14.みんな悩んでいる
その週の学園生活、わたしはイライラしっぱなしだった。
第二王子は、事あるごとにわたしの婚約を口にしては、わたしが婚約者について教えてくれないことを大げさに嘆いてみせた。
「まあ、僕はしょせん、側室腹の出だからね。エリカに婚約者について教えたくない、と言われてしまえば、無理強いすることなんてできないけど、でも、悲しいな。僕は心から、エリカの幸せを願っているのに」
むろん、誰も言葉通りの意味にはとらえていない。
わたしは、第二王子をコケにした女、あの執念深いジグモンド王子の恨みを買った女として、学園中、つまりは貴族全員に認識されてしまった。
気の毒そうな視線を向けられることはあったが、積極的にわたしに関わろうとする、勇気ある人間は皆無だ(ララだけは別)。まあ、第二王子に目を付けられた一年前の時点から、それは同じだけど。
何もかもが面倒すぎる。
いっそ学園を退学してしまいたいが、そうすると、ジグモンド王子の動向を探る手段も限られてくる。
ナーシルの身の安全のためにも、第二王子との接点をすべて切ってしまわないほうがいい。本当は顔も見たくないが。
週末、わたしはさっさと屋敷に戻った。
今日は、シシの森でナーシルと落ち合う予定だ。
「なんで兄上までいらっしゃるんですか?」
わたしより先に馬車に乗っている兄アドリアンに、わたしは少し呆れて言った。
「いかに婚約者とはいえ、未婚の女性を付き添いもなしに、独身の男性と会わせるわけにはいかんだろう!」
「兄上は、ナーシル様がわたしに、何かよからぬことをするとでも?」
兄は難しい顔つきで言った。
「そうは言っていない。だが、おまえはまだルカーチ家の人間で、私の妹だ。……それに、初心者用の森とはいえ、シシの森にも魔獣は出る。おまえ一人では心配だ」
「一人じゃありませんよ。たぶん、レオンも来てるんじゃないですか」
「レオンも独身男性だ!」
うん、まあ……、そうだけど。
でも、ナーシルもレオンも、世間の一般的な独身男性とは、だいぶ隔たった存在のような気がするが。
シシの森に着くと、ちょうどナーシルとレオンも来たばかりのようで、装備の確認をしていた。
わたしも今日は冒険者っぽく、厚手の綿の長袖シャツ、ズボンに、革のロングブーツ、フード付きマントという恰好だ。今日はとりあえず攻撃魔法だけを使用する予定だが、念のため武器としてダガーを二本、用意している。盾などの防具はない。攻撃には攻撃で返すのが私のスタイルである。
兄は、名ばかり在籍している騎士団の制服を着用している。もっと冒険者っぽい恰好にしたら、と言ったら「わたしはおまえの付き添いだから、冒険者っぽくする必要はない!」と怒っていた。
「ナーシル様、レオン様も。本日は、宜しくお願いいたします」
わたしは丁寧に頭を下げた。
本日は、ナーシルに、冒険者としての手ほどきをお願いしているのだ。
子どもの頃のお遊びとは違い、本格的に冒険者として生きていこうとするなら、魔法や武器の使い方、素材の扱い方、野営の仕方など、教えてもらわねばならないことが山ほどある。
ナーシルは、わたしの冒険者になりたいという希望を、真剣にとらえていいのかどうか、はかりかねているようだ。
今日も、わたしの姿を見て「本当に来たのか」と驚いているように見える。
レオンはいつもと変わらぬ爽やかな笑顔だ。
「おお、アドも来たのか! もしかして、アドも冒険者になりたいのか?」
「そんなわけないだろ!」
ハハハ、と笑うレオンに兄が嚙みついた。
「レオン、おまえ、まさかとは思うが、本気で冒険者になりたいとか考えてるわけじゃないだろうな?」
「うん?」
レオンは首を傾げた。
「冒険者にはなりたいが、騎士をやめねば冒険者にはなれんのだろう? なら、無理だな。親には、騎士か領主か、どちらかしか認めんと言われている。騎士はともかく、領主はなあ……」
レオンの困ったような様子に、わたし達三人は、納得の表情になった。
レオンが領主として書類と格闘している姿を想像すると、おかしくも悲しくなる。
他人事ならば喜劇だが、バルタ家、領民にとっては悲劇だろう。
