番外編 アドリアン・ルカーチは、世界で一番幸せな男である
ナーシル殿とエリカが、冒険者になってしまった……。
最初は、貴族令嬢だったエリカが冒険者として生きていくなど無理、きっと三日で音を上げる、と思っていた。
しかし一週間、一ヶ月、半年と時が過ぎ、最近では、ひょっとして二人とも私のこと忘れてる……?と不安になりはじめた。
「あなた、大丈夫ですわ。先日、わたくし宛てに、エリカ様からお手紙と贈り物が届きましたの」
えっ!? と驚き、私はユディトを見た。
私の妻、ユディト。美しく淑やかで優しく、貴族女性の鑑のような、よく出来た妻だ。
こう言ってはなんだが、エリカとは何もかも正反対の性格の妻が、妹とうまくやっていけるか、最初は心配だった。しかし、何故か妻とエリカはあっという間に意気投合し、しまいには私を仲間はずれにするまでになってしまった。仲良くなってくれたのは嬉しいのだが、いったい何故……。
「手紙には何と? 贈り物とは?」
ユディトはにこにこしながら、大切そうに布にくるんだ首飾りを私に見せてくれた。
ぽってりと丸い、赤い木の実が連なった首飾りで、たしかに可愛らしいが、ユディトにはちと子どもっぽすぎるのでは? と思ったが、
「こちらのチョーカーを、わたくしのブリリアント・チッチちゃんへ、って! この赤いファリンの実が、チッチちゃんのツヤツヤの黒い毛皮に映えるだろうって、それでわざわざ送ってくださったのですわ!」
いまエリカ様達は、南国のセファリア地方にいらっしゃるのですって! とユディトは嬉しそうに目を輝かせている。
なるほど、ファリンの実はセファリア地方の特産品だったな。食べてよし、加工して工芸品にしてよしという、一粒で二度おいしい農産物。気候が合わず我が領地で栽培できぬのが残念だ。
このチョーカーを、ブリリアント・チッチに……、ああ、あの太った黒猫のことか。
ユディトはあの太った黒猫を、理解不能な愛情で可愛がっている。猫用のアクセサリーも、自分のものより多くそろえているくらいなのだが、この間、そのアクセサリーを一つ、失くしてしまったらしい。エリカは、その代わりにとこのチョーカーを送ってくれたわけか。
私は、そのチョーカーをしげしげと眺めた。
高価ではないが、よく出来ている。たしかにあの黒い毛皮には、この丸く艶のある赤い木の実がよく映えることだろう。
エリカは貴族令嬢らしからぬ言動が多いが、何故かこういった、女性を喜ばせる振る舞いがうまい。学園に在籍していた時も、第一王女殿下にまで気に入られていたらしいし。
正直、もしエリカが男だったら、ユディトも私ではなく、エリカを選んでいたのではないか。そんな埒もない考えが頭をよぎった。
私は子どもの頃、根拠のない自信に満ちていた。
周囲の人間は、私をルカーチ家の跡取り息子、何でもお出来になる優秀な若様、と持ち上げまくったし、私自身、由緒あるルカーチ家を背負って立つにふさわしい人間であろうと、努力を怠らなかった。
ただ一人の妹は、何かと問題を起こす頭痛の種ではあったが、そこもまた可愛いというか、面倒を見てやらなくてはならぬ、大切な存在だった。
だがある時私は、父が母に打ち明けているのを聞いてしまった。
父は言っていた。
「あれが男であればな。ルカーチ家は始祖以来の偉大な指導者を戴き、より高みへ至ることも可能であっただろう。惜しいことだ」
聞いた時は、驚きで心臓が止まるかと思った。
あの父が。
いつも内心をのぞかせぬ、穏やかだが不遜な態度の父が、心底残念そうに、悔しそうな口調で語っていたのだ。
あれが男であれば。
エリカ。私の妹が、男であれば、と父は嘆いていたのだ。
それはちょうど、領地にいたエリカが、子ども達だけで魔獣退治をおこない、行政官にこっぴどく叱られた頃のことだった。
私は、エリカがその騒ぎの首謀者だと聞いた時は、またかと少し呆れただけだった。
仕方のない子だ、誰にも怪我がなくて何よりだった、と。
父の言葉を聞いた後、私はその魔獣退治の詳細を調べてみた。
驚いたことに、エリカは子ども達をきっちり役割ごとに振り分け、まるで軍隊のような機動性を持たせて、魔獣退治にあたっていた。そして自ら先頭に立ち、見事に魔獣を倒したのだ。
