第5話 伝説は拠点を移す
リリィ――森果の奴とMAOを遊び始めて、一週間が経った。
PKに遭遇した初日を除けば平和なもので、毎日毎日、いろんな狩場を巡ってはモンスターを倒す日々。
戦うばかりじゃなくて、観光もした。
リアルじゃ自然の中を歩く機会なんてそうそうない。
作られたものだとわかってはいても、MAOの舞台《ムラームデウス島》の雄大な自然は、画像や動画では決して得られない感動をオレに与えてくれた。
今じゃあ観光ついでにモンスターを狩っているような感じだ。
部屋から一歩も出ちゃいねーのに、まるで毎日旅行しているみたいで、非常に楽しい。
リリィの奴も、心なしか楽しそうだった。
デートみたいだと思っているんだろう。
……まあ、オレとしても。
見て聞いて感動したことを共有できる相手が、いつも隣にいてくれるってのは――
しかもそれが、少々常識に欠けるとはいえ可愛い女の子だってのは、嬉しいことだ。
相手が森果だからってわけじゃないぞ?
本当に。
……たぶん。
そうこうしているうちに、オレのキャラクターレベルは30を超えた。
魔法流派も《ウォーリア流》はとっくに卒業して、《クーフーリン流》ってのに入っている。
初心者にも広く門戸を開いている、プレイヤーメイドの槍術系流派である。
このゲームは他プレイヤーが作った《我流》に入門することもできるのだ。
槍術系流派には他にも《ディルムッド流》とか《スカサハ流》とか《エリザベート流》とかがある。
由来はよく知らない。
エリザベートって女性名だよな?
なんで槍術?
ともあれ、昼も夜もMAOの世界に耽溺したおかげで、早くも初心者の域を脱しつつあったオレだった。
教都エムル周辺の狩場や観光スポットもあらかた巡ってしまい、若干の物足りなさを感じていたところだったのだが――
それを察したかのように、リリィがこう言ったのだ。
「拠点変える?」
別の街に移動する。
そうか。
この世界にはエムル以外にもたくさんの街があるのだ。
「中級者の狩場といえば、《ブカリアン山地》が王道」
「山地……山か。そこに一番近い街に引っ越しするってことか」
宿屋の倉庫に預けているアイテムは、アイテムストレージ拡張装備(要するにカバン)を使って持っていかないといけないらしい。
まさに引っ越しだ。
「どこなんだ? ブカリアン山地ってとこに一番近いのは」
「………………」
リリィはなぜか迷うように目を逸らしてから、言った。
「《アグナポット》」
「アグナポット?」
「プロVR格闘ゲーマー団体が統治してる街……《対人戦の聖地》って呼ばれてるところ」
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街と街の間(厳密には首都と首都の間)は、《ポータル》という装置でテレポートできる。
教都エムルのポータルは、街の真ん中に聳え立つ大きな城のロビーにある。
だが、今回は使わないことにした。
ポータルで移動すれば一瞬ではあるのだが、それでは味気ない。
それに、前々から気になっていたのだ。
城の近くにある『駅』と、そこを頻繁に出入りする漆黒の『機関車』に。
「おー、すげー。ちゃんとダイヤまで作ってあんのか」
「汽車は全部、《鉄連》の人たちが運営してるから」
MAOはプレイヤーが自分で建物を建てたりすることもできる。
サンドボックスゲームのノリだな。
マインクラフトとか。
そのシステムを使って、《鉄オタギルド連合》というグループが作ったのが、この蒸気機関車らしい。
何十キロにも及ぶ線路を自分たちで敷設し、大量の資材を注ぎ込んで作った機関車を、緻密なダイアグラムに合わせて走らせているのだという。
完全に趣味で。
物好きな奴らだ、とオレ辺りは思うのだが、鉄道オタからすると夢のような遊びなのかもしれない。
『ぼくのかんがえたさいきょうのてつどう』を実際に走らせて、何万って人に利用してもらえるんだからな。
VRMMOならではの遊び方だ。
単に国家間を移動するだけならポータルで済むので、鉄道を利用するのは主に国内を移動する時らしい。
だが、オレたちみたいに旅行気分を味わいたい奴のために、国家間を跨ぐ路線もちゃんと用意されていた。
「フロンティアシティ行き……これか?」
「そう。フォンランド縦断鉄道」
「よし」
ゲーム内通貨のセルクで運賃を払って、車内に乗り込んだ。
駅のホームにはずいぶん人がいたような気がしたが、車内はまったく混んでいない。
リリィ曰く、複数の異空間がレイヤー状に重なっていて、一つの空間に一定以上の人数が乗ると、次の乗客からは別の空間に飛ばされる仕組みらしい。
便利だ。
満員電車大国・日本に最も必要なシステムって気がする。
リアルで実現するには科学どころか魔法が必要そうだけどな。
荷物を網棚に載せて、オレたちは隣同士に座った。
オレが窓際で、リリィが通路側。
「……狭いんだが」
リリィが必要以上に肩を密着させていた。
「ダメ?」
「……別に」
「照れてる」
「照れてない!」
オレは窓枠に頬杖を突き、車窓の外に目を逃がした。
リリィはますます身体を密着させてくる。
彼女の哀れな見栄の産物たる巨乳でオレの腕が埋もれる。
……初日以来、それに手で触れたことはない。
触っても何も感じないし。
っていうか偽乳だし。
でも、あのときのリリィの反応を、もう一度見てみたい気も……。
ちょっとつつくくらいなら許されるのでは?
