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 ホールに突如として現れた謎のタイツ男に、人質となっていた招待客たちはざわつき始めた。

「これ以上、お前の好きにはさせないぞ!」

 マントをたなびかせながらイルザに向かって指差すアレックスに、人質たちは恐怖と困惑で息をすることすら忘れて見入ってしまった。新たに出現した男が敵なのか味方なのか、はたまた頭のイカれた変質者なのか判断しかねていた。

 イルザは館長の襟元を強引に掴んだままアレックスを振り返った。

「はぁ、ちょっとは時間稼ぎになるかと思ったけど、アンタ達って本当に役立たずなんだから」

 ウンザリしながらイルザは武装した男たちを見回した。その顔には再びあの錆色のマスクが被られていた。

「アンタがとっととケースを開けないからヤツが来たのよ。今すぐこれを開けなさい」

 館長を無理やりケースの前に引き摺り出すと、彼の頭をケースに押し付けた。

「何度言われても、無理なものは無理なんだ! こ、この作品の所有者は私ではないし、ようやく当館での展示に漕ぎ着けたのに、これを盗まれたなんてことになったら私は破滅する!」

「じゃあ今すぐ破滅したい? これで今度はアンタの喉元を掻き切ってやってもいいのよ」

 またイルザは指を擦るような仕草をすると、彼女の手の中に館長の肩に刺した時と同じようなナイフを出現させた。そして館長の首元へと這わせた。

「やめろ! 彼を殺して困るのは、お前の方だと分かってるんだぞ!」

 アレックスの言葉にイルザが舌打ちした。アレックスは確信めいた口調で続けた。

「その絵画を守っているケースを開けるには、彼だけが知っている認証コードをケースのどこかに隠されている装置に入力しなければならないんだろう? 強化プラスチックとは言え、お前たちが無理にでもケースを破壊して奪っていかないのはどうしてだ? そう、答えは簡単だ。中の絵画を傷つけずに奪いたいからだ」

 そうだろう? とアレックスが断言すると、イルザは余裕のある態度を初めて崩した。

「あなたって、何の面白みもないダサい男だと思ってたけど、ちょっとだけ考えを改めなきゃいけないみたいね」

 カツリカツリとヒールを打ち鳴らすイルザには苛立ちと焦りが見えた。彼女たちには時間がない。アレックスの聴覚は、既にここへと向かう多数の警察車両と装甲車両のエンジン音が聞こえていたのだ。あと数分で、この美術館は警察に取り囲まれることだろう。

「お前に逃げ場はないぞ。さあ、館長を離すんだ」

 アレックスが近づくと、イルザは館長の喉元に突きつけていたナイフを食い込ませた。彼女の部下と思しき武装した男たちも、先程からアレックスに銃口を向けたまま微動だにしない。

「離すんだ、さあ――」

 さらに一歩足を踏み出したアレックスに向かって、イルザの部下の一人が引き金を引いた。だが銃弾はアレックスの体に当たると跳ね返った。

「ちょっと! 誰が撃てと言ったのよ!」

 勝手に発砲したことに激怒したイルザは、館長に当てていたナイフを発砲した部下へと投擲した。それは恐ろしい精度で部下の眉間へと深く突き刺さった。

 館内がまた悲鳴で溢れかえる。それが余計にイルザの怒りに火をつけ、彼女は館長を乱暴に床へと突き飛ばすと、両手を掲げて指を擦り合わせた。

 アレックスはようやくイルザのその仕草の意味に気が付いた。イルザはネイルの施された鋭く尖った爪を自分の指へと食い込ませ、そこから血を出そうとしているのだ。

「なっ――」

 彼女の十本の指から血が一斉に吹き出したと思えば、それらが意思を持ったかのように、彼女の部下たちへと猛スピードで襲いかかる。

 男たちは自分たちが武装しているにも関わらず、迫り来るイルザの血液の触手から逃げようと恐慌状態に陥っていた。ある者は銃を触手へと乱射し、ある者は必死に逃げ回っている。