誰ひとり怪我人が出なかったのは、運が良かったからではない。綿密な計算に基づいた計画、エリカの采配が的中したがゆえの成功だったのだ。
部下を適切な場所に配置し、その能力を存分に発揮させ、己は先頭に立って士気を鼓舞する。
人を使い、その上に立つ者として、エリカには天賦の才があった。父はそれを見抜き、私がいるがゆえに当主になれぬ、エリカの才を惜しんだのだ。
それから私は、エリカに対し、鬱屈した思いを抱くようになった。
エリカは変わらず、私の可愛い大切な妹だ。
しかし同時に、私など及びもつかぬ天才であり、私さえいなければ、エリカはルカーチ家当主として、存分にその力を振るえたはずだった。
父上は、エリカが男であれば、と言っていた。男であれば、第二子であろうと、当主に据えることはできる。だが女では、長男を差し置いて当主にするのは不可能だ。
私がエリカの邪魔をし、父上を失望させている。そう思うと、自分が情けなく、惨めだった。
レオン・バルタと知り合ったのは、ちょうどその頃だった。
とんでもない武技の持ち主で、学園入学当初から、すでに王太子殿下に目をかけていただいているとの噂だった。そしてその噂通り、剣、槍、体術すべてにおいて、レオンには上級生でさえかなわぬ、恐るべき天与の才があった。
私はレオンを見た時、この男もエリカと同じなのだな、と思った。
神に愛され、特別に才を与えられた者。私のような凡人とは、最初から立ち位置さえ違う存在だ。
男爵という低い地位でさえ、かえってレオンを輝かせているように思えた。
彼のような天才には、爵位など必要ない。彼は、ただ己の力のみで、高みへと駆け上ってゆくことができる。私はせめて、邪魔にならぬよう、脇に退いていよう。
……そう思っていたのだが。
学園入学後しばらくして、教師から、ある頼まれごとをした。
レオン・バルタから、何とか薬学の課題を提出させてほしい、というのだ。
私は首をひねった。
薬学の課題?
一応入学当初は、その進路に関わらず、生徒は全員、広く浅く一般教養を学ぶ。薬学もその一つだ。
だが、それは本当に初歩の初歩、ほとんどの貴族は子どもの頃、家庭教師によって既にそれらの知識を身につけており、課題提出に難儀することはない。……はずなのだが。
ひょっとしてレオン・バルタは、その武芸の才を鼻にかけ、一般教養など学ぶ必要なし、と傲慢に構えているのであろうか。たまに見かける様子では、礼儀正しく闊達な、実に紳士らしい態度であったように思うのだが。
寮に戻ろうとしていたレオン・バルタをつかまえ、私は薬学の課題について伝えた。
するとレオンは、恐縮して私に深々と頭を下げた。
「すまぬな、アドリー殿! 課題には取り組んでいるのだが、どうにも完成せず、今日まで至ってしまったのだ! 誠に申し訳ない!」
「いや、別に謝ることでは……、それに私はアドリアンだ、アドリーではない。……課題が完成しないということだが、どういう訳だ? あれは1刻もあれば完成する薬ではないか?」
……その後の過程ははぶくが、結果的に、私はレオンの課題作成の手伝いをすることになった。
課題を提出できたレオン、提出してもらった教師、ともに非常に喜び、私は双方から大変感謝された。
人助けもいいものだ、とその後もなんのかのとレオンの面倒を見ていたら、いつの間にか私は、レオンの保護者と見なされるようになってしまった。何故……。
最初の頃は、レオンに対する憧憬の念が残っていた私は、レオンに丁寧に接していたのだが、次第にぞんざいに、良く言えば気安く付き合うようになった。
だいたいレオンは、何度言っても私の名前を覚えない。毎日顔を合わせ、常に一緒に行動してる人間の名前を間違えるとはどういうことだ! といい加減頭にきた私は、「もういい! 私のことはアドと呼べ!」と半ばやけくそで怒鳴ったら、レオンは本当に私を「アド」と呼ぶようになった。レオンに冗談は通用しない。
レオンは、確かに武芸の天才だ。
しかし、彼には圧倒的に足りないものがある。
それは、常識だ。
