表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
8/13

-8-





 サクラは走っていた。アレックスに言われた場所へとひたすらに。

 パンプスを脱いで正解だった。足裏からは冷たい大理石の感触がしていたが、極力音を立てずに走ることが出来る。

 途中、武装した男たちと何度か遭遇したが、今のサクラは丸腰ではない。アレックス手製の即席シナイが――それもスチール製の、軽量だが幾重にも絡みついて強度が増している――手の中にある。彼女にとって、銃を手にしているよりも、こちらのほうが余程心強かった。

「貴様、どこから――」

 廊下の角から銃を構えた男が現れたが、サクラは床を蹴り上げると一気に間合いを詰め、相手の脳天へと即席シナイを打ち付けた。

 男の姿勢が崩れたところを今度は下から容赦なく打ち上げる。顎が砕かれる無残な音が響いたが、相手はアクセサリーを身に纏うがごとく銃をジャラジャラ身に着けているのだ、情けを掛けてやる必要性をサクラはまるで感じなかった。

 倒れ込んだ男の体を踏み越え、またサクラは走り出す。目的地はもう直ぐだった。





 入り口を守るように立っていた男二人を叩きのめしたあと、サクラは唸り声を上げる機械の前に立っていた。

「さて、と。どうしようかしら」

 今いる場所は、この美術館の電力を供給している電気室だった。このどれかが、今アレックスとイルザ、そして人質たちがいるホールの電源につながっているはずだ。だがサクラにどれかなど分かるはずもない。

 だから彼女は手っ取り早く次の行動に移した。

「複数の中から一つを探すなら、手当たり次第全部ってね」

 サクラは電源パネルを次々と開けていくと、躊躇いなくハンドルを下げていく。バチンと弾けるような音とともに、獣のように唸っていた機械が大人しく静かになっていく。

 最後のハンドルを下げ終えると、ついに彼女のいる電気室の電気まで落ちた。

 暗闇に包まれたサクラは、慎重に入り口へと引き返す。まだやるべきことは残っている。

 アレックスは電源を落としたらすぐに美術館から逃げろと言っていたが、彼が一人で闘っているのにどうして自分だけ逃げられるというのだ。サクラは夫がいるであろう、ホールへと急いで引き返した。




◇ ◇ ◇ ◇ 




 ホールは大混乱に陥っていた。暗闇の中、人質となっていた招待客たちが、我先にと美術館の玄関ホールへと雪崩込んでいる。

 サクラは何が起こっているのかと、流れに逆らってホールの中へと足を踏み入れた。そして、目にした物に絶句した。

「嘘でしょ……」

 ホールの天井に巨大な穴が空いていた。近付いて覗き込むと、夜空が見えた。

「アレックス!」

 穴の縁に人影を見たサクラは思わず叫んだ。暗闇の中でも、彼の特徴的な黒と紫のスーツは彼女の目にしっかりと捉えられていた。

 サクラは急いでまたホールを飛び出した。人々の波を掻き分け、上階へと続く階段へと向かう。

 そして屋上の扉の前へとたどり着いた時、バリバリという轟音が聞こえることに気がついた。ヘリの音だと分かった時、サクラはドレスの裾を更に引き裂き、それを急いで頭に巻きつけた。

 イルザに自分の正体はバレているが、その他の人間にはまだバレていないはずだ。万が一のことを考え、サクラは顔を隠すことを思いついたのだった。

 目元だけを出した状態にし、サクラは即席シナイを握り直して屋上へと繋がるドアを開いた。

 そこにアレックスはいた。そしてイルザも。ただ異様だったのは、イルザの全身が暗褐色の鎧に覆われていて、さらに両手にレイピアのような物を持っていたことだった。

 なによりサクラを驚かせたのは、夫のアレックスが苦戦を強いられているように見えたことだった。

 注意深く二人を観察しながら、サクラは気配を消しながら屋上へと躍り出た。アレックスを見れば、彼のスーツはあちこち破れており、おまけに赤い線が引かれたように腫れあがっている。

「どうしたの! あなたそれでもヒーローなの? こんなに弱くてよくノイジーシティの守護者なんて言えたものね!」

 イルザが狂気じみた声音でアレックスに向かって叫んでいる。その間も決して彼女の攻撃は緩まなかった。

 アレックスも応戦しているが、どちらかと言えば守りに入っているように見える。

 どうしてアレックスは反撃しないの? あなたのパワーなら、目の前の敵なんてやっつけられるはずでしょう?

