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「サクラ!」
大急ぎでサクラのいる屋上まで戻ってきたアレックスは、意識を失っている妻を見て悲痛な叫び声を上げた。
マントに包まれぐったりと横たわるサクラを急いで抱え上げると、アレックスは空へと飛び立った。
「……アレックス?」
夜空を切り裂かんばかりの勢いで飛んでいたせいか、凍えそうな外気でサクラの意識が戻ったのだった。
「サクラ、今すぐ病院へ連れて行ってあげるからね」
夫の必死な声音にサクラは否定の言葉を発した。
「ダメよ。そんなことしたら、あなたの正体がバレちゃうわ」
「君より優先すべきことなんてない!」
「あなたが姿を隠して悪党たちを倒してきたのには……理由があるんでしょう? それをこんな事で明かしてはダメよ」
全てをサクラに話したわけではないのに、この恐ろしいほどの観察眼を持つ女性をアレックスは容易には欺けなかった。
「――僕の知り合いの所に連れていく」
上空で方向を変えると、アレックスは先程よりもさらにスピードを上げて飛んだ。サクラは安心したように再び意識を失った。
「博士! 彼女を見てくれ!」
博士の隠れ家に着いたアレックスが、滅多にないほどの大声を張り上げながら現れたせいで、さほど美味しくもないコーヒーを飲んでいた博士は吃驚してカップを取り落としてしまった。
「な、なんの騒ぎだ! いったいどうしたんだ――」
椅子から立ち上がって部屋から出ると、博士はアレックスとその腕の中にいる人物を見てもう一度吃驚した。
「おい! サクラさんじゃないか! なにがあった!?」
「説明している暇はないんだ。彼女は腹部に怪我を負っている。助けて欲しい!」
常に無い焦った様子のアレックスに、博士は急いで別室へとアレックスを連れて行った。
そこには様々な医療器具が揃えられており、博士がいつもいるガラス張りの部屋と違って清潔感に溢れていた。
「ここに寝かせるんだ。ゆっくりだぞ」
アレックスに指示を出しながら、博士は急いで手を洗い、器具と薬の準備を始めた。
「なにか手伝えることは?」
「ない。終わるまで出ていろ」
アレックスの方を見もせず言い放つ博士の顔は、いつもの陽気な表情ではなく、厳しさに満ち溢れていた。
言われたとおりにアレックスは黙って部屋を出た。近くに乱雑に放置されていた椅子に腰掛けると、被っていたマスクを脱ぎ去り、彼は肘を太腿に付けて祈るように額を両手に押し付けた。
どれくらい時間が経ったのだろうか。博士とサクラが居る部屋のドアが開かれる音を聞き、アレックスは椅子から跳ねるように立ち上がった。
「サクラは!?」
詰め寄るアレックスに博士は彼の両肩を押し返して息をついた。
「大丈夫だよ。今は麻酔が効いているから眠っている。一時間ほどで目が覚めるだろう」
博士の言葉にアレックスの肩からようやく力が抜ける。崩れ落ちるように椅子へと座るアレックスに、博士は何があったのか改めて尋ねた。
「美術館で騒ぎがあったのは知っている。テレビやネットで散々流れていたからな。君の姿もチラリとだが映っていた。だが彼女はどうしてあぁなった?」
「どこから話せばいいか……」
疲れた様子でアレックスは事の顛末を博士に全て話した。そうして、話し終えたアレックスを博士は険しい顔で見つめていた。
「そのイルザとかいう女は君の正体を初めから知った上で、近付いてきたと見て間違いないだろうな」
「あぁ。だけど、どこで僕のことを知ったのか……」
頭を擦りながらアレックスは悩んだ。博士は顎に手を当てつつアレックスに考えをぶつけた。
「君の昔の知り合いの可能性は?」
アレックスの動きが一瞬止まる。だが額に手を当てたまま首を振った。
「分からない。だけど僕の記憶では、少なくとも僕以外に似たような人間はいなかった。それに僕の能力とあの女の能力はまるで違うし、アイツらが使っていた兵士たちとイルザが従えていた兵士たちの装備や動きもまるで違った」
