第99話 プロゲーマーはわからせる - Part3
〈きた〉
〈きた〉
〈きたあああああ〉
早朝、人の少ない時間ゆえに緩やかだったチャット欄が、にわかにスクロールの速度を速める。
オレの眼前には、つい今し方マッチングした対戦相手のキャラネームが、威圧感さえ伴って表示されていた。
《Dr.Solu.》
ゴッズランク――1位。
まさか、こんな人の少ない時間に当たるとは思いもしなかった。
そのタレント気質からして、もっと注目の集まる夜に乱入してくると思っていた。
しかし、対するオレのほうも、ついさっきやっとの思いでゴッズランク10位に到達したばかりだ。
夜まで待っていたらオレがあっさり1位になってしまうと考えたのか、それとも……?
何にせよ、望むところ。
配信開始から半日近く経っているが、体力作りの甲斐あって集中力はまだ冴えている。
体力のあるうちに1位からレートを吸うチャンスが来たんだ――これを逃す手はない!
闘技場に転送される。
オレが使っているスタイルは配信開始から一貫して《地形忍者》だ。
ドクター・ソルは当然それを知っているはずだから、有利スタイルである《洪水シャーマン》で狩りに来るはず――
――はず、だと思ったのだが。
正面に対峙したドクター・ソルの姿を見て、オレは面食らった。
黒いローブに、身長ほどもある大きな杖。
それは《ハイ・ウィザード》の装備だった。
すなわち――
――《トート・ウィザード》!?
どういうつもりだ……?
オレのスタイルがわかっているのに、あえて不利スタイルをぶつけてきた!?
鍔広帽子の下にあるドクター・ソルの細面には、薄い笑みが滲んでいた。
……何を考えてるのかさっぱりわからない。
あまりに不気味で、あまりに不審だ。
だが、有利であることだけは変わらない。
何をする気か知らねーが、吸わせてもらうぜ、あんたのレート!
対戦、開始。
オレはセオリー通り、開幕と同時に両手で印を結んだ。
《忍法・土遁の術》。
地面をせり上げ、壁として、ドクター・ソルの射線を遮る。
直線にしか飛ばない魔法攻撃をメインのダメージ源とする《トート・ウィザード》は、闘技場に障害物を作られると滅法弱い。
このまま、まずは地形を整える。
そして身を潜め、ドクター・ソルがクリアリングにMPを使い始めたところで、隙を見て一気に距離を詰める……!
対における基本戦法を念頭に置きながら、オレはせり上がった壁に沿って走ろうとした。
そのとき。
ボオウッ、と空気が焼ける音がした。
オレは音に導かれて上空を見る。
1発の火球が、花火のように立ち上って、土の壁を越えるところだった。
《ファラミラ》……?
どういうつもりだ? 明後日の方向に無駄撃ちして――
――えッ!?
疑問は驚愕に姿を変えた。
なぜなら、起こり得ないことが起こったからだ。
空に向かって飛んでいた火球が、急に軌道を変えた!
不自然な放物線。
まるで見えない天井に反射したかのような軌道で、火球はオレめがけて降ってくる……!
「ばッ……!」
反射的にその場を飛びずさる。
火球は地面に激突し、爆発して、飛び散った土塊と火の粉が全身を叩いた。HPが微減する。
魔法の、曲射……!?
そんなもんどうやって――ああ、いやそうか、そういえばどこかで聞いたことがある……!
魔法の照準方式には2種類がある。
ターゲットした相手に自動で照準を合わせるロックオン方式と、自分の手で照準するマニュアル方式だ。
しかしこのうち、慣れたプレイヤーはマニュアル方式しか使わない。
なぜかというと、ロックオン方式はその性質上、偏差射撃――つまり、相手の移動先を予想して、そこに撃っておく、ということができないのだ。
だからロックオン方式は、ゲームにまだ慣れない初心者用のシステムという意味合いが強い。
ただし。
ロックオン方式を裏技的に応用することで可能となる、極めて高度なテクニックが存在する。
それが、曲射魔法だ。
やり方は、説明するだけなら簡単だ。
マニュアル方式で魔法を撃ち、ある特定のタイミングでロックオン方式に切り替える。
すると、まっすぐにしか飛ばないはずの魔法が、途中で相手めがけて転進するのだ。
だが、この特定のタイミングってやつが冗談のように難しい。
猶予フレームは2だか3だか。とにかくシビアすぎて、成功するかどうかはランダムだって言い張る奴までいる始末だ。
しかし、ごく一部――本当の本当にごく一部の、異次元じみた超上級ウィザードプレイヤーは、このテクニックを手足のように使いこなすらしい……。
ボオウッ、と火球が再び頭上に現れる。
それは当然みたいに軌道を折り曲げ、一直線に壁の裏にいるオレに襲いかかる。
ああ、油断していた、慢心していた……!