 唖然とアレックスが見ていると、逃げ遅れた男の喉を突き破るようにして血液の触手が貫通した。それは既に液状ではなく、濃い赤色をした硬い金属物質へと変化していた。

 イルザの魔の手から逃げられなかった部下たちが次々と、その体に深紅の鋭く尖った金属で体を刺し貫かれていく。

 壇上に立ったまま一歩も動かず、イルザは両手を掲げたまま部下たちの体から血液を吸収していった。

 アレックスは博士から送られた動画に映っていたものを思い出していた。目の前で繰り広げられている光景は、あの映像よりもさらに凄惨だった。

「まったく、使えない男って本当に嫌い。でも良かったわね、最後に私の役に立てて」

 イルザの両手から伸びていた血色の金属が彼女の元へと収束していく。そして両手から侵食するように、彼女の体に金属物質が纏わりついていく。

 やがて全身を覆ったそれは、彼女を守る毒々しい血の色をした強固な鎧となったのだった。

「ビックリしちゃったかしら? あなたが空を飛んだり超人的な怪力の持ち主なら、私は血液を鋼鉄よりも硬くすることができるの」

 フフ、と楽しげにイルザが笑う。それに対して、アレックスは不敵に笑い返してやった。

「随分と立派な鎧だな。まるで中世の騎士みたいだ。あぁ、でも丸腰の騎士ってのは締まらないな」

 冗談めかしてアレックスが言えば、イルザの両手から血色のレイピアが飛び出してきた。

「おっと……前言撤回。なかなかイケてる剣だ」

 アレックスが言い終えるやいなや、イルザがレイピアで斬りかかってくる。咄嗟に腕で受け止めるが、博士自慢のスーツが引き裂かれたのを見て驚いた。

「本当、呆れるほど硬い体なのね。この私の剣で斬れない物はあなたが初めてよ」

「それはどうも」

 防御したままイルザの無防備な脇腹へと蹴りを入れると、彼女の体が床を削りながら吹っ飛んだ。

 いつもならこれで大抵終わりだった。だが今日は違った。

「女性には優しくしなさいって、あなた教わらなかったの? ヒーローを自称してる割には随分と乱暴なのね」

 すっと立ち上がったイルザは、全くダメージを受けた様子がなかった。血色の鎧はアレックスの超人的な怪力でさえ防ぎきる強度があるようだ。いったいどんな原理か知らないが、ただの血液が鋼鉄よりも堅牢になっているのは事実だった。

「あら大変ね、あなたの自慢の腕力も通じないようだし。さあ、どうするの?」

「それはお前も同じだろう? そんな武器で僕を傷つけることなどできない」

「じゃあ、試してみましょうか?」

 二本のレイピアを構えてイルザがアレックスへと向き直る。だがその時、突然館内が暗闇に覆われた。

 壁際で息を潜めていた人質たちが一斉にパニックに陥る。イルザでさえ何が起こったのかと身構えている。

 サクラ、本当に君って人は最高だ――アレックスは明かりがついていた時と変わらず明瞭な視界でイルザへと音もなく近づくと、彼女が気配を察知してレイピアを構えるよりも早く両腕で拘束すると、床を思い切り蹴り上げた。そしてそのまま天井を突き破り、二階、三階、そして屋上へと到達する。

 両腕で締め上げていたイルザがアレックスの両目を狙うようにして血色のガントレットの指先から二本の太い針を突き出した。

 アレックスはイルザを屋上へと放り投げると距離を取った。

「鋼鉄並みの皮膚を持っていても、目はそうじゃないのかしら? 残念、私硬い人(、、、)が好みなのに」

 妖艶に笑い声を上げながら、イルザはレイピアを再び構えた。

「僕は柔らかい体の女性の方が好みかな。お前みたいな抱き心地が悪そうなのは趣味じゃないな」

 レイピアの刺突を防ぎながらイルザの血色――いや、何故か変色し始めており、すでに赤銅色に変化していたヘルムへと拳を叩き込む。

 だがヘルムは破損するどころか、アレックスの拳に初めて衝撃を与えた。

「お硬い女はお嫌いのようね」

 ヘルムの奥からくぐもった笑い声が聞こえてくる。先程よりも彼女の体を覆う鎧の強度が増しているようにアレックスは感じた。

 そんなアレックスの隙を突くようにして、イルザのレイピアがアレックスの脇腹を狙う。

「っと……!」

 皮膚に触れるか触れないかギリギリのところで避けたアレックスだったが、イルザの追撃は止まず、両手のレイピアを交互に繰り出しては猛攻撃を仕掛けてきた。

 アレックスは剣戟を避けつつ、さっき掠めた脇腹を無意識に触った。そこはスーツが破れて皮膚がむき出しになっており、ミミズ腫れのように一直線に腫れていた。

 銃弾でも弾き返す体を持つのに、細いレイピアごときでなぜ自身を傷つけることができたのか、アレックスには分からない。ただイルザの鎧と武器は時間とともにどんどん変色していて、鮮やかな血の色だったのが今では赤銅色と暗褐色に変化している。

 このまま強度があがると厄介なことになるとアレックスは思った。だが目の前の女を止めることができるのは自分だけだと改めて認識し、アレックスは何とかこの奇妙な鎧と武器を無効化できないものかと、攻撃を防ぎながら考えを巡らせていた。





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