「ふむ。となると、ますます厄介だな。君の存在はまだ昔の知り合いに知られていない可能性が高いが、別の何かが君の存在を知っているということになる」
「それともアイツらが雇ったのかもしれない」
「そうだとしたら、あの不可解な強盗殺人事件の意味はなんだ? 金にもならない物品ばかりを盗んだところで、何の意味がある」
博士の言葉にアレックスは両手で顔を覆って呻くしかできなかった。たしかにあの連中がそんな遠回しで、すぐに金にならないような事をするとは到底思えなかったからだ。
結局、アレックスは答えのない疑問に囚われる羽目になった。
「待てよ、君と闘っていた女は絵画を盗もうとしていたんだったな?」
「そうだよ。結局盗めなかったけどね」
「それだよ! その絵画があれば、なにか手がかりが掴めるかもしれないぞアレックス」
突拍子もない博士の言葉に、アレックスが怪訝な顔をする。
「何を言ってるんだ博士。絵画は厳重に保管されてるし、触れることなんて無理だよ」
「君こそ何を言っているんだ! 今なら絵画を手に入れる絶好のチャンスじゃないか!」
博士が興奮気味に訴えるのをアレックスは唖然と見つめ返した。
「……僕に絵画を盗んでこいって言うつもり?」
「違う違う! 少しの間、借りるだけだ」
「正気とは思えないよ博士」
乾いた笑いをこぼすアレックスだったが、博士は至極真面目だった。
「今なら恐らく容易に手に入れることができるぞ。君が大暴れしたお陰で、現場は大混乱のはずだ。それに乗じればいい」
「僕に強盗犯になれって?」
「借りるだけだ。調べるだけ調べたら、元の持ち主へと返す。それとも君は何も分からないまま、また今回のような目に遭っても良いのか? サクラさんを再び危険に晒すと?」
サクラを引き合いに出されては、何も言えなくなる。博士はアレックスを急かした。
「時間との勝負だぞ。今すぐ現場に戻って、バレないように絵画を拝借してくるんだ」
さあ、と背中を押されたアレックスは、渋々といった様子で立ち上がった。
「まさかヒーローが強盗することになるなんてね」
アレックスが皮肉をこぼす。さすがにヒーロースーツ姿で行くわけにもいかない。昔ここに置いていったままにしていた服を探しに、アレックスは肩を落としながら部屋を出ていった。
美術館は博士の言う通り、混乱と喧騒の只中にあった。メディアや警察、消防や野次馬などでごった返している。
アレックスは近くで交通整理をしていた警官を呼び止めると、怪しい人物を見かけたと言って路地裏に誘い込み、警官の背後に回り込んで首を絞めて失神させた。
急いで警官の制服を脱がせると、それを身に着けて美術館へと向かう。入り口で二人の警官が立っていたが、さほど怪しまれること無く中に入ることが出来た。アレックスは少しだけ、ノイジーシティの警官たちの資質に疑問を感じてしまったが、今はそのお陰で助かっているのだ、文句は言うまい。
美術館の中は大勢の警察官で溢れかえっていた。例の絵画があったホールへと足を踏み入れると、そこはアレックスが空けた穴のせいで瓦礫の山が築かれていた。
罪悪感を覚えつつ、部屋の様子を探っていると、奥の方から男の金切声が聞こえてきた。
「おい! これは非常に貴重な絵画なんだ、くれぐれも慎重に扱ってくれ!」
声の主の方へと近づけば、思った通りこの美術館の館長が、運び出されようとしていた絵画の周りであれこれと文句をつけている最中だった。
ナイフを刺された左肩を治療すべく救急隊員が館長を押さえつけようとしているが、アドレナリンが放出されすぎているのだろう館長は、お構いなしに怒鳴り散らしている。
絵画を運ぶ二人の警官はあからさまに嫌そうな顔をしていたが、館長はそんなもの知ったことかと言わんばかりに注文を付けまくっている。話の内容から察するに、地下にある保管室へと移動させるようだった。
