44.第二王子の相違点
あっぶなかったー!
いやー、ヒヤヒヤした。
ナーシル先生の白兵戦の授業、真面目に聞いててよかったわ。あれがなきゃ、王子に殺されてたかも。
わたしが内心、ドキドキでドレスの汚れを叩き落としていると、
「エリカ様!」
噴水前に、ナーシルが駆け込んできた。
「まあ、ナーシル様」
王様との感動の再会ふたたび、は無事、終わったんだろうか。
「ああ、エリカ様、ご無事ですか!」
ナーシルは泣かんばかりの様子で、わたしに抱き着いてきた。
「ナーシル様、どうしてここがお分かりになりましたの?」
「あなたの姿が見えなくて……。探索魔法を使おうとしたら、中庭で弾かれました。誰かが、魔法を封じる術式を展開したのだとわかって……、もし、あなたが」
ナーシルは言いかけ、足を押さえてうずくまるジグモンド王子に気がついた。
「……これは、この男の仕業だったのですか!」
ナーシルは、止める間もなくジグモンド王子の襟元を掴み上げると、躊躇なくその顔を殴り飛ばした。
「ナ、ナーシル様」
ナーシルは、地面に倒れ込んだジグモンド王子の上に、乱暴に馬乗りになった。
「ナーシル様、その辺で。もう王子は、わたしが殴っておきましたから、反撃はできませんわ」
鉄製の強固なヒールで、思いっきり向う脛を殴りつけたしね。王子、ひょっとしたら骨折れてるかもしれない。まあ、殺されかかったわけだし、骨折させるくらいは正当防衛ということでお願いしたい。
「……もう、王子ではありません」
ナーシルは顔を歪め、ジグモンド王子を見下ろした。
「先ほど陛下が、私におっしゃいました。……私に、コバスの姓を許すと。ジグモンド・コバスから、その名も地位も、何もかもすべて、私に譲られるとの仰せでした」
その言葉に、ジグモンド王子の瞳から光が消え、ナーシルの腕を払おうとしていた手が、だらんと地面に垂れた。
「この男は、ジグモンド・ロストーツィ。爵位もなく、王族でもない。じき、ロストーツィ家からも放擲されるでしょう。……先ほどの陛下からのお言葉を受け、バルトス男爵次期当主も、妹とジグモンド・ロストーツィとの婚約破棄を宣言いたしました。この者を殺したところで、もう誰にも咎められはしない」
「ナーシル様」
ナーシルは、両手でジグモンド王子の首を絞めつけた。
「この男が、神官長を殺したのです。この男の名誉のために、誰にも何も告げず、会いにいった神官長を。……この男が……、よくも」
ナーシルの声がかすれ、ジグモンド王子の首を絞める手に力を込めた。ジグモンド王子が苦しそうに顔を歪める。
まさか、ナーシルは本当に、ジグモンド王子を殺してしまうつもりなのだろうか。
だが、少し心配になった頃、ナーシルは唐突にジグモンド王子から手を離した。
「……っ、かはっ」
ゲホゲホと、苦しげにジグモンド王子が咳き込む。
ナーシルはそちらを見もせず、立ち上がってわたしの手を取った。
「ナーシル様」
「……もう、ここにはいたくない。エリカ様、屋敷に戻りましょう」
「ええ、それは構いませんが……」
ジグモンド王子はどうするんだと思ってたら、中庭にレオンもやってきた。
「ナンシー殿、ここにいたのか。リリー殿も、問題ないか?」
いや、ありまくりです。
罪人の塔から王子が逃げ出した上、わたしのこと殺そうとしたんですけど。
ナーシルはこわばった表情で、様子を見に来たレオンに、手短に状況を説明した。
「この男は、罪人の塔から逃げ出したジグモンド・ロストーツィです。この中庭にエリカ様を呼び出し、危害を加えようとしたため、取り押さえました。この男を捕縛し、ふたたび罪人の塔へ護送してください」
「罪人の塔!」
レオンは目を丸くして言った。
「よく脱出できたものだ! 誰か内通者がいたのではないか?」
「おそらくバルトス男爵でしょう。……が、まあ、調べても証拠は見つかりますまい。王家の宝剣だけは取り上げ、後は警備隊に任せればよろしいかと」
わかった! と爽やかにレオンが頷く。
爽やかだが、レオン、容赦ない。
倒れたままのジグモンド王子を、手早く縛っている。
捕縛の魔道具を初めて見た。夜でも手元が見えやすいよう、光るんですね。いらん知識。
広間から音楽が流れてきたが、ナーシルは広間に戻りたくなさそうだ。
ひょっとしたら、まだ陛下がいらっしゃるのだろうか。
「エリカ様、足をどうかされましたか?」
靴を片方、手に持ったままのわたしを、ナーシルが気づかわしげに見た。
「さっき、転んでしまって。特に怪我はしていないのですが」
「そうなのですね」
ナーシルは頷き、わたしをふわりと抱き上げた。うわっ!
