『開花』 3.壁の花
壁の花
夜でもわかる金髪に常磐の瞳。
今宵の主役でもある卒業生の一人、子爵家令嬢ティア・サマーである。
この祝賀会では卒業生の親も参加しているが、ティアは幼い頃に両親を事故で亡くしており、今は一人、テラスで外の景色を眺めている。
三年間通った学院。
この時間に、この場所からは眺めるのは初めてで、見慣れている筈の学院の、そしておそらくこの先見ることが無いだろう景色に目が離せない。
思い出が、頭を巡る。
「…ふう……」
最後の授業から一ヶ月。
騎士登用試験から二週間。
そして、タヴィル子爵の屋敷の事件から、一週間。
ティアは学院の祝賀会がどこか遠いことのように感じている。
慌ただしく、そして普通に生きていては決して触れることがない類の闇を、見てしまった。
第七騎士団の団員が関わった人身売買は、その被害者達の年齢からは詳しく報道はされていないが、リィザガロスに衝撃を与えた。
第七騎士団の団長でもあったタヴィル子爵はその責任をとって降任。
彼の部下が独断で行った愚行だが、それでも上司の責任だと、潔く任を降り、事件に関わらなかった騎士団員たちの行く末のみを案じていたその姿は、真の貴族だとティアは思った。
今年の騎士登用試験の受験者である、シオン・ギレス、アリア・ノースの二人が中心となって他の受験者を巻き込んで、事を白日の下に晒したのだ。
その中には第六騎士団団長、エキル・コールの妹もおり、その協力も大きな力となった。
そして、たまたまシオンの作戦を知ったティアも、自身の叔父と相談し、協力したのだ。
牙城に踏み込んだ際には、叔父であるレギノ侯爵、第三騎士団団長であり四大将軍でもあるエドワード・レギノもいたため、犠牲を出すことなく、被害者を救出できた。
第七騎士団の解体、新編。
その際に提案されたのは今回の主導者、シオン・ギレス、アリア・ノースを第七騎士団の騎士とすること、そして、貴族であるティアを団長とすること、であった。
三人の騎士登用試験の成績は、歴代トップであり、特にティアは学力、体力、魔力全てにおいて記録を更新している。
更には貴族であり、現将軍でもあるレギノとの繋がりが深い。
一方の二人もティアには及ばないが歴代二位と三位である。
成績は兎も角、事件解決の主導者である彼らが団長になるべきだと、ティアは思っていた。
だが、シオンはミシュレゲーテ、アリアはディノティクスからの移民である。
改革が進む騎士団においても、騎士年齢に満たない少年少女を騎士として迎えるだけでも冒険である。
まして、これまで騎士団長は貴族であった慣習までも、変える決断はできなかった。
ティアはこの人事を、受け入れた。
シオンとアリアは副団長として配属されると知り、彼らの力を発揮させる役割を引き受けることにしたのだった。
そうして、騎士登用試験以降の激動がようやく落ち着いた時にこの卒業式と祝賀会である。
卒業式までは、まだ気持ちが追いつかず、夜になってようやく人心地ついたのだ。
身にまとうドレスを、彼女は今一度眺める。
光沢のあるブルーのドレスに同じ色のシースルーのボレロ。
リィザガロスの伝統的なガウンドレスではなく、ディノティクスのパーティードレスを彼女は従兄から教えてもらい、購入したのだ。
近年、社交界でもディノティクスのドレスを纏う夫人が増えており、ティアもそれにならったのだが、参加している父母の何人かを除き、卒業生の殆どはリィザガロスの伝統的なパーティードレスを身に纏っていた。
ティアがディノティクスのドレスを選んだのは、リィザガロスのガウンドレスよりも値段が一桁ほど安かったのも理由である。
両親がいない彼女だが、後見人であるレギノ夫婦に頼めば喜んで買ってくれるのは分かっていた。
だが、これまでも学費や生活費を支援してくれた手前、いわゆる贅沢品をねだるのは気が引けたのだ。
購入したドレスは、ディノティクスでは高級ブランドとして有名であるが、その中でもグレードが低く、しかし学院の雰囲気に沿うようなものを従兄とその妹と探し続けて見つけた一着だ。
届いた時から愛着もあるし、なにより一緒に探してくれた従兄達には感謝しかない。
「探したよティア!卒業おめでとう!」
「エドウィン!あなたもおめでとう。」
「こっちにこないのかい?お料理、とても美味しいよ?」
エドウィン・カロリンはティアを見つけると満面の笑みで近寄った。
濃い茶色の髪の毛に鳶色の目の、ティアの幼馴染だ。
ティアの両親が治めていたサンクトゥス地方の隣のサンクペレル丘陵地帯を治めるカロリン男爵家の次男だ。
中央貴族からは辺境伯とも揶揄される地域だが、其の実、葡萄や果実、漿果類の一大生産地であり、リィザガロスの食卓を潤す重要な地域である。
次男坊であるエドウィンは領主にはなれないため、子供のいない領主の養子か、ティアのような女子だけの貴族家への婿入りを親から命じられていた。
この祝賀会でも既に何人かの令嬢の親と顔合わせをさせられていたのだが、スキを見て逃げ出したのだ。
「ありがとう、でも今はちょっと、無事に卒業できて、その事で胸がいっぱいなの。」
エドウィンはティアの身の上をよく知っている。
十年前に、火事で両親を亡くしてしまったのだ。
更には父方の叔父も、火事から両親を助け出そうとした時に行方不明になり、彼女は家族を失ったのだ。
火事の原因は不明だが、その叔父とサマー夫人の不倫の果の心中だとか、明かされていない借金苦だとか様々な誹謗中傷に晒された。
