有機物の悪魔
第三章第一節と第二節の間のお話です。ヴィルが地上に出た直後の話。
「ヴィルさんは、百年前に魔界から抜け出してきたんですよね?」
食後のお茶も終わり、後片付けをしている時に龍華さんが私に声を掛ける。
死者甦生の話でやや曇りがちになっていた彼女の顔が、少しだけ明るくなっている。
「そうですよ。それが、何か?」
つとめて笑顔で応える。
出来るだけ威圧感を与えないように。
「あ、えっと。出てきてから、100年間も何をしてらしたのかなって。すっごい長い時間ですし。」
長い時間…確かにそうだ。寿命と言うものがない我々にとっては短い時間でも、彼女達人間にとっては一生に与えられた期間だった。
気になるのも、仕方ないだろう。
もっとも、有意義とはほど遠い状況ではあったが。
「そうですね、まず、身体をならすのに五十年か…いや七十年ほどかかりましたね。残りの20年程で今の時代の様々を勉強しました。」
「…え?慣れる?」
「五十年?」
そばにいた双子が私の言葉を繰り返す。
ヴィガロスはといえば、まあどういうことかを知っていることもあるからか表情がどんどん暗くなっていく。
「ええ。何千年も暗い場所にいましたからね。地上の光というのは、私には身を焦がすレーザーにも等しいものでした。空気の組成も違いますし、毒ガスを吸い続けている感覚でしたね。」
皮膚は焼かれ、臓腑をかき乱される感覚が何十年も続く。
苦痛は、確かに辛かったが終わってみればただの経験になってしまう。
いずれ慣れるという核心。
目的を果たす。
ただそれだけを思っていたから。
そこでふとヴィガロスが思い立ったように口を開く。
「そういえば、四天王のあの鎧の悪魔は自由に動いていたぞ。お前はなんで、そんなに時間かかったんだ?」
ヴィガロスが聞いてくる。
これは当然の疑問。
「そうですね、まず、私と彼らの一番大きな違いは『魔界との繋がり』が維持されているかどうかですね。彼らは魔道具を介して魔界の力で全身を被うことで、地上の光や空気の影響を、最小限に抑えているんですよ。」
「薄い防御スーツを着ているってことですか?」
龍華さんが聞いてくる。
概ね、その解釈で間違いはない。
「イメージとしては、それで良いと思います。私はそれが出来なかったので、ちょっと大変でしたけど。」
魔界の力、それは正しくは私の兄、ギルドの力だ。
それで日の光や空気から身を守っている。
彼らが纏う瘴気は、ギルドの魔力だ。
しかし、地上に現出してから暫く留まったところを見ると、彼ら自身の身体をある程度慣らしているということも考えられる。
だが、身体よりもやっかいだったのは私の身体。
生命のいない魔界では影響が無かったが、生命溢れるここでは、私の力は危険極まりない。
「あとは、そうですね…私自身の力を封印したんですよ。」
かつて神として奮った力。
有機物を操作する能力は、私の周りの生き物を活性化させた。
植物は猛スピードで生長し、動物は急速に老いた。
生命活動を活性化させてしまうこの力の制御方法を、私は忘れていたのだ。
「力?どんな力ですか?」
「魔界に行く前に持っていた力です。あらゆる生き物を活性化させる力だったんですが、暴走してしまったんです。」
「活性化させる力とは、何でしょうか。」
「そうですね、たとえば植物の生長を早めたり、生き物の代謝を促進させるんです。その結果、急速な老化を生物もたらすのです。それを抑えるために、かなりの時間を消費しました。」
四人が息を呑む。
急速な老化、その先は、死。
「個別であれば、細胞の再生も行えるので老化しても元には戻せます。少し大変ですが。」
「ああ、なんだ。それならよかった。」
ヴィガロスが安堵のため息を吐く。
「それは魔法、という訳ではないんですよね。ヴィルさんだけの力、なんですよね?」
フェグさんが尋ねる。
魔導に強い関心を持つ少女。その魔力は覚醒していない今も常人のおよそ三倍。
高度な魔法、魔術も多数習得し生み出す側になりつつある彼女が私の力に興味を持つのは頷ける。
しかし、この力は論理体系が存在するものではない。
魔法、魔術とは異なる特殊な力。
私だけに、与えられた力。
「ええ、そうです。なのでそれを魔術に適応するのは、多分相当骨が折れると思いますよ。」
彼女はかぶりを振る。
「出来たとしても、私はそれを扱ってよいのか少し分からないです。」
「細胞の再生なら、アカデミーでもやっているらしいけど、ヴィルのは若返りだもんな…。」
分かりやすく言えばそうだ。
だからその気になれば不老長寿の力を人間に与えることも出来る。
死の直前に身体の細胞を再生させる。
それを繰り返せば何十年も、何百年も生きることが出来る。
一部の人間はそれを渇望する。
しかし、その先にあるのは、孤独。
自分が知っている者は先に逝き、孤独となる。
だが不老長寿は他の者が老いる中で自分だけ若さを保つという優越感から望まれるもの。
孤独という地獄。それを優越感で曇らせる人間を、私は。
「でも、長生きしても仲いい人が一緒じゃないと寂しいよ…」
「人は何れ死んでしまうけど、ずっと好きな人達が誰もいない状況が続くなんて、考えただけでもぞっとしてしまうわ。」
フェグさんと龍華さんが言う。
まだ若い、純粋な彼女達らしい考えだ。
その感情を、彼女には忘れて欲しくない。
私はただそう思った。