影の観測者達
サイスとノアと十年前のお話。
ディノティクス南東部の街でデリイアードに到着する。時刻はお昼を少し過ぎたくらい。午後一時半。
ギガの衛星都市で、ベッドタウンとまではいかないまでも中産階級用の閑静な住宅街で比較的新しい街。
ギガには、姉貴の付き添いで何度かあるけど、この街は初めてだ。
「やっと、着いた。やっぱり陸路は時間が掛かるね、チャ老師」
そう、陸路。
ギガに行くときは、飛行機を手配していたけど搭乗券が取れなくて、仕方なくトレインを乗り継いでここまで来た。
急にバルベロに呼び出されて、行ってみたら遠出の付き添い。
なんでも、先の争いの時にはお留守番だったから『次の仕事』に参加させてくれるとのことだった。
でも、実質はモノを運ぶだけ。しかも、バルベロで龍華に会えると思ったのにもう3日も前に北のミランジュに向かって出発したって聞いたし。
ちょっとぐらい、連絡くれてもいいじゃん姉貴。
……まあ、でもきっとまた会える。
次は、戦いの時それまでに俺はもっとつよくなる。
強くなって、彼女を守れるようになるんだ……
と、決意も新たに姉貴の用事に付きあうことにした。
バルベロからギガに続く『機械都市線』の鈍行に乗り込んだ。
鈍行だと、乗り継いでいっても途中で日をまたぐ。
そうすると、五時間位間が開くから途中で下車してホテルに留まる。
飛行機とか、特急にのれば一日でつくけど、生憎両方共定員で予約ができなかったのだ。
というわけで途中で泊まってバルベロから丸二日。
中々に長い道中だった。
とはいっても、急ぎではなかったから電車の乗り継ぎで余裕があればちょっとした物見遊山も楽しめた。
途中の街で名物を食べたり、もう少し時間があれば名所も見に行った。
最初に降りた駅で食べた、豚の出汁が効いた紫羅風の汁麺がめちゃうまかった。上に乗っていたばら肉の辛煮も、食べごたえがあっておいしかったし、胡椒をかけるとまた違った風味もあった。
次に降りた駅では、店に入って…なんだっけ、小麦粉の生地にキャベツとかエビを混ぜて焼いた平らなパンケーキ(?)もおいしかった。
ソースが独特で、何枚でも食べれそうだった。
……思い出せば、食べてばかりだったかもしれないけどまあ仕方ない。
なんせ、食事車両もない非特急線だったし、ゆっくりご飯も食べられない。
身体は資本。食事と水分はなんにもまして優先せよ、食べられる時に食べるのが俺たちの決め事。
「そうだな。でもまあ、たまにはゆっくりした旅もいいだろう。なあ、ノア」
「おうですね、老師。」
姉貴はトレインから降りて、例の大きなケースを俺に渡す。
ジュラルミンの、一メートル程の直方体、そこそこ重い。
中身はまだ教えてもらっていないけど、丁寧に扱うように言われている。
改札を出て、トラムに乗り込む。
新しい都市らしく、道路も真っ直ぐに整備されているけど、どうやら街中の足は、このトラムのようだ。
行き先はデリイアードの郊外、丘の上の団地だ。
窓から見える風景は、聞かされた通りの住宅街。街行く人のほとんどは女性で子供を連れている。
バルベロでは中々見られない、穏やかな光景。
「今から会う人って、どんな人?」
「会えばわかる。」
「そればっかり…ちょっとは教えてくれてもいーじゃん。」
この箱の中身を届けるとだけ教えられて、それ以外は何も知らない。
「姉貴の先生だっけ?おっかねー人だったら嫌だな…」
「…兄さんの古い友人だ。私も少しだけ、会ったことがある程度だ。」
「そうなの?」
「そう言った筈だ。全く、何を聞いているのやら。」
わざとらしいため息ひとつに、ジェスチャー。
なんだよもう。
…姉貴の、お兄さんか。
俺は会ったことないけど、10年前にクーデターで亡くなったということだけ知ってる。
今は姉貴が首領だけど、元々はお兄さんがあとを継ぐ予定だったってことも。
クロ兄の友達だったってことも聞いてる。いい人だったって話だ。
「次で降りるぞ。」
「はぁい。」
