第17話 プロ見習いは純情をもてあそばれる
……と、懐かしい雰囲気にあてられて、うっかり射幸心をジャブジャブ煽られてしまったオレだったが、実際にはまだ最低ランクのペーペーである。
客観的には、今、このノース・アリーナにいる誰よりも、オレが一番弱いのだ。
「ここが対戦室」
ロビーから廊下を進み、いくつか並んだ扉の一つ。
その前でリリィが立ち止まり、扉の横の台座に触れた。
「ここで中に入れる人を指定する。定員8人まで。操作は見ればわかると思う。ATMみたいなものだから」
「ふむ」
扉がひとりでに開き、オレたちは対戦室に入った。
広い談話室のような部屋だ。
ソファーやテーブル、木の揺り椅子なんかが置かれている。
向かって右には掃き出し窓があり、なんと海が見えていた。
「なんだこの海……」
「ただの雰囲気作り。今は夏だから夏モード。冬は窓が暖炉になってたりする」
リリィが壁のスイッチをパチパチ切り替えると、窓の向こうの光景も次々に変わっていった。
リゾート地のプールだったり、はたまた延々と田んぼが続く田舎だったり……。
「おもしれえ」
「VRラブホテルにもこういう機能があるらしい」
「なんで今その情報入れた!?」
「興味あるかなって」
きょとんと首を傾げるな。
オレが汚れてるみたいだろうが。
VRラブホなる興味深い存在は脇に置いて、オレは対戦室に意識を戻す。
窓の反対側には大きなモニターがある。
「これは対戦観戦用か?」
「ネットも見れる。あと戦績とか、録画した対戦も」
「録画? それって客観視点か?」
「主観も、どっちも」
「ほう」
ゲーセンじゃ対戦の録画なんて、スマホで直撮りするくらいしかできなかったんだが、便利になったもんだ。
「で――」
入口から見て部屋の奥には、三つの扉があった。
このリビングは対戦室の中でも控え室みたいなものだろう。
ってことは、あの三つの扉が、本当の対戦室か。
「左がランクマッチ用。真ん中がフリーマッチ用。右がプライベートマッチ用」
リリィが一つ一つ扉を指さした。
「あとは中に入ればわかると思う。どうする? まずはフリー? いきなりランク?」
「そりゃもちろん――」
「――それとも、わ・た・し?」
「……………………」
オレは中腰になって胸を強調したリリィを無言で見つめた。
しばらくすると、リリィの身体が震え始める。
「…………ジンケ」
「おう」
「わたしも、たまには、気まずくなることだって、あるんだけど」
「知ってる」
あまりに盛大にスベったもんだから対応できなかった。
「いきなりランクでいいよ。どうせ負けても今以上に下がることないだろ」
「なかったことにしないで……」
「(――お前はそのあとな)」
と、耳元で囁いてみると、リリィがピクッと震えて固まった。
オレは笑って言う。
「冗談」
「…………!?」
リリィはほのかに色づいた顔で、オレを恨みがましげに睨んだ。
「……いじわる。いじわる。いじわる。いじわる……」
「吐くな呪詛を。お前がいつもオレにやってることだろ」
「ジンケは、わたしが冗談の通じない女だってことを、理解するべき」
「自分は真顔で冗談言うくせに……」
「シャワー浴びて下着替えておくから、さっさとランク上げてきて」
「はいはい」
オレは左の扉に向かおうと歩き始め、
「あ、ジンケ。下着の色はどんなのがいい?」
「……待て。一応訊くけど、冗談だよな?」
「やっぱり白がいい?」
「こいつ本気だ……!」
白か黒かで言えば白のレースがいいですが。
「白だったらちょうど今――」
「ばっ! ちょっ……!」
リリィがメイド服の裾をするするする、と持ち上げた。
オレの目はどうしようもなく上がっていく裾に引きつけられる。
あと10センチ。
5センチ。
1センチ―――
どこからともなく光が射した。
リリィのパンツは、あまりに不自然な帯状の可視光線によって、完全に覆い隠されていた。
「あ、規制あるの忘れてた」
「……………………」
もっ……もてあそばれたっ……!!
「仕返し」
痛恨の極みにあるオレに、リリィがかすかに楽しそうな声で言う。
「お前……案外負けず嫌いだな……」
「本当は、今、リアルのわたしは、ちょっと気の抜けた下着だから、できれば見ないでほしい」
「別にその報告いらないんだが……」
「いつも汚れちゃうから。ジンケと会うとき」
「……………………」
「この報告もいらない?」
オレの顔をのぞき込んでくるリリィ。
「……い、いらないな。不要の極み」
「うん。だよね。夏なんだから下着が汗で汚れるのは当たり前」
「あ、汗で? ……あー、汗で! だよな! 夏だし!」
「うん。汗」
無表情でジーッと見つめてくるリリィ。
「…………ごめんなさい。降参。お前の勝ちだから……」
「ふふふ」
リリィは無表情でドヤるという器用なことをした。
勝てねえなあ……。
惚れた弱みって嘘じゃないのかなあ……。
「じゃあ、ランクマッチ頑張ってね、ジンケ」
「ああ……。始める前に出鼻を挫かれたけどな」
「――ちなみに」
囁くような、聞こえるか聞こえないかギリギリの声で、リリィは言った。
「わたしの部屋、クーラーかかってるから、汗なんて掻かない」
「……………………」
オレは無言でランクマッチ・ルームに入った。
死体蹴りはマナー違反だぞ!