ひょっとしたら私は、天才に足りないものを補うため、天に配された凡人なのであろうか……。それはそれで悲しい気もするが、やはりレオンは放っておけない。仕方ないので、私は引き続き、レオンの保護者的役割を引き受けていたのだが、
「アドリアン・ルカーチ。君は由緒ある伯爵家の次期当主だというのに、平民と変わらぬような、卑しい男爵の息子と親しく付き合っているそうだね。しかもその男、脳みそまで筋肉がつまっているような馬鹿者らしいが」
ある日、私は学園で、実に嫌味な男に声をかけられた。
たまにいるんだ、こういう奴が。貴族、それもかなり高位の爵位持ちだと、まるでそれを己の実力でもあるかのように錯覚し、傲慢にふるまう馬鹿者がいる。
はっきり言って、私はこういう馬鹿者が大嫌いだ。
爵位は、親もしくは先祖の功績であって、自分のものではない。まして我らは未だ学生の身。先祖が残した功績に見合うべく、研鑽を積み、努力を重ねなくてはならない時期だ。
それなのに、卑しいだの何だのたわけたことを……。脳みそまで筋肉云々は、正直、否定できないが、レオンは決して卑しくはない。彼は高潔な人物だ。
私は、馬鹿げた能書きをたれるそのアホタレを、じっと見た。
こいつは確か、先の武芸大会で、レオンに瞬殺された上級生ではなかったか。
逆恨みか。ますます馬鹿だな。
私は彼を見返し、はっきり言ってやった。
「さようでございますか。しかし、私はレオン・バルタの高潔さに感服しております。貴殿のおっしゃるような卑しさは、レオン・バルタには無縁かと存じますが」
するとそのアホは、私がそいつに追随しないことに腹を立てたのか、声を荒げて言った。
「ハッ! 何が高潔だ! あの男は、先代までは平民だったのだぞ! あの男がこの学園に入れたのも、王太子殿下の特別なお計らいあってのことだ! でなければ、なんであのバカがこの学園に入れるものか!」
ついさっきまで平民だろうとなんだろうと、今のバルタ家は、れっきとした男爵だ。そこに難癖をつけるのは間違っている。
しかし、学園入学に関しては……、どうなのだろう。実を言うと、私も薄々、なんでレオンが入学試験をパスできたんだろう、と不思議に思っていたのだ。ひょっとしたら、賄賂を……、いや、もちろんレオンはそういう事をする奴ではないが、両親がレオンのために、良かれと思ってやってしまった可能性はある。
しかし、賄賂ではなく、王太子殿下が?
なぜ王太子殿下が、レオンにそこまで肩入れするのだ?
私は悩んだ挙げ句、当人に直接、聞いてみることにした。
これで友情が終わるようなら、それまでだ。白黒はっきりさせておきたい。
王太子殿下との関わりを問われたレオンは、あっさり答えた。
「俺は、王太子殿下が昔、飼われていた犬に似ているのだそうだ!」
「……いぬ……?」
嘘だろ、と思ったが、どうやら本当のことらしかった。
父上に裏をとったから、間違いない。
父上は何故か、王太子殿下の飼い犬について、非常に詳しくご存じだった。
以下、父上の話だが、
王太子殿下は、子どもの頃、金茶の体毛に、緑の瞳をした優しい大型犬を飼っていらした。
その犬は非常に穏やかな性格で、やんちゃな王太子殿下に尻尾をつかまれても、背にまたがられても、決して怒ることなく、常に王太子殿下を守るように、その側にいた。
ある時、メイドの一人が王太子殿下にお菓子を差し出した。すると何故かいつも温厚なその犬は激しく吠え、のみならず、菓子を差し出したメイドに襲いかかったそうだ。
するとメイドは、隠し持っていたナイフで、その犬に斬りかかった。
メイドは、王太子殿下を亡き者にしようと雇われた暗殺者だったのだ(菓子は毒入りだったそうだ)。
その犬のおかげで王太子殿下に怪我はなく、無事だった。
しかし、その犬は……。
「ち、父上、その犬は無事だったのですか!?」
「それがな……、メイドの振り回したナイフが、運悪くその犬の腹に当たってな……」
うわああ、やめて! 私はそういうの駄目なんだ! 忠犬が主を庇って死んじゃうとか、そういうのほんと無理、辛くて聞いてられない!
「まあ、一命は取りとめたのだが」
取りとめたのかよ!
