第84話 プロゲーマーは恋人に再会する
「……なによ……何が起こってるのよ……」
薄暗い光が射し込む執務室で、少女はメニューウインドウを見ながら混乱していた。
闇に溶け込むような黒マントは、普段は哀れな獲物を背後から襲うためのものだ。
幾人もの血に濡らしてきたそれは、しかし今、びくびくと情けなく震える身体を覆い隠すために使われている。
少女は《殺人妃》と呼ばれていた。
正確には自分でそう名乗っているのだが、その名に恥じない実績を重ねたプレイヤー・キラーだ。
幼い容姿から侮られることも多いが、13人から成るPKクランを率いる立派な殺人鬼である。
クランを結成してもう2ヶ月ほど。
この洋館を拠点として精力的なPK活動に身を投じ、何十ものプレイヤーを恐怖のどん底に叩き落としてきた。
PKクランの総元締め――《赤名統一連盟》にも一目置かれる、新進気鋭のスーパールーキーなのだ。
なのに。
それなのに。
「――あっ!」
またひとつ、クランメンバーのネーム表記が暗くなった。
それは死亡を意味する現象。
総勢13人もいたはずの仲間たちは、ものの10分ほどで、たった3人にまで数を減らされていた。
「……なんなのよ……なんなのよ……なんなのよ……!」
《殺人妃》は黒マントの中でぶつぶつ呟きながら、仲間から送られてくるカメラ映像を見る。
この洋館の1階。
エントランスだった。
その中央で、黒い影が踊っている。
フリル付きの大きなスカートをひらひらと舞わせ、暴風雨のように踊り狂っている。
ダンスの相手は、《殺人妃》の大切な部下たちだ。
7人がかりで迎え撃ったはずが、今や5人が人魂と化している。
そして、残り2人のうち1人も、今――黒い影の手に首を掴まれた。
『ぅがっ……がっ……!』
喘ぐような苦鳴が聞こえる。
MAOに痛覚はないと知っているのに、その苦しみが伝わってくる。
幸い、長くは続かなかった。
コキリ、と。
仲間の首が横に倒れて、手足がだらりと力を失った。
黒い影は、沈黙した屍をゴミのように投げ捨てる。
赤いカーペットを転がった屍は、すぐに青白い人魂と化した。
『……ひッ……』
恐怖に震えた声は、この映像の撮影者のものだ。
大階段の上から戦いを撮影している彼に、黒い影の瞳が向く。
石のようだった。
何の熱も揺らめきもない、石のような眼光だった。
……殺気があるのならわかる。
敵意があるのならわかる。
相手が自分を殺そうとしていると、そう感じたのなら、この恐怖も理解できる。
けれど、その瞳にそれらはなかった。
なのに、この恐怖は止まらなかった。
逃げて、という言葉さえも喉を通らない。
その前に、真っ黒な影がカメラの目の前に迫っていた。
影のように黒いそれは、エプロンからブラウスまで漆黒に染め抜かれたメイド服だ。
喪服、なんて殊勝なものじゃない。
きっと。
そうだ、きっと。
この漆黒は、返り血を目立たないようにするためのものに違いない。
最後の一瞬、漆黒のメイドが固く拳を握り締めるのが見えた。
直後、すべてが黒く染まる。
今度は黒いエプロンドレスによってではない――映像が途切れたのだ。
画面の中央に、無慈悲なメッセージが表示される。
【撮影者は死亡しました】
13人のクランメンバーのうち、これで12人が人魂に変えられた。
残るは1人。
すなわち、洋館3階の執務室に引きこもっている自分だけ。
――コツン。
足音が聞こえた。
死神の足音が。
◆◆◆―――――――◆◆◆―――――――◆◆◆
酒場の女マスターに言われた通り、街から東に行ったところに広がる森を、案内板の表記に反する方向に進み続けた。
すると、徐々に白い霧が辺りに立ち込める。
前も後ろもわからなくなりそうになりながら、それでも前に進み続けると、木々に挟まれた小道が途切れた。
白い霧の向こうに、大きな洋館の影がうっすらと浮かび上がっている。
輪郭さえも曖昧で、まるで異世界に迷い込んだかのようだ。
「まるでホラーゲームだな……」
洋館といえば、ホラゲーには付き物の舞台装置だ。
一歩でも入ったら閉じ込められて、よくわかんねー化け物に襲われたりするんじゃねーだろうな。
などと益体のないことを考えつつ、洋館の影に向かって歩を進めた。
ほどなく、鉄格子の門が見えてくる。
が、錆びて歪んだ不気味な門は、最初から隙間が開いていた。
……元からこうなのか?