彼女の後見人になったのは、母方の叔父である第三騎士団団長であり四大将軍でもあるエドワード・レギノだった。
レギノ夫人であるマリアベルは、ティアの母親アンナの実の妹である。
マリアベルとアンナの生家は裕福な商家であり、貴族ではない。
しかし妹のマリアベルは幼少期に子供のいない地方貴族に養女に入っており、殆どの貴族はマリアベルを生粋の貴族令嬢だと思っている。
アンナは実家である商家から、サマー家に嫁いだため、貴族達にとっては関心を引くような人物ではなかった。
だから、レギノ家とサマー家の繋がりを知るものは殆どいない。
その中で、レギノ家が縁もゆかりもない、と思われているサマー家の後見人になったとしたら、根も葉もない噂がレギノ家まで及んでしまう。
ティアは幼いながらも、レギノ家が悪く言われることを気にし、義務教育が終わるまでは後見人の名を伏せるようにしたのだ。
それは、彼女にとってレギノ家の意向を借りずにサマー家の汚名を濯ぎたい、幼い身体には過ぎたプライドでもあった。
しかし成長するにつれて、金銭はともかく、進学はどうしても叔母夫婦の力が必要だと痛感した。
オルロフ学院に入学する際も、後見人が必要だった。
学園は貴族社会を熟知しているため、レギノの姻戚であるティアを歓迎したが、ティアはそれを同級生達には隠したのだ。
学院は貴族社会の縮図。
それを、身を持って知るためにも。
殆どの同級生は、最初こそティアを警戒していたが、次第に普通に接するようになった。
だが、一部の中央貴族の子ども達は囁かれ続けるサマー家の悲劇を掘り返し、ティアを虐めていた。
レギノ家の報復を恐れた学園側が、レギノの名を出して加害者達を注意しようとしたのだが、ティアが拒否したのだ。
叔母夫婦を煩わせるようなことはしたくない。
彼女は立ち向かい続けたのだ。
幸い、ティアは友達に恵まれていたため、学年が上がる頃には嫌がらせは鳴りを潜めていた。
そうした彼女の苦労を、同じ学院に進学していたエドウィンが一番良く知っていた。
彼はティアが受けていた仕打ちを何度もマリアベルに報告しようとしたのだが、ティアが止めていたのだ。
そして今日、やっとそれから開放される。
「そうだね、三年間、だもんね。今日はマリアベル叔母様も来てくださるんだよね?」
「ええ、エドワード叔父様もお時間ができたみたいで来てくださるそうなの。」
義務教育終了。
十六の誕生日を迎えた時に、彼女は両親の財産を正式に受け継ぐのだ。
そしてその際に後見人は貴族諸侯に公表される。
それは、後見人がその被後見人の財産を不当に横領することがないようにと、貴族社会において慣習となっている制度だった。
それならば、とマリアベルはティアの卒業記念祝賀会に出席することを希望した。
どうせ近日中に公表されるなら姪の晴れ姿を、という叔母夫婦の親心だ。
ティアも、それならばと快諾した。
「そうなんだ!エドワード叔父様が来たら、きっと大変なことになりそうだけど、大丈夫かな?」
「それは…私も実は心配。しかも叔父様は私とダンスを踊りたいらしいのよ。」
「そうだね。貴族のオトコにとって、娘の初めてのダンスパートナーになるのは夢、ってウチの父上も言っていたし。」
エドウィンは自分の言葉に後悔した。
この後催される、祝賀会のメインイベントとも言えるダンスだが、彼はティアをパートナーに誘おうとしていたのだ。
エドウィンにとっては数少ない、緊張感なく過ごせる異性の友人でもあるが、その実密かにティアに恋心を抱いているのだ。
そして自分の父親から勧められている結婚相手の第一候補は、このティアなのだ。
両親はなく、領地は隣接した大農耕地帯、更には後見人はレギノ将軍。
これほど、喉から手が出る令嬢はいない。
だがエドウィンは、本当にティアを好いているからこそ、父親の意に従うような事は気が進まなかった。
それでも、ダンスのパートナーに、という気持ちだけはどうしても譲れなかった。
「そうなのね!でも、私は娘じゃないし…最初のパートナーは、エドウィン、貴方にお願いできないかしら?」
「ふ、えええ!?」
想い人からの思わぬ提案にエドウィンは驚いてしまう。
ティアもエドウィンの反応に驚く。
「あ、ごめんなさい。もしかして、もう誰かと約束してた?」
エドウィンはこれでもかというほど首を横に降る。
「いやいやいや!い、いないよ!でも僕が最初でいいのかい?エドワード叔父様、悲しまないかな?」
「きっと、大丈夫よ。それに、エドウィンと踊るかもって、マリアベル叔母様にはもう言っていたから。…私と踊ってくれるのは、私の家族のことを全部知っているエドウィンかなって、思ってたの。あなたは優しいから。」
にこりと笑った顔は、寂しそうで、エドウィンは抱きしめたくなった。
しかしここは祝賀会。
どこの誰が見ているかも分からない。
そしてティアが、自分に対して好意を抱いてくれているが、それは男女の情けではないことを、エドウィンはその表情から思い知った。
ダンスの時間を知らせるファンファーレが聞こえてくる。
「あの、ティア、僕と踊っていただけませんか?」
エドウィンは跪き、ティアをダンスに誘う。
「はい。私でよければ、ぜひ。」
ティアもエドウィンの誘いに、貴族令嬢のそれで応えた。
ティアのドレスは丈が長いカクテルドレスのイメージです。