確かに、ドクター・ソルはスタイルビルダーだ。
環境に対してマウントを取れるスタイルを開発し、それをもって勝率を叩き出すタイプのプレイヤーだ。
だが――だがだ。
いくら優秀なスタイルを作ったところで、そのポテンシャルを引き出すにはプレイスキルが必要なのだ。
いくら相性ゲー、ジャンケンだとは言っても、それはあくまで充分な実力があればの話なのだ。
そもそも実力が伴っていなければ、正しい勝率なんて決して出ないのだ……!
オレは降り注ぐ火球から逃れるため、全速力で壁に沿って走る。
もっとだ、もっと壁を増やせ! そうして姿を暗ませば、オレをターゲットできなくなるはず……!
再び《土遁の術》を使うべく、手で印を結びながら壁の陰から飛び出そうとした、そのときだった。
――ボオウッ。
熱波が頬を撫でた。
目の前に、燃え盛る火球があった。
……ああ、あまりにも失策。
誘導された。
《地形忍者》は、元より耐久には優れない。
《トート・ウィザード》の超火力によって、オレのHPは一気に焼き切られた――
――残る1ラウンドでも、オレはドクター・ソルの曲射魔法への対策を見いだせなかった。
試合の終わり際、闘技場から転送される直前に、ドクター・ソルはオレに向けて、広げた手のひらを突きつけた。
……手のひら?
いいや、違う。
それは、5だ。
今回は10位だった。
だから――次は5位まで来い。
「……上等だ」
◆◆◆―――――――◆◆◆―――――――◆◆◆
「んにゃ……んん、んんんぅ……」
〈かわいい〉
〈かわいい〉
〈えっろ〉
普段なら苦言を呈するセクハラチャットにも、リアクションさえ取れなかった。
太陽はすでに中天に迫っている。
配信開始より半日以上が過ぎたここに来て、プラムの睡魔はピークに達していた。
猫のように目を擦りながら、プラムは対戦室のソファーから立ち上がる。
小休止を取っていたのだが、このままだと眠ってしまいそうだ。
順位も上がってきて、もう少しでトップ10に手が届きそうなので、ここで寝落ち終了は勿体ない……。
「しゃいかいしましゅねー……」
〈呂律回ってないけど大丈夫?〉
「あー、大丈夫でしゅ……。試合中に顔洗うので……」
〈試合中に洗顔は笑う〉
〈身支度さえ試合中に整えるゲーマーの鑑〉
早朝にリリィに敗北して以降、スタイルを《洪水シャーマン》に切り替えたのだが、これが図らずも睡魔の撃退に寄与していた。試合中、常に冷たい水を浴びることになるので、眠りこけて負けてしまうということは今のところ起こっていない。
だが――本来の仮想敵であるはずのリリィとは、あれ以来、マッチングしていなかった。
(たまたまマッチングしなかったのかな? それとも、もう満足しちゃったのか……)
数時間前はリベンジに燃えていたはずだが、あまりに眠すぎて、来ないなら来ないで別にいいかなあ、という気分になっていた。
「がんばってジンケさんに焼肉奢らせるぞー……」
〈焼肉配信期待〉
〈ホテル配信期待〉
「いや、しませんから……」
リスナーと緩い会話を躱しつつ、マッチング・ルームに入り、対戦相手を探す。
《地形忍者》がいいなあ。忍者来い、忍者来い、忍者忍者忍者ニンジャNINJA――
――《Lily》。
「へぇあっ!?」
目が覚めた。
夢かと思って二度見する。しかし何度見ても、マッチングしたのは《Lily》だった。
「わ、忘れた頃に……」
というかもしかして、朝に対戦した後、寝てたんじゃないだろうか。ズルい!