それとも、誰かが開けた……?
開きっぱなしの門を抜け、前庭に入る。
荒れた石畳は元からだろう。
放置されて久しい廃洋館のようだ……。
霧の向こうから、緑の蔦を壁に這わせた屋敷が姿を現す。
やはりホラーゲームめいた不気味な館だが――
それ以上の異常が、玄関の前に広がっていた。
「……こいつは……」
観音開きの玄関扉の手前に、5つもの人魂が浮かんでいたのだ。
……プレイヤーの、死体……!?
オレが息を呑んでいるうちに、青白い人魂は一つ、また一つと消えていった。
オレは眉根を寄せる。
……5つの人魂がすべて消えるのに、10秒もかからなかった。
これは、5人ものプレイヤーが、たった10秒の間に立て続けに殺されたことを意味する……。
全身に緊張が漲った。
当たりだ。
オレはそう確信を得て、玄関扉の前に立った。
斜めに歪み、かすかに中が垣間見える扉を、ギ、ギ、ギ、ギ、ギ……と、笑うような音を軋らせて押し開く。
大きなエントランスだった。
あちこちが破れた赤絨毯の上には、案の定、青白い人魂がいくつも浮かんでいる。
1、2、3、4、5、6……大階段の上にもあるな。それじゃあ7。
7人分もの、プレイヤーの残骸だ。
モンスターの襲撃なら、もっと屋敷の中が荒れていて然るべきだろう。
しかし、人魂以外の被害は一切見受けられない。
これほどスマートな殺戮は、人間――プレイヤー以外には不可能だ……。
「――――いやああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああッッッ!!!!」
そのとき、不意に響いた金切り声に、オレは意識をぶっ叩かれた。
悲鳴……!
上からか!?
オレは大階段を駆け上がると、左右を見回し、廊下の先にさらなる階段を見つける。
3階か!
荒れ果てた廊下を矢のように駆け抜け、再び階段を上がった。
3階には、扉がひとつだけあった。
他の扉よりも一回り大きい、ボス部屋めいた扉だ。
すでに開け放たれているその向こうには、広大な書斎が広がっていた。
両端の壁が巨大な本棚に埋められた空間に、オレは足を踏み入れる。
……誰も、いない?
一番奥――バルコニーの手前にある執務机が荒々しく倒れているだけで、他には何も……。
風にカーテンがはためいた。
バルコニーに続く掃き出し窓が開いていることに、オレはようやく気付く。
そして、はためくカーテンの隙間に見える、真っ黒な人影の存在にも。
真っ白な霧に浮き彫りにされたように、漆黒のメイドが佇んでいた。
一見、華奢に見えるその手は、中学生程度の小さな女の子の首を掴み上げている。
黒いマントを羽織った小さな女の子は、宙に浮いた足をばたつかせながら、幼い顔を恐怖と苦悶に歪めた。
「あっ……ぐっ……!」
「あなたは、弱い」
黒いメイドが無慈悲に告げる。
直後、華奢な腕がぞんざいに振るわれ、女の子の身体をバルコニーの外に放り投げた。
「――あっ……?」
闇のような真っ黒なマントは、しかしあっという間に、白い濃霧に呑み込まれる。
数瞬後。
ドシャリ、という生々しい落下音が、霧の向こうから響いた。
黒いメイドは、バルコニーの下を覗き込もうともしない。
無表情に霧に覆われた空を見上げて、小さく溜め息をついた。
彼女の名を、オレは知っている。
《ブラックメイド》なんて異名じゃない。
キャラにつけられたハンドルネームでもない。
彼女の両親が、愛情をもってつけた、たったひとつの名前を。
「…………莉々…………?」
オレがやっとの思いで声をこぼすと、黒いメイドがぱっと振り向いた。
たった今、一人の女の子を放り捨てて殺した少女は。
ついさっき、12人ものプレイヤーを殺戮していた少女は。
オレの顔を見るなり。
まるで飛び跳ねるように。
弾んだ声を響かせた。
「……ジンケ……!」
どちらも、同じ女だった。
オレの恋人――森果莉々だった。




