40.卒業祝賀会の準備(ナーシル視点)
エリカ様は、私を想ってくださっていた!
言葉だけではなく、きちんと行動でも示していただいたのだ、間違いない!
ああ、夢のようだ。今でも信じられない。
そうか、考えてみれば、エリカ様は貴族のご令嬢なのだ。
いかに婚約者とはいえ、相手をいきなり押し倒して襲うような、そのような事をなさるはずがない。
普通は、あのように接吻で想いを伝えるものなのだろう。
アドリアン様にも、ご迷惑をおかけしてしまった。
翌日、「エリカ様に、無事、口づけていただきました!」と喜んでお伝えしたところ、「そういうの、言わなくていいから!」と叫んで走っていってしまった。
そうだった、貴族とは、このようにあからさまに物事を伝えるのは、不躾にあたるのだったな……。所詮は平民育ちの無作法さで、アドリアン様を困惑させてしまった。申し訳なく思う。次は、婉曲にお伝えするよう、気をつけねば。
次といえば、またエリカ様に接吻されたら、私はどのように振る舞えばよいのだろう。
この間は、嬉しくて舞い上がってしまって、ついエリカ様を抱きしめてしまった。
エリカ様は怒らなかったけれど、不思議そうな表情をしていらした。私の振る舞いは、たぶん間違っていたのだろう。
でもエリカ様は、たいへんお優しいので、私を怒ったり罵ったりなさらない。私の背を優しく撫でて下さった。あの時は、幸せすぎて死ぬかと思った。
次は、エリカ様に完璧な行動でお応えしたい。
エリカ様にも私の想いが伝わり、満足していただけるよう、ちゃんと振る舞いたい。
しかし、どう振る舞うべきなのか、正しいやり方がわからなくて困っている。
アドリアン様ならお分かりだと思うのだが、あれ以来、アドリアン様は私を見ると走って逃げていってしまう。
そんなに私の行動は、非常識なものだったのだろうか……。
アドリアン様も寛大な方なので、私を非難するようなことはないが、もし私の行動でエリカ様に恥をかかせるようなことになったら、申し訳なくて生きていけない。
どうすれば良いのだろう。
アドリアン様は逃げてしまわれるし、まさかエリカ様本人には聞けないし、残るはレオン様だけだが、レオン様は、そもそも恋愛感情というものを理解しておられるのかどうか、そこからして甚だ疑問だ。
私がぐずぐず悩んでいる内に、あっという間に卒業祝賀会の日がやってきてしまった。
あれ以来、エリカ様は私に接吻しようとなさらない……。
やはり私の振る舞いが問題だったのだろうか。
もう、私に接吻したいとは、思われないのだろうか……。
こういう場合、私から「接吻してください」と申し出てもかまわないのだろうか? いや、それはいくら何でも図々しすぎるような気がする。
第一、「接吻したくない」と断られてしまったら? そんなことになったら、どうすればいい? 駄目だ、考えただけで泣きたくなる。これ以上考えるのはよそう。
「ナーシル様、ちょっとかがんでいただけます?」
エリカ様の声に、私ははっと我に返った。
目の前には、美々しく装ったエリカ様が、にこにこして立っている。
なんて美しい方だろう。そこにいらっしゃるだけで、光り輝いている。
私はうっとりとエリカ様に見とれながら、言われるがまま、背をかがめた。
エリカ様の手が私の右耳に触れた。カチリ、と金属をはめる音が聞こえ、
ちゅっ
なにか、なにか柔らかいものが、頬に触れた。
「えっ、エリ……、エリカさま……」
「はい、出来上がり! ナーシル様、鏡をご覧になって!」
私は言われるがまま、ぎくしゃくと鏡を見た。
鏡の中で、エリカ様と私が、仲良く並んで立っている。
私の右耳と、エリカ様の左耳に、おそろいの三日月型のイヤリングが飾られているのが見えた。
「可愛いでしょ? 最近、恋人同士で、おそろいのイヤリングつけるのが流行ってるって、ララに聞いたんです。だから、やってみたいなって思って」
恋人!!
エリカ様の衝撃の発言に、私は息がとまりそうになった。
恋人……、恋人!!
いや、だが私達は、考えてみれば、婚約しているのだ。恋人と称して、何の問題もない! 嬉しい!!
それに、それにさっきの、あの、ちゅっというあれは、多分、いや間違いなく、私の頬にエリカ様が口づけを……。
エリカ様が、私を恋人と呼び、頬に口づけしてくださった。
もう私に接吻をしたくないのかと思い悩んでいたが、そんなことはなかった。だって、私を恋人と……、ああ、私は幸せ者だ!
「……ナーシル殿、一応言っておくが、今日の卒業祝賀会、どうやら国王陛下がお忍びでいらっしゃるらしい。第一王女殿下の卒業を祝して、という名目だが、ナーシル殿にもお言葉があるかもしれん」
アドリアン様が何かおっしゃっているが、右から左に抜けていくようで、何の事だかよくわからない。
国王陛下がどうとか……、別にどうでもいい。目的は既に果たしているし、陛下にも、もう用はない。
それよりもエリカ様が!
私はエリカ様を見つめた。エリカ様が、私の恋人……。恋人が頬に、ちゅっと……。
エリカ様が、私の袖をそっと引いた。
「エリカ様……?」
「ナーシル様も、してください」
エリカ様が背伸びをし、私に左の頬を差し出した。
私も、とは。
つまり私にも、エリカ様と同じ行動をしろという事なのだろうか?
それは……、エリカ様と同じ行動とは、つまり、頬に、ちゅっと……?
エリカ様は目を閉じ、私に左頬を向けて待っている。なんて可愛らしい方だろう。
私はドキドキする胸をおさえ、エリカ様に顔を近づけた。
間違っていたらどうしよう、その時は死んでお詫びします、と心の中で謝りながら、私はエリカ様の頬に、そっと口づけた。
柔らかく、花のような香りがした。
「エリカ様……」
無性に胸が痛く、離れがたくて、私は無作法にもエリカ様を抱きしめてしまった。
怒られてもかまわない。今はとても、離せそうにない。
「ナーシル様」
エリカ様の両手が背中に回り、私を抱きしめ返してくださった。
どうしよう、嬉しい、どうしよう。
「……そろそろ出発しないと、遅れそうなんだが……」
アドリアン様が遠慮がちに何かおっしゃっているが、やはり右から左で、何をおっしゃっているのか、よくわからない。
エリカ様。
ああ、こんな気持ちは初めてだ。神官長がおっしゃっていた、人を愛する気持ちとは、このようなものだったのか。
生きててよかったと思うし、もう死んでもいいとも思う。
相反した感情に翻弄され、幸せなのに胸が痛く、泣きそうだ。
ああ、神様。