「(ダメ)」
耳元で囁かれた。
「(他の人、いるから。ジンケ以外に、あんな声、聞かれたくない……)」
脳みそに甘い痺れが走る。
お、落ち着け。
篭絡されるな。
お前はそこまで軽い男ではないぞ、竜神ツルギ。
囁きは聞こえなかったフリをして、車窓の外に視線を逃がした。
緩やかな加速感と共に、景色がゆっくりと動き出す。
見慣れた街の風景が見る見る過ぎ去って、一面緑の草原になった。
単にだだっ広いだけじゃない。
ちょくちょく洞窟とか建物とかが見えては通り過ぎる。
あそこには何があるんだろう?
そんな風に想像するたび、広く見えた世界がさらにさらに広がっていく気がした。
「広いな……」
「うん」
「この世界、どのくらい広いんだ?」
「わからない。まだ全体の半分も攻略できてないらしいから」
「へー……」
これで半分も行ってないのか……。
現在のMAOプレイヤー共通の目的――いわゆるグランド・クエストってやつは、このムラームデウス島を北へ北へと進み続けて、《精霊郷》ってところにたどり着くことらしい。
その途中でモンスターから奪い取った土地に街を作り、文明化することで、プレイヤー国家ってものが生まれる。
オレたちが目指しているのは、そのうちの一つだ。
……アグナポット。
対人戦の聖地と呼ばれる街。
プロVR格闘ゲーマーの本拠地……。
抵抗はあった。
この2年ほど、格ゲーからは意識的に距離を置いていたからだ。
だが、中級者プレイヤーの多くはアグナポットを拠点にするんだと言われたら、強くは拒絶できない。
そのためには、オレが格ゲーを遠ざける理由を説明する必要がある。
オレのことを好いてくれる森果に、恥ずべき過去を明かすことには、アグナポットに行くことよりも強い抵抗があった。
……ああ、見栄さ。
くだらない男の見栄。
リリィの巨乳アバターを笑えはしないよな。
そういうわけで、アグナポットへの引っ越しを了解したのだった。
まあ、聖地だからって対人戦をしなきゃならないわけでもあるまいしな。
観光目的としては、純粋に興味があるんだ。
メイドの姿をしたNPCがやっているワゴンサービスから飲み物を買って、オレとリリィは他愛のない雑談をしたり、車窓から見える景色に感嘆したりして過ごした。
そして、数十分後――
汽車はアグナポットに到着した。
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駅を出て真っ先に目に付いたのは、巨大な円形の建物だった。
「おー! コロッセオみたいなのがある!」
「一つだけじゃない」
リリィに言われて見回してみると、一つ、二つ……三つもあった。
距離を考えると、どれも同じくらいの大きさ。
ドーム球場と同じか、それ以上ありそうだ。
「あの《アリーナ》は、東西南北に1つずつと、真ん中に1つの、計5つあるの」
「何をする場所なんだ?」
「対人戦」
リリィは短く答えた。
「真ん中の《セントラル・アリーナ》以外の4つは、主にランダムマッチができる場所。フリーマッチとランクマッチ」
「ランダム戦か……」
同じ時間にランダムマッチを遊んでいる他のプレイヤーと、文字通りランダムに対戦が組まれるシステムだ。
「んじゃ、真ん中の《セントラル・アリーナ》ってやつは?」
「イベント用。大会とか。あそこの試合は全部ネット配信される。5つの中で、一番おっきいの」
「へえ……」
「(一番、おっきいの)」
「……なぜ囁く。なぜ繰り返す」
「なんででしょう」
無表情で下ネタをかますんじゃない。
反応に困る。
オレは一番近くのアリーナを見やった。
ここは街の南部だから……《サウス・アリーナ》ってとこか?