 倉庫で見せたアレックスの力を思い出したサクラは歯噛みする。だがその時、イルザの剣戟に押されていたアレックスの足元がグラグラと揺れた。一階から屋上まで開けられた穴の縁が崩壊しかかっていたのだ。

 アレックスが体勢を立て直すのと、サクラが彼の前に躍り出たのはほぼ同時だった。

 金属同士が擦れ合う甲高い音が響く。

「あなた、どうしてここに!」

 自分のレイピアをシナイで受け止めるサクラに、イルザが驚きの声を上げた。

「サクラ! なぜ逃げなかった!」

 体勢を立て直したアレックスがサクラに向かって叫ぶ。だが彼女はレイピアの勢いを殺した後、素早くイルザの手首を打ち付けた。

「ぐっ! このっ……」

 思ってもいなかったサクラの行動に、イルザの反応が遅れ、左手のレイピアが弾き飛ばされた。その隙を逃すかと言わんばかりに、サクラのシナイがもう一本――右手のレイピアを狙い突く。

「調子に乗るんじゃないわよ!」

 叫ぶイルザの左手に、新たなレイピアが現れる。サクラは素早く背後に下がって距離を取った。

「サクラ、逃げろと僕は言ったはずだ。どうしてここに来たんだ」

「私が来て迷惑だった? でもあなた、どう見ても押されてるように見えたけど」

 サクラの容赦ない一言にアレックスは言葉に詰まる。サクラはイルザから視線を外さずに、シナイを構え直した。

「アレックス、相手が女だから本気を出せないの? それとも自分のアシスタントだったから? 何にせよ、平気で人を傷つけるような相手に躊躇うのは、今の状況では賢い選択とは言えないわ」

「分かってる。だけど、あいつの武器は特殊なんだ。あの鎧も、元は――」

 そこでアレックスの言葉が止まる。ちょうど彼らの頭上に取材用ヘリが近付いてきたからだった。

「ふふっ、大変ねアレックス。奥さんと無実の一般市民。さあ、あなたはどちらを選ぶのかしら!」

 イルザは右手のレイピアを振りかぶると、取材ヘリに向かって投げ飛ばした。空気を引き裂かんばかりの勢いで、それは正確に取材ヘリのメインローターの根本へと直撃する。火花が爆ぜ、回転翼がぐらりと傾いでいく。

「くそっ!」

 アレックスが飛び立とうとした瞬間、今度はサクラ目掛けてイルザのレイピアが突進してくる。咄嗟にサクラの腕を引っ張り、自分の腕の中へと庇うが、代わりに背中に鈍痛が走る。イルザのレイピアが僅かだが皮膚を突き破って筋肉へとめり込んだ。

「本当に忌々しい体だこと! 今の私の最高硬度の剣を受けてもちょっとしか傷が付かないなんて、ね!」

 硬い筋肉に刺さるレイピアを抜くために、アレックスの背中をイルザは蹴りつけた。アレックスは腕の中のサクラを庇いながらイルザから離れる。その間にもヘリコプターは制御を失い、上空を不安定にふらつき始めている。

