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連れてこられた場所は、倉庫のような場所だった。そこに重ねられていたパイプ椅子の上に座らされると、アレックスとサクラは椅子にジップタイで両腕と両足を拘束された。
サクラは縛られながら必死に男たちに訴えていた。
「お願い、夫を病院に連れて行って……このままじゃ死んでしまうわ」
懇願すれども男たちは無反応だった。目出し帽を被った男たちは、まるで感情のないロボットのように見えた。
サクラは絶望的な気持ちで、俯いたまま椅子の上で力なく拘束されているアレックスを見つめた。胸元の血は変色し始めていて、それがアレックスの死へのカウントダウンの様に思えた。
必死にアレックスへと呼びかけていると、倉庫のドアが開いて女が現れた。
「あら、まだオネンネしてるの? やだわ、早く起きなさいよアレックス」
ヒールを鳴らしながらアレックスの側で立ち止まると、女が彼の顔を覗き込んだ。
「アレックスから離れて!」
サクラが威嚇するように叫ぶと、女は何が楽しいのか声を上げて笑った。
「今日は随分と元気なのねあなた。あの時はまるで人形みたいに無表情で不気味だったのに」
「なに言ってるの、あなた……」
怪訝に思ってサクラが聞き返すと、女は仮面に手をかけるとそれを脱ぎ去った。
「あなた――!」
真っ赤な髪と共に現れた顔に、サクラは言葉を無くした。
「お久しぶり、と言ったほうが良いのかしら?」
イルザ――カフェでサクラの前で堂々とアレックスと関係があると言い放った女が、愉快そうに唇を吊り上げてサクラを見返していた。
「今のあなた、凄い顔してるわよ。もうわけが分からなくて死んじゃいそう! って顔してる」
馬鹿にするように両手を振り回して言い放つイルザに、それでもサクラは混乱状態のままだった。
「なぜ……何なのあなた」
「なぜ、なに? 他に言うことはないの? つまらない女だって、あなたよく言われない?」
ねぇ、アレックス、と俯いたままの彼の膝の上に座ったイルザに、サクラは混乱から脱することが出来た。
「アレックスに触らないで!」
「ですって、アレックス。ねぇ、そろそろ下手な芝居はやめたらどう? あなたの愛しい愛しい奥様が、さっきからうるさくて仕方ないのだけど」
血で染まったタキシードの胸元をゆったりと撫で回すイルザは、意味ありげにアレックスの耳元で囁いた。サクラは怒りで体がわななくのを感じた。
「そう、まだお芝居を続けるのね、じゃあ、これはどうかしら」
イルザはアレックスの顔を乱暴に持ち上げると、そのまま強引に口付けた。
「やめて!」
まるで見せつけるようにキスをするイルザに、サクラは拘束された体を揺すって暴れだした。
その時だった。動く気配のなかったアレックスが、勢い良く頭を振ってイルザの唇から逃れたのだ。
「王子様はお姫様のキスで目覚める、だったかしら。 あら、違った?」
愉快そうに笑ってイルザは立ち上がると、アレックスを見下ろした。
「アレックス? あなた……」
「……すまない、サクラ」
先程までの死への気配を漂わせていた姿とは違い、その声はサクラが驚くほどにしっかりとしていた。
「やっぱり、その様子じゃ自分の夫が何者なのかを知らないって感じね」
「何言ってるの、アレックスはただの――」
「コミック出版社で編集者をしている、冴えない真面目な男で、理想的なファミリーマン? そうね、皆そう思ってるわ。狡猾にも、あなたもそうやって騙されてたわけよ」
イルザの言っている意味が分からなくて、サクラは助けを求めるようにアレックスを見つめた。
「サクラ、隠すつもりは無かったんだ」
「なにを? あなた達、さっきから何を言ってるの」
意味が分からないと頭を振るサクラに、イルザがアレックスの代わりに答えた。
「夫が普通の人じゃないって、これを見たら分かるかしら」