入口の手前には広場があり、その中央付近には人だかりがある。
人だかりの真ん中には、四方に向いた四面モニター――というか、ホログラムか?――があった。
四面ホログラムモニターはいくつもの画面に分割されて、それぞれに人が激しく動いている映像が映っている。
「あのSFっぽいモニターは……?」
「あれはランクマッチの試合をランダムで流してる。設定で許可してると、たまにあそこに映る」
「ほーん」
……ゲーセンにもああいうモニターあったな。
大きさはダントツでこっちのほうがデカいが。
モニターの周囲に集まった人だかりに耳をそばだててみると、こんな声が聞こえてきた。
「あっ、ぶっぱした」
「一生こすってるだけじゃねーか。本当にランクS4かよ」
「俺でも勝てるわこんなん」
「コンボミスは甘え。トレモに帰れド素人」
……うわあ……。
でも、なんだろう……この雰囲気、懐かしい……。
たまたま厳しい声ばかり耳が拾ってしまったが、たまに歓声も上がるので、いいプレイをしたときはあの観客たちもきちんと褒めるようだ。
「……中、入る?」
少し遠慮がちに、リリィが言った。
「ロビーに入れば、飲み食いしながら観戦できるけど」
「……いや、いいよ。それより宿に荷物置こうぜ」
「うん」
うっかり興味を示してしまったな。
それよりも、新たな狩場に目を向けようじゃねーか。
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宿に荷物を置いたあと、再び汽車に乗って数キロ西方にあるブカリアン山地に向かった。
実のところ、山地のすぐ近くにも村があり、拠点にできないこともないのだが、リリィ曰くやめたほうがいいらしい。
「街や村にはたまにモンスター襲撃イベントが起こる。それで宿が壊されたりすると、キャビネットの中身がいくつかロストする。ログアウト中なら問答無用で死亡扱い」
だから、防衛力の心許ない村を拠点にするのは危険、という理屈だ。
始めたばかりで資産の少ないオレだったが、それでもアイテムがロストするというのはぞっとしない話である。
たとえ実際に被害を受ける確率は低いとしても、できれば避けたいというのが心情だった。
ブカリアン山地で何時間か狩りをして、日が落ちてきたところで引き返した。
さすがに中級者エリアってことで、回復薬が空っ欠だ。
でもその甲斐あって、レベリング効率は段違い。
ほんの数時間で5つも上がってしまった。
こんなに上がったのは初日以来かもしれない。
アグナポットに帰りつき、駅を出た頃には、とっぷりと日が暮れていた。
そろそろリアルで晩飯に呼ばれる頃かもしれない。
夜のアグナポットは、依然として賑わっていた。
むしろこれからが本番というところか。
オレたちみたいに朝から遊んでいられる夏休み中の学生ばかりじゃないだろうしな。
「ジンケ。ちょっと散歩しよ」
悪くないな。
レベリングに勤しむわけでもなく、リリィと一緒に未知の街を散策するっていうのも。
繁華街みたいに輝きと喧噪に満ちた街を、あてもなくそぞろ歩く。
こういうとき、隣のリリィがつんつんと手の甲をつついてくることがあった。
手を繋ぎたい、ってことなんだろうが、
「友達は手を繋いで歩かねーだろ」
「ケチ」
まずは友達から始めよう、ってことで落ち着いたオレたちの関係だ。
リリィは――森果は隙あらばそれをレベルアップさせようとしてくるが、なし崩し的にそうなってしまうのは、オレの望むところではなかった。
オレは硬派な男なのだ。
おっぱいを揉んでいいと言われればそれは揉むが、しかし硬派な男なのである。
決してビビっているわけではない。
「……ん。この辺は人通りが少ないな」
「うん」
気付けば、ひと家のない路地を歩いていた。
知らない道へ知らない道へ進んだ結果だ。
「戻るか。何もなさそうだし―――」
と。
きびすを返した瞬間。
後ろに、女が立っているのに気が付いた。
「…………!?」
気付かなかった……。
この静けさだ、足音があれば気付いたはず。
なら、どうして気付かなかった。
……足音を、殺していた?