「アレックス、私はあの女の相手をするから、あなたはヘリの人たちを助けてきて!」

 サクラが夫の腕から抜け出すとシナイを構えた。

「だが、君にそんなこと――」

「お喋りしてる時間はないでしょう!? 早く行って!」

 そしてサクラが止める間もなく走り出す。アレックスは普段なら絶対に言わないような言葉を吐き捨て、屋上のコンクリートを蹴り上げ急いでヘリコプターへと飛んでいった。




◇ ◇ ◇ ◇ 




 ヘリコプターの機内はパニックに陥っていた。するとパイロットの横に黒と紫のコスチュームを纏った男が現れた。

 突然現れた男の存在に、機内はさらなる混乱状態になったが、空飛ぶ男がパイロットを怒鳴りつけたことにより、ようやく話しを聞かせることができた。

「今すぐヘリのエンジンを切るんだ!」

「なんだと!? そんなことできるか!」

「言うことを聞くんだ! このまま周りの建物に衝突して死にたいのか!?」

「くそっ!」

 パイロットが悪態をつきながらエンジンを切った。すると機体はますます制御を失い、どんどん降下していく。

 機内から叫び声があがる。だが制御を失っていたはずの機体が、ゆっくりとだが水平を保ちつつ、そのまま地上へと近付いていく。

 機内にいた人々は何が起こったのか分からなかったが、カメラマンが下を覗き込むと驚きと歓喜の叫び声を上げた。

「さっきの男が機体を下から支えてくれてるぞ!」

 カメラマンの言葉に皆が一斉に機体の外を覗いた。

 確かに男は居た。例の黒と紫のコスチュームを纏った男が、ヘリコプターを両手と肩で支えるようにしながら、地上へと運んでいたのだった。

「カメラ! 今カメラ回ってる!?」

「バッチリだ!」

 記者が慌てて問うと、カメラマンは当たり前だと言わんばかりにカメラを機体の外へと出している。

 倣うようにして記者が身を乗り出し、持っていたマイクを機体を支えてくれている男に向かって突き出した。

「SBCのヘレン・マクヴィンです! あなたが今ノイジーシティを騒がせている、空飛ぶタイツ男なんですか!?」

「頼むから機内で大人しくしててくれ! それからタイツじゃなくて、スーツだ!」

「それはどういう……きゃあああっ!」

 ガクン、と機体が大きく揺れる。記者は慌てて機内に体を戻すと、神様へと祈りの言葉を呟き始めた。

 そうして何度か地面を擦る音が聞こえ、大きな振動が機体を揺さぶる。皆恐怖に口も開けず、訪れる死の気配を振り払おうと必死だった。

 今までで一番大きな衝撃が機体を激しく揺さぶった。しばらくして、男の声が聞こえてきた。

「皆様、ノイジーシティ美術館前、ビッドストリートに着陸いたしました。ただ今の時刻は不明、天候はそこそこ晴れ、気温は少しばかり肌寒いです。本日はご利用くださいまして、誠にありがとうございました。それでは素敵な夜をお過ごしください」

 入り口から現れた男が胸に手を当てお辞儀をすると、機内に居た人々が口を開くよりも早く、再び上空へと飛び立っていった。

「スクープよケイン! こんなに間近で空飛ぶタイツ男と話すことができたのよ!? カメラ回ってるわよね?」

 さっきまで青褪めながら神へ祈っていた人間の言うことかと思ったカメラマンのケインは、現金な相棒に思わずグルリと目玉を回したのだった。




◇ ◇ ◇ ◇ 




 ヘリコプターを無事に地上へと着陸させたアレックスは、急いで美術館の屋上へと舞い戻った。

 屋上ではサクラがイルザの猛攻をシナイもどき一本で応戦していた。昔からサクラの強さは知っていたが、まさかここまでやるとは思っていなかったアレックスは、彼女にケンドーを教え込んだ義父の姿を脳裏に思い浮かべると、複雑な面持ちになった。

「まったく! アンタはただのコミック作家のはずでしょう? どうしてこの私相手に闘うことができるのよ!」

 ただの一般市民、それもコミック作家なんて職業を生業としている人間が、まともな運動神経を有しているとは思っていなかったイルザは、目の前で自身の剣戟を独特の剣さばきで防ぐサクラに向かって怒鳴りつけた。

