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 屋上に舞い戻ってきたアレックスは、そこにイルザの姿がないことに気付くと、穴の開いたそこから一階を覗き込んだ。

 イルザは絵画のケースを開けようと、レイピアを台と強化プラスチックとの間に無理やり捩じ込もうとしていた。

 上空からイルザのいる所まで一気に降下すると、そのままアレックスはイルザの体を床へと叩きつけるようにして乗り上げた。

「あら、奥さんは死んじゃったの? お別れは済んだ? 随分早い帰還ね」

 硬い床に鎧ごとめり込むように押さえつけられてもなお、イルザの軽口は変わらない。

 だがアレックスの様子は先程とはまるで変わっていた。

 無言でイルザの首を掴み上げると、そのまま美術館の壁を突き破って外へと無理やり飛び出した。コンクリートの壁は弾け飛び、鉄筋はガムのように引きちぎれ、硬いアスファルトの道路を抉りながらアレックスはイルザを引き摺り出す。

「このっ、馬鹿力!」

 鎧で守られているはずの首元に、アレックスの指がめり込んでくるのを感じたイルザは、初めて焦ったような声を上げた。

 レイピアで反撃するも、腕ごと引きちぎる勢いで引っ張られ、イルザがヘルムの奥から悲鳴を上げる。

 マスクに覆われたアレックスの表情は分からない。だが、纏う空気が異様に冷たいことにイルザは気付いていた。どうやら触れてはいけないものに、自分は触れてしまったようだと、彼女は冷静に分析した。

 アレックスは拘束していた腕を離すと、今度はヘルムの上から顔を殴りつけ始めた。それは確かに硬かった。アレックスの尋常ならざる皮膚と筋肉を持ってしても、イルザの全身を覆う鎧の硬さを打ち破ることは困難に見えた。

 だが彼はそこにスピードと腕力を加えた。常人では見えない速さで渾身の力を込めた拳を何度も何度も、ヘルムへと打ち込む。

 ヘルムの中にあるイルザは、衝撃で脳が激しく揺さぶられるのを感じた。そして徐々に、だが確実にヘルムに亀裂が入っていく音を聞いていた。

 イルザはヘルムの奥から辺りを見回し、瞬時に考えを巡らせた。

 そうしてついに、ヘルムの一部が完全にひび割れ崩れ落ちる。中からイルザの瞳が覗き、それを見たアレックスの拳が一瞬止まる。

 イルザ・ヴィットの瞳は、たしか緑だったはずだ。だが、今見えている瞳の色は、いや、瞳全体が真っ赤に染まっていた。

 レッドアイ――バーでアレックスにイルザが差し出した酒の名前が脳裏をよぎる。まさに今の彼女の瞳はレッドアイそのものだった。

 アレックスのほんの僅かの隙をイルザは見逃さなかった。自分の舌を躊躇いもなく噛み切ると、そこから鮮血が吹き出した。

「なに――」

 ヘルムの隙間から、血液が細い糸のように這い出てくるのを見たアレックスは、美術館でイルザが自分の部下たちへとした行いを思い出し、慌てて周りを見回した。

 夜のノイジーシティは眠らない。ましてやここはメインストリート。もちろん人通りも多いが、それに加えて駆けつけていた警察官や特殊部隊が銃を構えてこちらの様子を伺っていたのだ。

「ほんと……あなたって真面目で甘いわね」

 イルザのヘルムから這い出してきた細い血液の糸は、辺りへ一気に拡散する。アレックスは叫んだ。

「逃げろッ! 今すぐここから離れるんだ!」

 だが遅かった。二人の一番近くに居た一般人が、血液の触手に絡め取られたかと思えば、その喉元へと先端が突き刺さったのだ。

 そこでようやく事態を把握した人々は、パニックに陥りながらその場から一斉に逃げようと駆け出した。

 イルザの血液の触手に何人かが犠牲になり、アレックスは急いでイルザの首を絞めながら空へと飛び立とうとした。だがイルザの触手に絡みつかれていた人々まで一緒に地面から浮き上がるのを見て、飛ぶのを諦めるしか無かった。

「ふふふっ、あはははは! 残念ねぇ、私に武器なんて要らないのよ。だって、武器も鎧も、全部そこら中に転がってるんですもの!」

 破壊されていたヘルムはすっかり元通りになり、全身を覆う鎧から無数の鋭い棘が生えてきた。それはハリネズミが己の身を守るように、だがそれよりも更に凶悪に、触れるものを確実に殺傷出来るようにと変形していった。