「ようそこ、ノア。ああ、すっかり大人になって。チャ老師も、お元気そうで。」
「ご無沙汰しています、バルバラ。お元気でしたか。」
「調子が悪いと聞いて心配しておったぞ。」
丘の上の家。
広い庭に大型犬が一頭、猫が二匹。
高級住宅といった風の一軒屋に住む女性が俺達を迎えてくれた。
短い灰髪に、茶色の目のノア姉よりも少しだけ背の低い。
「私の家族です、サイス。ご挨拶を。」
「サイスです。はじめまして、バルバラさん。」
差し出された手を俺は握る。
女性にしては短く、太い手。それに少し皮膚がかたい。
「はじめまして。頭の良さそうな子ですね。」
「…ありがとうございます。」
面と向かって誉められなれていないから、なんだか妙な感じだ。
「早速ですがバルバラ、頼まれていたものを貴女に。」
ノア姉がジェラルミンケースを床に置く。
手早く解錠して、中のものを
「(あ、脚!?)」
正確には、義足だ。
だけど、血が出ていないだけで、どう見ても人間の脚そのものだ。
「すみません。本来なら私が赴くべきだったんですが、どうにも調子が悪くて。」
「暫く調整していなかったからな。道具も持ってきたから調律をしましょうぞ。」
「ありがとうございます。ええ。」
興味深そうに近寄ってくる犬猫を遠ざけるように言われて、俺はリビングから廊下に出る。
「…びっくりした。でも、義足ってことは」
バルバラは、脚が片方ないということか。
たしかに歩く度に金属の音がしていたから、間違いはないだろうけど。
「事故、か何かなのかな」
ワン!と目の前の大型犬が吠える。
「わっ、もうびっくりした。」
しっぽを振って俺を見ている。
中々に人懐こい犬のようだ。猫も同じく。
またワンっと吠えて廊下の奥に向かって進んでいく。
「待てよ」
思わず追いかける。
彼らは階段を器用に登って、登り切って直ぐの部屋に入り込む。
扉は、猫が開けたのだろう。
小さな隙間にまず二匹の猫が、次に大型犬が鼻先を突っ込んで強引に扉を開けて入り込む。
「こらっ…あ」
勝手に入り込んでしまった、という事よりもまずその部屋の様子に驚く。
本が、壁が全部本でうめつくされている。
書斎だろうか、大きな窓がドアの反対側にあってその前に木製のデスク、デスクと窓の間には黒い革張りの高級そうな椅子。でも年代物。
「にゃーご」
「こら、勝手に入っちゃ駄目だろ!」
猫がそのデスクの上に登って座る。
封筒の束やら、本やら、資料を閉じているらしき分厚いファイルが積み重なっている。
封筒の束は開封されていることから誰かから貰ったものみたいだ。
それに返事を書いていたのか、便箋とペンが同じく机の上に置かれている。
ご友人との文通だろうか。随分と、筆まめな人みたいだ。
…ジロジロ見るものではないだろう。
俺は猫を抱き上げて、机の上から退かせる。
が
「にゃごおっ!」
わっ!
腕が引っかかって、ファイルと一つの写真立てを床に落としてしまう。
でも幸い、手紙の束とか、便箋は乱れていない。
「こらっ!あいたっ!」
少し爪を立てられてしまって思わず猫を離してしまうけどさすが猫。
軽々と着地する。
そのまま部屋の外にいってしまった。
犬と、もう一匹の猫は俺に近寄ってきて、引っかかれたところを舐めてくれる。
「大丈夫だよ。ああ、片付けないと。」
犬の頭を撫でて床に落ちた写真立てをまず拾う。
写真には二人写っている。
一人はバルバラさんだ。でも、若い感じがする。
髪の毛も長いし。
もう一人は、最初は女の人かと思ったけど膨らんだ喉を見て男と分かる。
バルバラさんよりも更に若い男だ。
髪の毛と眼は黒髪で真っ直ぐな髪の毛をオカッパみたいに切っている目つきの鋭い人だ。
顔つきは、ディノティクス人よりも紫羅人に近い。
あと二人共警察の制服。これはギガ都市警察のものだ。
ということは、一緒に写っている人も警察官なのだろう。
でも、バルバラさんいい笑顔している。嬉しそう。
もしかして、恋人なのかな?
