
「そうですか」
「……実は、わたくしが庭の手入れをしているのです。我が家では、庭師を雇っておりませんから」
「それは大変ですね」
「我が家は貧乏ですから」
「そうですか」
レオンはエリカの助言に忠実に従っていただけなのだが、淡々と返事をするだけのレオンに、ゲルトルードはもの問いたげな眼差しを向けた。
「レオン・バルタ様。……わたくしを、軽蔑なさいますか?」
ゲルトルードの質問に、レオンは首を傾げた。
「軽蔑? なぜ?」
「……我がチェイス家は、お金欲しさに縁談を持ちかけたのですもの。軽蔑されても仕方ないと思っております」
レオンは少し考えた。
お金を欲しいと思うのは、軽蔑されても仕方ないことなのだろうか。
騎士団の同僚たちも、よくお金を欲しいと言っているが、彼女とは様子が異なっている。彼らは笑いながらお金を欲しいと言い、その後で「酒でも飲みに行くか!」と元気よく自分を誘う。彼女のように深刻に思い悩んでいる様子はない。
もしかしたら、騎士はよくても貴族令嬢がお金を欲しいと思うのは、何か問題があるのだろうか。
レオンにはよくわからなかった。しかし、
「俺はあなたを、軽蔑してはおりません」
そこはわかっているので、はっきりと答えた。
それでもゲルトルードは、悲しそうな顔をしている。
半ば伏せられた、煙水晶のような大きな瞳を、レオンはじっと見つめた。
ゲルトルードの瞳は、領内で飼育している大人しい豚に似て、優しそうだとレオンは思った。
「俺はあなたが好きだ」
レオンは簡潔に告げた。
ゲルトルードははっと顔を上げ、レオンを見た。その顔がみるみるうちに赤く染まってゆく。
「……そ、そうですか……」
小さな声でゲルトルードは言った。
残暑厳しい昼下がりの庭に、涼しい風が吹いた。その心地よさに、レオンは微笑んだ。それを見て、ゲルトルードの顔がますます赤くなる。
気持ちのよい午後だ。
剣の鍛錬をしたい、とレオンは思ったが、そのためにゲルトルードを庭に置き去りにしたりはしなかった。
脳の八割を剣の鍛錬に占領されながらも、今ここで自分がいきなり剣の鍛錬に走って行ってしまっては、きっと目の前の令嬢を悲しませてしまうと、何となく感じ取っていたからだ。
女性には、優しくせねばならん。彼女たちは繊細で、傷つきやすいのだから。
レオンはそう自分に言い聞かせ、辛抱強い犬のように、己の気持ちを抑えてじっとその場に立っていた。
おまえのその見た目にご婦人がたは騙されてしまうのだろうなあ、と王太子がしみじみ語ったように、その姿は女性の夢見る凛々しい騎士そのものであった。
手入れが面倒で短く切っている金髪はきらきらと陽光をはじき、スッと通った鼻筋といくぶん削げた頬は、精悍な印象を与える。吊り気味の緑色の瞳は、他の貴族にはない力強さをたたえ、生き生きと輝いていた。毎日の鍛錬を欠かさぬおかげで全身にバランスよく筋肉がつき、長身の彼を威風堂々と見せている。容姿だけなら、美形ぞろいの王族と並んでも見劣りしないレベルだ。
実際に考えていることと言えば、剣の鍛錬はダメでも腕立て伏せなら許されるのではないだろうか、という実に残念なものだったのだが。
レオンはゲルトルードをじっと見つめ、考えた。
いきなり腕立て伏せを始めたら、怒られてしまうだろうか。一緒にしようと誘えば、どうだろうか?
考えた末、ゲルトルードの筋肉の付き方からして、彼女に腕立て伏せが難しいであろうことに思い至り、レオンは誘うのを断念した。
「どうぞ」
代わりに、レオンはセフィラの花群にかがみこむと、その花を一輪摘みとり、ゲルトルードに差し出した。
「あ……、ありがとうございます……」
ゲルトルードは頬を赤く染め、嬉しそうに微笑んだ。
煙水晶のような瞳が輝き、レオンはその美しさに目を奪われた。
優しい瞳だ。
俺はこの目が好きだ、とレオンは思った。