 アレックスの腹を棘だらけの膝が襲い来る。それを両手で受け止めると、棘だらけのイルザの足を強引に掴んで遠心力を付けて放り投げた。

 イルザの体が路上にあるパーキングメーターやら消火栓やらを巻き込みながら、吹っ飛んでいく。

 ようやく彼女の体が止まった場所は、露店でフルーツやジュースを売っていた、哀れなアジア系男性の移動販売車だった。

 男性が悲鳴を上げながら手に持っていたパイナップルを全身棘だらけの鎧女に投げつけると、一目散にその場から逃げ出した。

 アレックスは跳躍すると、一気に間合いを詰めてイルザの前に浮かび上がる。

 血液を吸収したばかりだったからなのか、鎧から突き出ていた棘の幾つかが溶けて剥がれ落ちている。

「最悪、甘ったるい匂いが染み付いちゃうじゃないの」

 近づくアレックスに向けて蹴りを繰り出すイルザ。それを受け止めたアレックスは僅かばかりの違和感を覚えた。それが何なのかすぐには分からなかった。イルザの攻撃がアレックスの思考する時間を邪魔するせいだった。

 だが腕でイルザの棘まみれのガントレットを防いだ時、唐突にアレックスの頭にある考えが閃いた。

 それからのアレックスの行動は早かった。イルザの攻撃をわざと受け止めると、背後に回り込んで体を拘束し、そのまま上空へと飛び立った。

「そんなにあなた、私のこと好きなの? 何度も抱きつくなんて情熱的ね」

「そうかい。抱き心地は経験したことがないほど最悪だけどね」

 夜空を飛行しながらも、イルザはアレックスの腕の中で暴れるのを止めない。もしここでアレックスの腕から逃げ出せたとしても、地面へと真っ逆さまに落ちるだけだ。イルザの鎧がどれほど強固であろうとも、中に衝撃が全く伝わらないわけでもないはずだ。

 だがそれを恐れる素振りなど全く無く、上空でもアレックスの拘束を解くために遠慮なしに攻撃をしかけてくる。狂っているとしか思えない。

 絶え間ない攻防の末、アレックスがたどり着いた場所は、閉店後のスーパーマーケットだった。

 いい加減腕の中で暴れ狂う棘まみれの女にウンザリしていたアレックスは、そのまま店の中へとイルザを放り投げた。

 ガラスを突き破って真っ暗な店内へと放り出されたイルザは、陳列棚を次々と倒しながらも体制を立て直すと立ち上がった。

 アレックスも店の中に入ると、闇に溶けるように気配を消した。

「アレーックス? いい加減、この無意味な闘いも止めにしない? 私はあの絵画をさっさと手に入れて帰りたいの。あとついでにあなたを殺してスッキリしたら、家に帰って熱いシャワーでも浴びてゆっくりしたいのだけど」

 イルザが気配を消したアレックスを探す。パキッ、とガラスを踏みつける音がした方へ、新たに生み出した細いナイフを投げつける。

 ナイフは陳列棚に置かれていた食品を貫通し、辺りにバシャバシャと水音とともに、パックジュースの中身がバラ撒かれた。

 舌打ちをしながらも、再び聞こえた微かな音の方向へとナイフを投げつける。だがまた商品を突き破るだけで、アレックスにたどり着いた気配もない。

 次第に苛立ちが募ってきたイルザは、邪魔な陳列棚を手当たり次第に破壊しながら、店内を見回し目を凝らした。

 散々に破壊行為をしていたイルザの動きがピタリと止まる。彼女の真っ赤な瞳が冷蔵ショーケースの前で立つアレックスの姿を捉えた。彼の姿がショーケースの明かりでボンヤリと浮かび上がっていた。

「隠れんぼは終わり?」

 両手には再びレイピアが生み出されており、獲物を前にした獣のように獰猛な空気を纏いながらアレックスへと近付いていく。

 そして嬉々として左手に持っていたレイピアをアレックスへと射出する。

 アレックスは何を思ったのか、身を躱しながら持っていたパックジュースをイルザへ投げつけた。

 レイピアが貫通したそれは、中身を辺りへ撒き散らしながら破裂した。甘酸っぱい独特の臭気が辺りに漂っているのに心底ウンザリしていたイルザは、さっさとこの無駄な闘いを終わらせようと右手を振り上げた。