「(でも、今一人暮らしってことは…)」
詮索は余計だろう。
俺は写真立てを元あっただろう場所に戻した。
次に俺はファイルを拾う。分厚いファイルで、チラリと見えたのは写真記事のスクラップ、印刷された誰かのパーソナルデータ。何人か分。
あとは、地図とか、また新聞記事。
『警察官』『連続殺人』『凶器は銃』
読み取れたのはそれくらい。
最後にファイルの背を見ると『警察官連続銃殺事件(未解決)』と書かれていた。
もう一つの方は『高級娼婦連続絞殺事件(未解決)』だった。
部屋と、バルバラさんの穏やかな雰囲気からは程遠い殺伐とした単語。
「警察官連続銃殺事件……?聞いたことあるような気がする。たしか、ギガの」
13年程前か、まだギガがマフィアに牛耳られていて治安が悪かった時の事、警察官11人が一晩の内に銃殺された衝撃的な事件。
当時警察機関から攻撃を受けた組織は山ほどあったから、報復の線が最も濃厚。
組織的な犯行であるなら、実行犯は一人ではない。そう考えるのがセオリーである。
でも、回収された弾痕全ては極めて高い確率で同一銃器から送出された可能性が高い。
たった一人で、一晩のうちに、それもやや広範囲をー
俺はついつい開いてしまったファイルを閉じる。
勝手に読むのは行儀が悪いし、それに、次のページから写真がファイリングされているっぽいから、きっと現場の写真…血なまぐさいものが眼に飛び込んでくると予想したからだ。
…バルバラさんが警察関係者だと判断すると、この事件の被害者は同僚たち。
未解決事件であるなら、思い入れがあるのも頷ける。
ではもうひとつは?『高級娼婦連続殺人事件』…娼婦、と聞くといやらしいという印象を俺は持っているけど、『そうした職業は必要であり、昔は神聖な職。いまでも男たちにとっては女神にも等しいのだ』と姉貴には言われている。
でも女神であるなら、殺されたりしないだろう。しかも、何人も。
これも未解決事件。犯人の手がかりは全くない。
このファイルは開く気はない。
殺人事件は嫌だし、それに娼婦って響きが、なんだかやっぱり俺はまだ見てはいけない者のような気がするし。
「サイス君?」
「うわっ!!」
後ろからっ、声っ。
「バルバラさんっ、すみません、勝手に入ってしまって。」
俺はあわててファイルを机に置いて後ろを振り返る。
バルバラさんと、ノアの姉貴が佇んでいる。
バルバラさんの腕の中には猫がいた。足元には犬。
「いいえ。この子達が入ったのを追いかけていったんでしょう?私がお世話を頼んでしまったんだもの。…片付けてくれたのね?この子たち、机にもよく登って大変なの。」
よかった、どうやら俺の事情は汲んでくれたみたいだ。というよりも、この猫達、結構な悪戯者みたいだな。
「あんまりお客様をいじめてはいけないよ、お前たち。」
猫達はにゃーごとそれこそ猫なで声でバルバラさんに顔を擦り寄せる。
「この子たちの面倒を見てくれてありがとう、下で、ささやかだけどおもてなしの準備ができているの。良かったら、来てくれないかしら?」
「はい!もちろん!」
テーブルの上には焼き菓子がひしめいている。
焼き菓子とはいってもクッキーみたいな乾物以外にケーキとかミートパイとか結構食べでがありそうなものに加えてチキンナゲットとかのスナックが並べられている。
十分すぎる量。
「ええ、そう。元警察官。でもね、私は失敗した。ある組織の襲撃戦の時に部下に誤った伝達をしてしまってね。私は、右足を失う大怪我と作戦失敗の責任を取って辞職。部下も、私と一緒に退職したんだ。」
「足を失う大怪我って…。」
10何年前とはいっても、技術の発展著しいギガで右足を失う程の怪我なんて、そうそうない。
ましてや警察関係者なら、最高の治療を受けることも出来るだろうに。
よっぽどの怪我だったんだと予測できる。
「……まあ、そのあたりは食事中にする話ではないから割愛するよ。そういうわけで、私は引退してこの街にきたんだ。幸い、蓄えや保険が出ているから今のように暮らせている。ちなみに家は元々持っていたからそれでだいぶ助かっているのだけれど。オレンジジュースで良かったかしら?」
氷の入ったタンブラーをソーサーごと俺に差し出す。