いやな予感は、次の1秒で現実になった。
女――髪の長い女だ――は、腰から何かを引き抜いた。
月光を照り返す、緩やかに反り返ったそれは――
――刀?
「リリィ!」
反射的にリリィの前に出ると同時、女が刀を振りかぶりながら突進してくる。
――速い……!?
槍を取り出す暇がなかった。
美しい軌跡を描いて振り下ろされてくる刃に対し、オレはひとつしか回答を持たなかった。
両の手のひらで挟み込む。
真剣白刃取り。
刀の切っ先は、オレの頭に当たる寸前で止まった。
ぐぐぐ、と依然、刀を押し込みながら、女の目がわざとらしく丸くなる。
「おおっ! 白刃取り! そう来たか!」
「なんだ、お前……! ここはPK不可エリアだろ!?」
「だったら、なんで防いだのかな? 傷一つ付きやしないってわかっていたのに」
「それは……」
オレは言い淀んだ。
そういえば……どうしてだ?
「それはね、本能だよ」
女は間近から、オレに言葉を染み入らせる。
「その電子の身体で、60分の1秒の世界を生きたことのある人間、特有のね♪」
「なっ……!?」
こいつ……!
まさか、オレのことを知っているのか?
そんなはずはない!
女の顔を、オレは知らなかった。
その頭上に表示された名前も、当然。
《EPS:コノメタ》。
なんだ、あの名前の手前に書いてあるアルファベットは……。
「よっと!」
不意に刀が引かれ、オレの白刃取りから脱した。
オレの本能は間合いを取るべきだと言ったが、後ろにはリリィがいる。
その隙だった。
刀の女――コノメタとかいう名前のそいつが、左手を伸ばしてきた。
払える。
そう思った。
だが、オレのアバターは、オレの感覚に一瞬だけ遅れた。
「くぉのっ……!」
女の左手を、かろうじて右手で受け止める。
かさっとした感触があった。
「これ、あげるね」
「――は?」
女の左手は、2枚の紙切れをオレの手に握らせただけだった。
オレが戸惑っているうちに、女は間合いを取って刀を鞘に納める。
「動きが一瞬遅れたね。無線でやってるの? よく追いついたなー」
……今の動きの遅れに気付いたのか?
瞬きにも満たない一瞬だぞ。
「お前、なんなんだ……?」
「また会ったときに改めて名乗るよ」
「いきなり斬りかかってくるような奴と、二度も会うつもりはねーぞ」
「会いたくなるよ。それを観たあとに、きっとね」
それ?
オレは胸に押しつけられた2枚の紙切れを見た。
これは……チケット?
何かのイベントの?
「それじゃあね。私たちは、キミを大いに歓迎するよ――」
そう言って、女は普通に歩き去った。
いったい、なんだったんだ……。
私たち?
意味がわからない。
「びっくりした」
リリィがまるでびっくりしてなさそうな平坦な声で言った。
「白刃取りしたジンケ、すごいカッコよかった」
「そっちかよ」
「ポスターにしてベッドの上の天井に貼りたかった」
「そこまでかよ!」
本気なのか冗談なのか、淡々とした声色のせいでさっぱりわからん。
どちらにせよ恥ずかしいのでやめてください。
「ジンケ。そのチケット……」
リリィが後ろから、オレの手の中にある2枚のチケットを覗き込んだ。
「やっぱり。明日の大会の会場観戦チケット」
「大会?」
「明日、セントラル・アリーナでやるの。クラス統一トーナメントの本戦」
大会の観戦チケットだって?
「結構手に入らないやつ。《アテナ》が出るから……」
「ふうん……。なんでこんなものを、オレに……? 手間かけて手に入れたんだろうに」
「……それはわからない、けど。でも、手に入れるのに手間はかかってないんじゃ」
「え? なんでだ?」
「あの人、名前の頭に、アルファベットが付いてたでしょ」
「ああ。なんだろうな、あれ」
「あれは、略称」
「略称?」
リリィは頷いた。
「《ExPlayerS》……プロゲーマーのチームの」