アレックスは館長へと近寄ると、警察の方で事情を詳しく聞きたいから外にいる警部と話しをしてくれと嘘をついた。
「話しなら後でいくらでもする! 今はこれを無事に保管室へと移動させるほうが最優先事項なんだ!」
「お時間は取らせない言っていました。それに警察への協力を拒んでは、あらぬ疑いがかかる恐れがありますよ」
そう言われると館長も口を閉じるしか無く、仕方なくその場を離れていった。
「助かったよ。あの館長、キーキーうるさくて仕方なかったんだ」
「分かるよ。あぁ、それよりさっき二階で何か見つかったらしいんだ、人手が欲しいって言ってたよ」
「だがこれを運ばないことにはなぁ……」
二人は困った顔をする。アレックスは一人の方に声を掛けた。
「じゃあ僕が変わるよ。君は先に行っててくれ」
「そうか? 助かるよ」
そう言って一人が持っていた絵画の片方を渡した。
「さぁ、運ぶぞ」
残った警官がアレックスに声をかける。そして二人は慎重に絵画をホールから運び出すと、地下にあるという保管室へと向かった。
電気が復旧していないのか、エレベーターが使えないので階段で地下へ降りなければならなかった。警官は何度も文句を言っていた。
「まったく、今日は夜勤の予定じゃなかったのに、とんだ災難だぜ」
階段を降りながら警官が吐き捨てる。
「そう言えば、お前見かけない顔だな。どこの分署から来たんだ?」
「あぁ、32分署だよ」
ふうん、と聞いておきながらさほど興味も無さそうな声を上げた警官が、階段に気を取られたその一瞬を突き、アレックスは持っていた絵画の額縁を思い切り警官の鳩尾へとぶつけた。
「おあっ!」
息が詰まって咄嗟に反応できない状態に追い打ちを掛けるように、絵画を今度は引っ張り上げると警官がバランスを崩して後数段という場所から転がり落ちた。
アレックスは踊り場で呻く警官の鳩尾に控え目な一撃を加えると、相手はすっかりと意識を無くしてしまったのだった。
持っていた絵画の額縁を外し、中のキャンバスだけを急いで上着に包んだ。そして階段を駆け上がると、人波の中を気配を完全に殺しながら入り口へと向かった。
そうして無事に外へと出られたアレックスは、人目のない場所まで来ると夜空へと飛び立っていった。
博士の隠れ家に戻ると、アレックスは借りてきた絵画を博士へと渡した。いささか不機嫌なアレックスを見た博士は話題を逸らすように彼に話しかけた。
「アレックス、家に連絡はしたのか? 子供たちは誰かに見てもらっているんだろう?」
そこではたとアレックスは我に返る。彼は急いでスマートフォンを取り出そうとしたが、すでにタキシードは美術館でボロボロになって破り捨ててしまったし、恐らくその時に落としてしまったのだろう。残念ながら、ヒーロースーツにスマートフォンを収納する機能は今のところ無いのだ。
「しまった……美術館で無くしたみたいだ」
「そうだろうと思ってな、奥さんのドレスから彼女のスマホが出てきたよ」
ポンッと気軽に渡す博士に、アレックスの眉根はこれでもかと皺を刻んだ。博士は慌てて釈明した。
「おい、変な気を回すな。治療のためにドレスを脱がせる必要があっただけだ。私はなにも疚しいことなどしておらんからな」
スマートフォンをアレックスの胸に押し付けた博士は、慌ててその場を後にした。いつものガラス張りのフィギュアだらけの部屋へと避難したのだろう。
険しい顔のまま、アレックスは自宅の電話へとかけると、数回の発信音のあと、何度目かの呼び出し音で相手が出た。
「ハロー? ミズ・スズキですか」
『あら、アレックス! ちょっとあなた、大丈夫なの!?』
この様子だと、すでに美術館のことはテレビかなにかで知っているようだ。
「えぇ。今そこに子供たちはいますか?」
『いいえ、もう全員寝かしつけたわ。でもエリックは凄く心配してたのよ』