「ありがとうございます。はい。」
酸味がきいて、甘いモノばかりで若干麻痺していた味覚が回復する。
「後輩はいい子でね。少し無愛想で、生真面目だったから周り衝突も多かったけど私には少し懐いていたんだ。」
「たしか教官だったんですよね。」
「教官?」
「ええ、そう。主に銃器の扱いのね。ジュニアハイを卒業してすぐに警察学校に入って、とても優秀な成績で卒業。体格も、特殊班向きだったから、すぐにそっちの方に回されたのさ。」
「特殊班っていうのは、そのなの通り制圧部隊のことだ。サイス。」
「当時私は教官でね、彼は私の最後の弟子だった。でも年がかなり若いし、体も細目から先輩格の嫌なやつに虐められてね。私が眼を光らせている間は良いんだけど影で色々されていたんだと思う。時たま、顔に擦り傷があるのを見ていたから。」
「…嫌なやつですね本当に。」
「でも、そんな時はたいていその嫌なやつの方が傷めつけられているのだけどね。」
苦笑している。
「まあ、そんな彼だけどものすごく優秀な人材だった。こと、狙撃に関しては誰よりも正確無比だった。…それだけに、私は罪深い。彼という存在を、警察組織から永遠に失わせてしまったのだから。」
「……しかし、貴女はなにもしていない。全ては貴女と、その部下の男性を陥れるためだったと聞いています。」
姉貴がとんでもないことを言い出す。
陥れるためにって、しかも結果的にバルバラさんは右足と職を失っている。
正義の味方であるはずの警察組織が、そんな恐ろしいことをするなんて…。
「ノア、サイス君が驚いているじゃないか。それに、誰がそんなことを?」
「兄です。生前、ずっと貴女の事を心配していました。」
「……ソロンか。全く余計なことを妹に吹き込んで」
文句とは裏腹に、その表情は少し緩んでいる。そして、わずかに寂しそうだ。
ソロン・ブレード。ノアの姉貴のお兄さん。
本当は首領になるはずだった人。
10年前のクーデターでレイヴァン皇子を守って死んでしまった影の一族の一人。
年齢は丁度バルバラさんと同い年で、口ぶりから恐らく仲が良かったんだろうと思う。
…でも、隠密の影の一族のそれも次期首領と仲がいいなんて一体この人はどういう人なんだろうか?
「ノア、私のこと何も話していないのかい?」
「そういえば、話していなかったな。」
あ、やっぱり俺の知らない何かがあるみたいだ。
「はい、突然ここに連れて来られましたから。」
バルバラさんは苦笑する。
「…私はね、サイスくん。実はソロンの婚約者だったんだ。私の家自体は君たちの一族の協力者で、ひいては機械都市における西方帝閣下の眼の役割を担っていた。でも私の大怪我とソロンの死、それに皇家の断絶で私の役目は何もなくなってしまった、だからこうして静かな街でひっそりと暮らしているのさ。」
なんとなく、気付いていた。きっと『こっち側の人間』なのだろうと。
でも姉貴のお兄さんの婚約者だとは驚きだ。つまり、姉貴の義姉になるはずだった人。
「でもレイヴァン皇子いいや、レイヴァン西方帝閣下がご帰還されたからいつまでも隠居することは出来ない。」
「だから、今回新しい義足を注文したんじゃな。」
今まで黙ってミートパイを頬張っていたチャ老師が相槌を打つ。
「警察に復帰するんですか?」
「常勤ではないが、戦略顧問として声がかかっている。幸い、いや不幸なことに私を快く思っていなかった者達は一人残らず警察にはいないから、恐らくスムーズに職場復帰できるだろうとは思う。」
「不幸なことにって?」
俺の質問に対してバルバラさんは何も答えなかった。でも代わりに一つだけ。
「だけど、ギガの警察が清浄化したことは紛れもない事実。たとえそれが、どんな酷いことが切っ掛けであれね。」
「……」
ノアの姉貴は何かを知っているようだ。でも何も言わない。
「所でノア、跡取りはどう?イイ男、いるのでしょう?」
「考えてはいますよバルバラ。でも、まだ王が即位して間もないですから、本格的に取り組むのはもう少し先ですよ。まずは国を安定させなければいけませんから。」
跡取りに取り組むって…あれ、だよな。
子作りだよな、エッチだよな○○○○だよな!!
