2.最後の手段
週末、わたしは学園から王都の屋敷に戻った。
父には事情を伝えてあるが、今ひとつ危機感が足りないというか、「そうは言っても第二王子の側室など、名誉なことではないか」と考えているのだ。
父も母も冷酷ではないが、そこはやはり貴族、娘の幸せより家の繁栄が優先事項なのである。しかたない。
ただ、ジグモンド様の残虐さや人望のなさについてもよく承知しており、嫌がるわたしを無理に嫁がせるほど、旨みのある相手とも思っていないのが救いである。「そんなに嫌なら自分で何とかしなさい。出来なければ、あきらめて第二王子に嫁げ」というスタンスだ。
自分で何とか……、しようと頑張ってはみた。
この際、爵位などにはこだわらない。
家は兄が継ぐから、わたしは平民と結婚してもかまわないのだ。そうなれば便宜上、実家からは縁を切られることになるが。
だが婚活をはじめてすぐ、わたしは平民との結婚のほうが、条件が厳しいことに気がついた。
貴族同士の結婚は、家格の釣り合いや資産の有無などが問題となるが、逆にいえば、それ以外はさほど重要視されない。
しかし、平民の結婚とは、暮らしに直結する契約だ。
どれだけ稼ぐ能力があるか、もしくは家事方面が有能か、という項目をシビアに採点されるのだ。
そしてわたしは、見事に平民の望むお嫁さん像から遠くへだたった人間だった。
金になる治癒魔法は使えない(危険視される火、風、氷などの攻撃魔法がとっても得意)、家事全滅(料理は切って焼くだけしかできず、それ以外はメイドに習ったが匙を投げられた)、持参金もありません(平民と結婚する場合、立場上絶縁されるため)、ときては、どうしようもない。
ならば貴族を、と探してみても、わたしは既に学園で、第二王子のお気に入りとして有名だ。
ジグモンド様があちこちで、わたしを側室として迎えたい、と吹聴してまわっているため、縁談がひとつもまわってこない。
第二王子のお気に入りを婚姻相手として望むなど、第二王子に正面切ってケンカを売るのと同義だ。
ジグモンド様は、権力もさることながら、その残虐さや執念深さを恐れられている。そこを押してまで、わたしを望んでくれるような家など、どこにもなかったのだ。
こうなったら、もう最後の手段しかない。
学園卒業まで、もう三ヵ月を切っている。多少は妥協しなければ、あのサディストの餌食となってしまう。
わたしは腹をくくり、屋敷に戻ってきたのだった。
今日は兄の親友である、騎士レオンが屋敷を訪れる予定だ。
レオンは男爵家の跡取り息子で、王宮の第一騎士団に所属している。
魔力はまったくないが、騎士としての腕前を高く評価され、団長の信頼も厚い。
それなのに、22才になる今の今まで、婚約が決まらず独身である。
容姿に問題があるわけではない。
好みもあるだろうが、レオンは短い金髪に緑の瞳の爽やかマッチョで、容姿だけなら貴族令嬢からの人気も高い。
しかしレオンには、それらすべての美点をもってしても越えられぬ、大きな問題があった。
「エリカ、戻っていたか」
「兄上、レオン様も。お久しぶりでございます」
わたしが二人に挨拶すると、
「エリナ殿、お久しぶりです」
にこにこと愛想よく、レオンがわたしに挨拶を返した。
いつも爽やかで、愛想もいい。
性格はいいんだ、性格は。
「……レオン様、わたしの名前はエリカですわ」
「おお、そうでした! いや、これは申し訳ない」
ハハハ!とレオンは爽やかに笑い、頭を下げた。
……このやりとり、何度目だろう。
だいたい、最初に兄がわたしを「エリカ」って呼んでるのを聞いてなかったのか。
レオンでなければ、わざと間違ってんじゃないかと疑うところだ。
「俺はどうも、人の名前を覚えるのが苦手で。本当に申し訳ない、エリカ殿」
再度、頭を下げるレオン。
礼儀正しいし、爽やかで、性格もいい。
ただ、バ……、記憶力があまりよろしくないのである。