普段反抗的な態度が多い息子だが、不器用ながらも彼なりに家族への愛があるのだろう。
「あの、落ち着いて聞いてほしいんです。サクラが……怪我をしてしまって」
『まぁ! どういうことなの!』
「ミズ・スズキ、子供たちには聞かせたくないので、もう少し声を落としてくれると助かります」
『あぁ、そうね、ごめんなさい。それで、サクラは大丈夫? 今病院なの?』
「はい。治療を終えたばかりで、今眠っています」
『そうなの……なんてこと、せっかくのデートがこんな事になるなんて』
ミズ・スズキが酷く落ち込んだ声で言う。アレックスはまたもや罪悪感で胸がジクジクと傷んだ。
「申し訳ないのですが、帰るのに時間がかかりそうなんです。厚かましいのは分かっていますが、もう少し子供たちを見ていてくれませんか?」
『そんなに気を遣わなくていいのよ。私なら大丈夫だから、サクラの心配をしてあげてちょうだい』
「ありがとう、ミズ・スズキ」
親切な隣人を持ったことを、これほどまでに感謝したことは無かった。
「なにか必要な物があれば遠慮なく家にある物を使ってください。それと眠くなったら寝室を使ってください」
『結構よアレックス。ソファで充分よ。とにかく、サクラをしっかり見てあげてね』
心優しき隣人との電話を終えたアレックスは、サクラの様子を見に行こうと治療室へと向かった。
治療室は独特な匂いがしていた。消毒薬や血の匂い。手術台には腕に点滴を刺した状態のサクラが横たわっていた。
部屋の外から持ってきた椅子を手術台の横へと置くと、アレックスはそこに座って眠るサクラの手を握った。
トクリ、トクリと鼓動の音がするのを聞きながら、サクラの指先にそっと口付けを落とした。
すると心音が僅かに乱れる音を聞き、急いでアレックスは顔を上げてサクラを見た。
「……アレックス?」
「サクラ!」
重たげに目蓋を上げたサクラをアレックスが覗き込む。何度か瞬きを繰り返し、自分がどこに居るのかが分からない様子だったので説明する。
「ここは博士の隠れ家なんだ。あ、博士って言うのは、僕の保護者だったというか、今は相棒というか……とにかく悪い人じゃないから安心して」
矢継ぎ早に言われてサクラは目を眇めてアレックスを見返した。
「医者が私の傷を診てくれたの?」
「あぁ、そうなんだ。いや、でも彼は医者の資格も持っているけど、本業は博士なんだよ」
「なんだか……凄い人なのね」
疲れたように吐息をつくサクラの頬をゆっくりとアレックスが撫でていると、部屋のドアがノックされ、博士が姿を現した。
「やあ、起きたようだね。体の具合を診たいのだが、いいかな?」
「え、ええ……」
戸惑うサクラに博士は近寄ると、慣れた手つきで傷の具合を確認し、それからライトペンで目を覗き込んだり幾つかの質問をし終えると、安心したように頷いた。
「大丈夫のようだね。いやはや、今一番人気のコミック作家が、闘うことも出来るサムライガールとは恐れ入ったよ」
感心した様子の博士にサクラの耳が赤くなる。
「博士、彼女に自己紹介を」
アレックスの言葉に博士が今気付いたと言わんばかりに目を丸くする。
「おお、そうだった。自己紹介が遅れてすまなかったね。私はバルタザルだ。好きなように呼んでくれ。アレックスは私を博士と呼んでいるがね」
「私はサクラです。治療してくださって、ありがとうございました」
「なんのこれしき。それよりミズ・サクラ、私はあなたの大ファンなんだ。初期の作品から全部集めているんですよ? 独特の世界観にクールでイカしたキャラクター達、もういつ読んでも興奮する! あぁ、よければ是非あなたのサインが欲しいのだが、よろしいかな?」
興奮しながら一気に捲し立てる博士にサクラは驚いて目を瞠った。見兼ねたアレックスが間に割って入った。
「博士はね、僕に負けず劣らずのオタクなんだよ。あらゆるコミックスを収集してるし、それにトクサツやカイジューも大好きなんだよ」