「サイス、おめえ変な想像してっだろ」
とチャ老師がにやにやしながら俺を見る。
「チャ老師だって、分かってるんだろ。」
小声で返すけど、多分姉貴には聞こえているだろう。
でも特にお咎めはない。
「クロは元気か」
「ええ。元気です。私の側近として、ミドリと一緒によく働いてくれています。前の、即位式の時にも狙撃手として活躍してくれました。」
「…片目、だったな。」
「ええ。」
「彼も大した人ですね。素晴らしい狙撃手だ。今の警察機関には彼ほどの人材はいないでしょう。」
「そうなんですか。かつての貴女の部下の…ええっと、すみません『手紙』の彼は貴女と一緒に復帰しないのですか?」
バルバラさんは苦笑して、首を横に振った。
手紙?あの書斎にあった古びた便箋の束の送り主だろうか。
それに、あの写真の若い男性が頭に浮かぶ。
もしかして、あの人が?
「私も勧めたのだけど、答えはノーだ。復帰は全く考えていないそうだ。」
「そうなんですか…」
「私への『償い』だけが、彼の使命だとも言っていたよ。勿論手紙の中だけだけど。彼にはもう10年程会っていないから説得のしようがない。」
バルバラさんはティーカップを持ち上げて一口紅茶を飲む。そしてぼんやりとどこかを見ながら、熟残念そうに、独り言のように呟く。
「警察組織は、私欲にまみれたおろか者のせいで彼という逸材を失ったのさ。」
バルバラさんが是非にと言うから、一晩お世話になることになった。
猫と犬の相手に疲れた俺は直ぐに寝てしまったけど姉貴とバルバラさんは遅くまで話していたみたいだ。
大人の話、ってやつだろうか。
それに、考えても見ればノア姉貴の『お義姉さん』になるばずだった人だし積もる話も話しやすいのかもしれない。
そうして、美味しい朝食をもらって、食後のお茶とほんの少しのおしゃべりを楽しんで。ゆるゆると出発することにした。
帰りには日持ちのする焼き菓子をもらって、しかも俺にはお小遣いまで渡してくれて、俺達は帰路に着いた。
「またいつでも来てね、ノア。忙しいでしょうけど。」
「ええ、今度はクロも連れてきます。」
トラムに乗って、鉄道の駅までバルバラさんは見送ってくれた。
義足の調子を見るためでもあるとか行っていたけど、やっぱり普通の生身の脚みたいで、違和感も不自然さも見受けられない。
「加減はどうですかな?」
「すこぶるいいですよ。」
ホームにはすでに列車が到着していたけど、まだ発車の準備をしている。
発車まであと10分ほどらしい。
バルバラさんは姉貴とチャ老師と握手を交わす。
そして、俺とも。
「サイスくんも是非また来てください…今度はガールフレンドと一緒にね。」
「えっ!?」
ガールフレンド…ガールフレンドって、もしかして龍華のことか!?
「姉貴!龍華のこと喋ったな!!」
「お前の力のことを話しただけだ。そんなに目くじらたてることはないんじゃないか?」
心外だ、と言わんばかりの口調だけど、目は笑っている。
どんな風に話したのか気になって、途端に恥ずかしくなって顔に熱が集まる。
「早く帰ろうっ、姉貴!」
「怒るなってば、もう。」
「まあ、あれくらいの年齢は色々あるものですよノア。」
「そう、でしょうか。」
「ええ。」
最後にもう一度姉貴とバルバラさんは握手を交わした。
通勤ラッシュを越えたからか、電車はがら空きだった。
俺はバルバラさんを見ようと四人ボックス席の窓際に座る。
向かいにはチャ老師、その隣には姉貴だ。
俺の横には来たときと同じ金属のケース、中にはバルバラさんの古い義足が入っている。
ベルが鳴る。
車掌のアナウンスと共に列車が動き始めた。
バルバラさんが見えなくなるまで、俺は手を振り続けた。
家に帰り、私はカウチに腰を下ろす。
久方ぶりの客人だった。
10年も会うことができなかった、私の家族とも言える人達だった。
ノアはすっかり大人になって、少しだけあの人に似ていた。
ああやはり兄妹なのだと感じざるを得ない。
同時に、あの人は確かにいたのだと認識する。
片足を失ったときに、彼は形振り構わず私の元に駆けつけてくれた。
容態が安定するまで、側にいてくれた。
彼は、国にとって大事な人なのに、彼の周囲の人はそれを許した。
彼が居なかったら私は全てを諦めていただろう。
