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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

亡国

滅びの夜

作者: 柚木めろ子

塔を見上げて想う。かつての婚約者を。



僕の祖国は、国といっていいのかわからないほど小さく弱かった。

王子とはいえ末息子である僕に玉座などまわってくるわけもない。

それどころか、愚王であった父とその寵姫であった母が奢侈淫逸に耽ったせいで、国庫はひどく困窮していた。

国を立て直すために取り立てたはずの税で、昼夜酒池肉林の宴会を繰り広げる。

足りなくなればまた国民から搾り取ればいいと笑う。

価値観が狂ってしまったのだろうか、父も母も大臣たちも、国の実情には目もくれなかった。


いや、そもそも父母は、知らなかったのだろう。

煌びやかで清潔に保たれた城内、そこから一歩踏み出せば、すぐそこに国民の屍が無造作に積み重ねられていたことを。


目に痛いほどの腐臭。層の下にあるものは既に原型を留めていなかった。

鼠が走り回り、疫病を撒き散らす。干ばつに襲われ、田畑は不毛の地と化した。

貧困にあえぎ、飢え、死んでいく者も多かった。


僕は無力だった。王族として慰問に訪れれば石を投げられた。

それでも何かがしたくて、父母のように自分だけが安穏と暮らすのは嫌で。

国庫を開いたけれど、そこにはもう小麦の一房も残ってはいなかった。


だから比較的豊かだった隣国から妹姫との政略結婚の打診をされたとき、僕は一も二もなく快諾した。

僕と引き換えにされたものは、生き残った国民がむこう十数年は飢えることのないほどの穀物だった。

役に立てたと嬉しく思えた。

隣国の姫君はまだ幼かったから僕たちの関係は婚約者ということになったけれど、姫君は愛らしく利発で、政略結婚といえども僕は十分幸せだった。



高い塔にはふたつ窓があるだけ。

ひとつは食事を受け渡すための、格子が嵌められたごくごく小さなもの。

もうひとつは塔のいちばん上、姫君の部屋にある明りとりの跳ね窓。

以前は地下に通路があったということだけれど、それらはすべて埋め立てられてしまった。


お腹が空いてはいないだろうか。ひとりで心細く思ってはいないだろうか。

僕の記憶のなかの姫君は、数年前のまだあどけなかった笑顔のままで凍り付いている。

あの子が泣いているのではないかと思うと、いてもたってもいられなくなった。


「ねえ、なにをみていらっしゃるの」

いつのまにか背後に姉上が立っていた。

「ここに来てはいけないって何度も命令いたしましたわよね」


どうしてこうなってしまったのだろう。何故僕の隣にいる女性が君ではないんだろう。

どうして僕に首輪がはめられているのだろう。何故君の姉上が鎖を握っているんだろう。


姉上が鎖を手繰り寄せ、僕を引きずった。息がかかるくらい近くで、真っ赤に充血した眼で、呪わしげに吐き捨てた。


「あなたが泣いてお頼みになるからあの女を生かしてあげているのに、どうしてわたくしの申し上げることは聞いてくださらないの」

「ああ、お顔はこんなにお美しいのに、犬でも守れるようなことがどうしてできませんの」

「ねえ、わたくし、今直ぐあの女の四肢を引き裂き臓物を引きずり出したとしても全く構わなくってよ」


生臭い匂いがした。死臭よりも腐臭よりも耐え難くて、僕は崩れ落ち、げえげえと嘔吐した。胃液しか出なかった。


民を救えたと喜んでいた頃のことがなんだかとても昔のことのように思えた。

僕は結局、どこまでも無力だった。



その夜も、イランイランの香りを焚き染めた部屋で。

姉上が僕を寝台に横たえ、自ら脱ぎ、脱がせ、互いの体に香油を塗りたくり、僕の上に跨り腰を振っていた。

「あん、あんあん、あ、はあ、あん」

つくりものめいた嬌声。毎夜繰り返され続けた茶番。

萎えたままの僕のものに股を擦りつけたところで大して気持ちよくもないだろうに、姉上は偽物の喘ぎ声を隠すこともなくあげ続けた。


自分がまるで死んだ魚のようだと思った。

板の上に乗せられて、逃げることも歯向かうこともできず、濁りきった眼でたださばかれるときを待っていた。


君と過ごしたころに戻りたかった。

どこでなにを間違えたのか、そもそも誰が間違えたのか。

僕にはもうなにもわからないけれど、もともとなにもわかっていなかったのかもしれないけれど、それでも。

もしもう一度君に逢えるなら、やりなおすことができるなら。

今度は絶対にその手を離さないようにしようと思った。そう夢想すると、楽になる気がした。



微かに漂う煙のにおい。遠くのほうがうるさかった。

ぼんやりとそちらを見遣ったら、左の頬が熱くなった。

「わたくし以外に目を向けるなど許さない!」

僕は虚空を見つめながら、狂っていると思った。


そして転機は突然訪れる。


なにかが軋む音がして、扉が弾け飛ぶように開いた。

熱風が吹きこんで、姉上が動きを止める。

黒い髪に黒い瞳、夜のような男が、業火を従えてやってきた。

「こんなときにまで閨事に勤しんでいらっしゃるとは、淫魔顔負けの自堕落さですね」

燃え盛る炎と男が携えている抜き身の剣に気づき、姉上は悲鳴をあげた。


「レム様を苦しめた罪、その卑賤な命で贖いなさい」


剣が赤いのは、炎を照らしているからではないだろう。

もう何年も聞いていなかった彼女の名前。


ああ。そうだね、レム。僕は君を苦しめた。

君の隣に僕がいなければ。僕がもっと強ければ。変わったこともあるはずだった。

だから最期に、せめて謝らせてほしい。君にはきっと届かないけれど。


姉上が這い、逃げ出そうとする。無様だった。どこに逃げようというんだろう。

彼女の手首には、自らはめた手錠。それは僕の首輪と鎖で繋がっている。

いつもされていたように、今度は僕がそれを手繰る。

姉上が転び、軽んじていた僕に引きずられる。滑稽だ。喜劇を見ているかのように。


絶叫しながら暴れる姉上を優しく抱きしめ、僕は囁いた。


「僕とともに死んでください」


愛のことばに聞こえたかもしれない。

もうすこし言い様があったかもしれないなあと思いながら、重い衝撃を受け止めた。


熱いものが流れ出していって、体がどんどん冷えていく。

夜色の男は君がいる塔のほうを見て駆けていく。


彼が君をそこから連れ出してくれますように。

君を守って、いろんな景色を見せて、あの頃のように笑わせてくれますように。

まるで面識のない、僕らを殺した男だけれど、なぜだか、僕は 僕の願いが  叶うよう な





炎は勢いを弱めることなく、すべてを呑み込んでいった。

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