30.私の女神(ナーシル視点)
エリカ様は、私のために人を殺した。
そうなるのはわかっていたのに、止められなかった。
エリカ様は、私に何と言われようが、私を見捨てて一人で逃げ出すようなことはなさらない。
だから、私がエリカ様をお守りしなければならなかったのに、それが出来なかった。
最後の兵士を殺し、エリカ様に駆け寄ろうとしたその瞬間、エリカ様はあざやかな手つきで魔術師の喉を掻き切っていた。
エリカ様の瞳は、輝いていた。
怒りに燃え、闇の中の炎のように、眩くきらめいていた。
なんと美しい人だろう。
私の胸は刺されたように痛み、言葉にできぬ苦痛と喜びが心を支配した。
エリカ様は、決してこの事を忘れないだろう。
初めて人を殺した時の恐怖と嫌悪は、その後どれだけ人を殺そうが、決して薄れず、消えもしない。
生涯、心を蝕むのだ。
私はずっと、エリカ様の心の中に残ることができる。
それが嬉しくてたまらず、同時にまた、苦しかった。
どうして私はこうなのだろう。
初めて愛した方を、幸せにすることもできない。
それどころか、貴族令嬢として何不自由ない生活を送られていたエリカ様に、人殺しまでさせてしまった。
あなたが殺したのではない、と私は必死に言った。
もう遅いのに。
きっとエリカ様も気づいている。何の意味もない慰めに、呆れて腹を立てていらっしゃるかもしれない。
エリカ様を見ることもできなかった。
こんな風にしたいのではない。エリカ様を守りたかったのに、できなかった。
しかも、それを私は喜んでいた。エリカ様が苦しみ、心に傷を負ったことがわかっているのに、それを嬉しく思っていた。
これでエリカ様は、私のことを忘れない。そう歓喜する自分に、吐き気がした。
「その魔術師は……、わたし達、二人で殺したのです」
エリカ様の言葉に、私は驚いてエリカ様を見た。
エリカ様は、私を真っ直ぐに見つめ、優しくおっしゃった。
「わたし達、戦って、お互いを守ったんです。……わたし、ナーシル様を守れて、嬉しいです。これからも、こんな事があったら……、わたしは迷わず、同じことをします」
私は自分を抑えられず、エリカ様を抱きしめた。
どうしてそんなに優しくしてくださるのだろう。
私は、エリカ様を守ることができなかった。
人殺しまで、させてしまったのに。
もう、エリカ様を騙すのは嫌だ。
たとえ失望され、罵られ嫌われても、これ以上、偽りの姿ではいたくない。
もうどうなってもいい。エリカ様になら、殺されてもかまわない。
私は八歳の頃から身に着けていた、母の形見の魔道具を取り去り、本当の姿をエリカ様にさらした。
もう、これで終わりだ。
何もかも、失ってしまった。
でも、最後にエリカ様に本当の姿を知ってもらえて、少しだけ嬉しい。
少なくとも一つだけ、偽りではない、真実を伝えることができた。それだけで、もう、満足だ。
と思っていたら、エリカ様は「ナーシル様が、何か隠してたことはわかってましたから。それに、そのお姿も、一瞬ですけど、何度か目にしましたし」と淡々とおっしゃった。
そう言えば、この魔道具は、心の強い者、純粋な者には、効力がおよばぬと聞いていた。そんな者には、八歳の頃から一度もお目にかかったことがないので、すっかり忘れていたが。
そうか……、だが、考えてみれば、当たり前かもしれぬ。
エリカ様は、私の知る限り、誰より心が強く、清らかで、美しい。
女神のような方なのだから。