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扉の向こうは小部屋になっていて、さらに奥にもう一つ扉があった。
扉の上には大きく【D5】と書かれている。
おそらくは、オレの今のランクがそこに表示されるんだろう。
ランクはD5~S1までの25段階。
一つランクを上げるのに必要な勝ち星は、ランクによって違うようだ。
D5~D1ランクでは2つ。
C5~C1ランクでは4つ。
B5~B1ランクでは6つ。
A5~A1ランクでは8つ。
S5~S1ランクでは10。
ランクが上がるごとに、必要な勝ち星が増えていく。
Dランクでは二度勝つごとに一つランクが上がるわけだが、Sランクでは最低でも10回は勝たないと上がらない。
基本的に、負ければ勝ち星を失う。
ただし、初心者帯であるDランクでは、負けても星を失うことはないようだ。
さらに、3連勝以上すると、連勝ボーナスってのがつくらしい。
連勝ボーナス中は、普通の2倍――2つの勝ち星が1勝につきもらえるそうだ。
例えば、D5ランクからスタートして5連勝したとすると、こういう風にランクが上がっていくことになる。
1勝目:D5→D5
2勝目:D5→D4
3勝目:D4→D4→D3
4勝目:D3→D3→D2
5勝目:D2→D2→D1
ただし、Sランクでは連勝ボーナスはない、とあった。
勝てば勝ち星プラス1、負ければ勝ち星マイナス1。
最低でも勝率50パーセント以上でなければ、いつかAランクに落とされてしまう計算である。
ゴッズランクに至るのに必要な勝ち星は合計で150個。
ニゲラ先輩に言われたS5ランクまでなら100個。
だから最速では……ええと……。
51連勝か。
51連勝でS5ランクになれる。
「意外と短いな」
あの日のオレの5分の1以下。
1試合5分とすれば、255分――4時間15分で終わる。
「それじゃ……先輩の仰せの通り、今日中にS5までいくとするか!」
◆◆◆―――――――◆◆◆―――――――◆◆◆
「誰か、あのメイド連れの野郎に当たったか?」
「いや」
「ぜんぜん」
「くっそ! 当たったらボコしてやるのに! あの銀髪メイド連れの野郎!」
「あの巨乳メイド連れの!」
「巨乳のおおお!!」
なんだか騒がしいな、と思いながら、彼はノース・アリーナのロビーを通り抜けた。
彼の名は《サタツー》。
本来はSランク帯を生息地とする上級者だが、今日はサブアカウントのランクを上げにアリーナを訪れた。
ランクの上下を気にせずランクマッチをプレイするのには、サブアカウントの存在は有用だ。
リスクを恐れてメインアカウントでは試せないような戦法も、サブアカでなら遠慮なく使うことができる。
だが、そのためには、サブアカでもある程度のランクまで上げなければならなかった。
DランクやCランクの初心者相手では練習にならないからだ。
(ちゃっちゃと済ますか。Aくらいまでならすぐだろ)
当たってしまった初心者には申し訳ないが、手加減をするつもりはなかった。
下手に手加減して、ランク上げの作業が無駄に長引いてしまうことは、できるだけ避けたいことだった。
対戦室に入り、ランクマッチ・ルームに入る。
装備はある程度揃えていた。
万全とまでは言わないが、Aランクまでならこれでも充分だ。
マッチングを開始する。
ほんの10秒ほどで、対戦相手が決まった。
相手の名前が表示される。
(J……I……《JINKE》?)
一瞬、あの《JINK》の名を騙る身の程知らずの馬鹿かと思ったが、よく似た別の名前だ。
(紛らわしい。さっさと片付けよう)
そして試合が始まった。
彼はすぐに気付いた。
(こいつもサブアカだ!!)
動きが初心者のそれではない。
PvEしかやってこなかった奴の動きでもない。
間違いなく、対人戦の経験を山と積んだプレイヤーの動き。
しかし、彼もまた素人ではない。
全体の2パーセントもいないSランクである。
そこらのプレイヤーにはそうそう負けない。
……そのはずだった。
「……………………」
試合後、彼は愕然としていた。
負けたから――ではない。
確かに負けた。
それは確かだが、ただ負けたわけではなかった。
1ダメージも与えられなかった。
2ラウンド戦って、たったの1ダメージすらも。
(あいつ…………何者だ!?)