「結局その数年後、食べ過ぎが原因で死んでしまってな……」
それ、刺されたのと無関係ですよね。
ともあれ、王太子殿下は、自分を救ってくれた命の恩人……ではなく、恩犬に、非常に思い入れがあったようだ。まあ、理解できる。
ある時、騎士団の練習風景をご覧になっていた殿下は、騎士見習いとして練習に参加していたレオンに、目を留められた。
当時からずば抜けた剣技を誇っていたレオンに、王太子殿下はお言葉をかけられた。二言、三言、言葉を交わし……、そして、王太子殿下は、思われたそうだ。
この男、誰か……、何かに似ている、と。
誰に、何に似ているのかはわからない。だが非常に懐かしく、胸を締めつけられるような気持ちだった。
「そなたの名は?」
問われたレオンは、直立不動で答えた。
「レオン・バルタにございます!」
その瞬間、王太子殿下は雷に打たれたように悟った。
レオ! こいつは、レオに似てるんだ! 僕を庇ってくれた、あの優しい犬! 食いしん坊で、ちょっとバカだった大好きな犬! レオ!
「そうして殿下は、レオン・バルタをレオと呼び、以降、親しく言葉を交わされるようになったのだ……」
「そ、そうだったのですか……」
何と言うか、うーむ、いい話……、なのか?
まあとにかく、レオンが殿下のお気に入りである理由はわかった。
レオンの学園入学の謎も、ひょっとしたら、学園側が王太子殿下に忖度した結果だったのかもしれない。
どちらにせよ、明日、レオンともう一度話してみよう。
そう思う私に、父上が声をかけた。
「アドリアン。そなた、学園で良き友に巡りあえたようだな」
父上が優しく微笑んでいる。常に目の奥が笑っていない父上だが、なんか今日は、普通に優しい父親みたいで、非常に違和感。
だが、
「ええ。……私は、非常に良き友に恵まれました。感謝しております」
私は胸を張って答えた。
我が友、レオン・バルタ。我が妹、エリカ・ルカーチ。
二人とも、私にとってかけがえのない、大切な存在だ。
私はきっと、この天才たちを助け、何かと非常識なその行動の尻ぬぐいをする為、彼らの側に配されたに違いない。
子どもの頃は、自分に彼らのような天賦の才がないことを嘆いたものだが、今はもう、そんなことはない。
天才には天才の悩み、生きづらさがあるとわかったからだ。
それから私は、レオンやエリカのフォロー役に徹してきたのだが……。
天才とは、トラブルを引き寄せる磁力でも持っているのだろうか。
レオンは騎士団でたびたび上方から呼び出しをくらうし、エリカに至っては、評判最悪のサディスト王子に目をつけられてしまった。
いったいどうなることか、と心配していたのだが、レオンはなんと、王太子殿下付きの護衛騎士として取り立てられた。婚約者どのとも、なんとか来年には挙式の運びとなったし、こっちはひと安心だ。
だが、問題はエリカだ。
サディスト王子との婚姻は免れたが、エリカは結局、訳アリ第二王子の正室におさまってしまった。しかも現在、平民の冒険者として国内外を飛び回っている。『ナーたんとエリりん』というふざけたチーム名を知らぬ冒険者はいない、と言われるほどの大活躍だ。だからあれほどチーム名を変えろと言ったのに……。
ため息をつく私を、ユディトがおかしそうに見ている。
「どうした? ユディト」
「いいえ、エリカ様から、あなたに伝言がありましたの」
「えっ!?」
私のこと、忘れてなかったんだ……、当たり前のことだが、私は少し安堵した。
「な、なんて書いてあったんだ? 二人とも、怪我とかはしていないんだよな?」
「ええ、それはもちろん」
ユディトはくすくす笑って言った。
「エリカ様は、『来年の秋頃には戻ります、兄上の子どもの名づけ親にさせてください』とおっしゃってますわ」
ふーん、来年……。
「子ども!?」
私は驚いてユディトを見た。
「来年の秋には、生まれますわ」
ユディトの笑顔が、輝いている。
私はユディトを抱きしめた。
子ども……、私の子ども!
なんで私より先にエリカがユディトの妊娠を知ってるんだ、という問題はさておき、私の子ども!
私は、何という幸せ者なのだろう。
素晴らしい友と妹、美しく優しい妻、そして子どもまで授かった。
私はあまり敬虔な信者ではないのだが、神に、世界に感謝したい。
そして願わくば、私の愛する者すべてが、私と同じかそれ以上、幸せでありますように、と。