「え、ナーシル様。あの、わたし、怪我はしていないので、歩けます」
「わかっています。……馬車に乗るまでの間ですから、どうかこのまま」
ナーシルはわたしをぎゅっと抱きしめると、そのまま歩きはじめた。
馬車までこのまま運ぶつもりらしい。……嫌ではないけど、重いんじゃないか、気になってしょうがない。あー、ララと一緒にダイエットしとけばよかった!
ナーシルはすたすたと足を進め、中庭から門へ向かった。
あんまり重そうには見えないけど、本当に大丈夫だろうか。ナーシルは見かけによらず力持ちだけど、もし内心、重いとか思われてたら死ねる。
「先ほど、本当は私は、ジグモンド王子を殺してしまおうかと思いました。……もう、そんな必要などないとわかっていたのに」
ナーシルは暗い顔で、つぶやくように言った。
「ナーシル様」
「すべてを失い、父親にすら見捨てられた、哀れな男です。ですが、私はあの男をどうしても許せない」
うーん。
それはまあ、仕方ないと思うけど。
育ての親に等しい、前神官長を殺されたわけだし。いかにジグモンド王子が可哀そうな境遇になったとはいえ、許せないと思うのは当然だろう。
むしろ、よく殺さなかったなと思う。
「わたしがナーシル様でしたら、殺していたかもしれませんわ」
わたしの言葉に、ナーシルは驚いたようにわたしを見た。
「もしわたしがナーシル様と同じように、大切な方を殺されたとして、その犯人が目の前にいたら。わたしは自分を抑えられるかどうか、自信がありませんわ。……どうしてナーシル様は、ジグモンド王子を殺さずにいられたのですか?」
「……自分でもわかりません。ただ……」
ナーシルはつぶやくように言った。
「私は、母を失った時、神官長に出会いました。彼は私の親代わりとなり、私を育ててくれた。そして神官長を失った後、今度は私は、エリカ様と出会えました。……私の側には、いつも誰かがいてくれた。誰にも関わりたくないと、姿を偽っていた私を、神官長はずっと気にかけて下さった。エリカ様は、嘘をついていた私を許して下さった。……だが、あの男には、誰もいない。損得抜きであの男を気にかけ、愛してくれる者は、誰もいなかった。あの男は……、私の弟です。立場が違えば、私が同じ境遇だったかもしれない。そう気づいた時、ほんの少し、あの男が哀れに思えたのです」
そういう事かあ……。
ナーシルのお母様や、父親代わりの神官長や、それからわたしが、ナーシルの心の支えになってるのか。
わー、なんだろ、すっごく嬉しい。
わたしは、ナーシルにぎゅっと抱きついた。
「ナーシル様、わたし、そのように思っていただけて、すごく幸せですわ。ナーシル様は、とてもお優しい方なのですね」
だが、ナーシルは首を横に振った。
「いいえ、私は優しくなどありません。私が本当に優しければ、ジグモンド王子を許し、罪人の塔へ送るような目には遭わせなかったでしょう。……私には、神殿の説く許しの愛など、ひとかけらもない。神官でありながら、もうずっと、私は信仰を失っているのです」
うーん、まあ、それを言うならわたしだって、正直、宗教にはまるで興味がない。神殿との関わりなんて、婚活していた時、縁結び関連の神殿に通っていたことくらいだ。
「ナーシル様、わたしは別に、ナーシル様が信仰篤い神官さまだから、お慕いしているわけではありませんわ」
わたしの言葉に、ナーシルは囁くように言った。
「エリカ様、私はずっと、エリカ様にお伺いしたかった。ですが意気地がなく、その勇気を持てませんでした。……エリカ様は、なぜ……、私を、好いてくださるのですか?」
ナーシルの声は、震えていた。
勇気が持てなかった、というのは本当らしい。
わたしはナーシルを見上げた。
月明りに照らされたナーシルは、まるで精霊のように美しい。
あれだけ強く、またこの美貌がありながら、わたしに好かれてるかどうかを、震えるほど怖がってるとか。
そんな心配するようなことじゃないのに、とわたしは思い、ナーシルの顔に頬をすり寄せた。
「ナーシル様。わたしは、ナーシル様がナーシル様だからこそ、お慕いしているのですわ。ナーシル様は、お優しく、恥ずかしがり屋で、とても可愛らしいお方です。姿を変えていた時も、今も、変わらず……、いえ、ますます想いは深まり、強くなっています。ナーシル様を知れば知るほどに惹きつけられ、愛さずにはいられないのです」
「エリカ様」
わたしの言葉に、ナーシルはくしゃりと顔を歪め、泣き出してしまった。
おおっと。
また泣かせてしまった。
わたしは手を伸ばし、よしよしとナーシルの頭を撫でた。
「ナーシル様、大好きです。お慕いしておりますわ」
「わ、わた……、わたしも、わたしもです。エ、エリカ様を、あい……、あい、して」
ナーシルが泣きながら、なんとか愛していると告げようとしてくれる。
そう、そういうところも、可愛くって大好きだよ、ナーシル!