アレックスの説明に納得しつつも、サクラは一つの疑問を口にする。
「あの……アレックスのスーツを考案したのはあなたですか?」
博士は満面の笑みで肯定した。代わりにサクラはなんとも言えない微妙な表情を浮かべた。アレックスは何となくサクラの考えている事を察してしまい、情けなそうに眉尻を下げている。
「あなたから見て、あのスーツはどうだろうか? 是非とも意見を聞きたい」
期待の篭った瞳で尋ねられ、サクラは困惑しつつも慎重に口を開いた。
「お気を悪くさせてしまったら申し訳ないのだけど、率直に言って、あのスーツはあまりにも……その――」
言い淀むサクラの言葉の続きをアレックスが引き継ぐ。
「ダサいらしいよ博士。前に言っただろう。覚えてないのかい?」
「ん? あぁ、そう言えば、そんな事を言っていたような気がするな。そうか、私のセンスはやはりプロの目から見て、まだまだだと言うことだな」
そうではないと否定したくても、サクラにはできなかった。あまりにも博士が純粋な瞳で見返してきたからだった。
サクラの気遣いを知らず、博士はなおも興奮しながら言い募った。
「そこでミズ・サクラ、あなたにお願いがあるのですよ」
「あの、サクラで結構です博士」
「おや、そうですか? ではサクラ、アレックスのスーツのデザインをあなたに作って欲しいんですよ」
まさかの申し出に、サクラは博士からアレックスへと視線を移す。アレックスは肩をすくめて頭を振った。
「そんな、私が……いいえ、無理です博士。私がデザインしたものを着たアレックスが、闘っている時になにかあったら大変です。あのスーツには、きっと特別な機能があるんでしょうし」
「それなら心配に及びませんよ。強いて言うならば、アレックスの体に合わせて強度を高めていることくらいですよ。まあ、たまに新しい装置を開発するんですが、アレックスは武器を使いたがらないのでね」
だから安心してデザインをして欲しいと言われ、サクラはまたアレックスを伺い見た。
アレックスは頷き返しながら言った。
「君さえ良ければ、僕のためにデザインしてくれると嬉しい。それに君の美的感覚で言えば、今のスーツが耐え難い代物だってのは知ってるから」
そこまで言われて断ることなどできるわけもない。サクラはおずおずと博士に頷き返した。
「……私でよければ」
「それでこそ、”ヤナギ・ユキ”だ! よし、新しいスーツの素材の選別にかからねばならんな」
手を叩いて嬉しそうに博士が部屋を出ていった。
再び二人になったアレックスとサクラは、暫しの間無言で互いを見ていた。
「サクラ、君にこんな傷を負わせてしまったのは僕のせいだ。本当にすまなかった」
痛ましげにサクラの腹部に視線を移したアレックスが言った。
「なに言ってるのアレックス。私が未熟だったからよ。また父さんに鍛え直して貰わなくちゃ」
殊更明るく言うサクラに、アレックスは余計に沈痛な面持ちになる。
「……僕は、まだ君に話していないことがあるんだ」
囁くようにアレックスが言った。サクラはいつもと様子の違う夫の瞳を見つめ返した。
「夜な夜なノイジーシティを守るために闘うヒーロー活動以外にも?」
穏やかな声でサクラが問うと、苦痛に耐えるようにアレックスが頷き返した。
「君に僕の全てを言わずに、また元のような生活に戻ったとしても、僕は多分心のどこかで君に対して罪悪感を抱いたまま生きることになると思う」
「あなたがそれを言って、余計に苦しむのなら無理に言わなくていいのよ。私はどんなあなたでも愛しているんですもの」
傷まみれの細い指先をアレックスの頬に滑らせる。アレックスはその手を握りしめた。
「いや……多分、僕は聞いてほしいんだ。そして、君に許しを請いたいんだよ」
この繊細な指が、数々の名作を生んできたのだ。だがその指には今、たくさんの傷が付いている。
「サクラ、僕の話しを――過去を聞いてくれる?」