そう言うと、イルザはアレックスの血まみれのタキシードのシャツを強引に引っ張った。ボタンが弾け飛び、中から血の色に染まったある物が現れた。
「本当、このセンスだけは理解できないわよね。ダサすぎて目眩がするわ」
大仰に溜息をつくイルザの言葉も耳に入ってこない。ただただアレックスのシャツの下から現れた物に、サクラは呆然としていた。
「それ……その格好、ニュースで言ってた……」
アレックスのシャツの下から現れたのは、今世間を騒がす空飛ぶ謎の男が来ていた黒と紫のコスチュームだった。
アレックスは苦しげに眉根を寄せていた。そして詰めていた息を吐くと、サクラを見つめ返して言った。
「僕が、空飛ぶ謎の男だったってことだよ」
沈黙が一瞬降り立った。だがサクラはすぐに口を開いた。
「ねぇ、アレックス。これは何の冗談なの?」
「冗談でもなんでもないんだサクラ。信じられないかもしれないけど、僕は本当に――」
「あぁ、じれったい。そんなくだらない説明より、こうした方が早いでしょ」
イルザが武装した男の一人に合図すると、男は躊躇いなく銃の引き金をアレックスの頭に向かって引いた。
派手な銃声と共にアレックスの側頭部に弾丸が当たった――はずだった。
「おい! 危ないだろう! 彼女に当たったらどうするつもりだ!?」
確かにアレックスの頭に弾丸が当たったはずだったが、当の本人は何のダメージもなく、イルザと自分に引き金を引いた男に向かって抗議している。
「これでおわかりかしら? あなたの夫が普通の人間じゃないって」
イルザが肩をすくめて何でもないといった風に言う。
サクラはアレックスとイルザを交互に見遣ると、顔を俯かせた。そして低く這うような声で言った。
『……アレックス、うち結婚する時に言わへんかったっけ?』
サクラが突然ニホン語で話し始めたせいで、倉庫内に居たアレックス以外の者たちは皆怪訝そうに首を傾げた。
「なに? 今なんて言ったのかしら? 驚きすぎて英語も喋れなくなったの? ハロー? ニーハオ?」
『うるさい黙れビッチ。それにうちはニホン人やっちゅーねん』
「ちょっと、今ビッチって言った?」
イルザが片眉を上げて不快そうに吐き捨てた。一部の単語だけは聞き取れたようだった。
『サクラ、僕は決して君を騙そうと思っていたわけじゃ……』
『騙すどころの騒ぎちゃうやろ!? なにこれ、なんなん今のこの状況! 目の前で夫が撃たれた思うて絶望してたら、ケロッと蘇って世間を騒がす謎のタイツ男やって言われた上に、この露出狂女に目の前で夫にキスされて、どうやって平然とせぇゆうねん!』
興奮しながら怒鳴り散らすサクラに、アレックスは宥めようと必死に説得を始めた。
『撃たれた芝居は仕方なかったんだよ。ああでもしないと、この女の気を引けないと思って』
『気を引く? うちは血の気が引いたわ! そもそも血が出てたやん、なんなんよ!』
『あぁ、これは博士が開発した新装備でね、強い衝撃を受けると血糊が吹き出す仕組みになってるんだ。でも良かったよ、この装備はまだ完成品じゃないらしくってね。上半身しかカバーできないから、下半身を撃たれてたら血糊が出ないところだったよ』
以前、スーツのデザインについて博士の所に相談しに行った時に渡された、例の楕円形のラテックスのような物体。あれを胸元に装着すると、血糊の入ったゴム状の物質が上半身全体へと広がって密着するのである。そして一定以上の衝撃を受けると、そこから血糊が出るという仕組みだった。
常人とは違って滅多な事では血が出ないアレックスが、万が一普通の姿の時に撃たれた時を想定して作ってくれたのだった。
『そんな冷静な説明いらんし! ていうかドクター? なんのドクターやねん!』
「ドクター? まだ医者に診てもらったほうが良いとか言ってるの?」
イルザが呆れたようにサクラを見下ろすが、サクラはキツくイルザを睨め返した。
『ちょいちょい単語を拾い上げんな! そもそも何やねんこの女!? さっき目の前で突然ナイフみたいなん出したと思ったら、館長をぶっ刺しよったんやでこのビッチ!』