しかしおかげで眠気は吹っ飛んだ。
プラムは気合いを入れて、闘技場へ転送される。
正面に対峙したリリィは、やはり相変わらずのブラックメイド姿だった。何の武器も持っていない。
しかし、今度のプラムは前回とは違い、巫女装束に身を包んでいる。《洪水シャーマン》の装備である。
――真の最強ならば、相手が何であろうと必ず勝てる。
あの大言壮語――証明してもらおうじゃありませんか。
対戦、開始。
相手が《地形忍者》でない場合の《洪水シャーマン》は、《大雨乞い》によって強化される水属性魔法を中心としたスタイルになる。
水属性魔法はそもそも攻撃範囲が広く避けにくい。そのうえ、《大雨乞い》によって降る大雨で地面がぬかるみ、地上移動の速度にデバフがかかる。
そうした特徴により、強い遠隔攻撃手段を持たない近接型スタイルには滅法強かった。
そして、リリィのクラスは見たところ《拳闘士》――つまり魔法の類がほとんど使えない。
ゆえに、《洪水シャーマン》はリリィに対して、かなり有利のはずだった。
セオリー通り、開幕から《大雨乞い》を使用したプラムは、慎重に間合いを取りつつ水属性魔法《ウォルルード》を詠唱する。
波濤が宙に渦巻き、槍のようになって、リリィを飲み込むべく押し寄せた。
リリィは動かない。
ただ、徒手空拳のままゆらりと構えを取って、
――バッギュゥィンッ!!
いやに硬質な音がした。
間違っても、液体が発する音ではない。
自分が想像した展開と、聞こえた音とに齟齬がありすぎて、プラムの頭は混乱した。
直後、彼女は現実を見る。
そして、さらに混乱が深まった。
――押し寄せた波濤の渦を、リリィの拳が打ち砕いていたのだ。
「……はあああッ!?」
有り得ない現象に目を白黒させた直後、何か鋭い物体が飛来して、プラムの額に激突した。
「いたっ……あれ? 冷たい……?」
その感触から、飛来物の正体を知る。
氷だった。
氷の破片が飛んできたのだ。
ステータスのデータをよく見れば、リリィのMPがいくらか消費されていた。
……魔法を使ったのだ。
氷属性の魔法を使って、《ウォルルード》を凍らせ、同時に殴り砕いた。
ありえない、と反射的に思うが、プラムが蓄積した知識は『可能』という解を叩き出す。
普通、流れる水を凍らせようとしてもうまくいかないのだが、それにはゲーム世界ならではの例外があるのだ。
とりもなおさず――凍結直後に、生まれた氷にダメージを与えた場合である。
凍結とほぼ同時に氷にダメージを与えると、ダメージ計算の間、物質の状態が固定される。
ダメージ計算が終了するまでは、氷は氷でなければならない――水に戻ってしまっては、計算したダメージを適用する対象がなくなってしまうからだ。
それは、本当に束の間のことだ。
フレーム数にして、1あるかどうかもわからない。
しかし、その一瞬があればいい。
リリィの拳が氷を割り砕き、飛び道具としてその破片を飛ばすには――!
無数に飛来した氷の破片が、全身に突き刺さった。
驚き、戸惑い、ノックバック。
それらが相乗的に生んだ隙が、リリィに接近を許す。
近付かれたシャーマンなど、サンドバッグと同じだった――
あまりに異次元過ぎる戦術。
あまりに常識外の戦法。
異世界人と戦っているかのような感覚。
――こんなの、どうやって勝てばいいの?
2連戦となり、2連敗となった。
転送間際、リリィは2本立てた指を突きつける。
――2勝目。
プラムの頭は真っ白になっていた。
どうすればいいかわからなかった。
何も考えないまま、たまたま見えた光に縋るように、彼女は、スタイルを《トート・ウィザード》に変更した。