 だがその時、イルザは振り上げた自身の右腕を覆っていた鎧が剥がれ落ちているのに気付いた。

「なに?」

 驚いて自分の腕を見れば、暗褐色の鎧に亀裂が走っていた。亀裂は腕のみならず、なぜか全身へと広がっている。

「アレックス! 私に何をした!?」

 慌ててイルザはアレックスから距離を取ろうと後退るが、崩れ落ちていたヘルムの隙間から覗いていた髪を思い切り引っ張られ、床へと叩きつけられてしまった。

「ぐぅっ!」

 衝撃でヘルムがますます崩壊していく。焦ったイルザは何度も鎧を再構築しようと躍起になったが、どうしてもできなかった。

 床に倒したイルザの体に馬乗りになったアレックスは酷薄に笑った。

「鎧や武器がなければ、お前はなにもできないようだな?」

 そう言うと、片手に持っていたパックジュースの中身をイルザの顔面に浴びせかけた。

 まるで水を掛けられた砂の城のように、イルザを守っていたヘルムがボロボロと崩れ落ちていくと、ついに彼女の頭が完全に剥き出しの状態になってしまった。

「お前の能力は血中に含まれる鉄原子を強化し増殖することだ。そしてそれを可能にさせたのは、お前自身が持つ特殊なタンパク質のせいだ。そうだろう?」

 馬乗りのまま首を押さえつけられていたイルザは、真っ赤な瞳を苦痛と怒りで歪めた。

「あの移動販売車にお前が突っ込んだ時、どうしてだか鎧の一部が剥げ落ちていたんだ。どうしてだ? 俺の(、、)皮膚さえも傷つけた強度を誇ったはずなのに、あの時だけ容易に鎧が崩壊したのはどうしてだ? そこで俺は気付いたんだよ」

 首を締め付ける力を強めると、アレックスは冷ややかにイルザを見下ろした。

「タンパク質を分解させることができれば、お前の能力も無効化させられるんじゃないかとな」

 そう言って片手に持っていたパックジュースをイルザの顔に近づけて振った。そこにはパイナップルのイラストがデザインされており、パイナップルジュースと分かりやすく印字されていた。

「パイナップルにはタンパク質を分解する酵素が特に多く含まれている。口にすると、舌や喉が痛むって人が、たまにいるだろう? あれは粘膜を覆うタンパク質が分解されてるせいだ」

 移動販売車の男性がイルザへと投げ飛ばしたパイナップルが彼女へと突き刺さった後、急に鎧の一部が剥がれ落ち、繰り出される攻撃の威力が衰えているのにアレックスは気付いたのだ。

 そして、その原因があの男性が投げたパイナップルや辺りに散乱しているジュースだとしたら?

 イルザの能力が血液を異様なほど強固な金属物質へと変換できるのならば、それを補うための物質はなんだ?

 血液とタンパク質は密接に関係している。血液を融解させることができずとも、タンパク質を融解させることができたなら――アレックスは賭けに出た。そして、賭けに勝ったのだった。

「お前が手当たり次第に武器を投げ飛ばしていた場所が、どこか分かるか? このスーパーマーケットの飲料品売り場だ。このスーパーマーケット、たまに利用するんだが、お前のせいでしばらく来れなくなったじゃないか。どうしてくれる?」

 クツクツと喉の奥でアレックスが笑う。

「辺りを見てみろ。お前の鎧が無様に崩壊していく原因は、お前自身が作り出したんだ」

 ほら、と言って周りを見回すアレックスに釣られてイルザも視線を動かすと、たしかに辺りは穴だらけのパックジュースやペットボトルが散乱している。床はそれらの中身で水浸し状態だったし、当然イルザの体の至る所にジュースがべったりと付着していた。