「あなたこそ、ただの嘘つきなビッチってわけじゃなかったのね!」

 重いイルザの一撃をいなしたサクラが、斜め下から掬い上げるようにシナイを振り上げるが寸前で躱された。そのせいで、サクラは僅かばかり重心が傾くのを感じたが、すぐに立て直そうと足に力を入れた、その時だった。

「あっ!」

 左足が下に吸い込まれるような感覚がし、慌てて下を見ると、一階から屋上まで空いていた穴のひび割れが足下に這い寄っており、足を置いている場所がグラグラと揺れていたのだった。

 イルザが楽しそうに笑ってレイピアを突き出すのと、アレックスがサクラに向かって上空から滑空してきたのは、ほぼ同時だった。

 一瞬だった。その一瞬の差で、アレックスがサクラの体に触れるよりも先に、イルザのレイピアがサクラの腹部を貫通する。

「サクラッ!」

 アレックスが二人の間に割り込み、イルザへ渾身の力で蹴り飛ばす。鎧を纏うイルザの体が屋上の端まで吹き飛ばされた。

「サクラ、あぁ、くそっ!」

 急いでサクラの体を抱き上げると、アレックスは屋上から飛び立ち、数ブロック先にあるビルの屋上へとサクラを下ろした。そして彼女の頭を覆っていた布を取り去り、自分のマントで体を包むと、傷口に手を当てた。

「サクラ、僕の声が聞こえるかい?」

 血が滲み出てきている腹部を押さえながら、アレックスは必死にサクラに呼びかけた。

「……そんな情けない声を出さないであなた。それより、早くあの女を倒してきて」

 苦しげな息をつきながら、涼しい口調で言うサクラにアレックスが頭を振る。

「何言ってるんだ! 今すぐ病院へ行かないと……」

「大丈夫。咄嗟に体をずらしたから、それほど内臓にダメージは受けてないはずよ」

 まさかと思いながらも聴覚を研ぎ澄ませると、彼女の心臓の音や筋肉の音は確かに逼迫するような音を立てていなかった。

「お願いよアレックス。あの女を止められるのは、今ここにいるあなた以外にはいないのよ。だから早くアイツを止めて」

「こんな状態の君を置いていけない……」

 肩を震わせるアレックスを、サクラが子供たちを宥める時のように、優しく頬に触れながら彼を見上げた。

「ねぇ、私はあなたの全てをまだ知らない。だけど、きっとあなたはまだ本当の力を出していないんじゃない?」

 サクラの言葉にアレックスの体が微かに震える。それを感じたサクラは仕方ない人ね、と言いながらアレックスの頬を優しく撫でた。

「なにをそんなに恐れているの? なにが怖いの?」

「僕は――僕は化物だ。あの女と変わらない……いや、それ以上に酷い化物なんだ。きっと、僕の本当の姿を知れば、君は僕を恐れて嫌いになる」

 マスクの下で顔を歪めるアレックスだったが、サクラはそれを一笑に付した。

「私を誰だと思ってるのアレックス。今最も人気のコミック作家よ。それにね、知ってる?」

 まるで秘密を打ち明けるようにサクラは声を潜めた。

「苦悩するヒーローを見捨てるようなヒロインは、本当のヒロインなんて言わないのよ」

 だからアイツを倒してきて、私のヒーロー――そう言って、サクラは自分の傷口に手を当てていたアレックスの手を退け、自分でしっかりと押さえつけた。

 アレックスは黙って頷くと立ち上がった。そして横たわるサクラに背を向けると、一言告げる。

「すぐに戻ってくるから。絶対に」

 屋上を蹴り上げると弾丸のようにアレックスの姿が夜空に消えた。サクラはそれを見届けた後、疲れたように目を閉じた。

「アレックス、ヒーロー(英雄)は必ずヴィラン(悪人)を倒すものって、決まってるんだから」





評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