「まあ、領主としての仕事は、婚約者殿にやっていただくということで、話はついているのだが……」
レオンが珍しく考え込む様子を見せた。
無能な夫に代わり、妻が領主として采配をふるうのは、さして珍しい話ではないのだが、何か問題でもあったのだろうか。
「どうした。何か問題でもあるのか?」
兄が心配そうにレオンの肩に手をかけた。
なんだかんだ言って、兄はレオンを大切にしている。バカな大型犬を可愛がるのと同じような扱いだが、大切にしているのには違いない。
「うむ。……最近、婚約者殿に、会うのを拒否されてしまってな……」
「えっ!?」
レオンの言葉に、わたし達三人が驚愕した。
「レ、レオン、おまえ何をやらかしたんだ。せっかくつかまえた婚約者なのに」
「何もしていない。……いや、その……、したと言えば、した。何度も名前を間違えてしまって……」
ああ、と三人が納得した。
「……レオン様、それは仕方がないのでは」
わたしはそう言ったが、
「仕方ないで済ますな! 覚えろ!」
兄がレオンの肩を揺さぶった。
「たった一人の婚約者だろ!? なんで覚えられないんだ! 言ってみろ、ほら!」
兄にがくがく揺さぶられるまま、レオンが苦悩の表情で言った。
「うむ。……ヨハンナだったか……、いや、ジェシカかな……」
ナーシルが、兄とレオンをハラハラした様子で見守っている。
いつものことなのだが、ナーシルは初めて見るせいか心配そうだ。
そんなに心配することないのにと思い、わたしはナーシルに言った。
「ナーシル様! ナーシル様に質問があります!」
わたしの唐突な言葉に、ナーシルが目をぱちくりさせた。
「え、え? はい……、何でしょう?」
わたしはナーシルを見上げ、にっこり笑って言った。
「レオン様の婚約者の名前は、何でしょうか!?」
「ええ!?」
珍しくナーシルが大声を上げた。
「えっ、え? な、なぜ私にその質問……?」
「いいから考えて! ヒント、覚えやすい名前です!」
さあ! と促すと、ナーシルは目を白黒させながらも、真剣な表情で考え込んだ。
「覚えやすい名前……、レオン様は、先ほどヨハンナ、ジェシカ、というお名前を挙げていらしたから……」
「はい、あと10秒です! 9、8……」
「え、ええっと、あの! ヨラン! ヨラン様では!?」
ナーシルの言葉に、わたしは、ふむ、と考えてみせた。
「なるほど、ヨハンナに近く、三文字と短い名前……、考えましたね、ナーシル様!」
わたしに褒められ、ナーシルは照れたように頬を染め、視線をさまよわせた。
「は、いえ……、その、当たっておりますでしょうか」
わたしはナーシルに微笑みかけ、言った。
「残念! ハズレー! 正解は、ゲルトルードでーす!」
そんな! とショックを受けるナーシルに、兄とレオンが気の毒そうな表情になった。
「……エリカおまえ、レオンの婚約者の名前で遊ぶんじゃない」
「そうですリリー殿。だいたい、その名は、ちっとも覚えやすくなどない!」
わたしはレオンに向き直った。
「なんでですか、こんなに覚えやすい名前はないですよ! ゲーゲー吐くゲルトルード、ゲル状のゲロを吐くゲルトルード、そう関連づければ、すぐに覚えられるはずです!」
「……嘔吐にからめているのは何故だ? 嫌がらせか?」
兄が嫌そうに言ったが、
「なるほど! ゲーゲー吐くゲルトルード! これならば覚えられそうです!」
レオンの言葉に、兄とナーシルは、エッと驚いた。
「待てレオン、おまえ正気か!?」
「レ、レオン様……、それはあまりにも……」
「なんですか兄上、ナーシル様も。お二人は、レオン様が婚約者のお名前を覚えられないままでもいいって仰るんですか?」
わたしの言葉に、二人はうっと言葉に詰まった。
「そ、それは……」
怯む二人に、レオンがにこにこして言った。
「心配をかけたようで申し訳ない! だが、これでなんとか、婚約者殿の名前を覚えられそうだ! かたじけない、リリー殿!」
「よかったですねレオン様!」
わたしも笑顔になって言った。
うん、良かった。
しかし、あの能天気の見本のようなレオンにさえ、悩みがあったとは。
わたしは少し、衝撃を受けていた。
当たり前だけど、みんな色々、苦労してるんだなあ……。