レオンと同学年の兄が、あまりの成績の悪さに退学スレスレだったレオンを見かね、なんとか卒業できるよう、勉強を見てやってたらしい。
「レオンの面倒みてたら、学園から、教師として残らないかって声をかけられたよ……」
と疲れたように兄が言っていた。
どうも学園側も、レオンの扱いには手を焼いていたらしい。
素行が悪いという訳ではない。教師にも生徒にも礼儀正しく、体術剣技などはトップクラス、騎士団への入団が既に決まっていたレオンを、「バカだから」という理由で退学にはさせられず、困っていたのだろう。
それにレオンは、本当の意味でバカという訳ではない、とわたしは思っている。
自分の興味のある分野、剣術や筋肉については、レオンは驚くほどの記憶力を誇り、知識も研究者並だ。
つまりレオンは、頭の中がすべて剣術や筋肉で埋まっており、色恋沙汰にはまったく興味がないのだ。
そのためレオンは、女性に告白されて付き合いはじめても、一週間とたたずにフラれてしまう。
何度言っても名前を覚えてもらえず、話題は剣技や筋肉についてだけ、女性の話は右から左に流されるのだ。
そりゃ相手はツライだろう。わたしだってイヤだ。
だが、もうそんな贅沢を言っている場合ではない。
ここで婚約者をつかまえなくては、三ヶ月後、わたしはサディストのおもちゃとして鞭打たれることになる。
わたしは、兄の部屋へ直行しようとするレオンを引き留めた。
「お忙しいところ、申し訳ありません、レオン様。少しお時間をいただけませんか?」
わたしはレオンを見上げた。
レオンは何度も屋敷に来ていて、よく話もするし、気心も知れている。少なくとも、嫌われてはいないはず。
また、レオンの実家は、元々平民だったのだが、先代当主が養豚業で国の飢饉に貢献し、爵位を賜ったという経緯がある。そのため、貴族としての格は低いが、第二王子であっても手出しはしづらい。
そしてレオンもわたしも、婚約者を探している。
ならば! ここでわたしが恥を捨て、婚約者になってくださいと頭を下げれば、すべて丸く収まるのではないだろうか!
「俺に話ですか?」
レオンは足をとめ、わたしを見た。
「ちょうど良かった。俺もエリカ殿に、話があったのです」
ん? とわたしは首をひねった。
レオンがわたしに話って、なんぞ。
わたしは、筋肉にも剣術にも興味はないのだが。
わたしの怪訝な表情に気づいたのか、レオンがにこやかに説明した。
「以前、俺がエリカ殿にご指南いただいた件です。どんなに見合いをしても、断られてしまうのは何故だろう、とご相談した際の」
ああ、あれね! とわたしは頷いた。
レオンは男爵家の跡取り息子なので、両親から結婚をせっつかれているのだが、見合いでことごとく失敗してしまうため、どのように振舞うべきか、と相談を持ちかけられていたのだ。
「エリカ殿にご指導いただいた通り、俺は何も言わず、ただ『そうですか』と『それは大変ですね』とだけ相槌を打ったところ、見合いがうまくいったのです!」
レオンが輝く笑顔でわたしに告げた。
「ありがとうございます、エリカ殿! この年まで婚約者が決まらず、親にもさんざん心配をかけましたが、このたび、やっと! 婚約することができました!」
…………………………。
レオンが、婚約……。
王都中の貴族が結婚しても、コイツだけは無理だろうと舐めていたレオンが……。
「エリカ殿?」
不思議そうな表情のレオンに、わたしは慌てて言った。
「そ、そうでしたの。それは……、それはおめでとうございます。ようございましたわね」
「ありがとうございます、エリー殿のおかげです!」
礼儀正しくお礼を言うレオン。
またもや名前を間違えられているのだが、もはや訂正する気力もない。
そうか……。
レオンでさえ、婚約できたのか……。
わたしは一年かけても、婚約できなかったというのに。
……これはもう、ほんとに国を出奔するしかないのかもしれない。
にこやかなレオンを前に、わたしは絶望のため息をついたのだった。