24.ナーシルの涙
「エリカ様!」
ナーシルが両刃斧をぶん、と振り、兵士二人をまとめて吹っ飛ばした。すごい。
「早く逃げてください!」
ナーシルがふたたび叫んだが、わたしはそれを無視した。
こいつらは、わたしを殺そうとはしていない。狙われているのは、ナーシルだ。
そしてその命令を下したのは、あの最低ロリコンサディスト王子、ジグモンドに違いない。
ナーシルは、わたしのせいで命を狙われているのだ。
ここでナーシルを置いて、自分ひとり、さっさと逃げ出すなんて、婚約者の風上にもおけない。
わたしが足手まといになるなら話は別だが、この魔術師、たぶんわたしより弱い。ならばわたしも、婚約者を守って戦わねば!
わたしは小さな炎の群れを作り出し、自分の前に、盾のように展開した。魔術師が風の攻撃魔法を放ってくるが、炎がその魔術を燃やし、無効化する。
わたしは残った炎の一つに追跡の印をつけ、魔術師のローブに付けることに成功した。
魔術師は慌ててその炎を消したが、火は消えても、印は消せない。
わたしは以前、ナーシルに教えてもらった誘導魔法を使い、残った炎を一気に魔術師へぶつけた。
「うわっ! なんだこれは!」
魔術師が慌てて炎の群れから逃れようとするが、炎は魔術師につけられた印を追いかけ、攻撃を続けた。
「くそっ!」
魔術師は次々に風の攻撃魔法を放ち、炎を消そうとするが、いかんせん炎の数が多く、対応しきれない。
「おのれ、女ごときがふざけた真似を!」
魔術師の悪態に、わたしはカッと頭に血が上るのを感じた。
ふざけた真似してんのは、おまえらのほうだ。
わたしの婚約者に大勢で寄ってたかって襲いかかり、その命を奪おうとするなんて、絶対に許さない。
殺してやる!
「エリカ様!」
ナーシルが叫んでいるが、わたしは素早く魔術師の後ろに回り込んだ。短剣はもう一本残っている。これで決着をつけなければ。
わたしは、背後から魔術師の顔をつかんで固定すると、短剣を持った手を思い切り横に引いた。獲物を仕留める時と同じ動きで、わたしは魔術師の喉を掻き切った。
くふっ、と空気の抜けるような音がした。
魔術師は、とすん、と地面に膝をつき、そのままうつ伏せに倒れ込んだ。
「エリカ様!」
ナーシルが最後の兵士を弾き飛ばし、わたしに駆け寄った。
わたしはがくがくする膝を叱咤し、なんとか立っていた。
……わたし、人を殺した。
手にした短剣には、べっとりと血がついている。魔術師の血だ。
「エリカ様」
短剣ごと手を握られ、わたしはナーシルを見た。
「お怪我は」
「……いいえ、わたしは無事です。ナーシル様は」
「私も無事です」
ナーシルは倒れた魔術師に近づくと、膝をつき、脈をみるように首筋に手をあてた。もう死んでいるのに、とわたしはぼんやり思った。
魔術師は、もう死んでいる。わたしが殺したのだから。
「……まだ、息があります」
ナーシルは立ち上がって言った。
「この男は、死んでいません」
「え」
いや、そんなはず……と言いかけた時、ナーシルは大きく両刃斧を振りかぶった。
そして勢いよく、両刃斧を魔術師に振り下ろし、その首を刎ねた。
「……この男は、私が殺しました」
ナーシルはわたしに背を向けたまま、静かに言った。
「あなたは殺していない。私が殺したのです」
その時、わたしは、何故ナーシルがわたしに逃げろと言ったのかを理解した。
ナーシルは、人を初めて殺した時のことを、覚えているのだ。
何年も戦場に身を置き、いやというほど人を殺しただろうに、いや、だからこそ、わたしにそんな思いをさせまいとしてくれたのだ。
わたしは混乱する気持ちを抑え、泣きそうになるのを何とかこらえた。
ここでわたしが泣いたら、ナーシルが気にして、傷ついてしまう。
わたしはゆっくりとナーシルに近づいた。
「ナーシル様」
ナーシルはわたしと目を合わせるのを恐れるように、うつむいたままだ。
「その魔術師は……、わたし達、二人で殺したのです」
ナーシルは弾かれたように顔を上げ、わたしを見た。
「わたし達、戦って、お互いを守ったんです。……わたし、ナーシル様を守れて、嬉しいです。これからも、こんな事があったら……、わたしは迷わず、同じことをします」
わたしの言葉に、ナーシルはくしゃりと顔を歪めた。
そしてそのままわたしを抱きしめ、声もなく涙を流した。




