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花々は一枚一枚が潤い、葉々もそれを飾るように青々としてひかりを湛えている。石畳には星石が混じっていて、昼にも夜にも輝いた。キリスティシアの庭園―――天上の楽園に相応しいその景色を、少女は何度も確かめに出かけ、そして夢心地に浸りながら想像に翼を添えるのが好きだった。
(やはり地上にくらべて太陽が近いから、植物が元気なんだわ)
確信を持って頷くのを誰が見ている訳でもないが、キサハは話し聞かせるように思考する。
(元気だから葉がこんなにみどりで。そう、花だけが美しいより、葉っぱや茎まで美しいほうが輝くのよ)
細い指で葉脈に戯れ、先を弾くと、細かい水滴が散った。雨も降らないのに朝露を纏うのは夜に霧けぶるからだというのを彼女はもう発見している。けれど、彼女の生まれ故郷にだって霧はあったのに育つ草木は枯れているように元気がなかった。だからきっとほかの要因がここの草花を潤わせているのだと予想を立てていたのだ。
キサハは長い間、キリスティシアの庭園がどうしてこんなに夢のようにまぶしいのかを解き明かそうとしていた。初めて足を踏み入れたときには目が眩んでそのまま光に溶け込んでしまうのではないかなんて心配もしたくらいだ。しかし彼女は自分自身も、地上人が見たなら驚くほど美に満ちて輝かしく、庭園を楽園の景色として完成させる存在であることを忘れている。肌は陶器のように白く、乳白色の髪はしかしまた淡く金に光った。それが顎のところで切り揃えられていて、音に振り向くのも川の流れるように清かだ。空の一番遠いところのような悠久の青が、石畳の星よりもよっぽどに美しい瞳。そうしてその瞳が―――背後の噴水の向こう側に誰かやってきたのをとらえる。
湧き出す水は澄み切っていて、けれどだから周囲の景色を飲み込むように写すので、蹲み込んだキサハの目線からではその人相が判然としない。天上に住まうは彼女と同じ神の愛子たちか、地上人を代する人形たち、あるいは彼女たちの母たる神のみだったから、背丈で言えば愛子か人形のいずれかだろうとキサハは考えた。
(もしかしたら………)さらに彼女は思い出す。ふた月も前のことだからすっかり忘れていたが、既に天紐が地上へと降りているはずで、それに導かれて新たなキリスが昇ってきたという可能性もあるのだ。
だとしたら歓迎しなければ、と立ち上がりかけたそのとき、奇妙な音を聞いた。
声帯の潰れるような悲惨な声。水音に紛れて小さいがたしかに聞こえた。なんだろうと思うまもなく水肌が写す景色に赤が散る。人影が一つ倒れた。
もう一つは、そのまま。
キサハは有意識では状況を理解できるほど利口ではなかったが、無意識に身を潜めるだけの聡さはあった。潤む葉々の間から引き続き様子を窺うと、みるみるうちに噴水の水面に赤色が溶ける。洗い流しているのだ。
何を?
(…………………血?)
やがて噴水の向こう側から少年が一人現れる。健康的な肌色の頬。アイボリーの癖っ毛は大人しげに短いのに、彼の眼差しは黒く剣のように穏やかではなかった。そして切って裂いたような細い笑み。俯きがちな横顔は水に濡れて、きらきらと輝く。その右耳に耳飾りがあるのをキサハは確かに見とめた。
右の子だ。キリスの。
見覚えのある顔ではないからやはり今代のこどもだろう。しかし、では、それがなぜ―――。
視線を滑らせた先には水盆があるばかりで、きっと反対側に倒れているであろうもう一人の姿が見えない。キリスは対で生まれてくるものだ。産み落とす母胎は違えども、ともにキリスティシアに上がってからはほとんど双子のような存在になることを、彼女は見知ってきている。それが、――なぜ。
少年が庭園を去ってからもキサハは呆然とその景色を眺めていた。理解が、出来なかったのだ。この美しい楽園で起こった惨劇。
かく言い表すべき恐ろしい事件が起こったまさにその瞬間さえ、庭園は美しく光り輝いていた事実を。