「ちょっと! またビッチって言ったわね!?」
イルザがサクラの頬を打つ。アレックスが怒声を上げた。
「やめろ! 妻はなんの関係もないんだ、手を出すな!」
「ようやく私の分かる言葉で話す気になったのね。ペチャクチャ訳の分からない言葉で喋られるのって、凄く不快だわ」
頬を打たれたサクラは気勢を削がれた様子もなくイルザを睨みつけていた。だが後頭部にグリッと硬い感触がしたせいで、反論しようと開きかけていた口を閉じた。
「賢明な判断ね。これ以上くだらないお喋りをするつもりなら、今すぐあんたの頭をぶち抜いてたところよ」
イルザは銃口を男に突きつけられたサクラを楽しげに見やった。
「私はまだやることが残ってるの。だからアンタ達はここで大人しくしててね。アレックス、変な気を起こしたら、あなたの愛しい妻の脳髄が派手にぶち撒けられるって覚えておいてね」
そう言ってイルザはアレックスの頬へとわざとらしくキスをした。アレックスは悔しげに歯を食いしばって頭を振ることしかできなかった。
◇ ◇ ◇ ◇
こんな形で自分の正体がバレるとは思っていなかった。決して、妻を巻き込むつもりなどなかったのだ。
アレックスはパイプ椅子に縛り付けられたまま、何度も後悔と懺悔の言葉を脳内で繰り返していた。
部屋の中をそっと伺えば、武装した屈強な男たちが三人。ドアの横に二人、サクラの後ろで銃を構えたままの男が一人。
自分一人なら何とでもなる。今すぐに行動を起こしても良い。だがもし自分の超人的な力を持ってしても、サクラに撃ち込まれた弾丸を防ぐことができなかったら? そう考えるとアレックスは迂闊な行動ができなかった。
「……浮気、してたの?」
ボソリとサクラが低く呻くように言った。一瞬、何のことを言っているのか、アレックスは理解できなかった。
「サクラ、何を言ってるんだ?」
アレックスが聞き返すと、俯いていたサクラが顔を上げてアレックスを見つめ返してきた。
「あのイルザって女と、浮気してたんでしょ?」
「は? 何で僕が彼女とそんなこと――」
「だって、たまに夜中に家を抜け出してたでしょ! あの女の所に行ってたんでしょう!?」
唖然とした。なぜそう言う結論へとたどり着いたのか、アレックスは本当に分からなかった。
「ちょっと待ってくれ。僕が夜中に抜け出してたのは、悪党たちを倒すためであって、決してイルザの所へ行くためじゃ……」
「でもあの女、私に言ったわ! アレックスに素敵な夜をありがとうって伝えておいてって」
「誤解だ! 素敵な夜なんて過ごしてない! むしろ最悪の夜だったよ! 突然変死体を発見するし、警察にあれこれ聞かれるし、おまけに彼女をアパートまで送り届けなきゃいけなくなったし――いや、よく考えれば、あの変死体だってイルザの仕組んだことに違いない」
「アパートまで送った? そんな話し、私聞いてないわよ」
「いや、話すつもりだったんだ。でもタイミングが――」
戸惑うアレックスにサクラはさらに激昂した。
「タイミング! そうね、タイミングが分からなかったから、自分が世間を騒がすタイツ男だってことも言えなかったのね。えぇ、分かるわ。凄くね!」
「頼むから落ち着いてくれサクラ。それにタイツ男って言い方はやめてくれ。これはスーツだよ、ヒーロースーツ」
「そんなダサいヒーロースーツ、三十年代にとっくに滅びたと思ってたわよ! それより誤魔化さないで。浮気してたのは分かってるの。あなたが飲んで帰ってきた日、あの忌々しい女の香水がべったり移ってたもの。それにカフェであの女が突然私の前に現れて、堂々とあなたと関係を持ってるって宣言したのよ。真っ昼間のカフェでね!」
「待って、それはいつの事?」
「あなたが私にここのパーティーのチケットを見せてくれた日よ! あぁ、最悪。こんな目に遭うって分かってたら、絶対来なかったわ。この日のためにわざわざサロンにまで行ったのに!」