「血液もない、能力も使えない。さあ、どうするイルザ」

 持っていたパックジュースの空を放り投げると、無慈悲な問いかけをする。

「奥さんがあんな事になって、本当に残念だわアレックス――」

 皮肉げに口の端を吊り上げたイルザが言葉を最後まで言い終える前に、アレックスの拳が彼女の顔面めがけて振り下ろされた。

「痛いか? そう。だがサクラはもっと痛いはずだ。それに俺が手加減しなければ、今の一発でお前の頭蓋骨はガラス玉みたいに弾け飛んでたぞ」

 低く告げるアレックスの声は冷え冷えとしていた。

 鼻血でむせ返りながら、イルザは自身の置かれた状況を唐突に理解し、そして自分を殺さんばかりに睨みつける男へと懇願した。

「お願いアレックス! こんな事をするつもりはなかったの……私の意志でしたわけじゃないのよ!」

「だったら一体誰の意志だ? お前が罪もない人々を残酷な方法で殺し、彼らの持ち物を奪い取っていったのも自分の意志ではないと?」

「そ、そうよ! 私はただそうするようにと――」

「お前に命令を下す人間は誰だ? どうして俺の正体に気付いていた? 奪い取った品に何の意味が……」

 アレックスが問いただしていた時だった。彼の隙をついて、イルザは思い切りアレックスの股間を蹴り上げたのだ。

「痛っ!」

 叫んだのはアレックスではなくイルザの方だった。顔をしかめるイルザをアレックスは心底侮蔑の表情を浮かべて見下ろしていた。

「クソっ! なんなのアンタ!? 股座まで硬いとか、クレイジーにも程があるってのよ! くそっ、クソ野郎! 死ねよ!」

 狂ったように暴れるイルザをアレックスは容易に押さえ込む。彼の中に残っていた慈悲の心も、彼女の行為で吹き飛んでしまった。

「汚い言葉は慎め。それより質問に答える気はないのか?」

「ハッ! 死ね、クソ野郎!」

 唾を吐きかけて罵詈雑言を浴びせかけてくるイルザをアレックスは見下ろしながら、再び質問する。それは先程とは違う内容だった。

「じゃあお前に別のことを尋ねよう。ランドマンがヴィランを倒す時に必ず言うセリフを知っているか?」

「はぁ? そんなものし――」

 最後まで言葉が紡がれることはなかった。アレックスのたった一振りの、だが強烈なパワーを持った拳がイルザへと振り下ろされたからだった。

「答えは――”悪夢の中で、また会おうぜ”」




◇ ◇ ◇ ◇ 




 謎の空飛ぶ男と鎧女がいるスーパーマーケットへと警察官や特殊部隊がたどり着いた頃、辺りは不気味に静まり返っていた。ただ店のガラスは無残に破壊されているのはすぐに確認できた。

 警察官たちが一斉にスーパーマーケットの入り口に向けて銃を構えた。店の中から人影が現れるのが見えたからだった。

 暗闇に包まれたスーパーマーケットから現れた男に、一斉に銃と投光機が向けられる。

「両手を上げて、頭の後ろに置くんだ!」

 男は言われたとおりに両手を頭の後ろに置いて立ち止まった。待機していた特殊部隊員の数名が銃を構えながら男へと近づく。

 だが男は腕を下ろすと隊員たちを見返した。

「あの女は店の中にいる。特殊な能力を持っているから気をつけろ。女に血液を与えず、タンパク質を分解する液体に漬けてから運ぶんだ。わかったか?」

「貴様、何を言って――」

「今は気を失っているが、女が意識を取り戻したらくれぐれも気をつけろ」

 言うやいなや、男の体が真っ直線に上空へと消えていく。あまりのスピードに、警官や部隊員たちの銃弾すら追いつけなかった。

「クソっ! いったいヤツは何者なんだ!」

 銃を構え直しながら隊員たちが慎重に店の中へと足を踏み入れる。陳列棚が倒され、辺りに商品が散乱していた。

 一人の隊員が、足元で水音がするのを不思議に思いウェポンライトを下に向けた。

「なんだこれは」

 店の床に何かの液体が大量に撒かれていた。辺りに散乱するペットボトルやパック、それに充満する甘酸っぱい匂いに、液体がパイナップルジュースだということがすぐに分かった。

 視線を移動させると、ヒールを履いた足が見え、慌てて銃を構えた隊員は仲間に呼びかけた。

「見つけたぞ!」

 かくして美術館や往来で暴れまわっていた鎧姿の人物は発見された。居合わせた隊員たちは、鎧の中にいたのが細身の女だとは思いもよらなかったのだった。

「おいおい……いったいどんな手品を使ったら、こんな事が出来るってんだよ」

 ポツリと隊員のうちの誰かが呟いた。

 発見された女は拘束されていた。それも陳列棚の金属柱を両手両足に幾重にも重ねて巻きつけられており、おまけに床へ打ち付けるように固定されていたのだ。その体は暗褐色の鎧の残骸にまみれ、顔は血まみれだったが原型は留めていた。

 ただし全身がびしょ濡れで、顔を顰めたくなるほどのパイナップルジュースの匂いにまみれていたのだった。





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