『開花』 2.心眼
心眼
オルロフ学院は大小様々なホールを有し、中にはパーティー会場にも使用できるほど大きな施設もある。
今日の会場は、学園随一の大講堂。
内装も豪華であり、毎年この場所を使用して豪華な祝賀会が行われていた。
立食形式であり、料理は学園専属のシェフが腕によりを掛けて作った眼にも舌にも楽しい逸品ばかり。
椅子は壁際に置かれており、部屋の中央はメインイベントでもあるダンスの為に何も置かれていない。
社交ダンスは、この学園の科目の一つであるため、得手不得手は別にして、学生であれば誰でも踊れるのだ。
若人達は、綺羅びやかなナイトドレス、スーツを身に纏い、音楽に合わせて踊る。
友人同士、あるいは、秘めたる恋人同士と。
社交界の夜会を模しているこのパーティーでは、卒業生だけでなくその保護者、すなわち貴族達も参加しており子どもを余所に話し込んでいる親同士も少なくない。
特に令嬢の保護者は、娘の嫁ぎ先の吟味に余念が無く、良い家はどこかを見定めるのに必死であった。
そんな貴族の様子を眺めている人物が三人。
講堂の最も奥、一段高くなっている高段に設けられた貴賓席、その中央部。玉座。
真中には、今日の主賓である東方帝、リアス・フォン・アドリアン・リィザガロス。
左には大公家の長男であり、第一騎士団団長、騎士団総帥であるアレス・ファン・マルク・レーネック。
右にはその姉であり、大公家の長女、そしてオルロフ学院の学園長であるラフォンヌ・フォン・オランピア・レーネック。
オランピアは学園側の人間であり、本来なら高段には上がらないのだが、皇族の一員であるため、東方帝と大公と同じ高さの席に座ることが定められていた。
「陛下、次は学生達が拝顔賜りたいとのことですわ。」
「うむ。分かった。もう例年の儀式になりつつあるね。プログラムに組み込んでしまえばいいんじゃないのかい?学園長」
「それはいい考えですわね。でも、そうしましたらどの順番で謁見するか決めるのが大変ですわ。家の序列を決めたと思われかねませんもの。これは、このままが良いのですわ。」
「…」
リアスとラフォンヌは楽しげに談笑しているが、アレスは黙って盃を傾ける。
優雅な音楽、綺羅びやかな人影。
主役達は未成年のため、酒は殆ど無いが、若さゆえの賑やかさが会場を満たしている。
輝いている。
これから先は、明るい未来とばかりに、笑いあい、夢を語っている。
アレスには彼らが眩しく映った。
それは比喩ではなく、実際に彼の目に光となって入ってきた。
アレスには、普通の人では見えないものが視えた。
それはごく近い未来、あるいはその人間の感情。
きらめく心はその輝きを、暗い感情は深淵の闇をアレスに齎す。
幼いころは、皆に視えていると思っていた。
他と違うと感じたのは、物心がついてから。
ある貴族が、忌々しげに歪んだ表情で自分に向かって挨拶をしていた。
だが、周りの反応からその男は『笑顔』で自分に挨拶をしていたらしい。
その時アレスは、自分にだけ視えている世界を理解した。
どんなに綺麗な姿でも、表情でも感情だけは制御できない。
その感情が視えてしまう。
表の表情と本当の表情が混じり歪んだものが見える時もあった。
幼いアレスは、人間には表と裏があることを知ってしまった。
最初は怖かった、だが皆が皆、表と裏があるのを知り、それを『視えない』普通の人達も理解して生きていると分かった。
理解しても尚、最初は向き合うのが恐ろしかった。
心だけではなく、目にかかる負担も大きかった。
『視る』事による慢性的な眼精疲労は眠気を誘った。
だから前髪を伸ばし、目に入るものを減らした。
彼は鍛錬と、勉学を励みに少年時代を過ごした。
彼の理解者は家族である両親と血を分けた姉、そして歳の近い従弟だけ。
彼らは何も偽らない。
視えているものと、感情が、一致している数少ない人。
姉と従弟は今も傍にいる。
大人になって、立場が変わっても、傍に。
「アレス、今から卒業生達が来るわ。きちんと挨拶を返してあげなさいね。」
「分かったよ、姉さん。」
アレスは盃の酒を飲み干し、一度下げさせた。
「陛下、ご機嫌麗しゅう。大公閣下もごきげん麗しゅう。」
「おお、アーゼンロード伯爵ではないか。この度は、ご令嬢の卒業、おめでとう。」
「勿体無きお言葉、ありがとうございます。こちらは娘のベルフェでございます。」
「お初にお目にかかります。アーゼンロードが長女、ベルフェでございます。」
艷やかなアッシュブロンドを結い上げ、宝石や真珠が散りばめられたカチューシャが目に入る。
豪華な一品。
挙げられた顔は、年相応ではあるが、自身に満ちた表情。
耳には星を模した、恐らくダイヤモンドのイヤリング。
胸元にも同じ意匠のネックレスが輝いている。
服は絹だろうか、艷やかで滑らかな生地をふんだんに使った薄いピンクの薔薇を思わせるドレス。
アーゼンロード伯の資産の潤沢さが伺えた。
「これはこれは!なんとも愛らしくも美しいご令嬢!この度は卒業おめでとう。我が国の発展のために、これからも勉学と貢献を期待している。」
リアスが崩さぬ笑顔で令嬢に祝の言葉を贈る。
「ありがたきお言葉…!」
令嬢はリアスを見つめ、そしてまた恭しく礼をする。
アーゼンロード伯の後ろには我も我もと親子連れが何組か並んでいる。
あとは同じやり取りが続く。
「…今年は何人卒業?」
「三十人ですわ。貴族も少しずつ、減っていますから。」
一人一分としても三十分。
予定されている舞踏の時間までには終わるだろう。
「大公閣下も、お言葉を掛けて上げてくださいまし。」
「…ああ。」
アレスは目の前に並んでいる令嬢、貴公子にリアスの言葉を少し変えた、同じ内容を述べる。
輝いているその顔が、願わくばずっと失わないようにと願いながら。
アレスはひねくれている訳ではありませんが、達観しています。
人の表情が読める分、嫌な部分も散々見てきていますが、輝きも知っています。
次はティアが登場します。