悔しげに顔をしかめる妻を見つめつつ、アレックスは知らなかった事実を知らされて驚愕していた。チケットをジョンから貰った日、イルザは一人でライターと打ち合わせに行っていた。だがそれはサクラに会うための口実だったと言うわけだ。
野心的な女性だとは思っていたが、少なくとも自分にも同僚たちにも不興を買うような行動をすること無く、誠実な態度でいたイルザの全てが偽りだったと分かり、アレックスは久々に頭に血が上った。
だがここで怒りを解き放ってはいけないと、己を律することにアレックスは集中した。
「サクラ、神に誓って言うが、僕は絶対に浮気なんてしてない。絶対にだ」
「それを信用しろと? あなたがとんでもないパワーを持った人間だって事を、何年も秘密にされてたのに?」
「これだけは言っておく。僕は君以外の人間に興奮することは、絶対にあり得ない」
「男はいつだってそういう事を言うわよね。”あぁ、君より素敵な女性には出会ったことがない” ”君が最初で最後の女性だ” ハッ! 安っぽいセリフをどうもありがとう、アレックス」
グルリと目玉を回してサクラが吐き捨てた。だがアレックスも反論した。
「そう言う君だって、僕以外の男と付き合っていただろう?」
「一体いつの話しよ! 私は今の話しをしてるのよ?」
「僕にとっては重要な事だ。僕のキスも初体験も、全て君が初めてだったのに、君はあのアメフトをすることしか能のないジョックに初めてをプレゼントしたじゃないか!」
アレックスの言葉に今度はサクラが絶句する。
「そんなこと……でもあの人とは三ヶ月も持たなかったわ。いえ、そうじゃない。なぜ今こんな話しをしなきゃならないのよ」
「君を見つけたのは僕のほうが先だったんだ。あの高飛車なクインビーとその取り巻き達を一人で叩きのめした君を面白半分で手に入れたアイツよりも、ずっと前から僕は君が好きだったのに」
「おい――いい加減、痴話喧嘩はやめろ」
サクラの後頭部を男が乱暴に銃口で小突いた。悔しげにサクラは歯を食いしばった。
「サクラ……あの時の君は本当に強くて美しかったのを今でも鮮明に覚えてるよ。今の君も充分に強いと思うけどね」
「えぇ、私は強いわ。あなたほどじゃないけれど」
サクラが言い終えるのとほぼ同時に、アレックスがパイプ椅子ごとサクラ目掛けて突進した。サクラはそれが分かっていたかのように、床を蹴りつけて横に飛び退くようにして椅子ごと転がった。
二人の咄嗟の行動に反応できなかったのは、サクラの後ろで銃を構えていた男だった。言葉を発する間もなくアレックスに体当たりされてしまい、アレックス共々吹き飛ばされた。
「この野郎!」
入り口に立っていた二人が銃を構えるが、アレックスは拘束を容易く引きちぎると、床に転がったままのサクラを庇うようにして立ちふさがった。
男たちが銃を乱射するが、その一発たりともアレックスを傷つけることなどできるわけもなく、彼の着ていたタキシードが穴だらけになるだけで、彼自身に穴を開けることは不可能だった。
「がっ――」
男二人をそれぞれ片手で掴み上げると、アレックスはドアへと叩きつけた。鋼鉄製の頑丈な扉が衝撃で歪み、呻き声を上げながら二人は意識を失った。
「サクラ、大丈夫かい?」
男たちを鎮圧したアレックスは、慌てて床に転がったままのサクラへと近寄り、その拘束を解いてやった。
「大丈夫――と言いたいけれど、今にも心臓が喉から飛び出そう」
アレックスの手を借りながらも、サクラはしっかりと立ち上がった。
「君だったら、僕の意図を察してくれると信じてたよ」
「いったいあなたと何年一緒にいると思ってるの。急に昔の話しを持ち出すから、変だと思ったのよ」
サクラが強張った肩を回している間に、アレックスは近くにあったスチールラックを両手で破壊すると、まるでガムのようにクルクルと捻って棒状にし、ボロボロになった自分のタキシードの残骸を巻きつけてサクラに手渡した。
「今すぐ君に逃げて欲しいってカッコよく言いたいところだけど、少しだけ僕を手伝ってくれると助かるんだ。できる?」