私は、優秀な部下を巻き込んで失態を犯したのだ。
部下の彼は、アズウェル・トェルガは私を責めることもなくただ…泣いていた。
意識が戻って、すぐだったと思う。
ほとんど感情を見せない彼が顔をグシャグシャにして、涙をボロボロとこぼして、私の生還を喜んで同時に、私の負傷に嘆いていた。
ソロンが来るまで、毎日私の病室に通っていたと担当の看護師が言っていた。
ソロンが来てからは、彼のいない時間にほんの僅かの時間、それでも毎日来ていたらしい。
朧気だった意識のなかで彼がずっと謝っていたのを覚えている。
謝りたいのはこちらだった。
私がもっとしっかりしていれば、対立していた派閥の者を抑えておけばこんなことにはならなかった。
私の意識がはっきりしてからは、彼は来なくなった。
そして一通の手紙が来た。
謝罪と、償いの言葉。そして、決して少なくない量の紙幣。
賠償はすべて決済されていたのにも関わらずだ。
それに彼はすでに警察を辞めていて、仕事を探すためにも蓄えがいると言うのに。
それは一年、二年と続いた。
額の大小はあったものの、毎月、手紙と紙幣が届く。
何度も止めるように言った。もうこれ以上、彼に私を縛り付けたくなかったのに彼は止めない。
それともいっそ、『影』に誘うのも手かもしれないと思った時期もあった。
彼ほどの逸材を一都市の警察機関に置くこと自体がもったいなかったとも。
ソロンにも相談をしていた。
影は西方帝を影から守る秘匿部隊。一度その中に入れば子々孫々抜け出すことは出来ない。永遠に、この国の影にならなくてはいけない。
しかし、アズウェルなら大丈夫だという確信はあった。
ソロンとアズウェルは私の病室で会釈する程度の関係であったから改めて話をしたいとソロンは言ってくれた。
そして、また手紙が来た。
私は返事に、会って欲しい人がいると書くことにしていた……なのに。
「(ああ、もう10年も前なのか…)」
ソロンが死んだ。
西方帝代帝のカリファ女王と皇子レイヴァン様がクーデターで命を落とした。
ノアを始めとした何人かの影の一族は生きてはいたけれども、私はいよいよ気が狂いそうになった。
大事なものが指の間から抜けていく喪失感。そばに居てくれたぬくもりが全てなくなる……痛みが私を支配した
涙に暮れた。
心の痛みも、足の痛みも全て私を苛んだ。
アズウェルの手紙だけが私の救いだった。
バルベロでのクーデターは彼の耳にも当然入っていって、私の身も案じてくれた。
私はぐらつく精神のまま文をしたためたんだと思う。
婚約者が死んでしまったことを書いたような気がする……。
その翌々日だろうか、彼は私を訪ねてきてくれた。
それがあの時病室で別れて以来初めての再会だった。
アズウェルの顔を見て…それからの記憶が曖昧だ。
気がつけば私はこのリビングのカウチで眠っていた。
そして、テーブルの上にはまた手紙。
内容は、大まかにはいつも通りの内容。
それが、逆に有りがたかった。
……これ以上、彼に重荷を背負わせたくはなかった。
そうして、手紙は相変わらず届く。
彼の近況と、紙幣。
クーデターの少し前に安定した職につくことが出来たといっていて、今もその仕事を続けているようだ。
額は年々増えていくばかりだ。
いい加減、こんな年増に構っていないで嫁をもらえといっているのだけど、自分には必要ないとばかり言う。
顔は整っているし、取っつきにくだけで性格も悪くないのだからモテそうなものなのに、と書いても彼は言葉を濁すばかりだ。
…彼には、幸せになってほしい。
パートナーを見つけて、過去にばかり思いを入れずに未来に生きてほしい。
もし彼が誰かと結婚した暁には…今まで送られたお金を全て渡すつもりだ。
アズウェルから送られた紙幣は、全て使わずに取っている。
かなりの額だ。人一人であれば、贅沢をしなければ10年は生きていけるほどの大金。
「ん?どうした?」
ニールが庭から帰ってきた。口には郵便物の束。
その中には、いつもの見慣れた茶封筒もある。
「返事も書けないうちにまた来てしまったか。」
一ヶ月に一度の、今では私の楽しみになっているもの。
返すのは二月や三月に一度になってしまっているけど。
ニールの頭を撫でて私は茶封筒を掴んで書斎に向かった。
手紙の相手は、ダークサイドクロニクルのあの人です。