即席のシナイもどきを受け取ったサクラは、挑戦的な目つきでアレックスを見返した。
「むしろ一人で逃げろなんて言ってたら、あなたを殴り飛ばしてたところよ」
「それでこそ、僕の愛しいサクラだ」
アレックスは意識のない男たちから武器を全て奪うと、それらを握りつぶしたり踏みつけたりして、破壊していった。
その間にサクラは自身のドレスの裾を引き裂き始めた。思わずアレックスは妻を凝視する。
「なに? もうこんなに汚れていたら、着ることができないでしょ。それにこのままだと動き辛いし」
「そうじゃない。ただ、君のセクシーな太ももが見られてラッキーだと思ってね」
てっきりドレスの事を咎められるのかと思っていたサクラは、予想外の夫の言葉に赤面した。
「変なこと言わないで。あとそんなに見つめないで」
「どうして? 妻の素足を夫が見るのはいけないことかい? 僕から夫の権利を奪うつもり?」
手に持っていた通信機を破壊しながらアレックスが言い返すと、サクラは首筋まで赤くしながらそっぽを向いた。
「あなたがそんなにイジワルな人だって知らなかったわ」
「知らないことを知った時って、何だかワクワクしない?」
「こんな状況じゃなければね」
サクラはパンプスを脱ぎ捨てると、確かめるように床を踏みしめた。アレックスはボロ布同然のタキシードを脱ぎ捨てると、下に身にまとっていたヒーロースーツが姿を表した。
「ねぇ、そのスーツのデザインは一体誰が考えたの? まさかあなた自身が作ったとか言わないわよね」
「僕にそんな才能はないよ。まぁ、ヒーローが自分で衣装を作るのはお約束だけど、残念ながらこれを作り出したのは博士だよ」
「さっきも言ってたけど、その博士って誰なの?」
「それはこの件が無事に片付いてから、ゆっくりと説明するよ」
腕時計からカプセルを取り出して圧力をかけると、マントが飛び出してきた。サクラは目を丸くしたが、脱ぎ捨てたタキシードのポケットから、おおよそイケてるとは言えないマスクを取り出して被った夫を見て複雑そうな顔をした。
「今夜だけで私の人生が全部引っくり返るようなことばかり起きちゃったわ。まぁ、それは今は置いておくとして、私のすることを教えてアレックス」
昔から物事を鋭く観察し、状況に素早く対応しようとするサクラをアレックスは好ましいと思っていたが、今夜ほど自分の妻を誇らしいと感じたことはなかった。
サクラに手早く説明すると、彼女は深く頷いた。そして二人は示し合わせたように、同時にドアへと近付いた。
だがそこでアレックスの動きが止まった。
「なに?」
にわかにサクラに緊張が走る。だがアレックスは至極真面目な顔をして尋ねた。
「サクラ、あの男とは一体何回寝たの?」
「今そんな話し関係ないでしょ!」
「いや、あるね。何回?」
いつもの柔和な口調ではなく、どこか有無を言わせない雰囲気で言われ、サクラは渋々答えを返した。
「……一回よ」
ジッとアレックスはサクラを見つめ続ける。
「もう、二回よ! 二回だけ。これで満足?」
「いいや、満足じゃないね。僕たちはあともう一人は子供を作らなきゃならない」
「どうしてよ!」
「あの男が二回なら、その倍は子供がほしい。あと一人作ればちょうど倍になるだろ?」
謎の理論を展開する夫に妻は頭痛がしてきた。
「変なところで張り合わないでよアレックス。それに生むのは私なのよ? 軽々しく言わないで」
「駄目だ。絶対にあと一人は欲しい」
そう言って素早く妻に口付けると、アレックスは歪んでしまったドアを開けた。すると目の前で銃を構える男とかち合った。
「子供たちには人に銃を向けるような大人にならないように、言い聞かせないといけないな」
そう言うとアレックスは、男が引き金を引くよりも更に早く拳を相手に叩きつけた。あまりの速さに男がひとりでに後ろへと吹き飛んだようにしかサクラには見えなかった。
「さあ、行こう」
動じること無く進んでいく夫の背中を見たサクラは、肩をすくめてから急いで後を追ったのだった。




